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迷い家  作者: 鷹樹烏介
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茶畑三十郎

黒澤監督の『用心棒』『椿三十郎』にオマージュを捧げます。

菊地秀行先生の『幻山秘宝剣』にも、オマージュを捧げます。

完成出来たら、『夏のホラー2018』にエントリーしますね。

 七ツ沢村はその名の通り、三本の川がこの地点で合流し四本の川に変わって海に向って流れるという地形からきている。

 戦国時代は交通の要衝として、今川家、北条家、武田家、その他小勢力が争奪戦を繰り広げたが、結局どこも砦を築くほど支配期間が長続きしない。なぜか。

 実はこの地では怪異が続いて発生し、守備兵の士気が低下。攻められればあっという間に潰走してしまうから。

 最終的には北条家支配時期に神社が建てられ、熊野神社から神職を招き、一種の不可侵地域とされたという経緯がある。

 後に七ツ沢村は徳川家の天領とされたが、奇妙な事に代官が派遣されず、熊野神社から派遣された神職が世襲的に代官を兼任している。

 徳川の天領とはいえ、石高がはっきりしていないので収税されているわけではなく、富は代官代行の神職である鈴木家に集められ秘匿された。

 何度か、正確な収穫高を調べるために検地役人が派遣されたが、怪異の続発にほうほうの態で逃げ出す有様。

 反乱分子が隠れているという疑いがあったため、徳川幕府による軍事行動も起こされたが、鉄砲衆千名が霧の中で忽然と消えてから「あの場所は、捨て置け」と匙を投げられた、いわくつきの忌地なのだった。

