苦くて甘い
シャンデリアがぶら下がった、薄暗がりの空間。時折ピンクだったりグリーンだったり。色とりどりの光が店内を照らす。派手なバー。
「やだー、何それ!」
「いいじゃん、ちょっとくらい」
「カワイイよね、ナツちゃん」
「次コレ食べたいなぁ」
「よく言われない?」
「それ良いねー!」
「ねえ、」
「ナツちゃん、聞いてる?」
目の前に突然、隣の男の顔が現れた。嫌でも目を合わせなきゃならなくなる。最悪。
「あ、ゴメン。ボーッとしてた」
本当はカウンターにいるバーテン見てたんだけど。
本音は胸の奥に押し殺して、男に微笑んだ。
「何〜〜超ショックなんだけど!俺の話つまんない?」
「あはは、違うの。ちょっと、お酒飲み過ぎちゃって」
「あ、ナツちゃん酔ってんだ?」
「ん…、みんな、面白いから、つい楽しくって…」
そう言って隣の男に上目遣いで微笑む。分かりやすく男の目がギラついた。向かいの席に座っている美琴が声もなく、ニヤニヤ笑っている。
「ねえ、この後どーすんの?」
「さぁ…。美琴と帰ろうかと思ってたけど、珪くんと良い感じだし…2人どっか行っちゃうのかも」
「あー、そーだよね。じゃあそれならさー俺送るよ」
「えーいいよぉ、一人で帰れるもん」
「いやいや危ないって、なあ?」
とそいつは更に、その隣にいる男に声を掛ける。今まで黙っていたその男は、「そーだな」とこちらを見ずに呟いた。
「本当に大丈夫〜タクシー呼ぶから」
ヘラヘラ笑いながら誘いを断った。今日はそんな気分じゃないし。それより何よりこの男は煩すぎて無い。
今日の合コンはハズレだな、と結論を下し、カクテルを飲み干した。女2、男3のメンバー。美琴が他大学の友達に頼んで寄せ集めたらしい。男が多いからラッキーじゃん、なんて2人で話をしていたけど、結局はコレ。
ふと奥の席の男に目をやった。さっきからずっと黙っている。来た時から全然乗り気じゃないし、明らかに数合わせで来ましたって雰囲気。私たちの会話にも相槌を打つぐらいで、お酒を飲んでばかり。
変な男…。
と、視線を感じたのか男が此方を向いた。吊り目がちな瞳。ドキリとして、咄嗟に視線を逸らしてしまう。
ヤバい、変に思われたかも…。
「そろそろ行こっかぁ〜」
美琴が席を立って、みんなもゾロゾロとバーを後にした。会計はいつの間にか誰かが払ってくれていた。
美琴は先程からずっと隣にお気に入りの男の子を連れている。ザ・爽やか、って感じ。背が高くてスポーツマンで。お互い満更でも無さそうなので、それだけでも今日の合コンは意味があったと思うことにする。
「俺ら、もう一軒行くわー」
「みんな、今日はありがとねっ!菜都、気を付けて帰ってー」
「はーい」
「大丈夫、俺がちゃんと送ってくから!」
「逆に危ないんだけどー!菜都ついてっちゃダメー!」
「分かったー!」
「何それヒドッ」
そんなこんなでバカ笑いしながら、良い感じの2人を見送った。後には残りモノの変てこな3人組。
「てことで、私もここら辺で!2人ともありがと」
「えっ、マジで送ってくって!」
「いいのいいの、そんな遠くないし〜」
「でもさぁ…」
ブー、ブー、ブー…
場違いなバイブ音。一瞬男が黙ったが、鳴り続ける其れに諦めたように、携帯を取り出した。
「珪か、何だよ…。はい、はい、はぁ?」
バーに忘れ物した?キーケース?いやまぁ、店の前だけどさぁ…あー…はー、もう、分かったって、しょーがねーなー…。
男は呆れたように溜息をついて、携帯を切った。
「あー、何か珪がさ、バーに忘れ物したっつーから見てくれって。俺行ってくるから、ちょっと待ってて。すぐ戻ってくるから!」
そう言って男はまたバーの中に消えていった。
流石美琴。
私があの男を鬱陶しがっているのに気づいていて、珪くんに頼んでわざわざ嘘の電話をしてくれたのだ。今の内に逃げろと。
美琴と合コンに行ったら、よくこうして気を使ってくれる。だから分かるのだ。
チラリと隣を見た。面倒臭そうに、煙草を吸っている男。この人は大丈夫そうだ。
「あの、それじゃ、私はこれで」
「…フッ」
聞き間違いかと思った。でも振り返ったその男の唇が吊り上がっていたから、先程の声が笑い声だったことは間違いがない。
「何?」
