第五の被害者・原田瑞穂
「九月二十日の午後六時、礼林学園敷地内にあるテニスコートで、生徒の死体が発見される。被害者は原田瑞穂、十七歳。同学園の生徒だ。細かいプロフィールはさっき如月さんが読み上げた通りだから、ここでは割愛するよ」
とうとう、わたしの事件が語られ始める。
皆、尾崎さんの語る概要を黙って聞いている。
「死因は、絞殺だ。背後からロープ状のモノで絞められた――と、ここはいつもと同じだね」
「あたしは違うけどねー」
緊張を緩和しようとしているのか、如月さんがまた、茶化すような発言をする。
「死亡推定時刻は――ほう、発見の直前だね。午後五時から六時の間だ。それを裏付けるように、第一発見者の守衛が、敷地から逃げていく怪しげな人影を目撃している」
「犯人を見てるんですか!?」
思わず身を乗り出してしまう。
「いや、あくまで人影だ。辺りはすでに薄暗かったため、どんな人物だったかまでは分からなかったらしい」
「つーか、殺されたの、学園の敷地内なんスよね? 逃げてく人影がどうとかじゃなくて、侵入した段階で見つからなかったんスか?」
大介君が怪訝そうな顔をするが、これにははっきりと答えられる。
「敷地内って言っても、テニスコートは裏手だから……正門近くにある守衛室からは、見えなかったんだと思う」
「テニスコートは、鍵とかかけられない訳?」
今度は如月さん。
被害者なのに、責められているような錯覚に陥ってしまう。
「一応、あるにはあるんですけど、金属の棒をかんぬきみたいにスライドさせる簡単なモノで……その気になれば、誰でも開けられたと思います」
実際、開けたんだろう。他でもない、わたし自身が。犯人から呼び出され、テニスコートで待っている所を、背後から襲われたのだ。
「現場には、被害者の鞄が引っくり返されて、教科書やら何やら、中身が散乱していたらしい。例によって貴重品は無傷だが、やはり携帯電話がなくなっている」
「学校にいる時は、鞄にしまっておくことが多かったので、そのせいだと思います」
ふむ、と頷きながら尾崎さんは資料に視線を戻す。
少し目を走らせたところで、彼の表情が変わった。
「……朗報だ。今回は、犯人の足跡が残っているらしい。今までのように乾いた土やアスファルトではなく、湿ったテニスコートだからね。スニーカーの靴跡が、くっきり残っていたようだ。サイズは二十七センチ――男性と見て間違いないだろうね」
どうしても、机の上に置かれた似顔絵に目が行ってしまう。
狐顔の優男。
コイツが、わたしを殺した殺人鬼なのだろうか……。
「文字が残されているのもいつも通りだね。今回は『J』。私や大介君と同様、背中にA4のコピー用紙がガムテープで貼り付けられていたらしい」
「J、ときたか……子音ばっかりね……」
思案気な表情で、如月が呟く。彼女は彼女で、色々と考えているのだろう。
「それと……あー、これは、少し言いにくいんだが……」
今まで淡々と読み上げていた尾崎さんが、分かりやすく言い淀む。嫌な予感。
「かなりショッキングな内容なんだけど――聞きたい、よね」
愚問だった。固い表情で、強く頷く。
「えーと……被害者の死体は、両手の十本指が、潰されていたらしいんだ。正確には、第一関節までの、指先の部分だけだが」
眩暈がした。
「指が、潰されていたって――」
「近くに、血の付いたコンクリ片が放置されている。その辺に転がっていたものだろう。指紋は検出されなかったようだが……」
わたしが聞きたいのは、そんなことではない。
「何でわたしだけ、そんなことされなきゃいけないんですか」
意図せず、攻撃するような口調になるけど、どうにもならない。あまりにも、理不尽に感じたからだ。
「他の人たちは、誰もそんなことなかったじゃないですか。なんで、なんでわたしだけ――」
「瑞穂ちゃん、一回落ち着こうか」
激昂するわたしを、如月さんがやんわりと宥める。
「指が潰されていた理由は、まだ分かっていない。何かしらの意味はある筈なんだが……」
当たり前だ。意味なく指を潰されてたまるか。
