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マンガみたいな異世界で、文庫のような毎日を

  


「異世界暮らしも慣れたら退屈だよなぁ。たまにマンガとか読みたくならね?」


 ここは夜想の青猫亭。店の中央近くのテーブル席で、だらしなく足を上げて座っている千葉が言う。

 そういう自分こそ、マンガに出てきそうな異世界セットアップで日々暮らしてるくせにね。

 どーでもいいこと言ってんなと思ったけど、一応お金をもらっているテーブルトークなので、あたしも軽いあいづちくらいは打っておいた。

「読みたくないし意味わかんないんだけど」

「まず否定から入るのやめよ? こっちは金払ってんのに、なんで傷つけんの?」

「あ、ごめんごめん。あたしの中であんたに同調したら負けって意識が強くて」

「もー、早くルペママ帰ってこないかなー。ここには男子に必要最低限の癒やしもないよ、ママー」

 ルペちゃんの代理であたしを座らせている千葉は、さっきから不満ばかりだった。

 彼の愛しのママであるルペちゃんは、マダムと一緒に地方へ行っている。ギルド長のおっさんと、そこのボンボンも同行してるんだって。

 いわゆるスカウトの旅ってやつ。ルペちゃんがそうだったみたいに、家庭の事情で娼婦になる子も多いんだ。

 そんな気の滅入る仕事、大丈夫なのって心配したけど、「がんばってくるよ」とルペちゃんはいつものように健気なことを言っていた。

 帰ってきたら、たくさん笑わせてやらなきゃ。

「ママも最近忙しそうだしさあ。体こわしたらどうすんの? 労働基準、ちゃんと遵守してます?」

「弊社にそんなものありませんけど」

「マジか」

 マジだよ。タイムカードすらないよ。

 あたしが採用されたときも、今にして思うとめっちゃ説明が軽かったし。草の詰め方しか聞いてない。やばいよね。

 でも千葉は千葉で、近頃は当たり前のことで文句たれるようになったなと思う。

 ルペちゃんのことで怒るようになったんだなと、なんとなく感心してた。


「マンガなら、あれあるじゃん。壁新聞」

 こっちの世界にも文字とかあって、あたしも千葉も初めて見る形だったけど、中身はひらがなレベルだったので、わりとすぐ覚えられた。

 単語や略語はまだわかんないのも多いけど、街角に貼っている庶民向けのニュースくらいは普通に読めるし、だいたい意味わかる。

 そこには、一コマとか四、五コマのマンガみたいのも一緒に貼られているのだ。わりと大きめに。

 ただちょっと絵がイヤっていうか、変にリアルだったり、小学生みたいだったりで落ち着かない。

 それに話の中身も、事件の解説とか、お説教くさくてオチもないとかなので、いまいちなのだ。

「あー、『絵芝居』って言われてるやつね。こっちの世界は『マンガ』って言葉もないんだよ。なぜか『マンガ肉』なんてのがあるくせにな。絵芝居ってのは、もともとは事件とかをわかりやすく絵付きで解説してたやつ。子どもの食いつきがいいから、宗教関係の教育絵芝居とか、広告なんかにも使われるようになったんだ」

「ふーん」

 千葉は、あたしより異世界に詳しい。勉強もしてる。

 そういうのが好きなのもあるんだろうけど、最近は何か目的があるっぽい。聞いても「システムがどうとか」みたいな頭に入ってこない説明しかしないけど。

 ちなみに『マンガ肉』って、スモーブの店の名物料理だ。

 昔、彼のおじいちゃんが骨付き肉の料理をしているのを見て、『マンガ肉だ!』って叫んだ冒険者がいたらしい。

 わかるよ。

 あれ、ルフィが食べてたやつだもん。


「だけど絵芝居、全然つまんねーし」

 千葉はまだ異世界マンガに対してBOOBOO言ってる。基本しつこいから、この人。

「まず絵がへた。そして話に萌えも笑いもない。グロもエロもない。目を引くものが何もない。そもそもあの新聞も絵芝居も教会で作ってるやつだから、プロがいないんだよ。マンガのプロがさ」

「え、教会ってそんなこともしてんの?」

「前にキヨリが言ってた。たまに頼まれて記事原稿の清書とかしてるんだって。こっちのマスメディアは教会活動の一部ってか、まだ産まれたばっかりみたいで、商売になってねーの」