「いや、調子良い女だと思って」
男は目だけを此方に向けている。背が高いせいか、見下ろされているように感じる。
「なに、それ」
「別に」
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってよ。何なの?」
思わず一歩近付いた。普段ならこれぐらいでムッときたりしないのに、今日はどうしてだろう。思っている以上に、飲みすぎていたのかもしれない。
煙草の煙を吐き出して、男は私に向き直った。
「気の強い女だな」
「誰だって、そんなこと言われたら気になるでしょ?」
「そんな突っかかるなよ」
「だってそっちが」
突然手首を掴まれて、男が歩き出した。急なことに驚いて、「ちょっと、止めて!」と声を出した途端。もう片方の手で口を塞がれた。
「こっち来い」
居酒屋の路地裏に連れ込まれた。尚も声を上げようとしたところを、更に制止される。
「アイツが出てきた」
男の指差す方向を見ると、先程のバーから奴が出てくるところだった。辺りを見回しながら、私たちの姿を探しているようだ。暫くして私たちが居なくなったことに気付いたのか、チッと大きく舌打ちをして、反対の通りを歩いて行ってしまった。
「もう…離して」
掴まれた手首。それに気付いた男は、黙って手を離した。
「乱暴にしないでよ」
睨むと、男は少し眉間に皺を寄せて、呆れたように呟いた。
「助けてやったのに。ちょっとは可愛らしくしろよ」
「何よそれ!?どうしてアンタに…」
「出来んだろーが、アイツに色目使ってた癖に!」
怒気を含んだ声。思わず怯みそうになった。男の怒鳴り声は嫌いだ…煩くて、萎縮する。怖いのに、それでも今の勢いのまま、言葉が口を突いて出る。
「ふーん…、分かった。アンタ、今日、誰にも相手にされなかったから怒ってるんだ。だからムカついてるんでしょ」
「はぁ?よくもまあ、そんな…」
「何か間違ってる?」
私が尚も詰め寄ると、男は何かを言いかけて、けれど諦めたかのように小さく溜息を吐いた。そうして煙草の吸殻を溝に捨てて、腕を組んだ。
「…だったら何だ?」
「え?」
「そうだって言ったら何?あんた、俺に何かしてくれるの?」
見下ろされた冷たい瞳。
何の感情も見出せない冷たさ。それなのに、綺麗だと思った。本当に、唐突に。
「どうしたらいいの」
「俺が聞いてるんだけど。誰にも相手にされない可哀想な男が」
「…本当じゃない」
「意地っ張りだなあ」
男が鼻で笑った。何が可笑しいんだろう。言い負かしたかっただけなのに、付け入られている気がする。居心地が悪い…こんなつもりじゃなかったのに。
「私のことが気に入らないのは分かった。助けてくれたのはありがとう。これでいい?」
「それだけ?」
「何よ、まだ何か!?」
「まだまだ足りねーなあ」
「どうして欲しいのよ、一体!」
「男が女にして欲しいことなんか一つしかねーだろ」
思わず男の顔を凝視した。本気?
男は私の目を真っ直ぐ、試すように見つめている。試されている…どうせお前には出来ないだろうって、顔に書いてある。
「最低」
「何でもいいけど。女を売り物にしてるくせに、その程度なんだな」
男は笑って、私の横を通り過ぎて行く。
待ってよ、逃げるつもり?
「ちょっと!待ってよ!」
思わず追いかけて、男の腕を掴んだ。呼び止められると思っていなかったのか、男は僅かに驚いた表情をしていた。
「それくらい、出来るわよ!馬鹿にしないで!」
「へぇ、そうか」
「今からしてあげる。だから連れて行って」
「本気かよ、あんた」
「そっちが頼んだんでしょ?」
「…ほんっと、可愛くねーな」
「ウルサイ!」
こんな風にホテルに行くなんて初めて。いつもはブリっ子して可愛らしく取り繕っているのに。それも自分が気に入った、優しい雰囲気の人が相手なのに。
なんで、こんな人と一緒にいるんだろ…。
「つーか、アンタの名前何だっけ?ナミ?ユミ?」
「ナツ、菜都!」
「菜都ね。覚えとく」
「そっちは何だっけ?えーと…」
「俺?俺はトモロー」
「トモロー?変な名前…」
近くにある一番綺麗なホテルで、その中でも一番高い部屋を選んだ。
どうせ支払いはトモローだ。せっかくだから飛び切りお金使わせてやる!
