指標
「よし。じゃあ五人揃ったところで、本題に移ろうか」
相変わらず、進行役は尾崎さんが務めているらしい。適任なので、別段文句はないのだけれど。
「原田さんが気を失ってる間に話したことなんだが――まずは、各々(おのおの)の指標を決めようか。その方が効率的だ」
「指標、ですか」
「そう。無闇矢鱈に資料を引っくり返したところで、犯人の氏素性が分かる訳もない。いくら我々が被害者当人でも、データが豊富に揃っていても、ね」
それは、最初から分かっていたことなのだけど。
「そこで、指標と言うか、行動目標を決めようと思う。各々が気になる部分、引っ掛かる部分をピックアップし、明確化し、どうすればそれが明らかになるか、手段を選択し実行に移す。もしかしたら、それが何か、思い出すきっかけになるかもしれない」
立板に水のごとく、スラスラと言葉が出てくる。
「それに、これは役割分担にもなる。一人であれこれ考えるのは、やはり効率的ではないからね」
「要するに、各々が引っ掛かっている部分を、各々で突き詰めて考えてみましょうってこと」
如月さんが、えらくざっくりとした要約をする。
「ま、そういうことだ。前置きが長くなったね。早速、一人ずつ聞いていくことにしよう。まずは、如月さんから」
「あれ? 店長から言ってくれるんじゃないの?」
わたしもそう思っていた。こういう場合、言いだしっぺが最初に発表するものだろうに。
「……うん、ちょっと、思うところがあってね。申し訳ないが、私の考えは最後に回させてもらうよ」
「別にいいけど……えっと、あたしはね、やっぱり、犯人の残した文字を解明したいと思う訳」
言いながら、またスケッチブックを皆に見せる。今回そこに書かれていたのはイラストではなく、五つの文字だった、
「M、V、E、W、そしてJ――これが、犯人からのメッセージなのは間違いない。だけど、警察もあたしたちも、誰もその意味が分からないでいる。でも、必ず意味はある筈なのよ。だから、あたしはやっぱり、ここを糸口にしたいの」
「謎を解く算段はあるのかな?」
「考えは、色々あるのよ。それぞれの文字から始まる単語をピックアップしていって、法則性がないか調べるとか、この五文字が使われた単語、あるいはこの五文字が頭文字になる文章が作れないか、とか――」
「でもそれは、今までもずっとやってきたことだよね」
尾崎さんが反論するけれど、それは恐らく、先を促すためのモノなんだろう。
「それを継続するってこと。新しい文字が増えたことで、さらに絞り込みが可能になったし……考え続けることで、何かを思い出すきっかけになるかもしれないし」
「なるほどね。ちなみに、文字に関して、他に今、何か考えてることはあったりするのかな?」
「そうね……えっと、これはまだ思いつきの段階なんだけど――もしかしたら、この文字って、罪の名前の頭文字なのかもしれない」
「罪の、名前?」
「『セブン』って映画知ってる? ブラッド・ピッドが出てたヤツ」
その映画なら、途中まで見た。グロテスクな描写が多くて挫折したけれど。
「あれ、七つの大罪になぞらえて連続殺人が行われるって話なんだけど――殺害現場には、必ず罪の名前が記してあるのね。大食漢の男は『暴食』、悪徳弁護士は『強欲』、高飛車なモデルは『高慢』で、娼婦の女は『色欲』、みたいに」
「私たちのパターンも、そうだと?」
「かもしれない、って話。あくまで思い付きだってば。……他にも、細々とした思い付きは沢山あるけど、まだまだ煮詰めないと駄目かなあ……」
五つの文字に視線を落としながら、彼女は溜息をつく。少し、意外だった。割と考えなしに喋っている印象が強かったけど、彼女は彼女で、色々と考えを巡らせていたのだ。見直すと共に、心の中で小さく謝罪する。考えなしだなんて思って、すみませんでした。
「うん、じゃあ、如月さんはその方向で、頑張ってくれ。じゃあ、次、大介君」
「オレッスか……」
指名された大介君は、大儀そうに体を起こす。今ひとつやる気の感じられない子だが、大丈夫だろうか。
「オレは、何つーか……五つの事件の、同じとこと、違ってるとこが気になってるんスよね」
「同じとこと、違ってるとこ?」
