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mom



「えぇ、そうですね。魔王にも破られない聖結界を完成させるためなら、教会の戒律ぐらいは破りますよね。当たり前じゃないですか。あんなガチガチ頭な人たちの言うことなんて」


 キヨリは、親指を下に向けて、ズドンってやった。

 ついこないだまで真面目でおとなしいエリートシスターだったはずの彼女は、誰の影響なのかすっかりワイルドに育ってしまい、ウィッジさんの仲間でトラップ専門家のおっさんと組んで、教会にバレたら絶対怒られそうな怪しいものに手を出してしまった。

 さすがにちょっと心配だったんだけど、彼女も変なところで頑固な女だから、とうとう信仰の力と魔物とかが使う野生魔術のコラボ? というのか、あたしにはよくわかんないけど、いろいろすごい結界とかいうのを完成させてしまったらしい。

 こう見えて、あたしもけっこう他人に語れるぐらいには人生いろいろあったほうだと思ってたんだけど、そのうちキヨリには負けると思う。

 とにかく、おかげで断りづらくなってしまった。あたしを魔王討伐隊にスカウトしたいウィッジクラフトさんはまた森へ行くと言っている。今度はキヨリを連れて。

 どうしてこっちの人たちって魔王に必死なの。この世界で悪者は魔王ただ一人。彼さえいなくなれば平和になるとみんな思っている。

 でも、あたしにはそうは思えない。そりゃめでたい気分になってあちこちでパーティでウェーイなんだろうけど、どうせそんなのすぐに冷めるし、そもそも世界ってそんなに単純なものじゃない。

 魔王がいなくなっても、魔王になりたい男はどこにでもにいる。魔物と戦う最前線のこの街にもだ。それがうじゃうじゃ湧いてくるだけじゃん。

 なんてことを、ご飯をおごってもらいながらウィッジさんにこぼしたら叱られた。

「いかにも中途半端に世間ずれしてひねくれちまったヤツの言いそうなことだな。だから娼婦なんてやめちまえって言ってんだ」

 あからさまに面倒くさそうな顔をして、あたしの愚痴を払いのける。

「世の中にクズはいる。だからって、おまえは今のガキどもにも期待はできないって言いたいのか。そんなことないだろ?」

 そんなことはない。あたしは青空に向かって一緒に缶蹴りした仲間の少年たちを思い出す。

 ごめん、仲良し元気隊。あんたらは、今でもあたしの希望だ。

「つまんないこと気にしてないで、若者らしいものに目を向けろよ。おまえには、もっと広い世界を見せてやりてえな」

 初めて会ったときから変わらない口説き文句。あたしの目に世界がどんな風に映るのか知りたいって。そして、こっちの世界のことも知ってほしいって彼は言う。

 この人のことは信用していいと思う。少なくともあたしを大人にしようとはしてくれている。親戚の頼りになるおじさんって感じ。めちゃくちゃ口説いてはくるけど。

 でも、わかってほしい。あたしはこっちで大人になるのが怖い。想像もできないから怖い。

 それに――今、好きな人がいる。この世界では、絶対に誰にも言えない人だ。

 自分の未来が見えないのに、進めとか決めろとかって言われても困る。まるで、悩みを共有できる同級生も担任もいない高校三年生の夏だ。

「だいたい、おまえがこっちに呼ばれたのはその役目があるからだろ。自覚あるのか?」

 あるっちゃあるけど、じつはそれ本命はもう一人いた。というか同級生いたわ。

 でも、そいつは異世界で下着泥棒した男だ。勇者になっても何かしらで炎上するタイプ。仕方なくあたしは頷く。

「何をウジウジしてるんだか知らないが、おまえはもうこの世界の誰よりも強いんだ。やる気がない、なんて言い訳にもならないからな」

 力で結論を出しちゃう人たちは、普通に生きたいだけの人生なんて認めてくれない。平和主義、大事だと思うのにね。

 でもこの人たちの言いたいこともわかる。あたしにはたぶん責任がある。こんなチートは、一人で持ってちゃいけないものだ。パブリック何とかだ。ちゃんとみんなのために使わないといけないやつ。穴掘ってる場合じゃないぞって、そんな圧をひしひし感じる。

 

『物語を終わらせる者は、いつか現れる』


 最後に会った夜、銀髪のおじさんはそう言っていた。

 あたしがこの世界の大きな物語を終わらせる。他の人にそれを任せちゃいけない。怖くても、行くしかない。

「シスターまで巻き込んだのはおまえだろ。覚悟決めろよ」

 ウィッジさんも言う。覚悟なんて簡単に決まるわけない。だけど、あたしは頷いた。

 

 森の一番奥までのルートは前に見つけていた。ウィッジさんたちと来て、魔王城の見える場所まできて、あたしが足を止めてしまった場所。

 あのときにはいなかったキヨリが今はいる。彼女のおかげで、ここまでの戦いもかなり助かった。あたしたちは、魔王の城にたどり着いた最初の冒険者になった。

 でも、そんなに簡単に来れたわけじゃない。ウィッジさんや他の仲間もボロボロだ。今もキヨリが、めっちゃ青い顔をして、たった一人で結界を張っている。外の敵からあたしたちを守るために。

 だからもう逃げるわけにはいかない。あたしは一人、暗い廊下を歩いている。いや、廊下じゃなくて洞窟かな。壁も床も柔らかくてぬるぬるしている。ひょっとしたらここは、大きな生き物の体の中かもしれない。

 

 ――魔王城。

 

 夜にしか現れないというこのダンジョンは、真っ赤な血で濡れていた。

 外でも降り続けている雨は近づくと赤い色をしていて、中に入るともっと色は濃くなり錆の匂いをさせている。重くて冷たい滴はあたしの体まで赤く染めて続けていて、本当これだけは言いたくなかったんだけど、紅のエンドレスレインって感じだった。

 血は洞窟のあちこちにある傷から流れ、固まって魔物が生まれていく。

 ここは魔王の「城」じゃなく「傷跡」だ。すっごく悲しかった事を吐き出すための場所。しかもこの傷を作ったのは、魔物なんかじゃないんだ。

 しんどいな。すごくつらい。次々に現れる魔物を斬り倒しながら、自分の心も削れていくのを感じてる。めっちゃルペちゃんに会いたい。甘いの食べたい。

 でも、行かないとあの人には会えないから行く。傷つけちゃうのわかってても、あたしが急がないとみんなも危険で、それに、もう終わらせたいって思ってるのは誰よりもあの人のはずだから。

 獣の息づかいが聞こえる。大きな足を踏みつける重い音と、濡れた床を擦る音。短く繰り返される呼吸が苦しげで、なのに唸り声はびりびりするくらい低く響き渡る。ずっと会いたいと思っていた人がそこにいるのに、泣きそうだった。

 懐かしい鋭い視線が、暗闇の向こうから刺さってくるから。

 もうあなたもわかっているくせに。あたしのほうが強いって。

 でも、ここで顔を下げちゃいけないって思った。見えない闇の向こうにいるあの人に、ちゃんと会わなきゃ。

 

「お久しぶりです。ハルです」


 空気を震わせて闇が叫ぶ。おしゃべりも許さない感じで、血の雨を吐いてあたしをびしょびしょにする。

 でもこの異世界ってとこはマジでドSだから、このくらいの扱いには結構慣れたよ。あたしは暗闇の向こうに微笑む。夜想の青猫亭で、銀色の髪をして、いつもあたしのことガン無視してくれたおじさんの横顔を思い出すと、かまってくれるだけ全然マシじゃんとすら思えた。

「ずいぶん遠いところに住んでたんですね。ここまで来るのかなり大変でした」

 もちろん、今日もおじさんはあたしのおしゃべりになんて興味ない。また怒鳴られて、あたしはびっしょりだ。ほんときびしい。マジ魔王。

 そういやおじさんは、人間を見るためにうちの店に来てたんだっけ。あたしはその中でどんな風に見えてたんだろう。うぜー女だと思ってたのかな。いいケツしてんなとか、少しは思ってたかな。

 あたしはおじさんが来てくれただけでラッキーな一日だったよ。雨が降っただけで「きたー!」って騒いで、客足が鈍るのに何が嬉しいのってマダムに睨まれたよ。

 楽しかったな。異世界で、恋ができて。

「――おじさん」

 深呼吸して剣を捨てる。闇が揺れてひりひりと刺さる。でも、やっぱりあなたの前でこんなものは握りたくない。それがあたしの結論だ。

「あたしもあれから考えたんだけど、物語の終わらせ方って、他にもいろいろあると思うんですよね」

 来るなら本気でっておじさんは言ってたけど、あたしの本気は、残念だけどあなたが期待してるのとは方向性とか違うんで。

 びっくりしないで聞いて欲しい。あと、引かないで欲しい。これがあたしの本気です。

「むしろ、ここから始めるってのも、全然ありだと思いませ~ん?」

 濡れた服の肩を下げて、お肌を見せる。

 好きな男の前で物騒なモノを握るよりも、あたしはさっさと裸になりたい。それが正直な気持ちで、あなたの正体を見てもそれは変わらない。

 たぶんおじさんは許してくれない。こっちの気持ちなんて全然知ったことじゃないし、きっと「スケベかよ」って思ってる。

 でも、これがあたしの本業なので。命かけてやってきたんで。

 おじさんの喉がグルグルと鳴っている。だけどあたしもここから一歩も引かない。マジでこの恋、どうにかしてみせる。

 ごめん、キヨリ。面倒かける。魔王、倒せなくて本当にごめん。

 帰ったら、ルペちゃんと三人で甘い物食べようね――





 ――わたしが生まれたのは、ここからずぅっと離れたところにある田舎だ。

 家はヒツジを飼っている農家で、学校にも行ってなくて、当然、都会なんて見たこともない。

 だからいきなり『娼婦になれ』って言われても、全然ぴんと来なかった。

 でも、一番上の姉はもう結婚してるし、二番目の姉も隣村に嫁ぐことが決まっていて、弟はまだチビだ。去年の悪天候で抱えた借金を返すためには、わたしがどこかに身売りするしかないんだろうなっていうのは、なんとなくわかってた。そうしてどこかへいなくなった友だちは他にもいたから。

