「ラーメンは青春だ!」(麺処まるわさん×JKハルコラボラーメン記念)
ごぶさたしております。キヨリです。
今日も私たちは、スモーブさんの食堂の『てらす席』(と呼ぶらしいです。屋外の席です)で、お茶を楽しんでいるところです。すっかり日課となった集まりで、気の置けないお友だちといろんなことをおしゃべりしていました。
ハルさんはいつものようにご機嫌で、たくさん冗談を言っています。ルペさんもかわいい声で笑っては、過激な内容になりがちなハルさんのフォローをしています。私はあまり世間を知らないので、ハルさんの冗談も、かえってよいお勉強になります。とても自分には口にできない罪深い言葉ばかりですが。
でも、つまらないことを言ってもちゃんとこの人たちは聞いてくれるし、なぜか笑ってくれるので、ついつい私もここではおしゃべりになってしまうのです。とても楽しいんです。
今日のお茶は、とても薫り高いです。スモーブさんがご自分でブレンドしたそうです。深みがあるのに、爽やかです。少し柑橘系の香りもします。これはひょっとしてハルさんをイメージして作られたんでしょうか。あとでぜひ配合を教えていただきたいです。
ケーキも凝っていて、崩すのがもったいないくらい。こんなに繊細なお菓子を作れる人は少ないと思います。
なんと愛らしい形でしょう。フォークを刺すのももったいなくて、ためらわれます。
でも、勇気を出して一口いただくと、とたんにその優しい甘さにやられます。柔らかな舌触りも嬉しくなります。バニの香りやラズベの酸味が、次々と口の中に現れては、名残惜しく溶けていくんです。
もったいないと思っていたのに、食べたらもう手が止まりません。んーって体が震えます。上品な甘さに全身が喜んでいます。スモーブさんはすごいです。
きっと、ハルさんが喜んでくれるお料理を、真剣に考えて作っているからこそなんでしょうね。その強く優しい想いが、体の奥まで染み渡り、とても暖かい気持ちになれます。
ご相伴に預かれて私は幸せですね……本当に。
―――突然、お皿とカップが激しい音を立てました。
クリームのついたフォークを握りしめ、ハルさんが両拳でテーブルを叩いたのです。
私とルペさんは、驚いて肩をすくめます。周りのお客さんたちもこちらに注目しています。ドスドスと、スモーブさんまで厨房から出てきます。
ハルさんは、ゆっくりと険しい顔を上げ、言いました。
「ラーメン食いたい……!」
私たちは、揃って首を傾げます。
『らーめん』とは、何のことでしょう。
わかりませんが嫌な予感がしますので、内心でハルさんに代わって神に謝罪の祈りを捧げながら尋ねます。
また、いつものいやらしい冗談でしょうかと。
*
「言わないよ、そんなことっ。そうじゃなくて、ちゃんとした食べ物の話。ずるずるっとして、体が温まるやつ。こう、びろーんと長くて、スープもこってりして、めっちゃうまいやつ。知ってる?」
ハルさんは真っ赤になって怒りました。
どうやら『らーめん』なるものを本気で食べたいらしく、たどたどしい語彙力で説明しています。
めっちゃうまい、ずるずる、こってり、ですか。
見当もつきません。『こってり』とはなんでしょう。スモーブさんも思い当たるものはないらしく、太い首を傾げっぱなしです。外れそうで怖いです。
「やっぱ、ここにはないか……」
ハルさんは、がっくりしてしまいました。
なんだか、かわいそうな気がします。私しか知らないことですが、彼女と紅の千葉さんは違う世界から来た人。勇者様なんです。全然そうは見えなくても。
なので知らない世界で大変な暮らしをなさっているのですが、前に少しだけ聞いたところによると、ハルさんのいた世界とこちらは似ている部分がかなり多いらしく、暮らしていく上で困ることはそんなにはないと言っていました。おそらくですが、神様もそういう世界から勇者を選ばれたのかと。
でも、違うところも当然ありますし、技術や原料、仕組みがそもそもないものであれば、いくら欲しくても、彼女たちには手に入れることが出来ないそうです。
たとえば、その『らーめん』みたいに。
「でも、一度食べたくなったら、忘れられなくなるのがラーメン…ッ!」
ハルさんは頭を抱えて苦しみ出しました。何なんでしょうか、らーめんとは。あぶない植物でしょうか。
「そんなに食べたいんだったら、ハルちゃんが自分で作ってみれば?」
ルペさんが、のんびりと鋭い解答を出します。ハルさんは、こう見えてお料理が上手だそうです。『夜想の青猫亭』で出すお食事を作ることもあるそうです。
「無理なの。あたし、作り方を知らないものは作れないから。ラーメンって難しいし。まず、麺っていうのがスープの中に入ってるんだけど」
ハルさんは、両手で何かを掴んで、千切るような仕草を何度かします。
「こんな感じ?」
確かにこれは、大変そうだと思いました。
それでもスモーブさんは、「なんとかします」と力強く頷いていました。
*
「たぶんだけどさー。麺はスポンジケーキ生地のお砂糖抜きでいいのかなって気はするんだよね。ほぼ同じかもって予感してる」
お店の厨房を使わせてもらって、ハルさんのあいまいな記憶による、らーめん作りが始まりました。
まずは『めん』というものです。
「出来たらそれを、うにーって伸ばすの」
スモーブさんの大きな手が、生地をうにっと引っ張ったところで、弱々しく切れました。
これ、伸びるんですか? 延ばすのではなく?