「オレらって、何にも共通点ないじゃないッスか。お互いに面識がないのはもちろん、住所も職業も年齢も性別も、マジでバラバラ。そんな中でも、何か妙にシンクロしてるっつーか、妙に共通してる部分があるっつーか」
「符合がある、と?」
「例えば、オジサンとセンセー、二人とも殺される前に酒飲んでますよね? これ、何か意味あるんじゃないスかね。二十歳の鹿島サンはギリOKスけど、オレと原田サンは未成年な訳で、つまり完全に大人の二人が、二人とも酒飲んで死んでるんスよ。なんか、引っ掛かりません? もしかしたら、自分で飲んだんじゃなくて、飲まされたんじゃねえかなって」
思いのほか、しっかりした意見だ。と言うか、『オジサン』て。確かにオジサンなのだけれども。
「ふんふん。他には?」
「センセーは事前に右手を刺されていて、原田サンは殺された後に指を潰されている。ここも、共通点っちゃあ、共通点ッスよね」
「そうだね」
「あと、またセンセーの事件ですけど、鹿島サン、何で地元の蓮沼じゃなくて、一駅隣の蒲田に呼び出したんだって話してたじゃないスか。んで、原田サンの事件聞いて思いついたんスけど」
数枚の資料をまとめて持ち、大介君は続ける。
「オレが南浦和で、原田サンが赤羽、でセンセーが蒲田っしょ? これ、京浜東北・根岸線で一本なんスよね。だから、もしかしたら犯人はこの沿線に住んでる奴なんじゃねェかなって」
「なるほど。でも、私は高円寺だし、鹿島君は新宿だよ?」
「そこなんスよ。そこが、『違うとこ』に繋がるんスよね」
「ん? どういうことかな」
「みんなバラバラだって言いましたけど、その一方で、基本、オレらって同じ殺され方されてる訳じゃないスか。携帯で呼び出されて、後から首絞められて、文字残して携帯持って逃げてく、んで指紋も足跡も残さねーって感じで」
「そうだね」
「でも、そうじゃないパターンもあるじゃないスか。一番目立つのは、センセーのやつッスよね。未遂事件があって、絞殺じゃなくて刺殺で――でも、他にも色々あんじゃねェかと思って」
「例えば?」
「オジサンと鹿島サンが路線から外れてるってのもそうですし、原田サンの事件も、たいがいおかしいんスよね。犯人、ミスしすぎ。足跡残してるわ、逃げるトコ見られているわ、ケータイ回収するにしたって鞄の中身ぶちまけてるじゃないスか。なんつーか、前の四件と比べると、メチャクチャ手際悪いんスよね」
身を乗り出して熱く語っている。こちらは口が開きっぱなしだ。
「――もしかしたら、殺したの、別の人間なんじゃねェかなって、思ったんスよ」
「便乗犯って説は、否定された筈だよ?」
わたしがここに来た時に、如月さんがしていた話のことだ。
「違います。便乗犯じゃなくて――複数犯ッスよ。組織とか、グループって言い換えてもいいですけど……」
「あー、そっちに話を持っていくのね……」
大人しく話を聞いていた如月さんが、ニヤニヤし始める。
「あくまで、一つの説ッスよ? でも、そう考えると、謎が一つ解けるじゃないッスか」
「どの謎かな?」
「オレらの共通点は何だっつー謎ッスよ。オレらは多分、皆どこかしらで、その組織に関わっていたんです。んで、なんやかんやあって、その組織の邪魔になった。だから、消された――」
「うーん、中二病だねえ」
例によって如月さんが茶化すが、大介君は見向きもしない。顔つきが真剣なことに気がついて、如月さんは小さく「ゴメン」と呟く。謝るなら、最初から茶々など入れなければいいのに。
それに、大介君は中三だ。
「とにかく、オレは複数犯って説を推すんで。みんながどうやって組織と関わったのか、その組織の正体は何なのか――改めて、全員の身の回りを調べる方向でいきたいと思います」
そう言って、力強く結論づける。わたしは口が開いたまま。
「組織云々はともかくとして、方向性はいいと思うよ。じゃあ、大介君には、私たちの身の回り調査をお願いするよ」
「了解ッス」
何だか、誤解していた。いや、だるそうに見えるのは常態で、やる気がない訳ではないのは分かっていたのだけど。
まさか、ここまで考えているだなんて。
「次は、鹿島君の番だ」
「はい」
続いて、満天の星空をバックに鹿島さんが立ち上がる。