 とりあえず、ヒツジの世話はもうしなくていいみたいだし、軍手は解いて靴下にでもしよう。やんちゃな弟はすぐボロボロにしちゃうから、いくつ作っても足りない。

 今からなら村を離れる前に完成できるかな。がんばればきっと間に合う。そう思って黙々と部屋で編み物をしていたら、外で誰かがわたしを呼んだ。

「ルペ。一緒に釣りに行かないか?」

 お兄ちゃんだ。編み物の途中で迷ったけど、わたしは「うん」って答えて、自分の竿を持って家を出る。

 わたしの頭や背中を撫でる大きな手。お兄ちゃんは、うちとは親戚になるちょっといい家の人で、彼のお父さんは我が家が困っているときに何度も助けてくれているらしい。

 そのへんの事情はあまり知らないけど、お兄ちゃんはわたしたち姉妹とよく遊んでくれたから大好きだった。お姉ちゃんたちにはナイショだけど、わたしのことが一番可愛いとも言ってくれた。

 川に糸を垂らして魚を待つ。天気も良くて風も静かだ。

 あたりには誰もいないから、こっそりそばに寄って「ナイショだよ」って娼婦になることを教えてあげた。でもお兄ちゃんはとっくに知ってたみたいで、「どういうことをするかルペは知ってるか?」って言った。

「よくわかんない。男の人と寝るんだって」

 変なお仕事だよねと笑ったら、お兄ちゃんはあたりを見渡して、「教えてやろうか?」って言う。

 わたしは「うん」って答えた。

 そうしたら、あっちへ行こうって腕を引かれた。

 

 走って家に帰って、お兄ちゃんにされたことをママに言った。

 ママは泣いてるわたしをじっと見て「そのことは誰にも話しちゃダメだよ」と唇に指を立てた。お兄ちゃんのお父さんが、わたしに娼婦の仕事を紹介してくれたんだからって。

「あなたがこれからする仕事のことを教えてくれただけ。これからは毎日同じことをするんだよ」

 そんなの絶対に嫌だと言った。痛くて恥ずかしくて、あんなこと二度としたくない。

「女なら誰でもすることなの。我慢しなさい」

 どうしてそんな我慢しないといけないのかわかんない。そんな仕事に行きたくないって泣き続けた。

 ママは「いいから泣くんじゃない」と叱って、がさがさした手のひらでわたしの頬を撫でる。

「あなたには何もないんだから笑ってなさい。笑ってないと食べていけないよ。愛想だけは良くするの。あなたが生きていくための武器はそれしかないの」

 何もないのに笑うなんておかしいって思った。それに、わたしには笑えっていうくせにママも泣いていた。

 けど、生きていくのが一番大事だってことぐらいは知っている。だから笑った。ママは「それでいい」って言って、わたしを抱きしめた。

 そうしてわたしは、『夜想の青猫亭』の娼婦になった。

 ママのことは、それきり嫌いになって手紙も書いたことがない。

 つまんないから、誰にも言ったことのない話。


「ハルでーす。よろしくでーす」


 彼女がやってきたときには、わたしも職場に慣れてしまっていて、それなりにいろんな子が出入りするのを見てきた。だから第一印象で思った。長続きしないなって。

 一言で言っちゃうと軽い子。変わった子。男と寝るのは平気だけど、女の世界で暮らしていくには浮いちゃう子。

 うちの店の売り上げ一位の子もそんな感じだけど、彼女はこの店で生まれたからああなっただけなので、後から入ってきた子がこの性格だとやっぱり厳しい。

 やがてうまくいかなくなって、ひっそりと逃げてしまったり、違う店に移されたりする。奴隷とかにもなったり。

 そんな子たちが、今どこでどうやって暮らしているのかわからない。でも、ここの暮らしよりもマシなはずないと思うと、怖いなって思う。

「わたしはルペっていうの。わからないことがあったら何でも聞いてね」

 だからせめて、知らないせいで困ってしまうことはないように、わたしはなるべく新人の子には何でも教えてあげるようにしていた。

 それにしても。


「ルペさん、どうしよう。あたしのパンツ、カビ生えちゃった……」


 このハルって子は、わたしの予想以上に何も知らなくて、たとえば洗濯仕上げのボルド草のことも、カビだと思って真っ青になったりする変な子だった。

「それが繊維を柔らかくするんだよ。乾いたら叩くだけで落ちるし、ふっくらしてるはずだよ。ほら」

「えっ、本当だ、なにこれ柔軟剤だったのっ。魔法なのっ。うっそ、異世界すごーいっ。マジでなんでも草で解決しちゃうの草生えるんですけどっ」

「ねえ、そんなことも知らないで今までどうやって洗ってたの……?」

 ハルちゃんは赤くなってうつむいた。じゃあわたしもそれ以上は聞かないことにした。

「ありがと。また一つ賢くなった。へへっ」

 この子はいつもニコニコしている。他の嬢に嫌味なことを言われても、笑って切り返しているのを見た。それは娼婦の仕事でも結構重要な技術で、わたしは少し感心してしまった。

 笑顔がウソくさくなかったから。本音を隠せるくらい笑える子なんだ。

 きっとこれまでも、そのやり方でいろんなことと戦ってきたんだと思う。わたしとは笑い方が違うけど、多分それは生活してきた場所が違うからなんだろう。

 似てるとは思わないけど、近いのかなって少し思う。ちょっとだけ興味があった。

「わたしのことは、さん付けじゃなくていいよ。年だってそんなに違わないよね」

 こっちから距離を縮めにいったら、さすがに少しは警戒したみたいだ。厚かましかったかな。

 でも、こういうときはこっちが強引にしてやらないと壁は崩せない。わたしは彼女の手を引いた。

「おいで。他に洗うものあったら持ってきなよ。洗濯教えてあげる」

「……服はこれ一枚しか」

「そっか。わかった。わたしのお古でよかったら一枚あげるよ。可愛いのがあるんだ」

 少しもったいないけど、気前よくお気に入りを譲ってみた。去年から売り上げ上位のお手当を貯められるようになったので、安い服ぐらいならいつでも買える。平気平気。

「ありがとっ。ルペちゃんって優しい!」

 ハルちゃんが、手をぎゅっと握ってくる。わかりやすいなあ。

 でもわたしは優しくなんかない。いつも笑ってるようにするためには、周りの人も笑顔でいてくれないと難しいから、たまにおごったりしているだけ。

 それにお金なんて貯めても、どうせここから出られないんだから、この中で上手く生活できるように、そのために使えばいいんだし。

 全部、自分が生きていくためにだよ。親切なんかじゃないよ。

 

 店に来るお客さんの中には、何人かわたしのこと「ママ」って呼ぶ人がいる。

 叩かれても笑って我慢したり、喜んでもらうためにいろんなことを許して話を聞いてあげるわたしのことを、なぜか自分の母親みたいに勘違いしちゃうらしい。だから、逆に今度はこっちが叱っても素直にペコペコ謝るんだ。

 そうなっちゃうと男の人も可愛いもので、どんなに威張っていた人もただの甘えん坊になってしまう。仕事がやりやすくなるからわたしも「ママ」と呼ばせることにしている。それどころか、そういう素質のある人ってなぜかわかっちゃうもので、自分から誘導してるとこも多少ある。

 もちろん優しくされても男は男だから油断はしない。物なんか貰ったくらいで満足してると思われないように、態度で忠誠を見せてもらうようにしている。そのへんの管理やしつけの仕方はヒツジの世話で覚えているので、わたしも彼らの牧羊犬になったつもりで時には牙も見せていた。うーって。

 仕事は上手くやれてると思う。売り上げは去年からずっと2位だ。わたしをお手本にしなさいってマダムは他の嬢に言っているみたい。なのでいつも緊張して仕事している。

 笑ってはいても、娼婦は何のために笑っているのか忘れちゃいけないって思ってるんだ。

 

「そしたらそのお客さん、『ミュゼリュッソボーだよぉ』って、こうやってのけぞっちゃって!」


 なのに最近は、涙が出るくらい本気で笑っちゃうことが増えた。

 ハルちゃんはお話が上手い。気がつけば他の嬢たちとも馴染んでいた。それどころか、彼女が「そういえば」って言い出したらみんなが注目する。どんな話をするのか期待しちゃうし、周りの人も巻き込んで笑わせる。

 彼女が店の前に置いた長いすは、すっかりわたしのお気に入りの場所になってしまった。

 まだ明るいうちからほんの休憩のつもりで始めたおしゃべりも、あっという間に開店ぎりぎりの時間まで食い込む。今日嫌だったことも明日ハルちゃんたちに愚痴ってやろうと思えば、どこかで笑えるとこはなかったかなって少し前向きに考えられる。

 ……シクラソさんがいなくなって、結構、かなり、寂しくはなったけど。

 でも、キヨリちゃんっていう新しい友だちもできた。わたしたちは娼館を飛び出し、スモーブさんの食堂でお茶を楽しむ会を作って、知り合いも増えていった。

 ひょっとしたら、わたしもハルちゃんみたいに自由っぽく生きていいのかなって、少しだけ思えるようになったんだ。

 そんなある日。

 

「あたし、またしばらくお店休もうと思うんだ」


 いつものお茶の席でハルちゃんが言う。

 ウィッジさんという有名な冒険者の人と最近ハルちゃんは仲良しで、その人たちとどうやら森の向こうへ行ってしまっているらしい。

 どうしてシスターでもないのにそんなところへ行くの。そこで何をしているの。わたしたち娼婦が外で仕事をするなんて、絶対にダメだってマダムもきつく言っているのにって、もちろんわたしは注意した。

「ごめんね、ルペちゃん。ちゃんと戻ってくるから許してっ」

 なのに、理由も教えてくれようとしないところが、ちょっと嫌だなって思った。

 思ったけど、わたしってこういうとき自分の不満を口にできないんだ。

 わがままを言える相手ってママしかいなかったし、他人にそんなのをぶつけて迷惑がられるの嫌だし。

 決まり事を並べてお説教してダメなんだったら、何を言ってもダメなのかなって、一人で納得しちゃう。

「大丈夫です。今回は私も同行しますので。死んでもハルさんを守ってみせますのでっ」

 キヨリちゃんはかなり気合いも入っていて、ちょっと興奮していた。

 死んでも。なんてそういうこと簡単に言っちゃうと、本当に死んじゃうこともあるから言わない方がいいのに。世の中には『死亡ふらぐ』とかいうのがあるんだって、前にチバくんが教えてくれた。

 キヨリちゃんは死ぬんだよ。ハルちゃんに裏切られて。

 なんて、そんなわけがないけど。

 でも、そうなんだ。キヨリちゃんは一緒なんだ。

 ふぅん、て思った。

 ますますモヤモヤした気持ちが膨らんで、お腹の底にぐちゃって落ちていく感じだったけど、わたしに出来ることはやっぱりいつものように笑っていることだけで、「わかった。気をつけてね」と気持ちとは裏腹に微笑む。