 だが、ここにも住民はいる。

 神職兼代官の鈴木家と、その神人たち。

 およそ五万石と推定される農地を預かる三人の庄屋とその小作人たち。

 七ツ沢神社を城とすると城下町に相当する七ツ沢商工組合の商人や職人たち。

 彼らは、重税にあえぐことなく暮らしている。

 不思議な事に、旱魃にも水害にも遭うことなく安定して豊作で、上質な茶葉も収穫され、疫病も流行しない。

 ここだけ、ぽっかりと、何かに守られているかのような地域なのだ。

 それでも近隣の人々は、逃散百姓ですらここには逃げ込まない。旅人も、避けて通る。

 鈴木家に招かれた者以外、入ったら出られない……と、まことしやかにささやかれ、概ねそれは事実だからだ。


 七ツ沢村に至る東海道の脇街道に浪人の姿があった。

 戦国の世も終わり、徳川三代将軍の治世となって、武士は官僚化。

 多くの戦国の気風を残した大名が危険分子として改易され、浪人が巷間にあふれていた。

 廻国修行と称して、うさん臭い『武芸者』に身をやつした彼らがうろついており、それは容易に野盗に変わる。

 この男も、そんな荒れた浪人者に見えた。

 背は高い。肩幅が広くがっしりしている。月代は伸び切り蓬髪となり、それを面倒くさそうに後ろに革紐で束ねていた。

 小袖と野袴は旅塵に汚れ、頭に乗せた日除けの菅傘はボロボロだった。

 裾が破れたぶっさき羽織が、風になびく。めくり上げた袖から覗く丸太の様に太い腕は、日に焼けて黒々として、油でも塗ったかのようにテラテラと光って見えた。

 腰には塗りの剥げた朱鞘の刀。鐺の金具も錆びてみすぼらしい。

 鼻はどっしりと胡坐をかいた獅子鼻で、唇は分厚い。そして、眉太く、ぎょろ眼。

 強い無精髭のせいで、まるで達磨様みたいな顔だ。

 稀にしか人が通らないこの脇街道だが、たまさか通った行商人などは、気味悪がって、彼を避けて通った。当人は、全く気にしていない。

 遠くに茶畑のこんもりした緑と、初夏の日差しに煌めく海が見えた。

 達磨顔の浪人が歩を止め、それを遠望する。

 笑みが浅く口元を刷くと、案外愛嬌のある顔になった。

 納品に出入りする商人以外、殆ど人が通らない街道とはいえ、天領の義務として関所はある。

 といっても、極めて簡素なもので、竹矢来たけやらい枝折戸しおりどが関門の代替。

 板塀で囲っただけの小屋が詮議所の代わりで、濡縁ぬれえんに、荒んだ雰囲気の神人がだらしなく横たわっているだけだった。

 達磨顔の浪人が、枝折戸の前に立っても、見向きもしない。

 苦笑を浮かべて、浪人が勝手にそれを開き通過する。

 濡縁に横たわっていた役人がわりの神人がのっそりと立ったのは、その時だ。

 浪人も大柄だが、この神人も巨漢だった。額から頬にかけて恐ろしげな刀傷が走っていた。

 食べ物の汁で白装束の小袖は汚れ、たっつけ袴は擦り切れてボロボロだった。

「よう、あんた。銭持ってるか? 全部おいてけ。その錆刀もおいてけ。下帯だけは、許してやるから、それ以外は全部おいてけ。で、ここから去れ」

 およそ、関所の役人とは思えない言葉だが、浪人は微笑を刷いたまま。

 腰間の脇差に肘を預け、神人が肩に六角棒をかつぐ。

 長さは五尺ほど。等間隔に四ヵ所に金具が嵌められていた。

 かなりの重量だろう。だが、まるで小枝でもあるかのように、軽々と扱っている。

「招かれて、来た。おめおめと帰ることはできんぞ」

 ふっふと笑って、浪人が答える。

 ぞわっと、殺気が神人から洩れた。

 浪人が目だけでちらっと後ろを見る。

 いつの間にか、二人の神人が浪人の退路を塞いでいた。

「ほうほう、では、名を名乗れ」

 六角棒を肩に担いだまま、刀傷の神人が言う。

 わずかに腰が沈んだのは、返答如何によっては、叩き殺すという無言の威圧か。

 浪人が関所がある高台から、海を見た。

 初夏の日差しにキラキラと遠州灘が光り、固着した緑色ののたりとした波のような茶畑が美しい光景だった。

「……茶畑三十郎。もうすぐ四十郎だがな」

 明らかに偽名とわかる名前を浪人は呟く。しかも、自分が言った冗談に、自分でふふふ……と、ウケていた。

「招聘一覧に名前がない。殺すぞ、てめぇ」

 すうっと、神人から表情が消える。ここに流れてくる前は、雑兵足軽だった男だ。物心ついてからずっと、戦乱の中で生きてきた、傭兵である。殺気も本物だった。

「招待状は失くした。名前はいくつも持っている。どの名前で来たのか、忘れてしまった」

 なんとも適当な言い分だ。

 じりっと三人の神人が動く。

 寺には武力として『僧兵』がいた。

 神社には『神人』がいる。油の専売などの利権を握っていた神社は、無許可の油販売などを見つけると、天罰と称して打壊しが行われ、神社の雑事や警備の他、こうした荒事を担当していたのが神人だった。