「ねぇ、お酒頼んでいい?」
「…いーけど。なら俺のも」
「はーい」
フロントに電話。飲まなきゃやってられない…キツめのやつを頼む。トモローにはもっとキツめのやつ。
暫くカクテルを飲みながら、ダラダラとテレビを見た。広い部屋…お洒落な部屋なのに、全然楽しくない。話すことも無いし、相手はこんなだし。
「シャワー浴びてくる」
グラスを空にして、トモローはバスルームに消えて行った。
ポツンと部屋に置き去りにされる。
ああもう、私何してるんだろう…。
このまま帰ってしまおうかという考えが頭をよぎった。アイツは呑気にシャワーなんか浴びてるし。もし私が逃げ出したらどうするの?私みたいなやつ、絶対信用出来ないじゃん…。
それでも何故か、足が動かなかった。この部屋を後にすることはアイツから逃げるみたいで、悔しかった。
あの馬鹿にしたような顔…崩してやりたい。
「菜都!」
振り返ると、バスルームからトモローがこちらを見ている。ガタイが良いせいか、緩く着たバスローブ姿がいやらしい。
「何よ…驚かせないで」
「アンタも入れば」
「言われなくても入るわよ」
グラスに残っていた液体を一気に飲み干して、トモローの横を通り過ぎた。扉を閉める瞬間、小さく舌打ちが聞こえたが、気付かない振りをした。
顔の化粧は取れないように、シャワーを浴びる。
アルコールが良い感じに回ってきたけれど、全てを忘れられるほど酔えてはいない。それはきっと、まだ心の中で踏ん切りがつけられていないからだ。勢いのまま、アイツと寝ることに。
綺麗に体を拭いて、お気に入りの薔薇のクリームを塗る。髪は無造作に緩く纏めて、頬はほんのりと赤く。バスローブはきっちりと胸元でリボンを結んで、完成。
うん、可愛い。
アイツを落とすことなんて簡単だ。いつもみたいにやればいい。何も言えないようにしてやる。
「おまたせ」
「長い風呂だな」
トモローはベッドに腰掛けて煙草を吸っていた。少しも私を見ることは無い。何なの?
「ちゃんと、綺麗にしなきゃいけないから」
私がベッドの側でじっとトモローに視線を送っていたら、ようやく煙草を灰皿に押し付けて、此方を向いた。
「来いよ」
表情を変えること無く、告げる。気に入らない…どうしてそんなに平然としているの?
言われるがままベッドの上に上がり、トモローに近付いた。彼はジロジロと私の姿を眺めた後、ニヤリと笑った。
「随分大人しいな。どうした?」
「こういうの、嫌い?」
胸元を強調しながら、トモローに顔を近付ける。鋭い瞳…私の考えていることなど全て読み取られているようで、逃げたくなる。
酔いが冷めてしまいそうだ。
「いーや。でも、こうだな」
「っ!!」
痛いくらいの力で、ベッドに押し倒された。突然のことに心臓が飛び跳ねる。両手首を掴まれ、太腿の間にトモローの片足が割り込んだ。
見下ろされている。
優しさなんか微塵も感じさせないその表情に、背筋がヒヤリとした。握り締める掌の力も、容赦無い。
「ちょっと、痛いじゃない!」
「ブリっ子はもう終わりか?」
「…っ、もう!離して!」
思い切り腕を振り払おうとしたのに、それはビクともしなくて。体力だけが消耗されていく。
「逃げられるものなら逃げてみろ」
冷たい瞳だけが目の前にある。
怖い…。
「フッ」
ふいにトモローが、私の手を見て小さく笑った。
「菜都、震えてるぞ」
無意識のうちに、指先が揺れていた。それに気付いた瞬間、部屋を出て行かなかったことを後悔する。でももう遅い。トモローから逃れることなんて出来無いんだ。
「離して…」
「弱いくせに強がるからだ。アンタみたいなのは特に。そういうやつは滅茶苦茶にしてやりたくなる」
顔が近付く。唇が触れそうな距離感。
「いや…、痛くしないで」
太腿に硬いものが当たる。強く、擦り付けられるように。
「分かってる。そんなつもりは無い」
口内に舌が押し入ってきて、ゆっくりと掻き回された。それは驚く程柔らかで、優しかった。そのままなす術も無く、トモローの掌を受け入れる。
怖いと思っていたのに、いつの間にか彼に体の全てを預けていた。トモローの舌や指使いが絶妙で、快楽は恐れや不安なんかを簡単に凌駕する。
「ん…上手い、ね」
「はっ、気に入ってもらえて、良かった」
「慣れてるんだ…」
「さぁ、菜都とは、相性が良いんじゃねーの?」
腰がゆらゆらと揺れる。トモローが僅かに体を揺らしながら、私の良い所を追求する。
「菜都には感謝しねーとな…」
「え?」
「気が強い女も悪くねーってこと」
「なにそれっ、あっ…」
お互いの息遣いが重なって、強く体を密着させた。
あんなに苛立っていたのに、今は何故かこの人に縋りたい気持ちで、背中に回した腕に力を込める。
私を支える腕、髪を撫でる指先、全て暖かい。
どうしてこんなに優しいの?