私もこう見えてクッキーなどは得意でよく作るのですが、こんなやり方で伸びる生地だとは思えないです。
「でも、伸ばしてるの見たことあるもん。ラーメンって、細くて長いんだよっ」
ハルさんは懸命に説明しますが、そもそも正しい作り方を彼女も知らないのに、私たちに伝わるはずがありません。お互いに歯がゆい思いをしています。
彼女が言うには、『めん』というのは、細くて長くて、縮れているそうです。
私は意を決して彼女に尋ねます。
ひょっとして、またいつものいやらしい冗談ではないのかと。
「キヨリはあたしのことをどんだけスケベだと思ってんのよっ。そうじゃなくて、あたしは真面目に麺を作りたいのっ。あー、もうどうしてうまくいかないんだろ……小麦で作るのは間違いないはずなのになー」
「コムギ?」
ルペさんが、聞き慣れない単語に反応します。ハルさんは「あー」と頭をかいて、「ギムリの粉のこと」と言い直しました。
違う世界のものを、こっちの世界の近いものに変換してから説明しないといけない。一番歯がゆい思いをしているのはハルさんですよね。私たちもしっかりお手伝いしないと。
「とりあえず『めん』は後回しにして、『らー』から完成させるのはいかがでしょうか?」
自分でも建設的な意見を出せたと思っていたのですが、「らーってなんだよ!」とハルさんにはツッコまれました。
それを私に言われても、わかるはずはないのですが。
「え……『ラー』ってなんだろ?」
ハルさんも自己ツッコミしながら首を傾げています。そこが不明であるのなら、私たちは何を作ろうとしているのでしょう。
「でも、そうだね。先にスープから作ろう。たぶんそれが『ラー』だ」
らーめんとは、スープの中に『めん』や他の具材を入れたものだそうです。そう言って説明してもらえれば、なんとなくですがイメージできる気がします。『スープ』や『シチュー』といったメニューはハルさんのいた世界にもあったそうで、それに近いものではないかと思われます。
ちなみにスープの作り方といえば、フォンの根やガラの実などを煮込んだものに味付けするのが一般的ですが。
「確か……動物の骨でだしを取ってたはず」
ハルさんのつぶやきに、鳥肌が立ちました。
そんなのを食べるなんて、聞いたことがありません。ルペさんもスモーブさんも、驚いた顔を見合わせます。
「え、待って。私の住んでたところでは普通なのっ。本当に美味しいのっ。うそでなく!」
それにしても衝撃が強すぎました。肉を食べるだけならわかるのですが、骨を使うなんて。お肉をいただいたあとの骨は、業者さんが粉にして地に返すのが私たちの常識ですから。
そういえば、ハルさんは楽器を弾くのにも動物の骨を使っていたらしく、ルペさんが木で彫ってあげたそうです。
文化の違いというのは、驚きですね……。
「……ごめん。うそ。フォンの根でいい」
私たちが困っているからでしょうか。ハルさんは引き下がりました。
こちらのやり方でスープを作ります。正直、みんなホッとしていました。フォンをじっくり茹でると、とても美味しいスープになるんです。茹ですぎると油が出てしまうので注意が必要ですが、本当に上品なスープになります。
らー、というのは結局わからずじまいですが、ハルさんの好きなソイのソースで味付けをして作ることにしました。
「麺は焼くんじゃなくて、茹でるんだよね」
ケーキ生地を茹でる、というのは初めて聞きます。スモーブさんが先ほどの麺を平たくして細く切り、お湯に入れました。
鍋の中で、生地は千切れたりくっついたりして、不細工な形になっていきます。それを見守る私たちの表情も、相当不細工になっていたと思います。
茹であがったと思わしき『めん』を、スープの中に入れました。これで一応、完成らしいです。本当はもっといろんな具材が載るそうですが、そこは「自由すぎてわかんない」だそうです。自由ってなんでしょうか。