 あと「お土産に童貞モンスター(森に現れると噂の男性器型で挙動不審な魔物)を捕まえてくるね」ってハルちゃんは言うので、それは本気でいらないって真顔で断る。


「もちろんママに言われたとおりに地味でクソつまんない修行は続けてるんだけど、最近は森に出現するモンスターもレベル上げてきてるっていうか、新種っぽいのも見たことあるんだ。思うんだけど、ひょっとしたら魔王のやつ、とうとうこの俺の存在に気づいたのかもしれない」

 そもそも娼婦のお仕事に限らず、一般常識というのをハルちゃんに教えたのはわたしだって勝手に思ってる部分もあって。それにあの子って、あけすけすぎるくらいに自分のことしゃべるから、秘密とかない関係かなって思ってて。

 それがわたしだけの思い込みだったんだってところで落ち込んでるんだと、あれから一人で考えてわかった。ちょっと自分勝手だなぁと反省した。

「最近は森でも縛りプレイしてるんだ。あ、縛りってのはアレね。変な意味じゃなくて、体の一部を自分で拘束してるってこと。いや余計に変な意味に聞こえちゃうけど、要するに自分に厳しい制約をかけてその中で戦っているっていうか。でもマジで危険な行為だし、森の入り口付近でしかしてないし安心して」

 わたしだってハルちゃんに言ってないことあるもんね。娼婦になる前のこととか。そういうのって誰にでもある。こんな仕事してる女の子なら特に。

 言えることと言わないほうがいいことを、きちんと区別しないとダメなんだ。

「ようするにこの右手の包帯を外したら、封じ込めた『鬼姫』が解放されちゃうっていう俺の新しい設定なんだよね。かっこよくない? しかも左手しか使えない縛りで闘技場にも挑んでいる俺はかなりの成長してると思うんだよね。やっぱ天才かなって。自慢になるから他のヤツには言わないけど」

 あんまり自分のことをペラペラしゃべる人って信用できないもんね。中身が軽そうっていうか、からっぽな感じがする。

 ハルちゃんが、キヨリちゃんにはお話しできてもわたしには言わないほうがいいって思ったんなら、きっとそれは彼女も考えて決めたことだし、正しいんだよ。余計な詮索なんてしなくて正解だったんだ。

 だからもう、ハルちゃんのことでモヤモヤするのはやめよう。彼女には彼女の人生がある。わたしもがんばれ。うん。

「ねえ、ママ。聞いてる?」

「あ、うん。それより右手どうしたの。包帯、ほどけそうだよ。ちゃんと巻いておかないと」

「だからそれが封印の……まあ、いいか」

 ぼろぼろの黒い包帯を結び直してあげる。チバくんもがんばってるんだね。どこもケガしているようには見えないけど、指まで巻いちゃって、これじゃご飯を食べるのも大変そうだ。

 不器用な子だなあ。

「ちゃんと食べてる? 体を動かしてるんだから、たくさん食べないとダメだよ」

 わたしのお皿からお肉をあーんしてあげる。チバくんは、あたりをキョロキョロしながら急いで食べる。

 甘えん坊なくせに、恥ずかしがりでかっこつけなとこまで、弟にそっくりだ。

 そういえば、ハルちゃんたちがいないから食事に付き合ってもらったりしてるけど、毎日迎えに来てくれなくてもいいんだよって言わないと。

 お昼の時間が近づくと、店の前で子犬みたいに待っているチバくんがいる。中に入って呼び出してくれてもいいって言ってるのに、時間外に入るの緊張するって言って。

 基本的に人見知りなの。仲良くなったら、止まるヒマがないくらいよくしゃべるのに。お店に来たらまずわたしやハルちゃんの姿を探してキョロキョロしているの、じつはちょっとかわいいと思ってる。

 かわいいは、男の人にいうと怒られることもあるから言わないけど。

「今日も俺のおごりだから。ママこそ好きなの頼みなよ」

 わたしは「毎日は悪いから、誘ってくれるのは時々でいいよ」と断る。そうしたら、チバくんは「平気だから」と食い気味に遮ってくる。

「俺もいつも外でしか食べないんだ。だからついでだし、全然」

 ついで、という部分にチバくんの悪気はない。この子はこういう言い方しかできない人だ。でも、毎日おごらせることに決めた。ついでだし。

「ありがとう。でも、他に一緒に食べたい人もいるんじゃないの?」

「えっ、いるわけないよ、そんなの」

 チバくん、左を見た。ちょっとウソついたな、この子。

 それにこないだの下着泥棒事件のときに、気がついたことがあった。チバくんはたぶん、あの子と会ってるよね。そしてあの子のことだから、誰にも言うなって彼に口止めしてる。特にわたしとかハルちゃんには。

 どういう関係かも想像がつく。もしかしたら、チバくんに悪い遊びを教えているかもしれない。

 だけど、わたしは気づいていないふりをする。それは長年の付き合いで生まれた暗黙の決まり事みたいなもの。

 あの子のすることに、わたしは何も言えない。

「いや、まー、他に誘われないわけじゃないけど、俺の本命はママだからさ!」

 チバくんは昔、ハルちゃんにしつこく家に来るよう誘っていたそうだ。キヨリちゃんと付き合っていたときは、お料理とかお掃除もさせてたって聞いた。あの子にはどうなんだろって想像しても、よくわからない。

 わたしには、一度もそういうことを言わない。たぶん、家の中を見せたくないんだろう。だらしなくしているから。

 彼は、ハルちゃんといるときが一番元気がよくて、キヨリちゃんの前では少しいばっていて、わたしといるときは優しくかっこつけている。チバくんの一番変わっているなって思うところは、男の人にしては珍しく、女相手でも見せる表情を変えているところだ。

 わたしはお客さんとして彼のことを育てたつもりだけど、人ってそんなに簡単に性格まで変わるものじゃないし、理解できない部分はずっと理解できないまま残る。彼の場合は、打ち解けてきてからも、何の話をしているのかわからないときが多い。でも想像力はとても豊かで話自体は意外と面白い。

 友だちは少ないみたいだけど、じつは、その気になればものすごく人との付き合い方が上手い子なのかもしれないなと思う。売れっ子娼婦になれるかも。

 でも、他人にそこまで興味は持てないみたいだ。こっちから詰めていかないと、基本的に距離は縮まらない。そこはハルちゃんとは真逆な感じ。彼女は自分から詰めたがるほうだから。

 この二人は同じとこの出身だって言ってたけど、どんな村だったのかな。どうしたら、こんな極端な子たちが育つんだろ。

「なんか聞いてなかったみたいだからもう一度言うけど、俺の本命はママだからさ!」

「え、あ、ごめん。聞いてたよ、ありがとー」

「へへ」

 チバくんは、わたしの食べる口元をよく見ている。自分はウソをつくわりに、疑り深くて独占欲も強い。

 娼婦の先輩たちに習った男の人の見分け方。チバくんは面白いくらいに当てはまってくれるんだけど、それでもやっぱり、「何を考えてるのかな~」って不思議になることはいっぱいある。

 わたしをママと呼ぶ人は彼の他にもたくさんいる。でも毎日ごはんを一緒に食べようなんて人は、今までにいなかった。

 前に事件があってから、店外でお客さんと会うことは禁止されていた。チバくんにそう言ったら、「客じゃなければいいの?」と、お昼ごはんを食べるだけで夜は来なくなった。

 チバくんは、そういうとこが他の男の人と違った。

 わたしと寝たいわけじゃないのに、どうしてママなんて呼ぶんだろう。ごはんを食べさせてるのに、どこかに連れ込もうとしないのはなぜなんだろう。

 本当に変わった子。何を考えているのかわからない。

「でね、ママ。明日はちょっと遅くなるかもしれないんだけど……」

 気にしないでいいよと、わたしは答える。

 どうして遅くなるのかは聞かない。きっと面倒なウソをつかれる。


 店が始まると、忙しくて休むヒマもない。

 最近マダムに呼び止められることが多くなった。いろんな人に紹介されるようにもなった。

 この店の、いわゆる太いお客さんたちだ。彼らはわたしを抱いてから多めのお小遣いをくれた。お客さんの一人には、もう少し良い服を着るように言われた。マダムも同じようなことを言った。

 わたしが可愛い服や子どもっぽい格好を選ぶのは、これが似合ってると思うし、そういう好みのお客さんを多く持っているからだ。でも、これからは大人の女らしい格好もしないといけないらしい。

 変わりたいとは思わないけど、いつまでも今のままではいられないし。

 マダムは、わたしを後継者にしようとしていた。

「ルペちゃん。ギルド長さんが明日から地方を回るの。今回は私もついて行くつもりだから、その間、店のことお願いね」

 わたしはハルちゃんと違って、地方から連れてこられた嬢だ。借金がある。

 この商売、続けていればいつか体を壊すのは明らかで、誰か大金持ちに身請けでもされない限りは、料理が上手とか音楽ができるとか、他に特技がないときびしい。

 わたしは何もできないので、たとえば経営のお手伝いなんかでお給金をもらえるようにならないと、長生きはできないんだ。

 長生き、したいわけじゃないんだけど。

「わかりました。がんばってみます」

 自分に向いているとは思えなくても、選べるほど人生には恵まれていない。なんとかやっていくだけだ。


「ルペちゃん、カウンターのお客さんがつぶれちゃって」

「はい、引き継ぎます」

 テーブル席を見渡して、お馴染みさんに声をかける。

 娼館って女の人しかいないから、困ったお客さんがいたり力づくが必要そうなとき、協力してくれる常連さんを何人かお願いしている。

 だいたいは冒険者さんで、食事とかお酒とか、ちょっとしたご奉仕でお願いしている。あとはご近所の店や、どうしようもないときはギルド長さんのとことか。

 お店を守るためには、そういう人たちとのつなぎも手際よくできないといけないんだ。

「ほら、兄ちゃん。寝るならここじゃねぇぞ」

 大柄なお客さんに、近所の安宿まで運んでもらう。一人片付いても、次々と小さな問題は起こって、早く解決して回らないとあちこちで行き詰まっちゃう。

 思ってたよりもずっと忙しい。マダムはいつも、店の中を優雅に歩いているだけに見えていたのに。

 そっか。問題になっちゃう前に見つけることが大事なんだ。声をかけて回らなきゃ。

 立ち止まっているヒマもない。

 一日が終わる頃には、顔の筋肉が笑顔のまま固まっちゃってて、足もぱんぱんだった。うつぶせに倒れたまま朝が来ていた。

 

