魔人ども
七ツ沢神社の拝殿に、招聘された退魔師と七ツ沢の中心にある小島に建つ屋代、通称『迷い家』へ星子を届ける護衛が集められていた。
上座には、この祭事を取り仕切る鈴木道元。
その左に戸隠流修験道の戸隠音彦。
右隣には、薄化粧を施された鈴木星子が伏し目がちに端坐していた。
正面には、村越要と選抜された三人の神人が一列に並んでいる。いかにも荒事に慣れた、荒んだ顔つきの男どもで、町田馬之助、草加鹿之進、大森光三郎という。
その後列は、欠伸をかみ殺し、懐手にして胡坐をかいている茶畑三十郎。背負い子になっている薬箱を傍らに置いた風間狐堂。
集まった一同にさっと視線を巡らし、咳払い一つ、道元が口を開いた。
「これより『黒羽の矢』の神事を執り行う」
まるで能のような所作で道元が拝殿脇の太鼓を打つ。
星子と音彦がご神体に向き直り、道元によって『修祓の儀』『祓詞の奏上』と進み、祓具にて一同を清める。玉串奉奠の儀は実際現場に赴く音彦が代表して神前に納め、再び道元が太鼓を打って終わる。
拝殿から社務所代わりの屋敷の広間に移ると、そこには猿轡をはめられ、柱に縛られた屈強な男の姿があった。
彼こそ『迷い家』に足を踏み入れ、生還した唯一の男、津田三蔵だ。
彼を見張る様に端坐しているのは、七尺の巨漢、鼎権六である。
全員が広間に集まると、権六が三蔵の猿轡を外す。
三蔵は、小狡い狐を思わせる顔をゆがめ、畳の上に唾棄した。
権六が三蔵を小突く。軽く撫でたようにしか見えないのに、三蔵の首がガクンと揺れた。
ポタタと落ちたのは三蔵の鼻血だ。
粗末な染みだらけの小袖とはだけた胸に赤い色彩が散る。
興味無さげに、一堂を見回していた三十郎が、星子に視線を止めた。
彼女は、固く目を閉じ、唇を噛んで俯いている。
「おやまぁ、お優しいことで……」
ふふんと鼻を鳴らして笑う三十郎を、咳払いして狐堂が窘める。
三十郎はチッと舌打ちして、肩に刀を立てかけ、壁に背を預けた。
「ここに居るのは、津田三蔵という。昨年、『迷い家』に私兵を送り込んだ、掟破りの罪人。だが、唯一の生き残りではある。今回は、この男に道案内をさせる」
道元が宣言すると、捕らわれた獣みたいな三蔵が表情を変えた。
すざまじい恐怖の表情だった。
「い……いやだ! 戻りたくない! 戻りたくない! 戻りたくない! 戻りたくない!」
鍛えらえた全身の筋肉を膨張させて、縄を引き千切りにかかる。
手首に食い込む縄が、皮膚を破って血が滲んでいた。
権六は腰を浮かせて、取り押さえる事が出来る体制に。
修験者装束の音彦が、膝行して背後に道元を庇う形になった。
要ら、神人は無表情のまま。薬の行商人姿の狐堂も然り。
三十郎は口の端だけをゆがめて、笑っている。
星子は、目を見開き、驚きの表情を浮かべていた。
「鹿ノ進」
と、神人頭を務める要が一言。
「承知」
答えて、草加鹿ノ進が、すぅっと右手を暴れる三蔵に向ける。
すると見よ、三蔵の眼がぐるりと返って白眼になり、口から泡を吹いて痙攣をしたではないか。
力むあまりドス赤く上気していた顔が、青くなったり、黄色くなったりしている。
異臭がしたのは、失禁したからだろう。
「熊野十万流呪法 軻遇突智四十七番『八ツ手』……」
三十郎の呟きに、狐堂の視線が、彼に流れる。
「いろいろ、表裏様々な流派を廻ったんでな」
懐手から手だけを出し、顎を搔きながら、三十郎が問わず語りに言う。
なぜ、そっぽを向いたままなのに、見られたのを悟ったのか? 気配を散らさなかった自信がある狐堂が、心の中で舌打ちする。
――この気味悪い連中の中でも、コイツはいまいち掴みどころがない
三蔵は酩酊したかのように、前後に体をゆすりながら、すすり泣いている。
「道元様、時間が長引くと壊れます。手短に」
要が言う。鹿ノ進の術は、尋問に応用できるのだろう。ただし、負担が大きいということなのかもしれない。だから、ここぞという機まで、使わずにいたということか。
「お父様! いったい何を!」
たまらず、星子が叫ぶ。
「だまれ! 口をはさむでない!」
狂気をにじませて、道元が怒鳴った。その剣幕に、星子が怯えて後ずさる。
「言え! 今こそ、『迷い家』で見た事全てを!」
物憂げに、三蔵が首を道元にめぐらせる。
その左目から一粒、涙が頬を転がった。なんという絶望の表情か。小さな悲鳴が星子から洩れた。
「あぁあいぁい」
ゆっくりと一つ頷いて、ポツポツと三蔵は自分が見てきたことを語り始める。
それは、七ツ沢の禁忌に触れた、最初であった。
亀の甲羅による卦で、出立は明日の日の出と同時ということになった。
平次の包丁式による特別な夕餉が用意され、星子の護衛たちは早々に床に就く。
七ツ沢に娘を送るのを『ナナツオクリ』という。
神事ではあるが、忌み事でもあるので、祭事を取り仕切る道元は、冠に目だけを出す白絹の覆面をつける。
