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迷い家  作者: 鷹樹烏介
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黒羽の矢

本作はフィクションです。

作中に同一あるいは類似の名称があった場合、実在する個人、団体等とは一切関係ありません。

 中肉中背。のっぺりとした顔は特徴がなく、すれ違って数歩でその顔を忘れてしまう……そんな、存在感が薄い若者が、七ツ沢村に至る東海道の脇街道を歩いていた。動きやすそうな裾をしぼった軽衫かるさん袴は柿色で、それよりやや濃い色合いの小袖。腰には守り刀の脇差。振り分け荷物に三度笠という、町人とも旅の木地師ともつかない、曖昧な印象だった。

 その若者の隣を歩いているのが、洗い晒し何カ所も繕った跡がある、古い鈴懸すずかけに手甲・脚絆。腰には鹿の毛皮の引敷ひっしぎ結袈裟ゆいげさ頭襟ときんとくれば、いかにも山伏という出で立ち。

 鷲鼻高く赤ら顔で、大きな口を引き結んでいるとあれば、まさにその様相は天狗そのもの。傍らの、印象が薄い若者と好対照であった。

 奇妙な事に、錫杖は持たず、弦を張っていない弓を杖代わりに突いていた。

 修験者が岩山を踏破するとき、難所越えに使う縄である螺緒かいのおを腰に巻いているが、それは漆黒で、まるで女人の黒髪を束ねたかのようだった。

 竹矢来に枝折戸という形ばかりの七ツ沢の関所に、会話することもなく二人は至る。

「頼もう!」

 と、大音声を上げたのは、天狗のような山伏。若者は、俯いて傘の中に表情を隠した。

「戸隠流退魔行者、戸隠とがくし音彦おとひこ、求めにより見参! 開門! かーいもぉーん!」

 赤ら顔を更に上気させて、怒鳴る。

 若者は、薄笑いを口元に刷いて、半歩後ろに下がる。

「うるせぇ……」

 小さく呟いた声は、戸隠音彦と名乗った山伏には届かなかったようだ。

 大声に驚き、転げるように粗末な小屋から出てきた、門番の神人が慌てて枝折戸を開ける。

「ご苦労」

 と吐き捨てて、のしのしと音彦が門を通過する。

 続いて通過する若者を見て門番が狼狽した。

「同行者がおられると、伺っておりませんが」

「そんな奴は、知らん」

 そうなのだ。別に二人は知り合いであるわけでなく、同行しているわけでもないのだ。

「まてまて、貴様、何者だ!」

 六角棒で行く手を塞いで、門番の神人が若者に問うた。

「これは、失礼した。私は風間かざま狐堂こどう。薬師です。これが、招待状」

 七ツ沢村の代官、鈴木道元の花押かおうが書かれた正式な招待状が提示された。



 山盛りの白米にヤマメの塩焼き。香の物に味噌汁という、贅沢な食事を与えられているのは、いかにも朴訥な農夫といった男だった。

 名前を津田つだ三蔵さんぞうという。

 古い住民が多い七ツ沢村にあって、新参者と呼べる男だ。

 元は尾州の逃散百姓。代官の収税不正に加担して甘い汁を啜っていたが、役人の不正が発覚し更迭されてしまったのだ。

 その役人の腰巾着だった三蔵はたいそう嫌われており、村八分の扱いを受けて逃散。

 近隣のどの村にも受け入れてもらえず、結局七ツ沢村に流れ着いたという経緯があった。

 本人はダメ人間だが、器量よしの娘、お仙がいて、親子の情だけは人一倍だった。

 三蔵の家に『黒羽の矢』が立ったのは、昨年のこと。

 この地の言い伝えを知らない三蔵は、必死で抵抗し、こともあろうに、七ツ沢の由来になった、沢の合流点の淵にある禁足地『迷い家』に、お仙の許嫁だった若者と、若者が雇った剣客と共に、乗り込んでしまったのだ。

