トイレに防犯カメラがあると疑った私は左遷されました
私は某大型ショッピングセンターに勤めている。
課長に就任して早三ヶ月が経とうとしたある日、大量の化粧品が盗難にあったとの一報を受け、防災センターに向かった。
そもそもショッピングセンターでの窃盗事件など日常茶飯事で、事故報告書を淡々と記入すれば済む話で大騒ぎするほどの事では無い。
私が防災センターに辿り着くと、いつも暇そうにモニター監視をしている峰さんが声を掛けていた。
「おや、課長はん、どないしましたか?」
私が課長に就任しこの店舗に赴任して以来、喫煙室に向かえば高確率で峰さんに遭遇するので基本的に彼は暇を持て余しているのだろうと思っている。
そんな峰さんの暇つぶしの相手をさせられることも、しばしばあるのだが、特殊な業種のうえ警備会社歴三十年以上のベテランさんだけあって私が到底知りえない話をふってくるため、ついつい興味を惹かれ聞き入ってしまう。
私と峰さんで、いつものように監視モニターを眺めていると、峰さんがぼそっと一言。
「課長はん、知ってまっか?」
「えっ? 何をです?」
「防犯カメラはトイレの個室にもついとりまっせ」
あまりにも不可解な発言で思わず顔をしかめてしまったのだが、峰さんはそんな私の反応などお構いなしで淡々と話を続ける。
「課長の尻の穴も、監視されてまっせ」
「いまいち意味がわかりかねますが、トイレにも防犯カメラが設置されてるってことですよね?」
「そうでっせ」
至る所に防犯カメラが設置されてるのは知ってはいるが、言われるまでは特に意識したことはなかった。が、どこかしらに監視カメラは設置されている。今のご時世、特段珍しいことでもない。しかし、それにしても尻の穴まで監視してるとは流石に言い過ぎだろうと思い、少しばかり反論してみた。
「ありえない話しじゃなさそうですけど、流石に尻の穴の監視はないでしょう」
「してまっせ! もちろん課長の尻の穴だけってわけじゃないですけどな」
「じゃ、じゃあ、どこにカメラがついてると言うんです?」
「――――うーん、これ、内緒でっせ? 水がでるとこあるでっしゃろ? ウォシュレットのぴゅ~っと水がでるところ、そこにカメラがあるんですわ」
あまりにもバカバカしい話だ。本当の話だと仮定しても、そんな卑猥な場所にカメラ設置など犯罪行為だ。世間様がゆるすはずもない。
私が多少怒気を含んだ物言いで反論すると峰さんは平然な顔をして言う。
「課長が信じようが信じまいがついてるんでっせ? 犯罪になるかならないかはユーザーさん次第ですし、あくまで建前は防犯ですから問題ないんでっせ」
「ぼっ……防犯だと?」
「そうそう、防犯なんですわ。個室で盗品のケースを処分する奴もいれば、トイレットペーパーを燃やす奴までいるんですわ。最悪なのが自殺を試みる奴とかいてはるから……なので人命尊重も含めた防犯なんですわ」
峰さんの話しに納得してしまいそうな自分がいるのを抑えながらも、私は更に反論を試みた。
「だっ、だとしてもカメラの設置場所を天井にするとかじゃダメなんですか?」
「ユーザーさん、つまり、お客様のご要望があればどこでも設置しまっせ、うっとこは設置するのが仕事ですから天井が良いって言われればそうするだけの話でっしゃろ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ峰さん、それって大っぴらになったりしたら大変なことになりませんか?」
「だから課長はん、ここだけの話っていったでっしゃろ? まぁ、課長はんが誰かに話したとしても信じる人がいてはるとは思えないから特に問題にはなりまへんなぁ」
私は、窃盗現場のモニターを確認しにきたはずだったが、すでに当初の目的など吹っ飛んでいた。峰さんの話はいちいち筋が通っている。半信半疑の私は何よりも確証がほしい。ここまで聞いたら納得いくまで詰め寄ろうと思い質問をすることにした。
「峰さんカメラがウオッシュレットの場所にあるのは、見てわかるんですか? それに電源はどこから引くんです? そもそも分解されてカメラが発見されたら言い逃れはできなくなりませんか?」