 ドカンと、扉を叩く音でわたしはビクンと目を覚ます。

「だれ?」

 一瞬、ハルちゃんかと思ったけど返事はない。もう一度、うるさく扉を叩かれた。

「あたし」

 と、掠れ気味な低い声。あぁ、あなたか。

 怒らせてしまったか。ちょっと筋肉痛の残る足で、なんとか起き上がる。体が硬い。

 

「おはよう、キズハちゃん。どうかした?」


 ゆるく波打つ金色の長い髪。

 それを丸く縛り上げ、広いおでこの下でわたしを睨む青色の大きな瞳。『青猫亭』って店の名前は、彼女のためにあるのかと思う。

「どうかした、じゃないでしょ」

 真っ白でつるつるの肌が、豊かな胸まできれいな曲線を描く。黒の短いドレスから伸びる手足まで、誰かに贔屓でもしてもらったのかなってくらいに細くて長くてうらやましい。

 女のわたしから見ても、ちょっとゾクってする美人。でも今は、とても怖い顔をしていた。

「男が足りない。うずうずして眠れなかった」

 お腹を空かせた野良猫が噛みつくような、そんな感じ。

 彼女には少し変わったところがあって、それは娼婦の仕事を心から自分に向いていると思っているところだ。

 男と寝るのが本当に好きらしい。一晩に三人は抱かせろって彼女は言う。

 だけど、自分からお客を取りに降りてくることはない。

「あたしのところに男を連れてくるのがあなたの仕事でしょ」

 彼女が夜想の青猫亭の売り上げ一位。わたしが来たときからずっとそう。

 だから、店で彼女に逆らえる人はいなかった。

「ごめんね。昨日は忙しくて回せなかった。知ってるでしょ、マダムが昨日からいなくて」

「関係なくない? あたしが一晩にいくら稼ぐと思ってんのよ。無駄に忙しくするくらいなら、あたしの客を見つけてきたほうが店のためじゃん」

 キズハちゃんの部屋代は高い。当然、彼女のお客さんはお金を持ってる人だけになるし、一晩にそんなにたくさんは来ない。こちらからお誘いをかけて、買ってくれる人を探さないといけなくなる。

 わたし一人で、それはちょっと無理だった。いつも手伝ってくれるハルちゃんもいない。

「本当に忙しいの。キズハちゃんが下に降りてきてくれたら、買いたいって人がたくさん手を挙げてくれると思うけど」

「なんであたしがそんな面倒なことしないといけないの。あたしはそういうの免除されてんの。マダムもそれでいいって言ってるでしょ」

「……うん、そうだけど」

「なに、ルペ。怒ったの?」

 キズハちゃんが、わたしの髪を指ですくう。耳のすぐ横をかすめて、後ろの壁に手をついて顔を寄せてくる。

「怒った? それでどうするの?」

 まつげが長くて吸い込まれそう。そんなきれいな顔で睨まれたらなんにも言えなくなる。それに彼女は、また血の匂いをさせていた。

 怒ってないと答えた。今夜はちゃんとお客さんを連れていくって約束もした。

「ん、そう。がんばってね」

 他人事みたいに言って、彼女はようやく離れてくれた。ホッとしたと思ったら、急に振り返るからビクってなった。

「頼んだからね、ママ」

 にやりと笑って、今度こそキズハちゃんは手を振って出ていく。

 緊張する。彼女はすごく圧力を感じさせる子だ。それに「ママ」だなんて、わたしのことをきっとバカにしている。イヤな言い方だ。

 だってあの人、マダムの本当の娘なのに。

 

 お昼を過ぎてもチバくんは迎えに来てくれない。そういえば遅くなるようなことを言ってた。もしかして来れないのかな。毎日じゃなくてもいいって言ったばかりなんだけど、わりと当てにしていたので少し残念だ。

 じゃあ、ごはんどうしようかな。一人で行ったことはないけど、スモーブさんのお店に挑戦してみようかな。

 キヨリちゃんだって、シスターの格好のままお茶したりしてるし。あれは結構素敵だ。女の人が一人でお店に座っている姿って、なんだかそこにお花を挿したみたいに見える。

 まあ、わたしはキヨリちゃんみたいに美人じゃないけど……。

 それくらい、してもいいんじゃないかな。わたし、昨日がんばったし。今日も明日もがんばらないとだし。マダムにも言われてるんだから、少しだけ大人っぽいこともしてみよう。うん。

 なんて、なけなしの勇気が通用するほど、世界は甘いケーキじゃない。

 お店の前のいつもの『てらす席』に座ろうと思っても、隣にいるおじさんがこっちを見ている気がして怖かった。スモーブさんの前なら平気かなと思っても、そこも男のお客さんがいっぱいで座りづらい。

「なんだぁ、姉ちゃん。座るとこねえのか?」

 てらす席にいつも座っているおじさんが、声をかけてくる。

 冒険者さんっぽいけど、足をケガしているみたいでいつもお昼からお酒を飲んでいる。硬そうなヒゲをしたおじさん。驚いて固まるわたしに、ニタリと笑った。

「ここ座るか?」

 自分の股間を指して、歯を見せる。周りが笑うのに合わせて、わたしもお愛想で微笑んでおいた。

 お店でもよく言われる。男の人の好きな冗談だ。

「あ、あの、席を探しているのなら、調理台の前が一つ空いてますので」

 ケーキのたくさん載ったお皿を顔の横に持ち上げ、スモーブさんが間に入ってくれた。

 ほっとした。スモーブさんは体が大きくて頼もしい。

「なんだ、おい。おまえのこれか? そりゃ悪かったな」

 でも、気持ちは小さく控えめな人だ。ヒゲのおじさんに小指を立てられ、真っ赤になって「とんでもないです」と小さな声で言う。ごめんなさい。

「今日はいいです。また来ます」

 スモーブさんにお断りすることにした。お腹もいっぱいになったみたいに重くなってたし。

「すみません」

 謝る彼に、「こちらこそ」と謝罪の応酬をする。商売繁盛でなによりです。お互いにがんばりましょう。

「あの、よかったらどうぞ」

 お皿のケーキを一つくれた。お代を払おうと思ったら、「余ってしまうだけですので」とスモーブさんは恐縮しながら言う。

 ハルちゃんが留守にして、わたしたちが店に来なくてもこの人は同じだけケーキを作る。売れないから、お客さんに声をかけて営業している。

「いるかよ、そんな女の食い物なんて」

 ヒゲのおじさんにも勧めて痛烈に断られていた。スモーブさんはすごくがんばっていた。お互いに、なんてわたし偉そうなこと思っちゃったな。

 こんなに美味しいケーキが少しかわいそう。一人で食べても、寂しい味がする。


 ――目が回りそうだ。

 あっちのお客さんが料理が遅いと怒っている。向こうのお客さんはお目当ての嬢を取られて腹いせのケンカを始める。嬢の一人は体調が悪いと訴え、別の嬢はお客さんに顔を叩かれ腫らしてしまった。

 笑顔。笑顔。どんな気持ちになってもお客さんの前で変な顔をしてはいけない。嬢たちを不安にさせちゃいけない。

 時には「啖呵を切るのも大事だ」ってマダムは言っていた。でもそんなの、わたしにできるわけないし。ハルちゃんじゃないし。

 全部に顔を出して謝る。利口なやり方じゃないのはわかっていても、他の方法を知らない。マダムの仕事の任せっぷりを思い出してみても、わたしは誰に頼っていいのか心当たりがない。

 くたくただ。なのに売り上げは最悪。それでも笑顔。最後まで。

 今日も、うつぶせに倒れたまま眠る。

 

 お尻を叩かれて目が覚めた。驚いて起き上がったら、ひっくり返された。

 お酒の匂い。キズハちゃんがわたしの上にいる。

「昨日、あたしがなんて言ったか覚えてる?」

 爛々と輝く大きな瞳が、すごく近くて、ますます強くて、そこしか見えない。飲み込まれる。

「……ごめん」

「わかってんなら、謝るな。男を連れてこい。連れてこないなら」

 あんたを食べるぞって、キズハちゃんはニタリとする。

 本当に食べられるかと思った。彼女の息が喉に触れ、肌を這う。舌みたいに。

「キズハちゃん」

 その息からは少しだけ血の匂いがした。イヤだなと思ったけど、これは言わなきゃならない。

「また飲んでるの? マダムもそれだけはダメって――」

「うるさいな。関係ないでしょ、あんな人」

 ピシャリと言葉で叩かれて、それ以上は言えなくなる。腕を押さえつけられて身動きもとれない。彼女はわたしの首すじの匂いを嗅いで、髪に口をよせる。

「あんたっていつも甘い匂いさせてる。昨夜は何人に抱かれた? あたしをほったらかしにして、あんただけ男を楽しんだんだ? そうでしょ?」

 抱かれてないと答えた。もうすぐわたしは決まったお客さんとしか寝ないようになる。マダムに紹介された人たちだ。

「そう。ルペはママになるんだもんね。あたしたちの」

 キズハちゃんが頬を撫でる。耳に爪を立てる。痛くて顔をしかめるわたしを見て、嬉しそうに目を細める。

「ママ。あたしのためにしっかり働いて。そうしたら、あたしもきっといい子になるわ。約束する」

 本当に、なんて言っていいのかわからない笑み。ぞくぞくするくらいきれい。なのに、トゲみたいに痛い。

 キズハちゃんは娼館で生まれた。

 いつからこの仕事をしているのか自分でも覚えてないと言っていた。マダムも多くは語らない。この母娘が会話をしているところも見たことない。キズハちゃんはウソしか言わないからだ。

 昼間の彼女は、いつも血の匂いをさせている。

『ケシコウモリの血』だ。

 もちろん、そんな動物がいるわけじゃないし、本物の血でもない。

 魔王の森の東で採れるという不思議な形をした果実。それを発酵させると赤くなって血のような匂いをさせる。

 その汁はお酒よりも効くし、人をダメにする。だから持っているのを見つかると官兵さんに逮捕されるけど、手に入れるのは意外と簡単らしくて、娼館でも飲んでいる人がいる。

 ひどい酔いかたをして、見えない人と話を始めたり、いきなり暴れだすこともある。倒れてそのまま病院に運ばれることも。

 上手に飲める人はそこまで酔わない。その代わり、この血を飲んでからすると、すごく気持ちいいって嬢に勧めてきたりする。危険だから断るようにってマダムはみんなに言っている。どうしても飲まされそうになったら逃げてもいいって。