今更だけど、星降る草原で自らが被害者となった殺人事件の話をするなんて、なかなかにシュールだと思う。
「俺は――まず、原点に立ち戻ってみることが重要だと考えます」
無機質だけど無駄のない口調で、鹿島さんは話を始める。
「と、言うと?」
「俺たちが今ここにいる理由です。俺たちは皆、連続殺人の被害者です。しかし、殺された後になってここに集められ、何故殺されたのか、その理由を思い出せと言われている。逆に言えば、そこには必ず殺された理由が存在するということです」
「……それは、みんな分かっていることだけど……」
如月さんが困惑している。わたしも同じ気持ちだった。鹿島さんのことだから、意味のない発言はしないと信じているけれど……。
「だから、それは原点です。殺された理由は、必ずある。それが第一点。第二点は、全員が、その理由を忘れているということです」
「確かにそれは基本だが……」
尾崎さんも戸惑っている。大介君も怪訝な表情だ。
「重要なのはここからです。俺達は、事件に関する全てを記憶から抹消されている。逆に言えば、生前の行動や個人情報をデータと照らし合わせて、さほど昔のことでもないのに全く記憶に残っていなかった場合、それは事件に関係している、ということになるのではないでしょうか」
「逆転の発想、ということか」
尾崎さんが唸っている。
「そう。被害者なのに事件のことを何も把握できないでいるのは、全てこの記憶抹消が障壁になっているからですが――逆に、これは最大のヒントにもなり得る筈なんです。最近のことなのに記憶にないこと、イコール事件に関係すること、と断じてもいいと思います」
「記憶の空白を見つける作業をすれば、殺された理由が見えてくる、って言いたいのね?」
如月さんは目を輝かせている。大人チーム、さすがに理解が早い。
「その通りです。各々のデータを根気強く調べていき、本人の記憶にない部分をピックアップしていく。それが、真相を解き明かすピースとなる。そのピースを集め、嵌め合わせていくことで、全体像が見えてくる――もちろん、あまりにも昔のことや、当人が最初から知らなかったこと、記憶に残らないほど些細なことは除外すべきでしょうが」
「鹿島君は、その作業を担当すると?」
「皆さんの協力が不可欠となりますが」
「……いいだろう。君はそれを進めていってくれ」
さすがに、鹿島さんの言うことは論理的で、かつ建設的だ。一同のリーダーが尾崎さんだとするのなら、鹿島はエース、といったところか。極端に口数が少ないのがネックだが、茶々ばかりの如月さんを見ていると、別にそれも瑕にはなりえないと思えてくる。
「……やはり、この順番で話を聞いていってよかったな。私の話は、今の鹿島君の提案と多少関わってくるんだ」
進行に徹していた尾崎さんが、重々しい口調で話し始める。
「あ、やっと店長の番だね。ずいぶん勿体ぶったけど、一体何を言い出すつもりなのよぅ」
口調こそ冗談めかしているが、彼女の目は笑っていない。如月さんも、何やら嫌な予感がしているのかもしれない。
「私の話は、ちょっと皆を不快な気持ちにさせてしまうかもしれなくて、最後に回させてもらったんだが……」
「一応、覚悟はできてるつもりッスよ」
大介君の口調は素っ気ない。だけど、その言葉に嘘がないことは、すでに知っている。この子は、この子なりに真剣なのだ。
「そうか……うん、じゃあ始めよう。さっき、原田さんに対して一つ一つの事件概要を聞かせたよね? その時、必ず生前の各々の評判を合わせて聞かせたと思うんだが――」
温和で気さく、仕事熱心なコンビニ店長だった、尾崎潤一。
生真面目だが友人の少なかったと言う、医大生の鹿島寛貴。
明るくて気が利くムードメーカーの女性漫画家、如月羽生。
スポーツが得意で友人も多かった、中学三年生の桐山大介。
そして、やはり大人しく真面目だった、高校生の原田瑞穂――。
「正直、どう思った? 胡散臭く、感じなかったかな?」
「胡散臭い、ですか?」
「そうさ。温厚で明るく人望も厚い、あるいは、大人しく真面目で何の問題も起こさない――つまり、誰からも恨まれる人間ではなかったということだ。しかし、これは本当なのかな? 本当に、誰にも恨まれない人間なんてのが、この世に存在すると思うかい?」