私の質問に億することもなく良い質問やで、と言わんばかりの笑みで答えてくれた。
「カメラの設置場所を目を凝らして見ても素人にはカメラなのか判別つかないでっせ。なので課長はん、あんまし目を凝らしてみーへんほうがええでっせ、たまたまモニターで見てるもんがおったら変人かと思われるで、そうやな、たとえば銀行のATMあるでっしゃろ? あれにもカメラは設置されてるわけやけど気がつきませんやろ? それと同じことなんですわ」
悔しいが、またもや筋が通っている……しっ、しかしだな、今まで、それに気がつかなかった人間がいないとは到底思えない。もし誰かが気がついていれば大騒ぎになっているはずだ。少なくともネット上では、騒がれていても何ら不思議ではない。今すぐネットで調べてみたいという思いにも駆られるが、私の質問は二つ残っているので、まずは聞いてからだと思い、話の続きをしてくれと促した。すると峰さんは楽しそうに次の質問に対して答えてくれた。
「電源については問題あらへん。電池になっとりますがな」
「電池?」
「つまり配線なんかあったら、すぐバレるでっしゃろ? ついでに言っとくと、映像は電波で飛ばしてるんですぜ」
「電池が切れた場合はどうしてるんです?」
「そんときは、うっとこが点検整備という名目で電池を入れ替えるんですわ。うちの製品はカメラの他にも煙探知機がトイレの個室の屋上にも設置されとるので、怪しまれる事もなくできまっせ」
またしても、納得のいく回答だった。しかし最後の質問がまだ残っている。
証拠の現物が見つかったら……いや、今まで発見されてない方がおかしい。
さすがに、ここだけは誤魔化しようがないはずだ。
早く峰さんの回答を聞きたい私は自分から話を切り出した。
「峰さん、分解されてカメラを見つけられたら防犯とはいえ、世間の目は冷たいものになりますよね? その辺はどうなんです?」
「―――うーん、米粒の半分もないかな。カメラのサイズがね。そりゃあ、顕微鏡でじっくり観察したらわかりっしゃるけど、普通の人は埃か何かにしか思わないですわ。課長はんのように知ってしまったら、そこまでされるとわかりしゃるけど、その前に器物破損ですわ」
まっ、まぁ、たしかに知らない人間だと、気が付きもしなければ、そもそも分解などしようはずもない。仮に見つけて騒いだとしても誰も信じてはくれないだろう。
むしろ便器を分解したなど人に言えば狂人扱いされる。
そう考えると、絶対的な否定をすることが私の中では不可能になってしまった。
「でっ、課長はん、ほら、そこ映っとりまっせ」
峰さんがビデオを停止しモニターを指していた。万引きを働く若い女性の二人組が映っているのだが、だからなに? って状態まで私の意識はトイレのカメラの話に侵食されていた。
そんな時、社用の携帯電話が鳴った。ハッと我に返った私は、峰さんに決定的なシーンの映像の保存をお願いし社内メールで送ってくれと伝え、電話に出た。 電話の相手は、新入社員の七瀬由梨だ。どうやら、なにか困ってるようで案件が売場でまで来てほしいとのことだった。
売場に向かうと七瀬由梨が、私に気がつくと暗く沈んだ面持ちで課長と呼びかけてきた。実際話を聞いてみると、新入社員で経験不足からなのかベテランのパートさんに頼り過ぎて仕事の配分の問題で口論となったようだ。
七瀬の隣には、ふてぶてしい面持ちのベテランのパートも佇んでいる。
売場で口論などもってのほかとの判断で二人を面談室に誘った。
まぁ、どれだけ二人の不満を解消し仲裁できるかは私の腕一つにかかっている。
話も終盤に差し掛かろうとした時、七瀬が急にトイレに行きたいと申し出てきた。
七瀬は愛嬌ある顔立ちで女子社員の中では素直で可愛らしい方だ。生理現象はどうにもならない。
トイレに向かった七瀬の後ろ姿を見送りながら、ふと、峰さんのカメラの話を思いだした。
――――まさかな。峰さんの話が本当なら、彼女は何も知らないまま、防犯されることになる……いや、そうではなく盗撮されることになる。
なんともいえぬ複雑な心境に陥る。
そもそも、峰さんは何故、私にこの話を突然ふってきたのだろう?