 そうなんだ。

 キヨリっていつも「教会の仕事」みたいにざっくりとしか言わないから知らなかったけど、いろんなことやらされてんだね。大変そう。

 まあ、キヨリがマンガ描いてるとこ想像したら、ちょっと笑えるけど。

 絶対にマンガのほうは面白くないと思うけど。

 いや、もしかしたらめちゃめちゃ面白い可能性もあるけど。

「でもそんなもんでしょ、この異世界。マンガっぽいのがあるだけいいじゃん」

「別にダメではないんだけど、まともなマンガに進化するのにあと百年はかかりそうだし。現状、致命的に面白くないし。やっぱマンガは、できればそれなりのページ数があって、キャラクターがいて、バトルとかラブとかコメとか、熱い何かがないと」

 うん。

 確かに、学校で回し読みしていた少女マンガは面白かった。泣けたし笑えたし、きゅんきゅんした。

 続きが出るの待ち遠しくて、スマホで先に読んでるヤツずるいとか言ってた。

 誰かが持ってたエロいやつもウケたし、コナン君はマンガで読むと意外と難しくてわからなかったし、ワンピはそろそろ最終回かもしれない。

 ぶわって、なつかしい光景がたくさん浮かんで、急に切なくなった。

 マンガってやばい。一コマ一コマ思い出せるし泣けてくる。セリフまで憶えてる。

 人生の一部みたいに目に焼きついてた。


「ほら……ハルにだって、続きが読みたいマンガくらいあるだろ?」

「ないし意味わかんない」

「だから、しょっぱなから全否定で当たってくるスタイルやめない? 今、確実に刺さった顔してたじゃん。軽く回想シーンだったじゃん?」

 ちょっとマンガアプリのCMっぽくなっただけ。乗せられてたまるか。

 だいたいあたしと千葉は趣味が合わないんだ。マンガの話をしたってきっと盛り上がらない。コナン君をバカにしたこと、あたしは忘れてないし。

「そんなに言うなら千葉が自分で描いたらいいでしょ。ドゥ異世界ユアセルフでしょ。じつはもう描いてんじゃないの?」

「いや、ハル。マンガをなめすぎ。読者としては古今東西のマンガを極めし俺だけど、描くのは本当むずかしいんだって。じつは昔、描いてたことあるんだけど」

「あんのかよ」

「イラスト方面ちょっとは描けるようになってきたから、マンガのほうも思って。でも全然簡単じゃないんだよな。頭の中では天才的ストーリーと超絶的主人公ができあがってるのに、描いてみたらなんか違うっつーか。そんでピクシブとか見たら、うまいやつゴロゴロいるし。やる気なくなるんだよね」

「ここで描けば、あんたしかいないんだからすぐプロじゃん。やればいいよ」

「あと、フツーにめんどくさい。こっちじゃペンタブどころかトーンもないし、紙に点々打たないとなんないし。ほら、俺って表現で妥協できないタイプだし?」

 言ってることはわかんないけど、千葉が現実で成功できないタイプだというのは前から知っているので、なんか納得した。さすがだよね。


「せめてラノベくらいは読みたいよなー」

「この話、まだ続くの?」

「どうせヒマなんだろ、ハルも」

 失礼な。

 あたしは夜想の青猫亭売り上げ3位の女だぞ。

 ルペちゃんがいない今、実質的にナンバーワンといっても過言じゃない。本物の1位がアレだから、あたしが店の顔にならなきゃなのだ。

 安いテーブルトークなんて「ごめんあそばせ」していいくらいなんだから。

 ん?

 でも、だったらどうしてマダムとルペちゃんは、あたしじゃなくて一番ベテランの嬢に店のことを頼んでいったんだ?

 そこはあたしを頼るべきじゃないの? なんで?