 キズハちゃんは、上手にそれを飲んでいる。たぶん、わたし以外に気づいている人はいない。

「……ちゃんと、ご飯も食べて。栄養も摂らないと倒れちゃうよ」

「なにそれ? ママっぽいこと言ってみた?」

 自分でも的外れなこと言ってるなあと思う。でも、キズハちゃんは最近ますます食べなくなってきた。ひょっとしたら、また何か拾ってきて飼ってるかもって思う。昔は何でも生き物を拾ってきては、納屋に隠して飼っていたから。ママに言われてカギをつけたのはわたしだ。

 そして、もしかして彼女が今飼ってるのって――わたしの知ってる男の子かもしれないと思ってる。

「あんたの方こそ疲れた顔してる」

 他人事みたいに小首を傾げて、キズハちゃんは髪をかき上げる。今日はきちんと整っていた。これから誰かに会うみたいに。

「お仕事ってそんなに大変?」

 ただの嬢だったころに比べたらずっと。

 でも、これに慣れないとわたしはたぶん生きていけない。誰だって変わっていかないといけないと思う。

「向いてないんだよ、ルペ」

 胸にイヤなものを刺された気分。

 そんなの、だって、わたしにもわかってる。だから言わなくていいのに。

「あなたはいつも笑ってごまかすだけだもんね。続くわけない。自分が楽しめないとこの仕事は絶対ムリ」

 あたしは楽しい、とキズハちゃんは笑う。すごく笑う。ズキズキと頭に響く。

「ルペも血、する? 楽しくなるよ?」

 赤い舌が彼女の唇を濡らす。匂いだけでも、効き目があるのかもしれない。ほっぺたが熱くなっていく。息苦しくて何か欲しくなる。

「ウソ。あんたにはあげない」

 さんざんわたしをバカにして、キズハちゃんはようやくわたしの上からどいた。血の匂いが離れる間際に、ふわりと花の匂いもした。

 

 チバくんは、今日もこなかった。


 娼館の厨房で、一人遅めのお昼をもらって食べる。なつかしいけど、こんなものだっけと思った。ちょっと前までは普通にここでみんなと食べていたご飯も、あまり楽しめなくなっていた。

 でも、そんなこと言ってられないよね。これからはこういうことが増える。他の嬢とおしゃべりしないとだし、お店の味も確かめないと。仲良しの子とお外で食べるご飯の美味しさに、甘えちゃいけない。

 それに――ハルちゃんは、もうここには帰ってこないかもしれない。娼婦をする必要はもうないって、思ってるかもしれない。

 ここに来たときは何も知らない子だったけど、今じゃわたしよりも出来ることが多い。お料理も、洗濯も、店の修理まで。売り上げの計算は全然できないけど、歌だって楽器だって上手い。それにすごく可愛い。

 外の人たちとも付き合ってるみたいだし、森なんてすごいとこに連れてってもらってるくらいだから、ひょっとしたらもう店を辞める相談くらいしているのかも。

 わたしには、きっと相談してくれないよね。ずっとここに残るしかない子だもんね。言えないよね。

 たぶん、わたし、すごく寂しいけど、笑っておめでとうって言ってあげれるよ。それくらいできるよ。なのに、行かないでって泣くと思われてるのかな。そんなことないのに。みんなが、わたしより先に出ていくことくらい知ってる。だから平気なの。

 ……なんだか、つまらないことばかり考えてる。

 ハルちゃんがいたときには、もっと面白いお話にできないかなって工夫してたのに。

 お水飲もう。

 そう思った立ち上がったら、膝に力が入らなくてカクンとなった。転ぶかと思った。びっくりした。


 夜、雨が降り出したおかげでお客さんは少なめ。

 なんて、客入りが悪くてホッとしちゃうのは最低だ。店の前の灯りを強めにして、見た目を暖かくする。楽隊にはゆっくりとした曲を演奏してもらう。料理を一品、少し値段を下げて看板に告知する。通いの嬢たちに、「今日は早めに上がっていいから賑やかにして」と伝える。

 お客さんが少なくても、やらなきゃいけないことまで減るわけじゃない。でも、顔には忙しさを出さないように。周りを見て、気を配って。

 雨逃れに新規のお客さんがきた。お付きの人を引き連れて、恰幅がよくて脂ぎった感じの人。でも娼館のご利用は慣れているみたいで、席に案内した嬢にも軽い感じでいやらしい冗談を言う。身につけているものもいい。お金持ち、と思う。かなりのほう。

 マダムの代理としてご挨拶をする。お酒も注がせていただく。わたしの控えめな胸を見て微妙な顔をされてたので、かえって安心した。今日の嬢は胸の大きい子が多い。

 お客さんがお酒とお料理を楽しみながら、そろそろ嬢たちの品定めを始めたところでもう一度声をかける。耳元で、あなただけにと。

「今でしたら、うちで一番の子のお部屋が空いています」

 キズハちゃんは、役人のお偉いさんや軍の上層部が顧客にいると紹介をする。男の人は、嬢の価値を本人の見た目以上に『誰のお気に入りか』で判断する場合が多い。特に、こういうお金や地位のありそうなお客さんは。もちろん、胸が大きいということも言い添えて。

「ほう」

 値段を言うのは最後だ。言わせない人もいる。

 慣れているなら店の相場くらいは読めているだろうし、ここは男性たちの社交場でもある。次に来るときのことも彼らは考えている。

「どういたしましょうか?」

「わかった、行こうか」

 この人は値段を聞かなかった。上客確定。次回の来店時には嬢たちを並べて歓迎いたします。

 よかった。あとは任せて大丈夫。キズハちゃんなら、どんなお客さんも必ず満足させてくれる。仕事は本当にすごいんだ。二日もお客が空いてしまった彼女も喜ぶだろう。

 なんて、ちょっと安心して気を抜いていたら、すぐにさっきのお客さんが足音を響かせながら二階から降りてきた。

「おい、ふざけるなっ。なんだあの女は!」

 わたしを指さして、真っ赤な顔で睨む。何が起きているのかわからなくて、あたふたしてしまう。

「えっと、いったい何が?」

「あの女はなんだと言ってるんだっ。あれがこの店の一番だと? こんな無礼は初めてだっ。たかが娼婦の分際で私を誰だと思っているっ」

「あの、すみません、すぐに別の嬢のお部屋へ」

「次は二番か三番か? こんな店の女など相手になるかっ。馬鹿にするのもたいがいにしろっ。帰る!」

 本当にわけがわからなかった。お客さんに何度も頭を下げて見送って、急いで二階へ行く。

 廊下のつきあたりの青い扉。うちで一番広い部屋。少し緊張しながら扉を叩く。返事はなし。いい。勝手に開ける。

「キズハちゃん」

 ふわりと花の香りが広がり、派手に塗られた壁と床に重ねて敷かれたじゅうたんの数々の色彩に、目が押し込められたように鈍く痛んだ。

 男の人たちからもらった服、小物、帽子。どれも華やかだけど一度も使われてないみたいに整然と並べられている。色が多すぎて不安になる配置。色に埋もれてしまいそう。

 ベッドの上に彼女はいた。

 だらしなく足を開いてカップで血を飲んでいる。その頬には大きな手の跡。さっきのお客さんにぶたれたんだ。

「キズハちゃん――ダメだよ。あなたは顔に傷なんて作っちゃダメ」

 この子は店の看板。わたしたちの一番。わがままで手に負えないけど、この店を支えているのは彼女。

 反対側の唇を上げ、頬を指でなぞって彼女は言う。

「このくらい明日には消える。問題ない」

 問題だよ。今夜、これからどうするの。あなたがお客さんを見つけてこいと言ったのに。

「……お客さんに何をしたの?」

「別に。見たままを言った。それで、あなたに抱かれるのは嫌っすねーって」

「なにそれ。本当にそんなこと言ったの?」

 彼女は仕事だけは真面目だった。というよりも、娼婦の仕事しかしない子だった。

 どんな男の人にも抱かれる。本気で抱く。

 わたしたちでもちょっと引くような男の人にだって、彼女はベッドの上では本気で惚れる。別れ際には涙だって見せるそうだ。そうして、次から次へと美貌と愛でお客さんを蕩かしていく。どんな男の人も虜にしてきた。「生まれたときから娼婦だった」って、マダムは彼女のことを言ってる。