とりあえず、いつもの『てらす席』に戻って、いよいよ実食です。
空気の張り詰める中、一口食べて、ハルさんは「うえっ」と言いました。
「ははっ、なんだこれ。やっぱ無理。ラーメンは無理かぁ」
ハルさんが笑うから私たちも笑いました。味見も遠慮しました。
変なモノを作ってしまいましたね。
そう言って、みんなで笑って―――いきなり涙を落としたハルさんに、びっくりしました。
「……もう、二度と食べられないんだ」
フォークの間から『めん』がこぼれて、スープの中に落ちます。
両手で顔を覆って、ハルさんは絞り出すような声で言います。
「ラーメン食べたいよぉ」
ハルさんの泣いている顔を、私たちは時々見ます。こんな風に、急に泣きだすことが彼女にはあるんです。
シクラソさんを亡くしてからだと思います。きっと、こっち世界でいろいろと我慢するのをやめたのかなと、想像しています。
でも、わかるのはそのくらいです。
彼女が思い出して泣くのは、私たちの想像力では届かない遠い世界のことなので。
「ハルちゃん、そろそろ店に戻らないと。ね?」
ルペさんに背中を支えられながら、ハルさんは帰っていきます。「ごめん」と「ありがと」を、私たちに言いながら。
スモーブさんと私は、残された『らーめん』のお皿の前にポツンと(スモーブさんは「ボッツン」という感じですが)立ち尽くすだけです。
おそるおそる彼の顔を見上げると、真っ赤になって、唇を噛んでいました。
「え、待ってください」
スモーブさんが床を響かせながら厨房に戻っていきます。嫌な予感がして私は「失礼します」と中まで追いかけます。
ぐらぐらと沸騰する大きな鍋の前で、スモーブさんは鳥の骨を握りました。
「いけません!」
骨は地に返すもの。鳥や獣は命とお肉だけいただき、残りは原初の神に戻さなければなりません。植物の栄養にするのです。それが私たちの神の教えです。
食材にするなんて、シスターとして看過できない行為です。
「ハルさんは、違う文化の国から来た人です。私たちが真似してはいけません」
スモーブさんは、骨を元の場所に戻しました。それでも、大きな体は震えていました。
私は、そっとその背中に触れます。治癒のためでもないのに男の人に触れるなんて、はしたないとは思いますが、そうしないといけないような気持ちになってしまったんです。
「『らーめん』は、私たちには作れません。あきらめましょう」
スモーブさんは、何も答えてくれませんでした。
私もなぜかこの場を離れるのがためらわれ、店が閉まるまで、厨房のすみにスモーブさんと一緒に座っていました。店主のお父様も、どこまで察しているのか、私たちのことはほうっておいてくれました。
静かになっていく店内で、別の世界について考えます。
ハルさんと紅さんの生きてきたところは、きっとここよりも厳しくハードな世界だったのでしょう。モンスターも獣も大きく、食べるものも少なく、骨すら食べなければならないほど過酷なんです。
らーめん、というのもハルさんの世界ではご馳走だったに違いありません。命を削られるような熾烈で貧しい毎日の中、温かいスープが唯一の楽しみだった彼女の生活を思うと、涙がにじんできてしまいます。
ふと、スモーブさんが何かをつぶやいているのに気づいて、見上げました。
「味は……こってり……思い出すと忘れられない味?」
スモーブさんは立ち上がると、「こってり?」ともう一度言いました。
ハルさんの説明で、私たちのわからなかった単語です。ひょっとしたら、いやらしい意味かもしれないので、あまり口にしないほうがいいのかもしれない単語です。
「ハルさんは薄味が好きなので、そのつもりで作ったんですが」
スモーブさんは、種火になっているコロナの実にエネオの束を投じます。大きな鍋でお湯を沸かし始めます。