 二日後、若者と雇われ浪人八名の首だけがきれいに七ツ沢神社の鳥居の上に並べられ、三蔵は鳥居の根元に縛られてケラケラと笑っていたという。

 怪異が常の七ツ沢神社だ。神人による不寝の巡回がある。

 四半刻にも満たない巡回のわずかな合間の出来事だった。

 なぜか三蔵は鈴木道元によって保護され、手厚い看護を受ける事となる。

 お仙の許嫁になっていた跡取息子が巻き込まれた七ツ沢村の筆頭庄屋、奥平おくだいら官兵衛かんべえの怒りはすざまじく、ぶち殺せと鈴木道元に迫ったが、それも道元は却下している。

 しかも、完璧に健康管理をし、譫妄状態を回復させるために治療を施し祈祷も行い、良質な食事を与えて運動もさせ、屈強な男に鍛えあげる始末。

 理由は一つ。

 この津田三蔵が、長い七ツ沢村の歴史で唯一『迷い家』に入って生還した男だからだ。

 早晩、この百年近く続く人身御供の仕組みは破綻するという考えが道元にあり、なんとかこの地の怪異を究明しようという野望があったのである。

 何らかの『力』が七ツ沢の淵にあり、その『力』を操るのが、人外の化生。

 その人外の化生に自分がとって替わる事が出来るのではないか……という前提で、神人を使って資料を集め、研究していたのだった。

 津田三蔵に道案内をさせる。そのためには、呆けていては意味がないし、肉体も屈強でなければならない。そのためだけに、生かされているのだ。

 津田三蔵が、飯を残らず食べる。

 一刻の休憩の後、ぶら下がった状態から、ひたすら体を引き上げる運動をさせられたり、重しを背負った状態で、延々と屈伸運動をさせられたりする。

 苦しくて、やめたいと訴えても、許してくれない。

 六角棒で、痛点を集中的に殴られ、激痛にのたうつ羽目になる。

 だが、そんな生活も数ヶ月続ければ、慣れる。

 津田三蔵は、まるで仁王像のような肉体を持つに至っていた。



 村越むらこしかなめは、神域内に造られた杖術の修練場にいた。

 杖術の師である佐々ささき文殊もんじゅと対峙している。

 彼は、身分が低い奴婢である神人だが、熊野十二所権現・下四社のうち第九殿の十万宮から直接この七ツ沢神社に派遣された、特殊な戦闘者だった。怪異から神社を護る訓練をうけていた。