真面目な顔でそんなことを言う尾崎さんに、わたしは一瞬、言葉を詰まらせる。しかし、返す言葉は決まっている。
「……いると、思いますけど」
「そうだね。実際、大多数の人間がそうなんだろう。少なくとも、私はそう思っていた」
だけど、だ。
不意に声が低くなり、緊張する。この人は、何を言い出すつもりなんだろう。
「我々は、殺されてしまった。そして今、ここにいる。何故ここにいるのか。さっき、鹿島君が言った通りだ。我々は、殺された理由を思い出さなければいけない。それを思い出すまでは、ここから出られない。では、殺された理由とは、何だろう?」
「だから、それを今から――」口を挟もうとする大介君を手で制して、彼は先を続ける。
「私はね……ここにいる全員が、何らかの罪を犯したのではないかと、考えている」
一瞬にして、場の空気が最大限まで張り詰める。わたしだけではない。如月さんも大介君も、そして鹿島さんまでもが、緊張しているのが伝わってくる。
「罪、って……」如月さんの呟きも、口の中で霧散してしまう。
「刑事事件とは限らない。当人も、それを罪として意識していないかもしれない。よかれとしてやったことが誰かの立場を悪くすることもあるし、当たり前だと思って言ったことが、誰かの自尊心を傷つけることだって、ある。第三者から見れば、それは些細なことなのかもしれない。しかし、当人にとっては大問題だ。ひどく傷つけられたと思い込み、命をもって償わそうと思う人間だって、いるかもしれない」
「いねーよ、そんなヤツ……」
「いたんだよ、大介君。我々がここにいることが、その証だ」
「店長は、私たちが揃って、誰かを傷つけていた、って言いたいの? でも、殺したいほど憎まれるなんて、そんな――」
必死になって冷静を装っているが、如月さんの言葉は後半、声が裏返ってしまっている。
「人は誰でも、被害者面したい生き物だからね」
妙に達観した尾崎さんの声。嫌だ。この人の口から、そんな言葉は聞きたくない。
「尾崎さんは、我々が誰かの恨みを買っていた、という前提で調べを進めていくつもりですか」
鹿島さんだけが、いつもの無表情をキープしている。
「そうだね。それはそうなんだが――その前に一つ、みんなに重大なお願いがある」
一同の顔を見回しながら、彼は続ける。
「さっき鹿島君は、我々は事件に関する記憶を失っていて、それが大きな障壁になっていると説明したよね。しかし、実はもう一つ、障壁があるんだ」
「もう一つ、ですか?」
何だそれ。そんな話、聞いていない。
「原田さんにも、話した筈だよ? データ閲覧の説明をした時だ」
あの時は確か、如月さんが瑞穂のデータを出現させ、生年月日や住所、学校関連の情報に続き、スリーサイズまで読み上げようとして、それで――
「あ……」
「思い出したようだね。そう。我々は、見たいデータを見たい時に閲覧することができる。しかし、そこには一つの制約がある。他の人間に見られたくないデータは、閲覧が不可になってしまうんだ。つまり、暗い過去や恥ずかしいエピソード、闇に葬りたいと思っている黒歴史などは、他人は知ることができない訳だね。今までは、最低限のプライバシー保護のために必要だと思われていたフィルター機能だが――こうなってくると、ただの足かせになってしまう。何しろ、私が知ろうとしているのは、そうした、人に見せたくない部分なのだからね」
背筋が冷たくなった。ここにいる五人の恥部や暗部、裏の部分が、殺された理由に直結しているとでも言うのか。
「ここで最初の話に戻る。我々は全員、『誰からも恨まれることのない人間』だという評価を得ていた、らしい。いや、これは事実なんだろう。ただし、恐らくそれは全てではない。我々のことをよく思ってなかった人間は、確実にいる。しかし、それはデータに反映されない。一人一人が見られたくないと無意識のうちに思ってしまっているからだ。単純に、警察の捜査がまだそこまで行き着いてないということもあるのだろうが――」
誰からも恨まれない人間は存在しても、誰からも愛される人間は存在しない、ということか。