「どうしてそんなこと……」

「気分じゃなかったから。悪い?」

 キズハちゃんは、困ったわたしの顔を見て笑った。本当におかしそうに。

 血に酔ってるんだ。めちゃくちゃだ。さすがにわたしもムカムカしてくる。

 わたしに嫌がらせしたくて、わざとお客さんを怒らせたんだと思う。

「どうしたの、ルペ。もしかして怒った?」

 唇を噛んでこらえる。

 わたしが怒ったら、本当にどうしようもなくなる。

「お願いだからお仕事して。今夜は入りが悪いの。顔、少し塗ろうか」

 またお客さんが見つかるかどうか、上客の人が来てくれるかどうかも、この天候と店の様子では自信ない。だけど今夜はキズハちゃんに稼いでもらわないと困る。

 本当に困るんだ。ここ数日は最悪だ。マダムが留守にした途端にこんなんじゃ、わたしは――。

「やだ。気分じゃないって言ってるでしょ。あたし、しばらく働かないつもりだから。そっちはそっちでがんばって」

 肌に触れようとしたわたしの手を払い、ぷいとキズハちゃんはそっぽむく。

 怒っちゃダメ。キズハちゃんはわたしをからかっているだけ。怒ったら思うツボだ。でも、わたしだっていいかげん。

「じゃあ、ここから出て行って。男と寝ない娼婦なんてこの店にいらない。あなただって娼婦しかできないくせに、わがままばっかり言わないでよ」

 キズハちゃんは、驚いた顔でわたしを見上げて、眉をひそめた。

 わたしも勝手に動きだした自分の口に動揺したけど、ぎゅっと唇を結んでキズハちゃんに立ち向かった。

「は? だれに向かって言ってるのよ、ルペ」

「キズハちゃんにだよ。本当にひどいよ。今日だってお客さんも見つけてきたのに、追い返しちゃうなんて。わたし、がんばったのに!」

「そこ、どうでもいい。それより、あたしがいらないってどういう意味? あたしのこと必要ないって本気で言ってるの?」

 イライラしてしまう。どうでもいいとか、あなたが勝手に決めないで。世の中で自分にしか価値がないみたいに、わたしたちを見下さないで。

 あなたがそうやって特別な部屋にひきこもって生きていけるのは、だれのおかげだと思ってるの。

「男と寝ない娼婦に価値なんてないよ。それはあなただって同じ」

 イヤなことを言っている。キズハちゃんを傷つけようとして、自分にも跳ね返る痛いことを投げつけてしまった。

 胸がギュッとなり勝手に涙がこぼれる。謝ろうと思っても口が上手く動かせなかった。

 キズハちゃんがわたしの肩を押して壁にぶつける。わたしは顔を覆って泣いている。

「あんたバカなの? あたしがいなくなったら、価値がなくなるのはこの店じゃん?」

 何も言い返せなくて、ただ声をあげて泣く。

 わたしはバカだ。本当にダメだ。なんとか声を振り絞って「ごめんなさい」って謝る。

 キズハちゃんはため息ついて、わたしの後ろの壁をドンと叩いた。

「笑え」

 低い声で脅してくる。怖くて肩が震えた。獣みたいにキズハちゃんが睨む。

「笑えって。ママの役目だろ。笑ってごまかせ、いつもみたいに」

 下の酒場で誰かが大笑いしているのが聞こえる。客の入りは少なくても、嬢たちはがんばって店を盛り上げてくれている。

 わたしも笑っていないといけない。でも、喉が引きつるし涙も止まらない。

 キズハちゃんは舌打ちをした。

「もういい。戻りな。あと、しばらく客と寝ないってのは本気だから。それだけ覚えておいて」

 壁から引き剥がされて、お尻を叩かれた。騒がしい酒場へと、とぼとぼと戻る。


 次の日、店の玄関前にチバくんが座っていた。

 こっちに背中を向けて、聞いたことのない歌を口ずさんでいる。わたしはそんな彼の背中に膝を入れた。

「いて」

 彼は驚いた顔で振り返り、すぐに「おはよう」なんてニヤける。

 立ち上がったチバくんの膝の裏に、もう一度膝を入れてやった。

「なになに。なんなの?」

 チバくんは、わたしがふざけてると思ってるんだ。

 怒ってるんだよ。

 でも、チバくんが笑ってくれたおかげで、わたしも一晩ぶりに笑えたから許す。


「あ、やべ。たまにケーキとか食うとすっげーうまい。男って甘い物が嫌いっていうやつ多いけど、俺は甘い物も好きっていうか、女子の気持ちとかすごいわかる男だからさ。うまい」

 あいかわらず何が言いたいのかわからないチバくんの話。というか主張。いつもなら聞いてるうちに本当に意味がわからなくなって不安になったりしてたけど、今日はなんだかホッとする。とりあえずケーキは美味しいっていうのは同意だよ。

 そういえば、キヨリちゃんはこういう食べ物の感想が上手だったよね。スモーブさんのお料理はいつも褒めるだけだったけど。今ごろ何してるかな。無事かな。

 森へ行くこと、チバくんには話してないんだよね。昔はチバくんのことも強い冒険者だって言ってたよね。ちょっと前まで、彼に森へ連れてってもらうつもりでわたしに調教を頼んできたくらいだし。

 でも、その期待もやめたんだよね。チバくんにその気がなかったから。強くなることには興味あるけど、魔王を倒すまでは無理だからやらないって。

 わたしはそういうのよく知らないから、そうなんだって思って聞いてただけなんだけど。少しうらやましい。一生懸命にならなくてもいいんだって自分に言えるのは。

 自信なのかな。それとも、虚勢とか、負け惜しみとか、あんまりいいものじゃないやつかな。どっちにしてもうらやましいけど。それって全部、自信だし。

 わたしは、無理をしてようやく生きていけてる感じだし。今夜から、どうやって店を回していけばいいのかもわからない。そのことを思い出したら、せっかくのケーキも美味しくなくなっちゃう。それは困る。

「チバくんって」

 キズハちゃんと会ってるんでしょ。と、聞こうとして踏みとどまる。踏み込めない。彼女が怒るのが怖い。

「ん、なに? 俺のこと知りたいならなんでも聞いて」

 この二人がわたしのこととか話したりしてたとしたら、それはすごくイヤだなって思った。いやらしいことなんかもして。ケシコウモリの血とかも使って、爛れたことまでしてたらって想像したらすごく気分が悪くなる。

 でも、それも違うかなって気もする。この二人が会ってるのは間違いない気がするけど、男と女の関係になってるとも思えない微妙な組み合わせだ。

「……なんでもないよ」

 適当にごまかしてしまって、悪いことしたなと思った。

 でも、適当にごまかすくらいの軽い失敗だったことは察してくれればいいのに、チバくんは「なになに、余計に気になる」と前のめりで食いついてくる。

 そういうとこだろうな。ハルちゃんがイライラするの。

 わたしがチバくんのこと気になる理由は、弟に似ているからだ。だけど、わたしの知っている弟はまだ赤ちゃんをようやく卒業したばかりのときだし、チバくんはハルちゃんと同い年でもう大人だ。顔も全然違う。本当に似てるかって言われると自信はない。わからない。

 わたしと寝たいと思ってないくせにこうして二人で会ったり、どうやら口説いてるつもりらしいことを言ってるわりに、全然強引にしてこない。

 目的がないようにしか思えない行動を、この人は普通にするんだ。暇なのかな。その余裕がやっぱりうらやましい。不安なったりしないんだよね。

 チバくんは、口の横にケーキの痕跡を残して、わたしをじっと見てる。その顔が面白くて、ついつい笑ってしまう。

 あぁ、そうか。チバくんはまだ自分が子どものつもりなんだ。だからそんなに人生を趣味みたいに生きられるんだ。考え方が違うんだ。

 わかっちゃった。ようするに彼の言う「ママ」って本気のやつだ。わたしは「ママ代わりの女の子」じゃないから寝ないんだ。そういうことだ。

 なーんだ。

「どうしたの、本当に?」

「ううん。質問、思いついた。いい?」

「え、いいよ。もちろん、聞いて聞いて」

「あなたは、将来どんな人になりたいの?」

 弟に聞くみたいに尋ねる。チバくんは目をキラキラさせる。本当に子どもみたいだ。おかしくなる。

 でも、どうせ勇者になるとか吟遊詩人の歌になるとか、そういうこと言うのかと思ったけど違った。

 予想外のことで、わたしは一瞬何のことかわからなかった。

「神様をぶん殴る」

 チバくんはたしかにそう言った。

 わたしは一応、あたりを見渡して教会関係の人がいたりしないか確かめる。よかった。森からキヨリちゃんが走ってきたりしないで。

「俺は、神様をぶん殴る男になるんだ」

 ハラハラしているわたしにかまわず、チバくんは二度も言う。

 想像しようとしてもわからない。そんなこと言う人、初めてだった。想像したこともなかった。

 どういう状況だろう。神様が、どうしていきなりチバくんから暴行を受けるの。どうやって神様と会うの。娼館のお客さんとかじゃないんだよ。

「……殴ってどうするの?」

 魔王にでもなりたいのかな。そういう答えが返ってきたら怖いな。

 チバくんは、「うーん」て斜め上を見上げる。右のほう。

「正直言うとそこまで不満があるわけじゃないんだけど。ぶっちゃけこの異世界好きだし。ロマンと冒険とファンタジー。男子なら誰でも好きなやつだからさ」

 でもね。と、チバくんは大げさに首をかしげて見せる。

「最近は違うかなって思うようにもなって。この世界に生きてる人にとってはそうでもないなっていうか。カンストある時点で俺も騙されたなって思ったし。でも、俺はまだシステムを理解できてるからマシなほう。ほとんどの人は天井があることにも気づかないで生きてるし、スキルも使えないのしか持たされてない。いやチートでもそう。無限系でもあるなら話は別だけど、こんなんじゃ魔王なんて倒せるわけがない。設計がおかしいんだよ。誰がクリアできるんだ、こんなゲーム? それともスローライフ系なのかな? それならそれで、チュートリアルちゃんとやってって感じだし」

 やっぱり何を言っているのかわからなくて、わたしはあいまいな感じに笑っておく。いつものチバくんか。真面目に聞いて損した。

 だけど、わたしの反応が薄いのに気づいたのか、チバくんは「ごめん」と言った。

 こっちの表情を読んでくるなんて初めてだったら動揺してしまった。あのチバくんが。

「ようするに不幸が多すぎるんだ。ママみたいな人がもっと幸せになれないとおかしいんじゃないかなって。それって、まあ、人間社会とかそういう下層システムの修正でもある程度はよくなると思うけど。でも、俺は知ってるから。一番トップのヤツ。そっから修正してやらないと根本は変わらないから、ぶん殴ってでも気づかせて修正させるんだ。スキルを全部吐き出させて人類ごと変える。魔王を倒す方法は一人の勇者じゃなくてシステムの改革と人類の底上げだよ。そして、それをやるのが勇者の仕事だと思うんだ。つまり、俺にしかできないこと。それをやる」

 わたしはまだ動揺していたし、チバくんの話も相変わらずわからないものだったし。

 でも、すごくドキドキした。わからないのに惹きつけられた。チバくんが、知らない人みたいに見える。違う世界の人みたいに。

 どうしていいかわからなくて、いつものように笑ったけど失敗した。加減を間違えて涙がでた。

 でもチバくんも笑ってた。

「……本当に」

「ん?」

「本当に殴ってくれるの?」

「もちろん。グーでやるよ」

 想像したらますます笑えた。神様、びっくりだね。みんなチバくんに驚くね。

 かっこいいね。

 チバくんが、誓うみたいにわたしの手を包み込む。嬉しかった。


 でも、世界なんて急に変わるわけがない。今夜もわたしは、店内をお詫びをして愛想笑いをして駆け回っていた。

 常連さんを頼ることが増え、イヤな顔をされるようになったので媚びる。今日はなんだか無理な注文をしてくるお客さんが多い。見慣れない人たち。

「おーい、俺の頼んだ酒はこれじゃないぞ。もう飲んじまったけどな」

「逃げんなって、おい。酌くらい付き合ってもいいだろ。あ? おしゃべり代? そんなの誰が払うかバカ。いいから座れ」

 あぁ、もしかして。

 昨夜の怒らせた上客の人かも。そうか。お付きの人に住所を聞いておいて、朝のうちにお花でも届けてもらえばよかったんだ。そこまで頭が回ってなかった。

 小競り合いを始める人たちもいる。騒ぎがあちこちで少しずつ広がる。いやがらせに慣れているのかも。止めてくれるように頼んでも、相手にしてくれない常連さんもいた。わたし、嫌われ始めている。