 彼らは鍛えられた戦闘集団でもあったのだ。

 刀傷の神人が、無造作に六角棒を振り下ろす。

 三十郎は、半身になってそれを躱した。

 間髪を入れず、気合いとともに、右後方に位置していた二人目の神人が、腰溜めに構えた六角棒を突いてきた。

 その方向を見もせずに、三十郎が体を思い切り仰け反らせて空を切らせる。

 完全に死角に入った三人目の神人が、片膝をつき左手を六角棒に添え、それを支えに斜め上に思い切り突き上げる。

 狙うのは肝臓の位置。当たれば、どんな屈強な男でも悶絶する。当たりどころが悪ければ、肝臓が破れて死ぬ。

 三十郎はどうやって、その躱しにくい三撃目を探知できたのか、まるで傾奇踊りの『曲舞』の様に、くるりと回転して突きを避けた。

 そのまま、六角棒を左手で掴んで、片膝をついた神人の顔面に思い切り膝をかちあげる。

 ごつい三十郎の膝頭が神人の顔に食い込み、メリッと骨が砕ける音がした。

 六角棒を奪い取り、やはり死角から横殴りに打ってきた刀傷の神人の一撃を受け止める。

 ガキンと金具同士がぶつかって、火花が散った。

 瞬転、刀傷の神人の六角棒を弾いて、三十郎が拝み撃ちに反撃する。

 両手で掲げるようにした神人の六角棒が、それを受け止めた。

 思わず膝をついてしまう程の打撃の圧に神人は耐えたが、がら空きの胴にぶちこまれた前蹴りに、たまらず後方に吹っ飛ぶ。

 ブンと唸りを上げて三十郎が六角棒を風車のように頭上で一回転させ、左脇で抱え込みつつ、後方に突き出す。

 その先端は、今まさに三十郎の背後を襲おうとしていた神人の鳩尾に、吸い込まれていた。

 呼吸が止まったか、その神人はくたくたと地面に倒れ、胃の中のモノを地面にぶちまける。

「無比流杖術か。初めて見たぞ」

 起き上がろうとした刀傷の神人の鼻先に、三十郎の六角棒の先端が触れる。

 刀傷の神人は、カランと六角棒を手から落とした。

「貴様、何者だ?」

 こみあげる吐き気に耐えながら、刀傷の神人が言う。

「鈴木道元が、腕の立つ浪人を集めているのだろう? 俺がその『腕の立つ浪人』だよ」

 この七ツ沢村には、無比流杖術の師範がいて、神人はみなそれを習得している。

 刀傷の神人は、杖術の免許を受けた一人だった。それが、手も足もでないとは。

「よかろう、通るがいい。金に眼がくらんだ我利我利亡者め」

 憎さげに吐き捨てる神人の言葉を聞いて、三十郎は六角棒を投げ捨て、腰間の朱鞘の刀の柄に肘を預けて

「では、罷り通る」

 と、七ツ沢村に続く脇街道を歩いて行った。


 三方さんぽうに置かれた漆黒の矢羽の矢を前に、ううむと唸っているのは、三代目の七ツ沢神社の宮司、鈴木すずき道元どうげんであった。

 これは、この地では『黒羽の矢』と呼ばれ、いつの間にか家の戸板に撃ちこまれているという代物だ。

 この矢が撃たれた家は娘を一人、七ツ沢の中心にある小島の上にある、縁起も定かでない朽ちた屋代やしろに届けなければならず、その屋内に消えた娘は一人として帰ってこない。

 抵抗を試みたこともあったようだが、どんな悲惨な結果になったか、ここの住民なら誰でも知っている。

 税が減免されており、豊かな村であるにもかかわらず、誰も移住したがらないのは、この奇妙な風習ゆえ。

 鈴木家は、代々この儀式を執り行ってきた。

 だが、この生贄とも言える悪しき風習は、年々厳しくなっており、今では月に一人、娘を差し出さなければならないほどになっていた。

 人買いの手も借り、養女として外部から年頃の娘を迎え入れることまでしている。

「もはや、限界……」

 道元がキリキリと歯ぎしりする。

 いったい誰が黒羽の矢を撃つのか、神人どもを使って監視したことがあったが、それに携わった者は全員狂い死にしてしまった。

 潤沢な資金を使って幕府に賄賂を贈り軍を動かしたが、七ツ沢名物の霧の中に消えてしまった。

 総指揮をとった先手組の旗本は、突然家人を斬り殺して蟄居閉門。その後、御家断絶のうえ、切腹となったらしい。

 以降、「七ツ沢の祟りに触れるべからず」という不文律が流布され、役人の見て見ぬふりがはじまった。

 幕府が手を引いたとあれば、自力でなんとかしないといけない。

 そこで、道元は浪人を集めたのである。

「よりによって、星子を望むとは、あやかしどもめ」

 今回、黒羽の矢が突き立ったのは、七ツ沢神社。

 しかも、道元の愛娘である星子を名指しだった。

  

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