 まあ、いっか。今夜はマダムもいないし、もうしばらくだらだらトークしてよっと。

「小説読むとか意味わかんない」

「わかるだろ。いいかげんわかれっつーか、会話をする気もないなら金を取るなよ、ひどい嬢だな!」

 わがままな客だなあ、ほんと。

「でもさー、字ばっかだと面白くなくない? あたしすぐ疲れるんだよね」

「いやラノベは基本、表紙とか挿絵もメインだし。文章もだいたい軽いから。疲れるってのは、逆に真面目に読解しようとしてるわけでもあるから、ちょっと慣れるだけだって」

「そうなの?」

「マンガと同じで、合う合わないはあるけど。でも文章だけってのも普通に効くよ。面白くってぐんぐん読めたり、深くてじっくり噛みしめたり。ハマればどこまでも没頭できちゃうから、どっか行くときもカバンに文庫一冊あるだけで、なんか無敵感あるっつーか。持ち歩くのが当たり前だったんだよな」

「ふーん。今のはマジでわかんなかった」

「今日初めて聞いたハルの本音がそれ」

 千葉は、がっくりうなだれて言う。

「こればっかりは、元の世界に帰りたいって思うときあるよ。新刊のマンガとラノベを読みたい。アニメも観たい。TL追いたい。マジつらい」

 それはあたしも、なんかわかる。

 きっと、向こうの世界でもあたしたちの知らないうちにいろんな新しいものが出たり、変わったものが流行ったり、あいかわらず面白いことしてると思う。

 タピオカとか流行ってると思う。


「じゃ、あんたがこっちで始めればいいよ。マンガいいじゃん。あんたがダメだっていうなら、あたしが代わりに絵を描いてもいいし。これでも似顔絵とか得意だし、うまいよ」

 授業中もよく先生の顔とか描いてた。セリフとかも入れてマンガっぽくもしたし、友だちにもウケてた。

 チートとかじゃない、あたしの才能なのだ。

「へえ。この俺に向かって、イラストうまいとか言っちゃう感じなんだ? じゃ、なんか描いてみてよ」

 偉そうに千葉は紙と鉛筆を出してくる。

 分厚くて青っぽい紙。

 植物由来なのは前の世界と同じなんだけど、こっちの植物関係ってヤバいから、ぼんやり光るこの紙とか、洗って何回も書けるやつとか、変なのが多い。

 鉛筆も、植物の灰でできた芯を紙で巻いているだけなんだけど、芯は硬めのゴムみたいな感触で、慣れれば力の入れ加減で線の太さもけっこう自在。

 あたしたちの感覚とは微妙にズレてるけど、微妙にわかっちゃう感じが、この異世界文化。

 千葉から鉛筆を受け取って、さらさらっと似顔絵を描いてやる。

 あたしだってメニュー表をたまに書いてるし、青猫イラストなんかも描いてるんだよ。慣れたもんよ。

 ヘルメットみたいな頭に、ジトっとした目。そんで唇を尖らせて「元の世界に帰りたいよママ~」と泣かせてやった。

「誰これ? スネ夫?」

「誰それ? あんただけど」

「Fみが強いっ。昭和のタイムスリップ感っ。今どきJKがよくこんな画風に到達しちゃったな。少し不思議だよ!」

「なんだとぉ? じゃ、あんたも何か描いてみろよ!」

「はっ、いいぜ。俺が最新流行の王道イラストってのを教えてやる!」

 そういって千葉は、あたしの顔とか体を見ながら、なんかちまちました線を引き始めた。

 普通に時間かけてるし。これ三十分一本勝負のテーブルトークなんだけど。

 さっそくあくびが出た。

 あたしもカッとなって描いてみろなんて言ったけど、正直、千葉の絵に興味はそんなだし、絶対おっぱいとかでかく描くだろうし、そこからのまたワンパなやりとりを考えたら他になんか面白いことないかなって店の入り口を見た。

 そうしたら、やってきたのはまさかのキヨリだった。

「ハルさ~ん……」

「な、なになに、なんかあったのキヨリ!?」

 キヨリは、よれよれに疲れた顔をして、胸にいっぱいの紙を抱えていた。

 どうしたの?

 また変な男にヤられたの?