その覆面には、神代文字が朱色で書かれている。「穢れを送り出す」という意味合いの文字らしい。
星子は、緋袴の巫女装束。まだ、あどけなさが残る顔には薄化粧が施され、手には樒を握っている。
神人は真新しい白の小袖にたっつけ袴。白檀の香が炊き込めてある。六角棒を持ち、腰には短刀。
音彦は、新品の鈴懸に手甲・脚絆。腰には鹿の毛皮の引敷はボロ毛皮から白鹿のものに変えられている。真っ白な結袈裟に頭襟というまるで死装束みたいな出で立ちである。手にした弦をはっていない古弓を錫杖代わりにしている。
三十郎と狐堂は、ここに来た時の服装のまま。三十郎は朝早くにたたき起こされ眠いのか、しきりに欠伸をしていた。
馬の様にハミを噛まされた三蔵が腰に猿縄をつけられ、鹿ノ進がその縄尻を持っていた。
顔は土気色で、まるでひどい二日酔いみたいな様子だ。昨日の術の名残であろう。
神人である要が、結界の端である鳥居に一礼し、くぐる。
すると、不気味に木々がざわめき、野分のような生ぬるい風が吹き始める。
要が、柏手を打つ。すると、空気は震え、手を打ちあわせただけの残響が、殷々と響く。
「熊野十万流呪法 軻遇突智 九十九番『大日』かよ。使い手は初めて見るぞ」
好奇心に目をぎらつかせて、三十郎が達磨顔を綻ばせる。
要の隣に並んだのは、神人の一人町田馬之助だ。下がり眉に切り込みのような細い眼。名前通りの馬面の男だ。
手にしているのは、紙切れ。それをふっと吹く。風に吹き散らされた紙片は、ひらひら羽ばたく蝶になって、四方に散ってゆく。
「見つけた」
馬之助の一言に、ずいっと前に出たのは、やっと髷を結う事が出来る程度の毛髪しかない、うすら禿の気味悪い男、大森光三郎だ。
「確認した」
青々とした髭剃り跡に、これだけはぬらぬらと赤いタラコ唇をゆがめてそう言うなり、何かを転がす仕草をする。
「行って、焼け」
目には見えないが、何かが地面を走っており、参道の先で何かが悲鳴を上げたのか微かに聞こえる。
「こいつら、全員、熊野十万流呪法 軻遇突智 の使い手か。相当の訓練を受けているな」
懐手のまま、欠伸混じりに三十郎が言う。
目の前で怪異が起こったのに、気にする様子もない。
狐堂も無表情のままだ。
「露払い致しました。では参りましょう」
秀麗な顔に微笑を浮かべて、神人頭の村越要がひらりと笑う。
生暖かい風はいつしか止み、朝の清冽な空気が戻っていた。
固く門を閉ざされた、無人の集落の中を、前後で星子を護る様に一行がゆく。
七ツ沢村では
「ナナツオクリを見てはならぬ」
という掟があるので、住民は皆、家の中で息を潜めているのだろう。
参道の始まりを示す『一の鳥居』の根元に、黒焦げの死体があった。
権六がさり気なく動いて、星子の視界を遮った。
その死体は、人のような虫のような、奇妙な合成生物だったのだ。あやかしの類である。
権六に庇われる様にして、星子がその死体の傍らを通り過ぎる。
最後尾をぶらぶら歩いていた三十郎と狐堂だけは、その死体がほろりと崩れ、何か光る球が天に昇るのを目撃していた。
「あやかしも成仏するかよ」
「穢れを上回る聖性があれば」
二人が小声で言葉を交わす。
「あの、小娘、おぼこい顔して、バケモノだぜ」
乱暴な三十郎の物言いに、狐堂がため息をつく。
「行方不明になった彼女の母親は八百比丘尼の再来と呼ばれた美しい巫女で、どうも霊能者だったようです。熊野古神道の流れを組む道元との間の子ですから、まぁ、彼女の血は特別なのでしょうね」
七ツ沢に至る、林道を往く。
先頭は腰に猿縄を巻かれた三蔵。その縄尻を持つ草加鹿ノ進のヒョロリと細い後ろ姿。
やや後方が本隊。星子を囲むように神人たちと音彦が歩く。
最後尾が三十郎と狐堂だ。
植生は原生林へと変わり、苔の湿った匂いが鼻をつく。
道は悪くなり、木の根でゴツゴツしているうえに、ぽっかりと穴が開いていることもあった。
「なんでも、ここは溶岩が押し寄せ固まったところらしいですね。知られていない溶岩洞窟があちこちにあるとか」
器用にひょいひょいと小さな障害物を躱しながら、息一つ切らさず、同行者の三十郎に狐堂が話しかける。三十郎は奇妙な事にまるで平地でもスタスタ歩くかのように歩を進めている。まるで超低空の空中でも歩いているかのように。
目を細め、狐堂が三十郎の足元を見やったが、特に変化はない。
「伴天連の神様は水の上を歩いたそうな。それだよ」
ふふっと三十郎が笑う。
狐堂が鼻白む。
――なぜコイツは、ちらっと見ただけで、こっちの視線を読んだのか?
門外不出の『熊野十万流呪法 軻遇突智』使いの神人たち。
近くを通るだけであやかしすら成仏させる巫女。
そして、未だ実力を見せていない三十郎とうさんくさい山伏。
――何を狙う、道元。
くつくつと狐堂が嗤った。