 そして今、鈴木道元が杖術師範として招いた佐々木文殊から、無比流も伝授されている。

 打つとみせて、引き。

 引くとみせて、突く。

 突くとみせて、さくる。

 変幻の足さばきと電光石火の一撃が流派の要諦だが、戦闘者としての訓練を受けていた要は、あっという間に免許皆伝の腕前に到達し、師である佐々木文殊も舌を巻く程だった。

 そして、指導した文殊は実感していたが、要の打撃には独特の痺れるような衝撃が走る。

 天性なのか、十万宮での修行の末に身に着ける技能なのか理解できなかったが、命のやりとりをする立ち合いなら、自分でも及ぶまいと、文殊は思っていた。

 要が五尺五寸の六角棒を体側の沿わせて立て、半身となる。

 文殊は、同じ寸法の杖の先をすうっと下向させ、地面を差す。

 先に仕掛けたのは、要だった。担ぎ上げた杖を、そのまま叩き下してくる。

 文殊が間合いを詰めて、下向きだった杖を跳ね上げて胴突きを放つ。

 一瞬で「突き」の方が早いと判断したか、要が引く。

 文殊が杖で円を描く。交差した杖をがカカンと鳴って、要の体が崩れた。

 だが、ここまでだった。

 まるで、雷に打たれたかのようにビリっとした痺れが文殊の手に走り、引き戻した要の杖の先が、鳩尾に押し付けられていた。

 文殊は「見事!」とは、感じなかった。

 負け惜しみではないが、あの不思議な衝撃がなければ、勝っていたと思っている。

 それを、要も理解しているのか、ほろ苦く笑う。

 まるで、白皙の学者のような、理知的な青年であった。

「なんだか、すいません」

 そう言って、要が笑う。朱を引いたような赤い口唇から、白い歯がこぼれる。

 細い眉に切れ長の眼が、含羞に細まっていた。

 さぁっと文殊の腕が粟立つ。なんだか、この青年は気味が悪いのだ。

「アレは、何なのだ?」

 文殊が吐き捨てる。

「さぁ? 我々は『軻遇突智かぐつち』と呼んでいますが、私にもわからないのです」

 とぼけやがって……と思ったが、文殊はそれ以上は問わなかった。

 武術に青春をすべて費やしてきた。あの『軻遇突智かぐつち』とやらは、あやかしの類。

 関わるべきではないという判断だった。

「もはや、教える事も無し。鍛錬を続けよ」

 その文殊の言葉に、村越要は深々と頭を下げた。

 修練場から退出し、井戸で水を汲み、諸肌脱ぎとなった要が汗を絞った手拭いでぬぐう。

 白い上半身は、きめの細かいもち肌。だが、その皮膚の下には、鍛え上げられた筋肉が、脈打っていた。

 色素が薄いのか乳首は桃色で、まるで陰間茶屋の男娼を思わせる。

「近頃は、多いな」

 要は、そう呟いて小枝を拾う。

 それを、無造作に地面に刺した。

 パンと何かが弾ける音がして、空間から鼠が忽然と転がり出る。

 地面でのたうつそれは、尾が二つに別れ、額にも眼がある三目の鼠だった。

 それが、燃えていた。

「神域を穢す者。軻遇突智かぐつちにて滅すべし」

 ビクンビクンと痙攣するそれを、草履で丹念に抉り潰しながら、要が言う。

 その端正な顔は、嗜虐の昏い悦びに歪んでいるかのようだった。




 憂い顔の少女が、神域にある池の水面を見つめていた。

 緋色の捻襠袴ねじまちはかまに白小袖。いわゆる巫女の作業着である『常衣じょうえ』である。

 七ツ沢神社では、宮中女官の長い裾と違い、くるぶしが出るほどの長さにしているらしい。

 腰まである黒髪は、半紙と麻紐で作った丈長たけながで一つにくくっている。

 小柄で華奢。まるで精緻な人形を思わせる少女である。

 彼女こそ『黒羽の矢』に指定された、鈴木道元の愛娘、星子ほしこだった。

「星子様……」

 日傘を差し出してきたのは、でっぷりと太った七尺弱もの巨漢。

 儚い風情の星子と並ぶと、まるで飼い慣らされた熊が侍っているよう。

「あ、権六……」

 星子が心配顔の権六をみて、胸を衝かれる。

 あの忌まわしい矢が鳥居に突き立ってから、星子の御守役であるかなえ権六ごんろくは、いつも泣きそうな顔をしている。

「大丈夫よ、さあ、お掃除を終わらせましょう」

 そう言って、ことさら快活な様子を見せて、竹帚を手に取る。

 この七ツ沢に来た時から、『黒羽の矢』の運命は覚悟していた。

 何人もの娘が淵に送られるのも見てきた。その家族の悲しみも。

 ――だから、私も逃げてはいけない。

 そういう覚悟があった。

 だけど、ふとした瞬間に、恐怖が背中を走る。

 ――父上が何かをしようとしている……

 浪人者や術師を離れに集めているのは知っていた。

 何度か怪異の対策に力を貸して下さった、戸隠音彦おじ様の姿も見た。

「星子は特別なんだ。切り札といっていい」

 熱に浮かされたような父の顔をを、星子は思い出して小さく身震いした。

 彼女には分かった。その瞳の奥にゆらめく『狂気』が……

 

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