「担当者が逃げちゃって……明日までに子ども向けの絵芝居を私が描かなきゃいけなくなって……助けてくださぁい」

 とりあえず、あたしと千葉は顔を見合わせ、キヨリがマンガってことに申し訳ないけど爆笑してから、「よし座れ!」とテーブルに招いた。

 深夜のだらだらトーク、第二ラウンド開始だ。


 さて、ここも一応は娼館兼酒場。

 女性客はお断りってほどじゃないけど、まず来ることはないし、キヨリは見ての通りのシスターだ。嬢を買ってテーブルトークなんて前代未聞だった。

 しかし、あたしも勤勉と泥臭さでここまでのし上がってきた嬢。

 偉い人がいるときは真面目にやるけど、いないときぐらい多少わちゃわちゃやらせていただくだけの信頼は得ているつもりだ。

 先輩嬢に手を合わせると、「しかたないな」って笑ってくれた。

「で、キヨリはどんなの描いたの? まずそれ見せて見せて」

「うぅ……笑わないでくださいね」

 いやみんなの笑顔のために描いてんじゃないのマンガって。

 と、思ったけど、キヨリは本当に真っ赤になって、死にそうな感じで原稿を差し出してきた。

 初めての創作を人に見せるの、恥ずかしいのはちょっとわかる。

 でもそれが快感になってからが本番なのよ――と、キヨリの初マンガを見てみたら。


 一コマ目は、人(?)が「かみさま!」と助けを求めてるっぽかった。

 二コマ目で、「あたしがなんとかしてあげる!」と、両手に剣(?)を持った女の子(?)が現れて、ぱぁって光り(?)最初の人(?)に「ハルさん!」と呼ばれていた。

 三コマ目で、ハルさんと呼ばれていた女の子(?)が、すごい形相で何かをメッタメタに斬っている(?)

 四コマ目は空白だった。


「笑っちゃいますよね、こんなの……」

 キヨリが、ぼそりと消え入りそうな声でつぶやく。千葉がもっと小さな声で「やば……」と言っていた。

「んーと。大丈夫。笑えなかった。このまま世間に出される前に相談してくれてよかったと思う」

「本当ですか?」

「マジだよこれ」

 しかも、なんであたしを普通に登場人物として巻き込んでくれてるの?

 異世界でも大事故を起こすとこだったじゃない。

「聞くの怖いけど、一応、俺から質問してみるな……キヨリ、最後のコマはまだ描けてないってことでいいの? それとも、この虚無の女によって世界は消滅したってオチ?」

「えっと、まだ未完成なのですが、信仰の大切さとか、神の奇跡などを最後に表現できたらいいなと。あと、女性の活躍というのを世間の皆様に感じてもらえるようなものを考えていただけないかと思っています」

「こっから急にそんな一コマが生まれたら、それこそが奇跡だろ。三コマ見てもまだ何が起こってるのかわかんねえし、サイコパス系のオチしか思い当たらないし。これ絵芝居に見せかけた闇の心理テストじゃないの?」

