かえで先生の家
数分後、幸佳は白石かえで先生の自宅にお邪魔していた。
「遠慮しないで上がって。散らかっているけれど」
「お邪魔しまーす」
かえで先生の家は、良い香りがした。彼女の性格が反映されているのか、家の中は綺麗に片付いており、趣味の良いインテリアなどが並んでいた。
「綺麗なお宅ですね」
「そう?ふふっ、ありがとう」
玄関先で靴を脱いで上がり込んだ幸佳は、きょろきょろと周りを見回しながら、かえで先生の案内でリビングへと足を進めた。
「さあ、座って」
そう勧められて、幸佳はソファに座り、一息ついた。
「ちょっと待ってて。今、お茶を入れるから」
そう言ってキッチンへと足を進めるかえで先生の背中に、幸佳は慌てて声をかけた。
「いえ、お構いなく!」
「遠慮しないで。すぐに仕度できるから」
かえで先生は、ひらひらと手を振って、戸棚に手を伸ばした。ソファに腰かけたまま、幸佳は改めてゆっくりとリビング内を見回した。心地よい空間だ、と思った。疲れた心と体が少しずつ癒されていくのを感じる。幸佳は肩の力を抜いて、リラックスした。元々、緊張しやすい性格なのだが、この部屋にいると自然と強張ったものが解きほぐされていくようだった。次にテーブルの上を見ると、一冊の本が置いてあった。辞書のように、大きくて分厚い本だった。ソファから立ち上がって、テーブルに近づいて、その本を手に取った。重い。これは一体何なのか?一瞬躊躇った後に開いてみると、どのページにも意味不明な図や単語が書き連ねてあった。とても読めない。意味が分からない。そもそも、日本語ではない、別の国の言語で書かれてあった。
「魔法学大全、よ」
背後から声が聞こえたので、幸佳は飛び上って驚いた。
「うああぅあう!」
あられもなく叫んだ。思わず、手にした本を取り落としそうになった。
「もー、そんなに驚かないで、柴田さん」
紅茶が注がれたティーカップとクッキーを乗せたお盆を持った、かえで先生が苦笑しながら、幸佳の後ろに立っていた。
「か、かえで先生!ご、ごめんなさい、これは、その、この本がちょっと気になって」
「何言ってるの、謝る必要なんて無いわ」
かえで先生は、お盆をテーブルの上に乗せた。
「は、はい・・・あの、かえで先生」
「なに?」
「あの、さっき、先生は、この本が魔法学大全だって」
「そうよ」
魔法、という単語が幸佳の心を捉えた。
謎に包まれた正義の魔法少女が、最近、この町に出没している、という噂。
魔法少女の正体が誰なのか、気になっていただけに、魔法という単語は現在の幸佳にとって重要なワードだった。
「どんな本なんですか」
「言葉通りよ。世界中の魔法に関する知識や知恵や素養などが、その本の中には詰め込まれているの」
「はあ・・・・・・」
よく分かるような、分からないような返答だった。
「こういう本を読むのが、私の趣味なのよ」
椅子に座ったかえで先生は、微笑んだ。つられて、幸佳も座った。これで、幸佳とかえで先生は向かい合って座る形になった。テーブルの上では、お盆の上に載せられたティーカップの中で、紅茶が湯気を立てていた。
「それにホラ、知ってる?最近、この町に謎の魔法少女が出るって噂が、学校の中で流れているんだけど」
「あ、はい!知ってます知ってます!」
あの噂を、かえで先生も知っていた。その事で、幸佳は何となく嬉しくなった。
「あの噂を聞いて、私も少し興味を持ったわ。だからね、私、ちょっと、こういう本を読んで調べてみようと思ったの」
かえで先生は、「魔法学大全」という本の上に手を置いた。
「さあ、冷めないうちに、紅茶とクッキーを召し上がれ」
「は、はい。いただきます」
幸佳は、ティーカップを手に取った。
それから、幸佳はかえで先生の話を十数分間にわたって聞いた。
主に魔法、というものの概念について。その歴史や、さまざまな説について。
かえで先生によると、魔法は確かにこの世に存在する、との事だった。
ただ、その存在は一般的には知られていないだけで、確かに「ある」のだそうだ。
様々な魔法使いや、その使い魔の種類などについても、話を聞かせてもらった。
それから、人々に害をなす「魔物」の存在についても教えてもらった。
はっきり言って、幸佳にはその内容が全くと言っていいほど理解できなかったが、かえで先生とお話ししているだけで楽しかった。
この時、幸佳にとって大切なのは、魔法の有無などではなく、好きな女性と過ごす時間そのものだったのである。
