真山先生の激しい怒り
ゆかりが歩いて行った方向に視線を移す。
いつものように友達の輪の中心で、皆からいじられて愛されているゆかりの姿が見える。
赤星ゆかりは、クラスの人気者である。外見も性格も可愛らしいので多くのクラスメイト達から慕われている。あの「暴力の鬼」すら、ゆかりに対しては比較的穏やかに接しているようだった。
幸佳も、ゆかりには好感を抱いている。それは、かえで先生に対する恋心とは違い、あくまで友達としての友情ではあるけれど。幸佳は、少し笑った。
ゆかりみたいな可愛い女の子が魔法少女の格好をしたら、さぞかし似合うだろうな、と思ったからである。いずれにせよ、幸佳自身はまだ一度もその「魔法少女」の姿を見た事がない。機会があれば、是非見てみたいものだ、と思う。
そんな他愛もない思考を積み上げながら、幸佳は自分の給食を受け取り、自席に戻った。
礼儀正しく、両手を合わせて、いただきます、と言って食べ始めようとした。しかし、思うように箸が進まない。食欲が無かった。ここで幸佳は、自分の体調がどうも芳しくないようだ、という事を自覚した。
体調が芳しくない原因は当然、アレだろう。
教室の一角で、教員用の椅子にふんぞり返って味噌汁を呑んでいる女教師の姿を、幸佳は複雑な気持ちで見つめた。
真山が一色小学校に赴任して、幸佳達のクラスの担任になってからというもの、幸佳は心身ともに辛い日々を過ごしてきた。真山がヒステリーを起して、怒鳴り散らして暴れる度に、幸佳は自分の心が少しずつ殺されていくように感じていた。
勿論、それは他のクラスメイト達にしても同じことが言えるのだろうけれど。
幸佳は、箸を置いた。
ああ、辛い。
このままでは、給食を全て綺麗に食べ終わる事など到底できそうになかった。
周囲を見渡す。
クラスメイト達は、比較的楽しそうにおしゃべりしながら、給食を食べていた。
ゆかりも、目を輝かせながらアジの干物を食べていた。
箸が進んでいないのは、幸佳だけのようだった。
さて、どうしたものか。
幸佳は、しばらく自分の給食とにらめっこしていたが、やがて、再び箸をとった。
その後、幸佳は頑張って食べようとしたが、結局、味噌汁をどうにか全部飲みほし、アジの干物を半分ほど食べただけで、野菜炒めに至っては、ほぼ全て残してしまった。
そして、給食の時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
他の生徒達と共に、幸佳は席から立って、給食の食器を返却するために、クラスメイト達の列に並んだ。
生真面目で神経質で臆病な幸佳は、自分が給食を残したことについて、少し罪の意識を感じていた。半分残されたアジの干物と野菜炒めは残飯として処理せざるを得ない。
普段は好き嫌いも無く、目の前のメニューは綺麗に完食する幸佳だが、今回はそう言う訳にもいかなかった。でも、まあ、仕方あるまい。
そう自分に言い聞かせた幸佳は、自分以外のクラスメイト達の中にも、給食を残している子供がいる事に気がついた。
最近の子供は、偏食家が多いのかもしれない。そして、列は短くなり、幸佳の番が来た。
幸佳の前に立っている、給食係のクラスメイトが、幸佳の残した給食を見て、不思議そうに言った。
「あれ、柴田?お前、今日は珍しく給食を残したんだな」
「うん、今日は、ちょっと、食欲がなくてね」
「ふうん」
幸佳は、残念に思いながら、アジの干物と野菜炒めを、残飯入れとなっている給食の器の中に入れようとした。そこで、ストップがかかった。
「あんた、何やってるんだい?」
幸佳と、給食係の少女は反射的に身を竦めた。真山の声だった。既に食べ終わって、片付けも済ませていた真山がいつの間にか幸佳達のすぐそばに接近してきたのだ。幸佳は、次第に激しくなる動悸を抑えようとしながら、真山の方に顔を向けた。
「せ、先生」
「聞こえなかったの?何をやっているのか、と私は聞いたんだがねえ」
「これは、その、食欲がなくて」
「柴田、あんた、給食を残そうっていうのかい?」
「ええ、まあ」
「ふざけんじゃねえ!」
いきなり真山が怒鳴ったので、幸佳達は飛び上りそうなほど驚いた。
「食欲がないから給食を残す?そんな勝手な真似が許されると思っているのかい?あんたの給食が出来上がるまでに、どれだけ大勢の人たちが苦労してきたと思ってんのよ!農家の人たち、漁師の人達、給食センターの人達、それから私を含めた学校の先生達、皆があんたみたいなどうしようもないクソにも劣る
クズガキのメシを用意してやるために頑張ってやってるんだよ!それに、あんたが残したアジの干物も、野菜炒めも、全部貴重な食料なんだよ!それを、食欲がないから残すだって?ざけんな!」
一気に捲し立てた真山の剣幕に、幸佳だけじゃなく五年四組の子供達全員が呆気にとられていた。次に、真山は動けずに膠着している幸佳の頭をいきなり手で掴んだ。鷲掴みだった。
「あ、あの、そのっ」
「謝れ!皆に謝れ!」
真山は顔を真っ赤にして、そう叫びながら、そのまま幸佳の頭を給食の器の中へと――即ち、山盛りになった残飯の中へと突っ込ませた。クラスメイト達の間から、悲鳴が上がった。給食係の少女は、唖然としながら、その場に立ち尽くしている。喚き散らしている真山を除いた、全員が震えていた。その中でも、幸佳は混乱していた。唐突な事態に遭遇したために、頭の中がノイズで一杯になっていた。
何だ?何だ、これは?一体、どうなっている?自分は今、どんな目に遭わされている?
幸佳は、肌と鼻と舌で、残飯の感触や異臭や味を体感しながら、思考を整理しようとした。真山は、相も変わらず何事かを叫びながら、両手で掴んだ幸佳の頭をぐりぐりと残飯の山に押しつけていた。
怯えきったクラスメイト達の視線が真山と注がれている中、只一人、赤星ゆかりだけは、顔を伏せていた。
数分後、ようやく怒りが収まったのか、真山は幸佳を解放した。そして、彼女は無言で教室から出て行った。
「柴田さん!だ、大丈夫?」
真山が教室から退出するのと同時に、ゆかりが駆け寄ってきた。幸佳も、呻きながら顔を上げた。
残飯まみれになってしまった幸佳の頭を、ゆかりはハンカチで拭おうとする。
「いいよ、赤星さん。大丈夫、自分で拭くから」
掠れた声でそう言った幸佳は、自分のポケットからハンカチとティッシュを取り出した。
「ううん、私にも拭かせて」
ゆかりは、幸佳の制止にも構わず、幸佳の顔を優しく丁寧に、自前の可愛らしいレースのハンカチで、そっと拭き始めた。
「ごめんね」
ゆかりは、呟いた。
「どうして赤星さんが謝るの?赤星さんが謝ることなんて、何もないんだよ?」
「うん、でも、でもね、ごめんなさい、柴田さん」
ゆかりは、それ以上何も言わず、ただ、幸佳の顔を綺麗にする作業に没頭した。他のクラスメイト達は、ただその様子を見つめていた。
どこかで、鳥の鳴く声が聞こえた。
真山徹子先生が、再び大爆発しました(汗)。生徒達は大変だ・・・。
物語は、少しずつですが動いていますので、不快に思われるかもしれませんが
どうか読んでやってくださいませ!