「うぅ……」

「千葉、言いすぎだって」

 おおむね同じ意見だけどね。

「まずその、あたしを出すのやめない? あたしはほら、暴力とか否定派だし、こんなメッタメタに何かを斬るようなタイプじゃないから」

 それになんていうか、ネタバレ寸前まで迫ってきてるところもすごいイヤ。千葉じゃなかったら不審に思われたよ、絶対。

「ヒーローは無難に俺にしとけばいいじゃん?」

「無難にしたいなら千葉は絶対違うし。だって、本当はこれ、ほんわかした話にしたいんでしょ。ね、キヨリ?」

「あと、ありふれた日常の中の幸せとか、家族や神様との絆の再発見といいますか……そういったことも盛り込んでもらえればと思います」

「一回どっかでそのテンション冷ましてからきてくんないかな」

 店にナイトプール欲しい。その清純そうな顔面ぶっこんでやりたい。ここすごく暑苦しいテーブルになってきた。

 ただでさえキヨリは目立っていて、酒飲み客の注目も無駄に集まっている。なんだか面倒になりそうな予感だぞ。

 あたしも四コマは描いたことはないけど、とりあえず目の前のこれ、最後のコマだけ加えれば正解が出るタイプの問題じゃないのはわかる。

 しかたあるまい。まさかこのあたしが異世界でマンガ家デビューするとは思ってなかったけど、親友の頼みだし、ちゃちゃっとやってやりますか。

「じゃあ、こんなのどう?」


 一コマ目は、街の外で魔物と遭遇した兄弟の子どもたち。弟のほうはスモーブをモデルにした。かわいい。魔物も丸っこくて怖くない感じにしよう。

 二コマ目、震える弟を、兄が棒きれを握ってかばう。

 三コマ目、兄が振りかぶった瞬間、空からさっそうと神様が登場。

 四コマ目、棒きれと魔物に殴られる神。


「どうしてですか!?」

「いや、目の前に神がいたらまず殴るかなって」

「こういうの嫌いじゃないぜ俺」

「恐ろしすぎます……もしかして、お二人は虚無の世界から……?」

 キヨリは青い顔してた。冗談なのに。

 まあ、わかった。

 あのポンコツ神様だって、こっちの世界では一応ヒーローなんだろうしね。強烈にイジっちゃ怒られるよね。

 個人的な感情を仕事に持ち込んじゃいけない。うん。あたしだって社会人だからわかるぜ。ビジネス四コマだな。


 三コマ目の神様は、上からこっそり力を使うだけにして、兄が振り下ろす棒きれを大きな剣に変える。

 四コマ目で、魔物を倒してあっけに取られる兄と、兄に抱きついて感謝する弟。その後ろでにっこりする神様っていう、よい感じの話にした。


「わあ……」

 キヨリは、あたしの作品を見て目を輝かせた。

 あたしって、やっぱりやるじゃん。天才じゃん。どんなもんだと千葉を見る。

「だっせ」

 しかし千葉は、偉そうに腕を組んで見下ろし、やっぱりイヤなことを言ってバカにしてくる。

「いかにも四コマ描きましたってだけだよな。ツイッターでも、いいね一つか二つってとこ。言っとくけど、三桁超えてからが戦場なんだぜ? 俺も超えたことねーけど」

「いやもう何言ってるかわかんないから」

「じゃあ、貸してみろよ」

 千葉はあたしの命よりも大事な作品を取り上げると、いきなり一コマ目をばってんで消した。

 そして二コマ目から、勝手に何かを描き加えていく。

「ちょっと、何してんのよ!」

「大丈夫だよ。ハルの絵は殺さない。合わせて、かぶせてやるよ。面白くしてやるから待ってろ」

 線を加えて、迫力をつけて、かわいくもして。

 もちろんあたしの絵だってかわいいし、わかりやすくてよかったと思うよ?

 でも千葉は、なんていうか、もっと線と情報量を増やしていく感じだった。

「教会の仕事だからって、わざわざつまんないもの描く必要ないし。これならさっきのほうがまだよかっただろ。マンガってのは、自分が面白いと思うもんを、面白いと言わせたいヤツのために描かないと。まあ、受け売りだけどな」


 一コマ目。魔物が現れて弟をかばう兄。その後ろで神様がこっそり「助けてやるか……」とスタンバイしていた。

 二コマ目。神様は渋かっこいい顔になって、「――万物聖化のしるしゴッドライトハンド」と、調子こいた呪文を唱える。

 三コマ目。魔物は一匹だけじゃなく、たくさんの群れだったんだけど、棒きれは剣に変わっていて、その一振りが衝撃波になり全滅させてしまう。弟が「え〜⁉」と驚く。


「つまりさ、ハルの描きたいものと、キヨリの読みたいものをガンガン強調する。それでいいんだって。俺も自分の作品はいまいちアレだけど、他人の作品の欠点ならいくらでも気づいちゃうタイプの天才だからな。すぐ直してやるよ」

 そして、千葉が一番時間をかけたのが、兄を女の子に描き変えることだった。


 四コマ目で、「きっと神様が力を貸してくれた」「奇跡だ」と天に感謝する姉弟の後ろで、神様は冷や汗を流していた。「いや、棒を剣にしただけなんだけど。あの姉ちゃん、弟想いが強すぎ……」


