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満点の星空

 その頃は、死ぬことばかり考えていた。

 それだけ、わたしは追い詰められていた。

 授業中も休み時間も、自分の周りだけ空気が重い。丸一日、誰とも口を利かない日もあった。

 幼馴染の圭介だけは以前と変わらず接してくれたけど、次第に、それも意図して避けるようになっていった。アイツの女子人気が高いのは知っている。自分みたいな人間が圭介と仲良くしているのを見て、快く思わない人間も多くいることだろう。これ以上、無駄な反感は買いたくない。

 もう、誰にも嫌われたくなかった。

 それが、本音。

 何故、こんなことになってしまったんだろう。

 どれだけ考えても答えは出てこない。わたしは何もやっていない。それなのに、妙な誤解だけが独り歩きしている。


 1Aの原田瑞穂は、カンニング常習犯――。


 そんな噂が、学校裏サイトで囁かれているらしい。全く身に覚えのない、完全なる濡れ衣だった。誹謗中傷とは、こういうことを言うんだろう。学年トップの自分を妬んでこんなガセを流したのかもしれないけど、そんなことはどうでもよかった。

 恐ろしいのは、それに便乗して多くの人間が瑞穂を罵倒し始めたことだ。


最低。

卑怯者。

ゆとり。

アイツから勉強とったら何が残るんだ。

ブス。

恥知らず。

もう学校に来るな。


 死ね。


 ただ、怖かった。

 知らないところで、名前も分からない誰かが、自分を罵っている。見下して、嘲っている。その状況が、怖かった。絶えず、監視されている感覚。表面では何でもない風を装いながら、誰もが、自分を馬鹿にしている。カンニングなんて方法で学年トップを勝ち取った卑怯な女だって、みんな思ってる。アイツも。アイツもアイツもアイツも。

 あまり社交的な人間でなかったのも、災いしたのかもしれない。入学してできた何人かの友人とも、溝ができてしまった。もう、誰も話しかけてこない。自分から話しかける勇気もない。

 わたしは、完全に孤立した。

 日に日に、気が滅入っていくのが分かる。学校に行くのが辛い。学校にいるのが辛い。

 何度も、不登校を考えた。

 何度も、自殺を考えた。

 それでも、わたしは学校に行き続けた。戦おうと思った訳でもないし、死ぬのが怖かった訳でもない。ただの、惰性。当たり前のように学校に行き、機械的に授業を受け、誰とも話さず、誰とも目も合わさないで、一日を終える。何も考えない。何も感じない。多分、人間としての何か大事な部分が、擦り切れてしまったんだと思う。日を追うごとに、まとう影は色を濃くしていく。もう、諦めていた。卒業まで、こうして死んだように生き続けるんだ。

 そう、思っていた。

 そんな自分の状況が変わったのは、裏サイトの騒ぎから一ヶ月ほど経ってからのこと。

「よかったら、一緒に帰らない?」

 最初は、自分が話しかけられているのだと気が付かなかった。授業中に教師に指名される以外、全ての言葉はわたしを素通りするのが当たり前になっていたからだ。

「ちょ、無視しないでよお――原田さん」

 名前を呼ばれて、弾かれたように振り返る。長い黒髪の美しい、溌剌とした印象の少女が、小首を傾げて立っている。

 それが、舞との出会いだった。

 奥寺舞の存在は、もちろん前から知っていた。成績は普通だけど、気が強く華やかで、クラスの中心的グループに在籍している。要するに、教室ヒエラルキートップクラスの人間だ。そんな彼女が、何故わたしみたいな人間に声をかけてくれるのか、本気で意味が分からなかった。

「前から、一度話してみたかったんだよねー、原田さんとは」

 相当に怪訝な顔をしていた筈だけど、舞はそんなのお構いなしによく喋った。友人のこと、家族のこと、最近見たテレビ、お気に入りの芸能人のこと――裏サイトのことや、カンニングのことには、一切触れなかった。わたしはもっぱら聞き役に徹していたのだけど、それでも楽しかった。久しぶりに、人間に戻れた気がした。

「ね、もし原田さんがよければ、なんだけど」


 私の友達になってくれない?


 彼女が別れ際に放った一言は、今でも強烈に記憶に残っている。

 それは、光だった。

 舞は、暗く沈んでいたわたしの毎日に、色を戻してくれた。

 救いを、与えてくれた。

 わたしたちは、急速に仲良くなった。休み時間には積極的に話しかけてくれたし、休日にはよく遊びに連れ出してくれた。最初は困惑していた舞の友人たちとも、次第に打ち解けていった。ファーストネームで呼び合うようになるまで、時間はかからなかった。

 楽しかった。

 裏サイトのことなど、どうでもよくなっていた。ネットは一切見ないようになっていたので、詳しいことはよく知らないけど、例のカンニング騒ぎも、勝手に沈静化していったらしい。あまり勉強に身が入らなくてトップから転落したのが関係しているのかもしれないけど、わたしはもう、どうでもよかった。