「思い出したら忘れられない味、というのは、それだけ印象の強い濃い味、なのかもしれないです。こってりは、濃い味のことかも。自分の料理の味とは違うんだ……」
一瞬、また骨を入れるつもりなのかと思って焦ってしまいましたが、スモーブさんが入れたのはフォンの根とガラの実、その他にもたくさんのスープ素材でした。
普通じゃ考えられないくらい大量に入れて、火をさらに強くしました。
「朝まで、スープを煮出します。油も味も強く出るので、きっと濃い味になります」
そして次に、ギムリの粉に塩と水を混ぜて、こね始めました。
「ギムリの粉は、こねればこねるだけ弾力が出て、クッキーやケーキも固くなります。『めん』もきっと、よほどしっかりした生地じゃないと。ギムリだけでどれだけ伸びるのか、試してみます」
大きな手でギムリを固めて、何度もつぶしています。
お鍋の音と、スモーブさんが重たい体が生地をこねる音。
私にしゃべっているのかと思っていましたが、スモーブさんの声はどんどん小さくなり、独り言になっていました。
「スープにも、工夫がいる。濃くて油っぽいだけじゃ、きっとダメだ。ハルさんの好きな味で、濃いまま調整しないと……」
私のことは、もう眼中にないみたいです。丸めて、つぶして、ブツブツとスープのことを考えています。
勇気を出して、後ろから声をかけました。「まだ諦めないんですか?」と。
スモーブさんは「はい」と答えてくれました。
「やれるだけは、やってみようかと」
同じ作業を続けながら、ずっと彼は『らーめん』のことを考えています。
ハルさんのことが本当に大好きなのですね。あの人のために、いつも真剣に料理をされているんですものね。
とても大きな背中なのに、なぜかちょっと遠くに見えました。どうしてか、急に寂しい気持ちにもなってしまいます。
自分でもよくわからないまま、私はまた余計なことを口に出していました。
「スモーブさんって、ハルさんのためならがんばりますよね」
どうしてこんな、意地悪な言い方をしてしまったのか自分でもわかりません。恥ずかしくて顔が熱くなりました。
でも、背中を向けているスモーブさんは私の恥など知らず、かえって照れくさそうに肩を揺すります。
「お客さんの食べたいものを出せないのが、くやしいだけっす」
その言葉の、どのくらいが本心で、どれだけが照れ隠しなのか、私にはよくわかりませんでした。
そもそも人の気持ちを推し量るのが苦手という欠点のあるシスターです。時々は自分のこともわからなくなるほどです。とりわけ、男の人の考えていることなんて全然わかりません。
ですが、その「くやしい」って言葉は、私の心にスッと差し込んできました。
そうです。私も「くやしい」です。『らー』だか『めん』だか知りませんが、ハルさんを泣かせるなんてあんまりじゃないですか。
ぼさっとしている場合じゃなかったんです。やれることをやらないと、ですよね!
「どいてください。代わります」
「え?」
「これでもクッキーぐらいは作りますので。生地をこねるのは私がやりますから、スモーブさんは最高のスープを考えてください」
「さ、最高、ですか……」
そう、最高のです。
想像を絶する世界で戦い続ける人々が、ホッと心から一息をつける濃厚な癒やしの一杯です。
生半可な味ではないんです。
「……ポタの根をすりつぶして、スープにのばしてみるとか……」
「いいですね。優しい『こってり』って感じです。でも、濃すぎたりしませんか?」
「こってり、しても食べやすいように、乾燥させたトメの実で酸味と旨味を重ねます」
いや、とスモーブさんは天井を仰いで、「香りもいる」と目を閉じました。
「……トメの実はお茶につけて、香りを出します」
「いいですねっ。スモーブさんのお茶、私は大好きです!」
「え?」
スモーブさんは、驚いた顔をして私を見ます。
何か変なこと言いましたか?