もしや、防犯センターのモニターでリアルタイムに七瀬のあんなとこ……。いやいや、やはりありえないだろう。
私がそんなことを妄想してるとは知る術のないベテランのパートは七瀬がこの場にいないこといい事に罵詈雑言をぶちまけてくるのだが、私の脳内は、もはや課長の職務をまっとうできる思考になっていない。
むしろ、君のは誰も興味を示さないから安心しなさいと心の中で呟いた。
暫くすると七瀬が戻ってきた。
ベテランのパートの表情は不満そうだが、私は事の真実を一刻も早く追求したい探究心に駆られている。 もはや仲裁などどうでもいい。
そう、カメラの件をもう一度、事実として受け止めてから峰さんに問い詰めたい。
別に見たいわけではないが、気軽に見れる立場の人間は普段から見ているのだ。別にやましい事ではない。れっきとした防犯という名の職務だ。
とにかく今後は喧嘩しないようにと少し投げやり気味に伝え二人を面談室から退出させた私は、真っ先に防犯センターに向かおうと思ったのだが、まずはネットで調べることを優先した。
事務所内の課長席にはパソコンが常備されている。
私に近づきそうな人間が周囲にいないか確認しながら検索サイトに〈トイレ 監視カメラ〉と入力する。が、ネット上では違法なのか違法ではないのかの議論は繰り広げられてはいるのだが明確に犯罪であると明記してるサイトもなければ、意図が明確であれば違法性はないとの見解まである。
常識的に考えれば盗撮なのだが、これだけ議論が繰り広げられていると言うことは原点があやふやに違いないと考え、法律を確認することにした。
するとだ卑猥目的では軽犯罪法に問われる事は理解できたのだが……ただ、監視カメラの場合、犯罪が発生する相当高度の蓋然性が、認められる場合において、被撮影者の許諾なく、あらかじめ証拠保全の手段・方法をとっておく必要性があり、社会通念に照らして相当と認められる方法で行われる場合、証拠能力は認められるとするのが判例の立場であるようだ。
ここでいう社会通念だとせめて天井に設置しろと言いたくもなるが、結局は明確な基準がないグレーゾーンと私は捉えるしかなかった。
ちなみに蓋然性とはある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合い、確からしさ、これを数量化したものが確率とあるが、一言で言えば犯罪が起こりえる可能性のある場所ということだ。それなら、トイレが該当するのはトイレの当然の権利でもあるような気がしなくもない。
峰さんの理路整然とした物言いの裏付けが取れた気がしたのだが、否定的でいたかった私としては困る結果となってしまった。
もうこりゃあ、峰さんに肯定的な立場でじっくりと話を窺うしかない。
そう思って私は、防災センターに足を向けた。途中、従業員トイレが視界に入ったので用を足してからいくことにしトイレの空間の天井を何気なく見上げたのだが煙探知機やスピーカー、火災時に水を散布するスプリンクラーらしきものしか見当たらない。大には用事はなかった私だが、やはりウォシュレットの周囲に隠されてると聞いたカメラが気になり個室に入る。
私は、丹念に水の噴射口を観察した。しかし、カメラだと言いきれるようなものは何一つ見つからないのだが、もし、あちら側で誰かが私の奇行を見て愉快に笑ってると考えたらやはり、ぞっとする。つまり、そう思う私は本気で信じてはいないのだろう。便器を覗き見たまま鼻くそをほじって壁に擦りつけてやった。ふふっ、誰もみてないよな? 見てたら返事してくださいと、くだらないことを頭の中でぼやいた。課長に就任して三カ月。まさか自分がこんな行動を取るとは夢にも思わなかった。
その翌日、私は社長室に呼ばれると唐突に告げられた。
所謂左遷だ。
就任三カ月これといったミスもなく忠実に職務は全うしてきたはずだ。
それがなぜ?
私が項垂れながら社長室を後にすると峯さんが一言。
「おつかれはんでた」
その言葉の真意を確かめることもできぬまま、私は田舎のスーパーの店長として赴任することとなった。