 年上の嬢に、ギルド長さんに人を出してくれるよう頼みに行ってとお願いする。早くに手を打たないと店の雰囲気が最悪になる。今月の上納金が、きっととんでもないことになるけど仕方ない。

「おい、姉ちゃん。おまえがこの店のマダムだって?」

 呼び止められたので「代理です」とご挨拶をする。さっき、お金も払わないで嬢を座らせようとしていた人だ。店の文句を言いだして詰め寄ってくる。わたしを壁に追いやるようにして、もう一人。反対からも。

「え、あの」

 気づいたら囲まれていた。ガラの悪そうなお客さんたち三人。他の場所でも騒ぎが大きくなってて、すぐに行かないとならないのに。

「どうしてくれるんだよ、これ。料理の汁がかかってベトベトだ」

「俺なんて嬢が酒も注いでくれなかったんだぜ。店の責任者なんだろ、お嬢ちゃん。どうするんだ?」

「誠意ってわかるよな? 娼婦なら娼婦らしく、この場で俺たちにお詫びっていうのしてくれないと」

「あの、すみません。わたし、行かないと。お詫びならすぐに別のお料理と嬢を……」

「裸踊りってのはどうだ? 得意だろ、そういうの」

「ははっ、そりゃいいや」

「ほら、脱げ。早く」

 じりじり追い詰められ、息もかかりそうなくらい近くでニタニタと笑われる。連日の疲れと恐怖で、わたしは膝に力が入らなくなる。

「脱げって言ってんだろ!」

 なんとか笑おうとした。でも、全然うまくできなかったみたいだ。

 男の一人が、「なんだそのツラ?」って拳を振り上げる。別の人の手がわたしの服を掴む。

 強く床を蹴る音が響いて、店内が急に静まった。

 叩かれると思ってふさいでいたまぶたを開く。

 舞台の上に嬢がいた。みんなの視線を一身に集め。わたしは思わず叫びそうになる。

 ハルちゃん!

 でも、そこにいる彼女はハルちゃんじゃなかった。

 金色の髪、青い瞳。

 派手な服を着て青い花をくわえたキズハちゃんが、舞台の上から店内をぐるりと見渡す。

 そして、花を離して胸の間に挿した。わたしの服を掴んでいた男が、ゴクリと喉を鳴らした。

「初めましてのお客様が多いようですね。私の名はキズハ。夜想の青猫亭の娼婦。ここの華やかな女どもと違って、二階に閉じ込められている見苦しい女でございます。今夜はとても賑やかで、楽しげで、ついつい誘われ出でてしまいました。どうかお目汚しにご容赦を」

 とても上品で優雅な一礼。開いた胸元で花が谷間に揺れる。太ももから深い切れ目の入った服から、彼女の長くて白い足が覗く。

 騒ぎはすでに収まっていた。男のお客さんたちは、もう彼女に釘付けになっていた。

「せっかくの宴の邪魔をしたお詫びをさせていただきます。キズハは、旦那様方にご奉仕をすることが生きがいの娼婦。このいやしい女を、ぜひ、皆様の目と耳でご堪能くださいませ」

 そう言って、キズハちゃんはまた床を蹴った。楽隊へ向ける合図の視線。流れ始める楽曲。

 これは、恋の歌だ。捨てられた女が、いなくなった男への愛と後悔と懺悔を叫ぶように歌う。ただ唯一だったこの曲の歌い手がいなくなった今は、激しい演奏だけが響く。

 キズハちゃんは歌わない。でも、わたしたちも初めて見るんだけど彼女は踊っていた。服のすそを持ち上げるように握り、時々床を大きく蹴って、素足のほとんどを見せて。

 きれいだった。足運びも、表情も、指先までしなやかで観る者を魅了した。楽隊にも力が入って音が増す。男たちも喧嘩を忘れてキズハちゃんに夢中になった。

 こんな踊りをわたしは知らない。いやらしいのに惹きつけられる。長い手足も真っすぐな背すじも、舞台で踊るためにあるみたいにかっこいい。なのに、妖しさもたっぷりあってドキドキする。いけないものを見ている気持ちになる。

「旦那様方。キズハをもっとお望みなら、どうぞ名を呼んでください。ご命令をいただければ、キズハはいつまでもあなたのために踊り狂いますので」

 男たちのほうが、狂ったようにキズハちゃんの名を叫ぶ。

 今夜、わたしは初めて一階に降りてきたキズハちゃんを見た。そしてわかったことがある。

 わたしたちの格が下がった。

 彼女が二階にいてくれないと困るのはこっちだ。夜想の青猫は彼女だ。悲しい恋の歌を踏みつけるように彼女は踊る。そして笑う。男たちを狂わせながら。

 また涙が止まらなくなった。自分が腹立たしくなっていく。キズハちゃんにも価値がないなんてよく言えた。わたしは娼婦としても中途半端で、マダムのようにもなれない。価値がないのはわたしだけだ。

 ギルド長の息子さんが、強そうな男を数人連れて入店した。見渡せる席について、手下に指示して問題の客を連れ出していく。

 店の真ん中で、大泣きしているだけのわたしを見て、キズハちゃんは嬉しそうな顔をする。胸に挿した青い花を、お客さんたちに向かって掲げた。

「この花はキズハです。今宵これを手にした方こそ旦那様。どうぞ私を存分におなぶりくださいませ」

 そうして投げた。男たちは花を奪い合い見る影もなくズタズタになる。キズハちゃんは声に出して笑い、踊り続ける。

 わたしは、耳をふさいでその場に伏せてしまいたかった。吐きそうになった。でも、仕事だ。わたしにはやることがある。

「……わざわざ来てくださってありがとうございます」

 ギルド長の息子さんに頭を下げる。そういえば、マダムと一緒にギルド長さんも地方に行っているんだった。息子さんに今月の上納金がいくらになるかを尋ねる。

 ぐしゃぐしゃになったわたしの顔を一瞥して、彼は小さく舌打ちをした。

「気にすんな」

 それがどういう意味かわからず、聞き返そうとする前に乱暴にお酒をあおった。

「さっき、ふとシクラソの歌を思い出しちまった。だから、たまたま仲間を連れて飲みに来ただけだ」

 空いたお酒のカップを置いて立ち上がる。仕事を終えた手下の皆さんも集まってくる。

「俺も、もうじき親父の仕事を引き継ぐ。おまえもしっかり稼げよ」

 わたしは顔を伏せて立ち尽くす。キズハちゃんの楽し気な声が響く。お客さんたちの熱狂も続く。

 部屋に戻って、ベッドに八つ当たりして、いつの間にか寝ていた。

 

 あ……ひどい顔してるな。

 これはもう、笑っても怖いな。お化粧でごまかせるかな。

 そうだ、ケーキを食べよう。どうせならみんなも分も買ってここで食べよう。少しは気分も盛り上がるだろう。

 なんて思って、スモーブさんの店まで行って、わたしは立ち尽くした。


「おー、ルペちゃん。ただいまー」


 てらす席の真ん中で、ハルちゃんが手を挙げて笑ってた。

「や、すぐ店に帰ろうと思ったんだけどね。キヨリが糖分摂らないと今すぐ死ぬとかいうから、まずケーキかって話になってんだ。そしたらルペちゃんと奇跡の再会みたいな~。いいから座って座って。あたしの隣っ。積もる話がすごいあるのー」

 ハルちゃんの正面の席では、キヨリちゃんが死んだように伏せていた。

 スモーブさんが嬉しそうにケーキを大皿で運んできた。わたしはその皿から一個、手づかみで握っていた。

 自分でも、どうしてそんなことをしたのかはわからない。衝動だったとしか。

 振りかぶって投げたケーキは、ご機嫌でわたしを手招きしていたハルちゃんの顔面に、奇跡的な再会をしていた。

「……なんで?」

 顔を白くしたハルちゃんは、そのままの体勢で固まった。わたしは、過呼吸みたいに何度も息を吸って、ようやく声に出す。

「ハルちゃんの、バカアアァァァァァァ!」

 自分でも思っていた以上に怒鳴ってしまった。周りのおじさんたちの視線がいっせいに集まる。

 でも、もう止まらなった。ハルちゃんの顔を見た途端、一気にあふれてきた。

「な、なにが、ただいまだよ……わたしが、どれだけ、ハルちゃんに会いたかったかっ。助けてほしかったかっ。そんなときにいなかったくせに、なん、なんなのよぉ!」

 また涙が出ちゃった。明日また目が赤くなる。だけどもういい、そんなこと。言いたいこといっぱいある。

「ハルちゃんの、そういうとこ嫌いっ。自分勝手で、能天気でっ。他人の気持ちとか考えたことないでしょっ。わたしだっていつも笑ってばかりいられないのにっ。そういうの、わかってないでしょっ。なんでも許す女だと思ってるんだっ。そんなことないんだからね!」

 人が集まってくる。冷やかされる。余計にイライラしてくやしい。今はわたしとハルちゃんの話をしているのに。

 足の悪いヒゲの冒険者さんが、ニタニタと笑いながら言う。

「おう、嬢ちゃん。女のくせにケンカなんてできるのか? まあ、思いっきりやんな。負けたら俺ので慰めてやっからよ」

 恥ずかしくて顔が赤くなる。わたしはすごく怒っているのに。

 ハルちゃんが、テーブルを叩いて立ち上がった。

 ますます周りが盛り上がる。「やれ、やれ」って囃し立てる。わたしたちを囲ってくる男の人の笑い声、吐く息。昨夜のことを思い出して少し怖くなる。

「スモーブ!」

 ハルちゃんが怒鳴った。

 するとスモーブさんが、ケーキの大皿を片手に持ったままお客さんたちとハルちゃんの間に割って入って、片足を大きく上げた。

 まっすぐ、天を衝くくらいに。

 そのままドシンと足を落として地面を震わせる。もう片方の足でも同じように地面を揺らす。そして、ぐっと体を低くして睨みつけると、他のお客さんも気圧されて黙ってしまった。