「大好きですよ?」
もう一度言いました。スモーブさんはなぜか赤くなり、「ありがとうございます」とモゴモゴ言いながら、よろけてバケツをひっくり返していました。何をしているのですか。
「さあ、スモーブさんは急ぎ『らー』を試作してください。『めん』は私にお任せください」
「は、はい」
なんだか楽しくなってきました。スモーブさんの初めてのお料理を、私は一番近くで見て、お手伝いもしています。
絶対に、ハルさんを驚かせてみせるんです。スモーブさんの『らーめん』が!
「世界を超えますよ、スモーブさん!」
「せか……え?」
「超えましょう!」
「は、はい!」
そうして明け方くらいになって、ようやく最初の一杯が出来上がりました。白いスープに赤と緑が映えて、とてもかわいらしいお料理です。
スモーブさんは、私に試食にさせてくれました。緊張します。でも、とてもいい匂いで、じつは一晩何も食べていない私のお腹はさっきから鳴りっぱなしでした。
細いままスープに沈んでいる『めん』を、フォークに絡めて口に運びます。
「んっ」
思っていたよりも強い塩気と匂いでした。でも、『めん』と一緒に噛むとポタのまろやかさが口の中に広がり、ギムリ本来の味まで浮かび上がってきます。トメの実の香りも、つぶしたギネの葉の匂いも、『めん』がしっかり運んできてくれる感じです。
なんでしょう、これ。上手に表現できません。
間違いないのは、初めて体験する食べ物だっていうことで、この味と食感が、私の今まで食べてきた物のどこに位置するかを考えると。
「……おいしいです。とても不思議な味ですが」
心配そうにしていたスモーブさんが、拳をぎゅっと握り、突き上げました。そのまま腕を上下させ、変な踊りみたいなことをして、つられて私まで笑ってしまいます。
おいしいと、ただその一言でこんなに喜んでくれるなんて。男の人って、案外単純なのかもしれませんね。
「でも」
スモーブさんは、また表情を曇らせます。
これは『らーめん』じゃないから、ハルさんを満足させられるかはわかりません、と。
この人は、いつも自信なさそうにしているんです。こんなに美味しくてかわいいお料理を作れる人なのに。
「これでダメでしたら、次はアレを入れちゃいましょう」
私は、鳥の骨を入れてある容器を指さします。スモーブさんは、目を丸くして固まってしまいました。
「もうそれしかないじゃないですか。そのときは」
でも、この『らーめん』で充分美味しいと思いますけど。
私は初めての食べ物を堪能します。スモーブさんは、まだこわばった顔で私の食べっぷりを見ています。
そんなに心配しなくても、そのときは別途私から神様に懺悔の祈りを1ヶ月フルコースで捧げてやりますよ。それだけの話です。
ハルさんに追いつくためには、私たちの超えなきゃいけないものはいろいろあるんです。だからあなたも覚悟しましょう、スモーブさん。
*
もちろん、そんなのは杞憂でした。
いつもの『てらす席』で、スモーブさん作『らーめん』を目の前にして、ハルさんはじつに複雑な表情で一口すすり―――じつに不可解な表情で、「なんだこれは!」と叫びます。
「いや、でも、確かに……ラーメンだっ。これはこれでラーメンっ。異世界のラーメンだ、これ!」
ずるずると盛大に音を立てて『めん』を食べ、ぐびぐびと『らー』を飲み(熱くないんでしょうか)、ハルさんは「ぷはぁ」と火照った顔を上げます。
「うぅ……おいしい。おいしいよぉ。ありがとう。ラーメン、嬉しいよぉ!」
私は、隣のスモーブさんに手のひらを向けました。スモーブさんの大きな手が、遠慮しながらそっと触れて離れます。
なんですかそれは。私は思いきりパチンと鳴らしてやりました。
「ふふっ」
ルペさんが、私たちのほうを見て微笑んでいます。目が合うとごまかすように視線を逸らし、なのにもう一度こちらを見てモジモジするのです。
「なんでしょうか?」
「なんでもないよ~。ふふっ。ハルちゃん、私も一口食べたいなっ」
「いいよっ。待ってて、ミニラーメン作ってあげるから。スモーブ、スプーン持ってきて。なるべく大きくて深いやつ!」
「は、はい」