 それより、ずっと疑問だった。

 なんで舞は、わたしみたいな人間と仲良くしてくれたんだろう。

 その答えは、圭介と三人で遊ぶようになってから、ようやく判明する――。


 目を覚ますと、目の前に星空があった。

 無数の星が瞬く、満天の星空。こんなキレイな星空、初めて見た。まるでプラネタリウムのよう。星や星座に関してあまり詳しくないのが、今になって悔やまれる。

「あ……気がついた?」

 如月さんの声がする。どうやら、ベッドに寝かされていたらしい。半身を起こして辺りを見回し――わたしは、息を飲む。

 そこは、見渡す限り、一面の草原だった。

 寝かされていたベッドと如月さんたちの座っている円卓以外、何もない。本当に、何もない。パノラマ地平線だ。ただ、空間の上半分を、異様な密度の星が埋め尽くしている。

 これは、一体――。

「ごめんね……。あたしの配慮が、足りなかったみたい」

 ベッド脇に移動した如月さんが、心配そうな顔をしている。 

「いきなりこんなとこに入れられて混乱している所に、楽しかった時の写真見せられたら、誰だってへこむよね……。本当にごめんなさい。気をつける」

「あの、これは――」

「瑞穂ちゃん、早くここから出ようとして、一生懸命思い出そうとしたんじゃない? それで自分の死に様を強くイメージしちゃったんじゃないかな。それがよくなかったんだと思う」

 気絶する直前に見た、潰れた指先のことを説明しているのだろう。それは分かるけど、聞きたいのは、それとは別のことだった。

「ほら、あたしもさっき、右手に包帯してみせたでしょ? それと同じ。この空間では、強くイメージしたら、即、出現しちゃうのよ。だから、あんな――」

「あの、それはもう、いいんですけど」深く反省しているらしい彼女の言葉を制し、素朴な疑問を投げかける。「ここ……どこですか? 何で急に、こんな場所に……」

 言いながら、ベッドから足を下ろす。靴は、ベッドの下に揃えて置いてあった。少し背の高い草が、脛をくすぐる。

「あ、これ? けっこういいでしょ。真っ白い空間じゃ気が滅入るから、定期的に周りの風景を変えることにしているの」

 共に円卓に向かいながら、如月さんは楽しそうに説明する。

「だから、資料や写真、飲み物、服装と一緒よ。イメージしたら、それが現れる――ここは、そういう空間なの」

「本当に、何でもアリなんですね……」

「ちょっと面白いでしょ? 最初は尾崎さんで、その時は会社の会議室だったの。今回は鹿島クンのイメージで、こういう感じに仕上がったんだけどね」

 鹿島さんの? 常に無感情で論理的、合理的な人間だと思っていたので、このロマンティックな風景は意外だった。

「星、好きなんですか?」

「……本当は、医者じゃなくて天文学者になりたかったんだ」

 僅かに目を伏せたまま、鹿島さんは答える。

「子供の頃から、ずっと星になりたいと思っていた」

 反論、疑問提示する時とは違って、ボソボソとした口調だ。自分のことを話すのはあまり得意ではないのかもしれない。

「よかったじゃない。夢、叶って。あたしたちみんな、今じゃ空のお星様だもんねえ」

 ……そのジョークは、ブラックすぎやしないだろうか。

配慮が足りなかったと反省している割には、どうにもこの女性漫画家は口が軽すぎる傾向にあるようだ。

 それにしても、確かに星空の下と言うのは気分がいい。どこまでも行けそうな解放感に、思わず駆け出してしまう。

 しかし、少し進んだ所で、目の前に星が散った。

 星空プラスワン。

 何かに額をぶつけたらしい。どうも、目に見えない壁があるらしかった。

「あんまり動き回らない方がいいよ? 見た目は草原だけど、それはそう見えているだけで、本当はさっきと同じ、部屋の中だから。壁にぶつかっちゃうよ?」

 そういうことは、早く言ってほしかった。風で揺れる草の音や、それが肌をくすぐる感覚もあるのだけど、きっと、視覚だけでなく聴覚や触覚まで誤魔化されてるのだろう。

 額をぶつけたのを気取られないよう、大人しく円卓に戻る。

「……大丈夫かい? 気分が悪いようなら、まだ休んでいてもらって構わないんだが」

 尾崎さんが優しく声をかけてくれるけど、心配はご無用。

「ご心配かけて申し訳ありません。でも、今度こそ大丈夫ですから。わたしも、話し合いに参加します。自分のことは、自分で思い出さないと意味ないですし」

 我ながら、かなり強い言葉を選んでいるとは思う。

 だけど、本心だった。

「……そうか。でもキツくなったらいつでも言ってくれよ。気力、体力共に、相当消耗すると思うから」

 死して尚、こんな苦労を強いられるとは思っていなかった。

 被害者も楽ではない。

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