「ま、こんなとこじゃねーの?」

 くるくると鉛筆を回し、千葉はドヤドヤとした顔になる。

 あたしはなんか言ってやろうと何度も読み返したけど、なんにも言えなかった。

 うまかったから。

 くやしくて手が震える。マジ泣きそう。

「仲間内でハシャいでた程度の陽キャのお絵描きが、戦地で生きてきた俺に勝てるわけないじゃん。まあ、いい勉強になったんじゃないの、ハルも~?」

 本当に、コイツどうしてこんなにムカつくの? 無理なんだけど。コイツだけは。

 あたしのマンガだったのに。あたしがキヨリに描いたやつなのにぃ。

 キヨリから何か言ってもらおうとそっちを見ると、なぜか涙をぽろぽろ流していた。

「……へ?」

 あたしと千葉は、同時に変な声が出る。

「ご、ごめんなさい。嬉しくて。面白いです、これ。本当に面白い。初めて見るような不思議な絵なのに、すごくかわいらしくて、格好よくて、びっくりして涙でちゃいました。私が……読みたかったものだと思います。ずっと、読みたかったものです」

 キヨリにいやらしい視線を向けていた周りのおっさんも、なぜか頬を赤くして、シーンと黙ってしまっていた。

 娼館としては普通に営業妨害になるレベルの清らかなオーラを放ち、キヨリは涙と笑顔を浮かべている。

「私は、お二人が楽しそうにしているときでも、何を話しているのかわからなくて、寂しくなるときがあります。壁を感じてました。でも、ハルさんとチバさんが共作してくれたこの絵芝居で、私が知りたかったお二人の世界が、少し見えた気がします。絵芝居って、こんなに表現豊かなものだったんですね。自由で楽しくて、私たちの絵芝居も、いつかこうなるときがくるのかなって、本当にわくわくします。感動しました。ありがとうございます」

 キヨリがキラッキラまぶしくて、急に四コマなんて描いてしまったことが恥ずかしくなって、あたしたちは「いやいやいや」と声を揃えた。

「これ全部千葉が描いたようなもんだからっ。陽キャのあたしの薄っぺらい原作なんてないも同然だし。ないないっ」

「違う、ハルだよ、ハルっ。ハルが素敵なのを描いてたから、陰キャの習性でついつい余計な口出ししただけ。俺なんて何にもしてないし!」

「千葉ってすごいよね、めっちゃ絵うまーい! キヨリのためにがんばったんだね!」

「いやぁ今回はマジでハルとキヨリの尊い回だったよな。俺たち男はおとなしく見てるわ。女子同士のアレに挟まりたくないわー」

 キヨリはまだ自分だけ清らかなゾーンから、醜い争いを続けるあたしたちに微笑みを浮かべ、「素晴らしい作品をありがとうございます」などと恥ずかしいことを言っている。

 もう許して〜。

 キヨリの聖なる圧に、虚無の女であるあたしは耐えられなくなって、衝動的に鉛筆を走らせていた。

「ちょっと千葉、面白い顔しよっ。オチはやっぱりあんたに任せるしかない!」

「ふざけんな、ハルっ。そーゆーのは御社の業務だろ! 俺が劇画タッチの女にしてやるからよ!」

 お互いの顔に落書きをする。周りのお客さんたちも笑い始める。もういい。めちゃめちゃにして盛り上がるしかない。むずがゆくて座ってられない。今日の営業おしまい!

 悪口を言い合いながら、自分で落書きした顔を見て笑っちゃいながら、やがてあたしたちの騒ぎが大きくなって店の注目を集める。

 そんなときだった。

 ルペちゃんが、帰ってきてしまったのは。

「ただいまー……あ、またハルちゃん、仕事中にチバくんと遊んでるぅ!」

 さっそく見つかって、やべ怒られると思ったんだけど、福笑いみたいになった千葉と、劇画タッチとかいうあたしの顔を見て、ルペちゃんは「ぶはぁ⁉」と吹き出してしまう。

「あーっはっはっはっはっは!」

 お腹を抱えて、うずくまり。ルペちゃんにしては珍しく、営業中の店内で大笑いしちゃってた。

 あたしと千葉は、そんな彼女にちょっと驚き、ちょっとホッとする。

 おかえり、ルペちゃん。待ってたよ。

「ルペママにここまでウケたら、今日のところはまあいっかって気分になるよな」

「わかる〜」

 思わず同調しちゃったあたしに、福笑い顔でニヤつく千葉がムカついたので、劇画顔でヘルメット頭に鉛筆を突き立てる。

 なんにもない日は、だいたいいつもこんな感じで、わいわいやっているうちに一日が終わっちゃう。

 それってつまり、無敵に生きているっていうことだ。

 あたしたち、この異世界で。

 

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