ぼくらのセンス・オブ・ワンダー
人間は忘れる生き物である。
誰の言葉かは定かでないが、名言の一つには違いない。昨日の晩飯を思い出せるのは、今日くらいだ。事実、一昨日の晩飯なんて曖昧である。一週間前となれば、食事どころか、大半のことは忘れてしまう。保健の教科書などにもよく掲載されている、エビングハウスの忘却曲線を見れば、時間と忘却の関係は一目瞭然だ。
それでも、人間である以上、忘れたくないものは山ほどある。勉強だって、天才みたいに一目見て完全記憶してしまえば、労力要らずである。そんな人間はほぼいないだろうし、人間は忘れないために努力をする。些細なことでもメモをとったり、徒然なる日記を書いてはみたり、スマホの写真機能でパシャリと綺麗な景色を(やみくもに)撮ったり……。
たいていの「忘れたくない」を「忘れない」ようにするための、こういった対処方法はいくらでもある。毎日同じことを反復して覚えてしまえば、嫌であっても「忘れなく」なるだろう。
とはいうものの、時間が長らく経てば、どんな記憶でも風化は避けられない。具体性は失われ、なんとなくのぼやけた記憶だけが残る。
そしてなにより、今回で書いてみたい話題がひとつ。
「かつての感性を忘れるという意味」
人間が成長していくにつれて、内面は複雑に変化していく。理論的な考察、筋道だった方法をとる、入り組んだ政治問題を知る、小難しい趣味に食指を動かす……。一般的なこどもの思考回路には不可能な分野も、大人の発達した脳なら容易だ。
反面、小さい頃に抱いていた感性は徐々に「忘れられて」いく。触れるのに全く躊躇しなかった昆虫を気味悪がるようになる。幽霊や超常現象、非科学現象を信じなくなる。動物園へ遠足に出かける楽しみさえ、出張で遠出するサラリーマンが思い出すことはないだろう。
この書き物を読んでくれている読者のなかには、
「昆虫にロマンを感じないヤツはいない!」
「モスマンとかUFOとか絶対にいるでしょ」
「あなたの背中、背後霊いますよ……」
「仕事でも関係なし。飛行機に乗るとテンションあがる」
と、激しく否定したくなる猛者がいるはずだ。本誌の読者なら、数十人は絶対にいると断言しよう。
読者一同の変態性は片隅に置いといて、こうした特殊ともいえる感性を、成長しても保ち続けられる人々はいないこともない。「初心忘らるるべからずの体現」と書けば聞こえはいいが、「全く成長していないっ!」と書けばその通りである。
とにもかくも、オートマティックでステレオタイプな大人が「夢もへったくれもない人間像」で、冒険家やプロスポーツ選手、はたまたUFO・ESP研究家が「夢を忘れない素晴らしき人間像」であるとかいう、偏見まみれのつまらない話に持っていきたいのではない。
個人個人の持っている特殊な感性は、脳内の記憶からなくなったのではなく、ただ「忘れている」だけなのではないか。
そもそも、感性の変化の根本は、環境からの影響に及ぼされやすい。もしゴキブリの唐揚げを主食とする文化に生まれれば、ゴキブリなんてただの食い物にしか思えなくなるはずだし、幽霊の存在がきちんと証明された世界がもしも存在すれば、幽霊と仲良くなれるかもしれない。「おばけなんかいるさ、怖くなんかないさ」という童謡があってもいいのだ。(ただし、呪い殺される保証はしらないものとする)
大袈裟なたとえ話だったが、現実的な話に置き換えよう。かつての昭和時代、タバコはイケてる大人の代名詞であった。映画でもドラマでも、画面の向こうにいるハーボイルドな役者は、すぅーはぁーとタバコを吸っていた。ハナタレ小僧たちは「カッコいいなぁ。いつかあんな大人になりたいなぁ」と感じる。そんなこともすっかり「忘れて」約十年、学生か社会人かはしれないが(※法律上、喫煙は二十歳以上です)、悪友に誘われ、嫌々ながらタバコを吸ってしまった。するとどうだろう。モヤモヤと先っぽから煙立つのを見るや否や、あの日の俳優の気分がふっと思い出された。松田優作みたいだなぁ、懐かしいなぁ、タバコも捨てたもんじゃないなぁ。
そうして昔の気持ちを取り戻した彼は、肺がんで亡くなるまで趣味でタバコを吸い続けましたとさ、めでたしめでたし。
……と、タバコを吸ったことはないし松田優作にも疎いのに、なんとなく書いた妄想話である。内容よりかは、話の流れに注目してもらいたい。
ここでは、「タバコ」がトリガーとなって、記憶に埋もれていた「カッコいい俳優像」が想起されている。思い出された松田優作とは、「忘れていた」幼いながら抱いた感性そのものといえる。きっとこのとき、優作の顔くらいしか思い出せていないのに、「あの日の思い出」はまじまじと感じられているはずだ。
似たような経験、読者はしたことがあるだろうか。
夏空に浮かぶ坂道の入道雲。
久々に通り過ぎる地元の小学校。
親友と大喧嘩した近所の神社。
亡くなった祖母に連れていかれた公園。
引っ越した好きな子からの手紙。
行きつけだった寂れた喫茶店。
どんな大人でも一人ひとり、異なった「忘れている」思い出があるだろう。でも、きっとどこかに、置いてけぼりをくらっている感性と、静かな眠りについているだけなのだ。
決して、「あの日のあなた」は色褪せてはいない。
大人になったつもりで、なかなか大人にはなれない。
それを認めたって、わたしはいいと思う。
* * *
「センス・オブ・ワンダー」という言葉がある。レイチェル・カーソンの著作タイトルが由来となる言葉だ。SF好きなら必須ワードである。元々の意味は「自然から不思議な感覚を享受する感性」という意味であり、現在では、「SFやファンタジーにおいて、とある対象に関わることによって、ある種の不思議な感動や心理的感覚を表現する」ための言葉である。詳しくは、インターネットで調べましょう。
SFはなかなか取っつきにくいマニアックな分野だが、あまり詳しくない自分でも、この言葉には惹かれるものがある。
とはいうものの、SFを評価する界隈では安売りされている言葉らしく、よい作品に「この作品、まじセンス・オブ・ワンダー!」とかは避けるべきだろう。
まぁ、こんだけ書いといてなにを言わんとしてるかというと、「たまには地元に帰って、あなただけのセンス・オブ・ワンダーでも探すと、いい作品アイデアが思いつくかもよ」というのが、他の作家さんにも伝わるといいなぁ、とかそれだけのことなのである。