ハルさんは、スモーブさんの持ってきたスプーンにスープを入れ、その中に一口サイズの『めん』を丸めて載せます。器用に他の具材も並べていきます。
「どーぞ」
小さなお皿みたいでした。なんですか、それ。かわいい。私もそれでいただきたいです。
ルペさんは、『めん』にフォークを絡め、慎重に口に運ぶと―――
「こふっ」
湯気と匂いにむせました。私たちは声を揃えて笑いました。
「楽しいね。みんなで食べるラーメンはおいしいね。青春だよ、青春の味!」
ハルさんはずっとニコニコしていて、最後の一滴までスープを飲み干しました。ルペさんも『らーめん』にハマり、追加で一杯食べてしまいました。
ひとしきり『らーめん』の話で盛り上がっていると、ハルさんは急に「あー」と難しい顔をしました。
「んー、別に、必要ないと思うんだけどね……もう一人、これを食べさせてやろっかなと思うんだけど、いいかな? たぶん、うまいとは絶対言わないし、憎たらしいことしか言わないと思うけど。あたしの懸念と不安は全て踏み抜いていくような男なんだけど。いいかな?」
誰のことを言っているのかは、全員がすぐにわかりました。
*
「は、これがラーメン? なめてんの?」
スモーブさんの『らーめん』を一口食べ、紅の千葉さんは私たちの懸念と不安を確実に踏んづけて言います。
ルペさんが、「ふー」とため息をつきました。
「いやいや、何これ。ラーメン道をなめてるの? 言っとくけど、俺はひとたびラーメン店に入ったら、二時間はそこでグルメ漫画を読んでるラーメンの鬼だぞ。勉強の量が違うんだよ。あ、ちなみにラーメンのラーは『引っ張る』って意味な。引っ張って伸ばした麺がラーメンってことだから。俺は詳しいんだ!」
しかも、この人の口から疑問に答えが与えられてしまいました。
ハルさんは、奥歯を噛み鳴らしています。
「それにしても麺にコシが足りないな。グルテンだグルテン。強力粉ってこっちにないんだっけ? まずそれを錬成してからだよなー、麺にこだわるなら。あとスープにパンチが足りないよ。たとえばここに唐辛子をわーっと―――」
「栃木さぁ」
「千葉だけど何?」
「そんなに元の世界のラーメンが恋しいなら、イノシシ型モンスターにでもひき殺されて帰ればいいんじゃね? あんただけ」
ハルさんの限界に到達しました。ちなみに私たちの中で、一番我慢の限界点が低いのが彼女です。
紅のトチギさんも、「あん?」と表情を険しくしました。彼も異様に限界点が低い人です。さぞや戦争の多い世界からいらしたのだろうと推察されます。
「人がせっかく親切にラーメンのこと教えてやってんのに、なんだよその言い方っ」
「教えろなんて誰も頼んでないし。こっちの世界はこれがラーメンだし。それをあんたにも食わせてやろうって親切で呼んでやったんだよ。グダグダつまんないこと言ってないで、さっさと埼玉に帰れよっ」
いつものケンカが始まってしまいます。
でも、千葉さんも文句を言いながら、ずっとスモーブさんの『らーめん』をズルズルしています。忙しそうに。
「帰るのはハルのほうっ。この異世界をRe:クリエイトする無敵のイノディエーター紅のエンドレスレインオルタ様を、こっちの世界が手放すわけねーだろっ」
「うざいよレベルどんづまり。そういうことはあたしの本気を見てから言え。レベル・バインド―――解除」
「何それ。中二病?」
「てめぇぇぇぇぇにだけは言われたくないんだよォォォ!」
ハルさんは、顔を真っ赤にして足をジタバタさせます。
スモーブさんはオロオロしていますが、ルペさんはちょっと不満そうにその様子を見ていました。
彼女は、この二人のことを「仲がいい」っていつも言うんですよね。私にはとてもそうは見えないのですが……。
お二人のケンカは長引きそうなので、冷めてしまう前に、私も『らーめん』をいただきます。もちろんスプーンでミニを作って。
あ、やっぱり強烈なお味。でも体中に染みる感じです。ぽかぽかします。
そういえば、ハルさんはみんなで食べると『せーしゅんの味』と言ってましたっけ。
『せーしゅん』とは、何のことでしょう。私たちに何か関係あるんでしょうか。今度、聞いてみないといけませんね。
どうせまた、いつものいやらしい冗談なんでしょうけど。