「・・・そして、噂の魔法少女について、なんだけど」
長々と話し込んだ末に、話はここに戻ってきた。
かえで先生の講釈を聞くだけだった幸佳は、自分からも情報を提供したいと思い、口火を切った。
「私ですね、あの魔法少女の正体は、私のクラスの赤星さんじゃないか、と思っているんですけど」
「え?赤星さんって、赤星ゆかりさん?」
「はい、そうです」
「どうしてそう思うの?」
「私のクラスの女の子達が、謎の魔法少女の正体は誰か、って事について話していたんですけどね、その時、赤星さんの態度が不自然だったんですよ。妙に慌てていたというか」
「ふうん・・・」
「その後、私も赤星さんに尋ねてみたんですけど、やっぱり、不自然な様子だったんで」
「・・・そう」
「まあ、根拠なんて、それだけなんですけど」
幸佳は笑った。根拠とすら言えないことだったが。
「赤星さんは、勿論私と同じまだ小学生ですし、理由はどうあれ、魔法少女の格好をしていても恥ずかしくない年齢だと思うんですけど。魔法少女っていうぐらいだから、その正体は私らと同じ子供なんでしょうし」
しかし、かえで先生はゆっくりと首を振りながら言った。
「そうとは限らないわよ、幸佳さん」
「え?」
幸佳は虚をつかれた。
「魔法少女の正体が、あなた達と同じ子供だとは限らないって言ったのよ、柴田さん」
「あの、それは、どういう・・・」
「私の調べたところによるとね、この世には、大人が魔法少女になって活躍する例もあるらしいの」
「は?」
「ある文献によると、自らの内に秘められた魔力を解放する際、子供の姿になってしまう魔法使いがいるらしいのよ。だから、もし、この町に出没するっていう、魔法少女もその類だとしたら・・・」
妙に真剣なかえで先生の言葉に気圧されつつも、幸佳は考えた。そして言った。
「もしかしたら、かえで先生みたいな大人の女性が、魔法少女の正体かもしれないってわけですね?」
「そうよ」
「まさか、かえで先生がその魔法少女だったりして」
勿論、幸佳は冗談で言ったのだが、かえで先生は微笑むと首を横に振って、こう言った。
「違うわね。残念ながら」
「ですよね」
「なりたかったけどね」
「へ?」
「私ね、昔からずっと正義の魔法少女に憧れていたの。お話の中の魔法少女は、正義のために戦い、そして邪悪な魔物を打ち倒す。私の憧れだったわ」
「そ、そうですか」
かえで先生の、思いもかけない一面を見た気がして、幸佳はたじろいだ。
「でも今は、しがない教師だけどね」
そう言ってかえで先生はクッキーを手に取った。
その寂しそうな様子を見て、幸佳は胸が苦しくなった。
だから勢い込んで言った。
「魔法少女なんかじゃなくたって、かえで先生は十分過ぎるぐらい素晴らしい人ですよ」
「え?」
「私は、かえで先生が好きです」
そう思わず告げてから、幸佳は自分の顔が熱くなるのを感じた。真っ赤になった。
しまった。
つい、その場の勢いに任せて、告白してしまった。自分が、かえで先生に恋心を抱いているという事を。女の子であるにも関わらず、かえで先生という女性教師に特別な気持ちを寄せているという事実を。
何たる失態。
しかし、かえで先生は動じずに微笑んで答えを返した。
「私も、あなたが好きよ、柴田さん」
「え?」
一瞬、自分の恋心が報われたのか、と幸佳は思ったが、すぐにその考えを打ち消した。
そうではない。かえで先生は教師として、生徒である柴田幸佳が好きである、と言っているだけなのだ。
「あ、ありがとうございます、かえで先生」
「どういたしまして」
生徒と教師は、椅子に座ったまま、お互いに向かって頭を下げ合った。
何とも言えない、温かくて緩やかな空気が、流れた。幸佳は、再びティーカップを手にとって、残っていて紅茶を一気に飲み干した。次に、まだ手をつけていなかったクッキーをあっという間に平らげた。
そして、少女は自らの羞恥心を隠すために、話を続けた。
「そ、その、で、ですね、話の続きですけど、私が言いたいのは、かえで先生はとても良い教師だということです」
「そうかしら?」
「そうですよ!かえで先生は、いつも優しくて皆を暖かく包んでくれるじゃないですか!かえで先生は、学校の人気者なんです!私達は皆、かえで先生が学校にいてくれてよかったと思ってるんですよ!かえで先生は、とても素晴らしい教師なんです!」
そう捲し立てながら幸佳は、昔、一色小学校に赴任してきた、かえで先生と初めて出会った時の事を思い出していた。