 普段の彼じゃないみたい。すごく強そうだ。これ、なんていう格闘技なんだろう。教えて、スモーブさん。

「サンキュー、スモーブ……あと悪いけど、そのケーキも全部うちらに売ってくんない? 店の掃除も弁償もあたしとルペちゃんでやるから、これからやること許してよ」

 スモーブさんはこくりと頷く。ハルちゃんは彼の持ってたケーキを一つ取った。そして振りかぶる。

「くらえ!」

 思わず目をつぶったけど、ぱしゃんと弾ける音はわたしの隣で聞こえた。

 わたしを冷やかしていたヒゲの冒険者さんの顔が、真っ白になっていた。

 みんな茫然。だけど、ハルちゃんはご機嫌。

「どーだ、スモーブのケーキの味は。うまいだろ。それが女の子のバクダンだ!」

 その冒険者さんは、顔面にたっぷりとこびりついたリーム草の汁に舌を這わせると――「意外とうまい」と言った。

「いたっ」

 油断していたら、次はわたしの頭にケーキが当たった。

「にししっ」

 ハルちゃんが笑ってる。わたしはムカっときて、スモーブさんに「こっちにもください」とお願いする。

「このぉ!」

 わたしの投げたケーキは、今度は全然外れて、キヨリちゃんの頭にパカンと炸裂した。

 だけど、キヨリちゃんはビクともしないものだから、本当に死んだのかなって心配になった。

「……かんべんしてくださいよ……もう争いは……もう……」

 あ、生きてた。動けないだけでしゃべれるんだ。じゃあ、よかった。

「よそ見している場合かっ」

 ハルちゃんのケーキが飛んでくる。次はうまく避けれた。後ろのおじさんがケーキまみれになった。

 わたしもケーキを投げる。残念、それも関係ないおじさんに当たってしまった。でも知るもんか。わたしは怒っている。近づく人はみんなケーキにしてやる。ハルちゃんと、次々に投げ合う。

「わたしだって、いつもニコニコしてるわけじゃないっ。ムカつくことだってあるし、誰かの悪口言いたいときもあるっ。ハルちゃんと同じなのっ」

「それくらい知ってるよっ。でも言わないのはルペちゃんじゃん。自分の代わりにあたしにばっか言わせてるじゃんっ。まあ、あたしは言いたいから言ってんだけどっ」

「わたしだって言いたいよっ。本当はっ。でも、そんなことしたら――」

「言ってよっ。悪口言おうが文句たれようがルペちゃんはルペちゃんだしっ。あたしだって聞きたいっ。純粋に興味ある、ルペちゃんがどんな毒舌吐くかっ。聞かせてよっ」

「だって他にも言いたいこといっぱいあるもんっ。ハルちゃんと楽しい話がしたい、笑いたい。そっちのほうが元気でるし、大好きなんだもんっ」

「ルペちゃん、そういうとこっ。いい人が出てるから。ママになってるってばっ。もっとお腹を割っていこ。少しずつでいいから、黒い自分も見せていこうよっ」

「じゃあ言うけど、そもそもマダムがおかしいのっ。何日も店を空けるんなら、前日とかじゃなくてもっと早くに教えてくれない!? 店にも心にも準備はいるんだよ!」

「いいね、その調子っ。そういうの欲しかったよ。ていうかマダムいないの!? ルペちゃん、めっちゃ大変だったんじゃない!?」

「そうだよっ。店で号泣したよ、号泣っ。ギルド長んとこのドラ息子にまで同情されたよっ。最悪だった!」

「うわー。あいつ、ルペちゃんを励ます自分に酔ってそー」

「あとキズハちゃん!」

「出た、嬢C。あいつにも何かされたの!?」

「なんかね、いちいち怖いし、いちいちいやらしいの。わざわざ妖しい空気にしてくるのっ。身の危険も何度か感じたっ」

「マジ? あいつ許せねーな、あたしのルペちゃんに」

「でも、いろいろ負けた。勝てないって思った。あの人はやっぱりすごい……」

「うん……おいで、ルペちゃん。よしよししてあげる」

 いつの間にかケーキは売り切れてて(ちゃんと弁償しますし掃除もします、スモーブさん)わたしはハルちゃんの腕の中にいた。

 抱きしめられて、ケーキまみれの体がべちゃってなった。また泣いちゃった。でもそれは今までの涙と違って、すごく気持ちよかった。

 ハルちゃんの背中を抱き返して、わたしは「どこにも行かないで」って言っていた。

「うん。もうどこにもいかない」

 どうせウソでしょって意地悪を言ってしまう。またすぐにわたしをおいて変なところへ行ってしまうんだ。この子は好奇心と行動力のかたまりだから。すぐに友だちを作っちゃうから。どうせわたしなんて。

「行かないよ。あたしのは家と世界はここだ。ちゃんとここの人になる」

 わんわん泣いてハルちゃんを抱きしめる。腕にいっぱい力を入れて、胸の中に閉じ込める。

 ここにいて。わたしの親友。



 などと、恥ずかしい姿を見せてしまったけど、後悔はしていない。あれもわたしだ。わたしの黒いお腹を少し公開しただけ。本体はまだまだだよ。

 あのあと、ハルちゃんにつまらない話をした。わたしがこの仕事を始める前の話。

 最後まで聞いて、「でもルペちゃんってもしかしてママ似?」とハルちゃんは笑った。

 そうなんだよねって、わたしも笑った。

 毎日が慌ただしく過ぎていく。仕事にも精を出し、わたしはほんのちょっと図々しくなる。

 こないだキズハちゃんとケンカして、根負けさせて、とうとう言うことをきかせてやった。

 最近は彼女も少しだけ丸くなった気がする。誰の影響なのかは知らない。聞かないことにしている。

 でもその事件をきっかけに、なぜかマダムがわたしにちょっぴり気を遣うようになった。変な母娘だ。

 せっかくなので、自分の意見も積極的に出していくようにした。店を変えていきたいなと思う。特に嬢たちの待遇改善。

 いつも協力してもらっていた常連の冒険者さんたちに、条件が合う人がいれば「雇う」という形でお願いしたいと伝えた。酒場や二階に立っていてほしいって。それだけでも嬢たちは安心して働ける。

 ギルド長の息子さんとも、いろいろ話せるようになった。嬢たちの仕事部屋と個人部屋を分けたいと相談したら、近くの物件を見つけてやると言ってくれた。仲良くなってみたら、意外といい人だった。

 どうしてそこまでするんだって、怪訝な顔はされたけど。

 だって守らなきゃいけないものは増える一方だ。ハルちゃんがまた大事件を起こしてくれたし。頼れるものは増やさないといけない。毎日忙しい。

 お昼はチバくんと待ち合わせ。ハルちゃんは「やだ」というので、わたしだけでスモーブさんの食堂へ向かう。

「おー、ケーキの姉ちゃん。今週の新作もうまいぞ。ほら、一つ持ってけ」

「どうもです」

 足をケガしていたヒゲの冒険者さんは、元気になってからもこの店に通っている。ケーキが食べたいからって。でも食べすぎだよ。

 他にもケーキをつついているおじさんたちの姿がチラホラ。女の子のお客さんもいる。空いている席を見つけて腰かける間に、いろんな人から声をかけられた。「ケーキの姉ちゃん」って。

 それはそれで恥ずかしいけど、もう一人じゃ食事に来づらいなんて言わない。ここはわたしたちの席。ケーキの姉ちゃんたちの場所。

 チバくんを待っている間に、いただいたケーキをちょっと摘まんで、編み物の続きを始める。

 ちょうどいい毛糸があってよかった。明るい橙色にしてみた。シクラソさんのきれいな髪を思い出させる。だからこれは絶対に可愛い。絶対似合う。

 そう信じて、せっせと編む。まだまだ修行中だけど、もっといろんなものを作れるようになりたいな。ママみたいに。

「おっ待たせ~。いやあ今日も紅、元気に森に修業に行ってたんだけど、最近、全然魔物が出てこなくてさ。軍隊まで調査に来てて俺たちは追い出されちゃったよ。いよいよあれかな。魔王も俺に恐れをなしたって感じで、さすがです紅のエンドレス――あれ、ご飯終わっちゃった?」

 チバくんがいきなりベラベラしゃべりながら正面に座って、ケーキを見て尋ねてくる。別のお客さんにもらっただけだよ、とわたしは答える。

 そうしたら、なぜか不機嫌な顔になった。

「俺以外の男からおごってもらったりするんだ……?」

 こないだ、ちょっと心が弱っているときに泣かされてしまって以来、チバくんはわたしを恋人にでもしたつもりなのか、時々こうして縛るようなことを言う。

「何か問題ある?」

「え、いや、全然!」

 でもちょっと睨むだけで男っぽい顔は引っ込んでしまうので、そんなに気にしていない。

 あとこういうのがイヤなだけで、チバくんのことは嫌っていないので、別に恋人にしたつもりでいてくれてもかまわない。

 今は忙しいから、暇な人とは付き合ってあげられないけど。そのくらいの気持ちだ。

「でも、ご飯は俺のおごりだからね!」

「ありがと。いつもごめんね」

 本当にわかりやすくて笑っちゃう。チバくんはわたしを笑わせてくれる。

 そういう男の子は貴重だ。感謝してるんだよ。すごく。

「いいんだよ、だって……」

 編み物の手を止めないわたしに、なぜかチバくんは照れくさそうな顔をする。

「俺のために、なんかド派手なものを編んでくれてるわけだし……」

「これ? 違うよ。ハルちゃんにあげる帽子だよ」

「え、ハルに? ていうか、帽子にしては小さくない? あいつ角でも生えたの?」

 なんて、とぼけたことを言うのでわたしほうが驚いてしまった。

 あきれた。

 ハルちゃんてば、チバくんにまだ言ってないんだ。友だちなのに冷たいなあ。

「これ、赤ちゃん用だもん。ハルちゃん、お腹の中に赤ちゃんいるんだよ。みんな大騒ぎだったんだから」

「ふーん」

 チバくんは、スモーブさんが運んでくれたお茶の薫りを堪能しながら口に含むと、横を向いて隣のおじさんの顔に全部噴きだした。

 

「ええええええええええええええええッ!?」


 そして、大きな悲鳴を上げながら後ろに倒れていき、ゴチンと地面に頭をぶつけて動かなくなる。

 まるでいつかの殺人事件のような現場に戸惑うスモーブさんに、わたしはお肉料理を二人分お願いした。

 体力だってつけないと。

 ハルちゃんの子どもなら、絶対やんちゃに決まってる。

 わたしもまだまだ、忙しくなる。





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