「皆へのお願いと言うのは他でもない。嘘や隠し事は、やめてほしいということだ。我々は自分の力で捜査することはできない。だからこそ、完璧なデータが必要になる。本来なら隠しておきたいような、後ろ暗い出来事も明らかにしなくてはいけない。お互いの質問には正直に答えてもらいたいし、心の中に設定しているフィルター機能も、オフにしてほしい」
嫌だ、と思った。
自分のことは、自分が一番よく知っている。
わたしのことは、わたしが一番よく知っている。
一年の途中、ネットいじめに遭って、クラスで浮いていたこと。それで、抜け殻のような学園生活を送っていたこと――そんなことまで、ここにいるメンバーに知ってもらわなけらばいけないのか。そんなの、どう考えたって殺人事件とは関係ないと思うのだけど。
「オジサンは、オレたちの過去を暴露するつもりなんスか」
大介君の言葉には、明らかに怒気が込められている。自分の過去をほじくり返されるのは、やはり嫌なのだろう。
「暴露と言ってしまうと印象が悪いが――そこは、理解してもらいたい。人が五人も死んでいるんだ。しかも、死んでいるのは他でもない、自分たち自身だ。その真相を明らかにしようとするのなら、やはり、綺麗事だけでは無理なんだよ」
「だからって――」
「分かったわ。店長は、そっちの方向で作業を進めてって」
尚も食い下がろうとする大介君の言葉を遮り、如月さんがさっさと先に進めていってしまう。
「ちょっと、センセーまで……」
「大介クン、ここは冷静になって」普段のおちゃらけた雰囲気は微塵も感じさせず、彼女は言う。「そりゃ、黒歴史を暴かれるのは誰だって嫌だけど――やっぱり、真相を知るためには、これは必要なことなんだよ。それに、店長だって、こんなのは嫌な筈だよ? 嫌に決まってる。言ってみれば、嫌われ役、汚れ仕事な訳だからね。そこを、最年長の店長が自ら引き受けるって言ってくれてるの。感謝してもいいくらいなんだよ?」
如月さんの大人な発言に、大介君は引き下がる。
わたしは感心していた。
いつも人の発言を茶化してばかりで、空気の読めていない時もあるけれど、彼女は彼女で、ちゃんと考えているのだ。
何も考えてないのは、わたしだけ。
「取り敢えず、これで一通りの指標はできたかな。如月さんは文字の謎を解く。大介君は五つの事件の関連性を頭に入れながら被害者周辺を調べる。鹿島君はデータと我々の記憶を照らし合わせて事件に関係している事柄をピックアップする。そして私は、殺人の原因になりそうな各々の過去をサルベージする、と――」
「瑞穂ちゃんは、どうする?」
名前を出され、再び体が硬直する。
「わたし、ですか……?」
「そうだなあ……。まだここに来て日も浅いし、しばらくは誰かの手伝いをするって形で――」
「その前に、瑞穂ちゃんの考えも聞いた方がいいんじゃない?」
何だか、妙な雲行きになってきた。
考えなんか、ないのに。
「瑞穂ちゃん、こう見えて鋭いところあるし、勉強だってできるし――何か、あたしたちが見落としてるトコ、気付いてるかもしれないじゃない」
貶すか持ち上げるか、はっきりしてほしい。
いや、やっぱり持ち上げられるのは嫌だ。無駄にハードルを上げられたって、こちらには考えなどないのだから。
「如月さんはこう言っているが……どうかな。原田さんは、何か引っ掛かる部分とか、気になる所とか、あったりするのかな?」
結局、こうなってしまう。仕方がなく、わたしは頭をフル回転させて、ずっと引っ掛かっていたことを口にする。
「あの……ずっと、気になっていたことで……」
「うん? 何かな?」
このコンビニ店長は、本当に聞き上手だ。だけど、今はその優しさが辛い。
「えっと、凄い基本的なことで、気が引けるんですけど……」
言う前にできる限りの保険を張っておく。この辺り、自分でも卑怯で臆病だと思う。
「何でもいいよ。言ってごらん」
「あの――わたしたち五人って、本当に接点がないんでしょうか? 住所も職業も年齢もバラバラで、お互いに面識がないのは分かるんですけど、でも、本当にそうなのかなって」
「と言うと?」
「事件に関係したこと、全部忘れちゃってるんですよね? なら、どこかで会っていたとしても、それが事件に直接関係していたなら、やっぱり忘れちゃってるんじゃないでしょうか。今はお互いに面識がないって思い込んじゃってますけど、本当はどこかで会ってるかもしれないじゃないですか」