「あ、も、だめ、」
「菜都、腰、浮かすぞ」
「あっ…いや、イク、んんッ…!」
「はっ…」
体が仰け反る。ビク、ビクと痙攣をしながら、少ししてトモローも果てるのを感じていた。
暫く抱き締めあった後、トモローはゆっくりと自身を抜き出す。
「菜都」
「なに…?」
「何考えてる」
私はトモローに背を向けたまま、ベッドで寝転がっていた。そんな事聞いてどうするのだろう。
「私、何してんだろうって」
「いちいちそんな事考えるな。後悔もするな」
「後悔してるわけじゃない…」
「それなら良かった」
ベッドが軋んで、トモローが出て行くのが分かった。シャワーの流れる音が聞こえてくる。
ベッドにうずくまったまま、動く気になれなかった。
後悔なんかしていない。ただ…。
どうしてだろう、こんな気持ちになるなんて。
「おい、菜都」
「なに」
「どうしたんだ」
再びベッドが軋んで、背後にトモローの気配を感じた。ほのかに石鹸の良い香りがする。
「こっち向けよ」
それでも私が背を向けていたら、とうとう腕を引き寄せられた。仰向けになった視線の先には、トモローの瞳。
やっぱり何の感情も読み取れない。
「何が気に入らねえ?」
「別に」
「また元に戻ったな」
「悪かったわね、可愛くなくて…!嫌なら放っておいて!」
ああもう、どうしてこんな事を言ってしまうんだろう。本当は違うのに。
トモローは黙ったまま私を見ていた。呆れているのか、面倒臭いのか。何を考えているのか分からない。
私たちは暫く見つめ合っていたが、トモローはおもむろに、私の隣に片肘をついて寝転がった。
「素直になれ」
ただ、その一言。
後は、ゆっくりと抱き寄せられる。暖かい…顔を胸に埋めると、強く抱き締めてくれた。
「寂しい…」
どうしてだろう、こんな気持ちになるなんて。
今までも、一夜だけの関係を持ったことは何度かある。それでも、寂しいなんて思うことは無かった。格好良くて、優しくて、気の合う相手であっても…ただその一晩だけで満足だった。楽しくなれたから。
それなのに、何故こんな相手にそう思うのだろう。
「このまま、いなくならないで…。可笑しいの、私、そんなつもじゃ無かったのに。このまま一人にされるのが、怖くて…」
「分かってる。菜都を置いていくつもりは無い」
「ほんと…?」
見上げると、トモローは小さく頷いた。私の頭を軽く撫でながら、呟く。
「俺も、アンタをイジメてやろうと思っただけなのに…おかしいな」
「何よそれ…」
「素直になると、すげー可愛い」
「…っ!?」
何て堂々と、恥ずかしいことを言うんだろう。トモローの顔を見ようとしたら、胸元に顔を引き寄せられた。
「見るな」
顔が熱い。ドクドクと聞こえてくる心臓の音が自分のものなのかトモローのものなのか…。どちらか判断出来ないくらい、頭の中は騒がしくざわついている。
「わ、分かった。これがトモローの手口なんでしょ?そうやって純情ぶって!」
「何だよソレ。まだ疑いたいのならそーすれば?」
「だって怪しいじゃない!あんなにいちゃもん付けといて!」
すると咄嗟に手を掴まれ、トモローの顔が目の前に現れた。
「そういうことがあっても、いーだろ?」
塞がれた唇からは、ただ吐息が漏れる。どんどん体の力が抜けていく。
「…バカ」
辛うじて吐き出した言葉に、トモローはニヤつくだけだ。
なんだか悔しい。
それでも胸には、こそばゆい気持ちが広がっていく。
いつかはやり込めてやりたい。
密かに決意しながら、再び彼の唇に口付けた。