「とりあえず、この件は保留としておこう。次は、当日の足取りについてだ。彼女はその日、少なくとも午後五時までは教室にいたことが判明している」
「そんな遅くまで、何やってたの?」
如月さんはいつも、尾崎さんではなくわたし本人に聞いてくる。その方が確実だという判断なんだろう。
「補習です。友達と一緒に――」
「赤点でも取っちゃったの?」
「違います。補習って言っても、特別補習です。志願制で、純粋に学力を伸ばしたい生徒に対して行われてるんです」
これでも、勉強はけっこうできるんですよ――という言葉は、呑み込んでおいた。調子に乗っているとは思われたくない。
「……そのようだね。補習の参加人数は十人程度だったようだが、その中には原田さんも含まれている。一番仲のいい、友人の奥寺舞さんも一緒だ」
――マイ。
キレイな黒髪と気の強そうな瞳が印象的な、親友の顔が浮かぶ。
瞬間、胸が苦しくなる。
そう。
あの時まで、わたしは舞と一緒だったのだ。
その時までは――。
「何だ、瑞穂ちゃん、けっこう覚えてるじゃない」
「……覚えているのは、ここまでです。その後、何があったか、何でテニスコートにいたのかまでは、サッパリ……」
「奥寺さんも、そう証言しているね。原田さんとは、校門で別れたと言っている。何故彼女が学校に残ったのかは、分からないそうだ」
胸が、ざわついている。
舞は、今どうしているだろう。
わたしがこんな目に遭って、あの子は、どう感じているだろう。
悲しんでくれたのだろうか。
泣いてくれたのだろうか。
いつでも勝ち気だった彼女を泣かせてしまったのなら、それはそれで、申し訳ない気持ちになる。
舞。
わたしは、生きていたかったよ。
お別れなんて、したくなかったよ。
「最後に、生前の彼女の評判についてだが――大多数は、大人しい真面目な子、という意見で一致しているね。成績も、かなり上位の方をキープしていたらしい」
上位、か。
一年の途中までは、学年トップだったのだけど。
あんなことがなければ、今だって――。
いや。
それも、どうでもいい話だ。
もう、わたしは死んでしまったのだから。
「親友の奥寺さん、それに幼馴染の鍋島圭介君と共に行動することが多かったようだ」
「なに、彼氏?」
如月さんがニヤニヤ笑いで聞いてくる。
「ち、違いますよっ! 誰があんな奴……」
冗談じゃなかった。
圭介は、あくまで家が近所で、小中が一緒だっただけの幼馴染だ。サッカー部のエースで、女子人気はけっこう高いらしいが、わたしにはアイツの良さがイマイチ理解できない。ただのサッカー馬鹿ではないか。
「ふうん……いいねえ、若いってのはねえ……」
如月さんが最大限にニヤニヤしている。何だろう。よく意味は分からないが、取り敢えず、物凄く腹立たしい。
「ね、どんな子なの?」
写真ないのかな――と、如月さんが白壁スクリーンを仰ぎ見た瞬間、それは映し出された。
わたしと舞と、圭介。
去年の冬――あんなことになる前――みんなで遊びに行った時に撮った一枚だ。三人とも、満面の笑みを浮かべている。
もう、この頃には二度と戻れない。
それが、死ぬということだ。
不意打ちのように映し出された生前の楽しい記録は、わたしを完膚無きまでに叩きのめした。鼻の奥が痛くなり、体が震えてくる。
死にたくなかった。
まだ、生きてたかった。
そりゃ、嫌なことも数え切れないほどあったけど。
死にたいと思ったことも、あったけれど。
それでも。
嗚咽を堪え、テーブルに肘を突き、両手で顔を覆う。
全て、思い出さなければいけない。
あの日、あの時、あの場所で何があったのか、全て明らかにするのだ。必死になって記憶を手繰る。
わたしはどうして死んだのか。
どうやって死んだのか。
どのようにして死んでいたのか。
強く、イメージする。
……両手に違和感を感じたのは、その時だった。
恐る恐る、両手を目の前に持ってくる。
指先が、なくなっていた。
第一関節から先が、グズグズに潰れている。
どこかで、誰かの叫び声が聞こえた。人が本当の恐怖を感じた時のみに発する、真の悲鳴。それが自分の口から出ていると気がつくのと同時に、わたしは気を失った。