「うーん、どうなんだろうね……」
思案気な表情で顎に手を当てる尾崎さん。
「警察は最優先でそこを調べてるらしいッスけど、まだ何も分かってないみたいですねー」
背もたれに全身をあずけ、右手で資料をヒラヒラさせながら、代わりに大介君が答える。
「てか、その辺はオレらもけっこう真剣に調べましたけど、やっぱないッスよ、接点。誰もオジサンの店なんて行ってないし、他の場所でも会ったことはない。行動パターンも行動エリアも違うんで、会いようがないっつー話ッスけど」
「バスとか、電車とかは? たまたま同じ車両に居合わせたとか、同じバス停に同じ時間にいたとか……」
口にしてから、いかにもありそうな話だと思い直した。五人はそこに居合わせ、同じモノを見た。あるいは、何らかの事件に巻き込まれた。それが、連続殺人の引き金になったなんてことは――
「ありえないッスね」
一蹴されてしまった。
「その辺は、警察もオレらも、本当に真剣に調べたんですってば。この数ヶ月、誰がどの路線を利用して、何時何分にタクシーを使ったとかは、ある程度分かってるんス。さっき駅の話もしましたけど、やっぱり生活エリアが重なり合わないし、五人が同時刻に同じ公共交通機関を使ったってのは、ありえないんスよ。残念ですけど」
年下に完膚なきまでに論破されて、わたしは言葉に詰まる。こうなることは分かっていたけれど――
「あ、そうだ」
瞬間、頭の中で何かが閃く予感がした。
「もしかしたら――別に、会っていたのは、現実世界だったとは限らないんじゃない?」
「……どういうことッスか」
「インターネット。ほら、SNSとか掲示板とか色々あるでしょう。ああいう場所で――は、ないか」
途中まで勢い込んで話していたものの、それはデクレッシェンドで小さくなってしまう。閃く予感がしたのは、あくまで予感がしたにすぎなかったらしい。
「ちょっと、自分で言いかけといて、引っ込めないでくださいよ。ネット内で繋がってたかもしれないっつー話でしょ? それも、今ンところ何も見つかってないスけど、少なくとも現実世界で接点があったって考えるよりかは、よっぽど――」
「ありえないの」
沈んだ声で、大介君の台詞を遮る。自分で言いかけた説を自分で却下するほど、情けないことはないのだけれど。
「わたし――インターネット、やらないの」
一瞬、場が静まり返る。
考えるまでもないことだった。例の学校裏サイトでの一件以来、わたしはネットというものを毛嫌いし、一切関わらないようにしていたのだ。そんなこと、重々承知していた筈なのに――
馬鹿みたいだった。
皆が皆、ちゃんとした考えを持って議論に参加していると言うのに、わたしだけは口を開けてそれを聞いているだけ。少しばかり勉強ができたからって、何の意味もない。
何の価値もない。
「……ごめんなさい。わたし、全然、何の役にも立てなくて……」
「真面目だねぇ、瑞穂ちゃんは」
笑いながらコーヒーカップを差し出す如月さん。口をつけると、コーヒーの香りとミルクの甘味が口に広がる。女子高生向けにと、ミルクと砂糖を多めにしてくれたらしい。
「来てすぐ、目新しい意見なんて出せる訳がないでしょう? 当たり前のことで、気に病んだりしないの」
「誰が言わせたんだっつー話ッスけどねー」
憎まれ口を叩く大介君を一瞥し、如月さんは続ける。
「取り敢えず、瑞穂ちゃんは今ある全てのデータに目を通すトコから始めた方がいいかもしれない。さっきの概要だけじゃ、細かい部分は分からないものね。全ての事実を見て、知って、その後で考えを聞かせて頂戴」
優しく言われ、わたしは無言で頷き返す。
軽く、泣きそうだ。
しかし、涙など出なかった。ドン、という鈍い音と共に、目の前に大量の紙束が現れたからだ。紙の厚みだけで、一メートルはある。膨大な量だ。
「これ、警察やマスコミが調べ上げた、全てのデータね。重複しているトコも多いし、もしかしたら全然意味ないモノも混じっているかもだけど――時間かかってもいいから、全部読んでおいてね?」
激しく目眩がした。
これからは、気力、体力共に激しく消耗することになる――尾崎さんの言葉が、今になって分かる気がした。