第三の被害者・如月羽生
「えっと……どうしよっかな。誰か、交代してくれる訳?」
三件目、如月羽生殺害の件。いつの間にか、本人の事件は別の人間が説明するという暗黙の了解ができている。当然、今まで説明役を務めていた彼女は誰かにバトンタッチすることになるのだが――その視線は、一点で固定されている。
「……私しか、いないだろうね」
苦笑しながら、尾崎さんが立ち上がる。寡黙な鹿島さんや、マイペースな大介君には任せられないということだろう。
「第三の事件。七月十三日の午後六時、蒲田の住宅街にある空き地で女性の変死体が発見される。被害者は如月羽生、三十三歳。職業、漫画家」
「やっぱり……」
嘆息と共に、如月さんの顔を見る。彼女はキョトンとして、小首を傾げていた。
「あれ、驚かないんだね。あたしが漫画家だって知ると、だいたいビックリするのに」
「さっき、ペンネームがどうこうって言っていたじゃないですか。大介君はずっと、如月さんのことを『センセー』って呼んでるし。だから、もしかしたら作家か漫画家なのかなって思ってて……」
「へええ! 瑞穂ちゃんって、本当に鋭いんだねえっ! ボーっとした子だと思ってたけど、見直した!」
随分と感心されてしまった。さりげなく、失礼なことを言われた気もするが、ここは流しておこう。
「ま、漫画家って言っても、単行本一つ出したことのないぺーぺーなんだけどね? 一応、世間的には漫画家って認識されてるみたい。あー、よかった。無職とか言われなくて……」
妙なところで安心している。死んでみないと世間からどう見られてるか分からないなんて、皮肉以外の何ものでもない。
「……続けるよ? 死因は、心臓を刺されたことによるショック死。要するに、刺殺だね。犯人は正面から、ナイフのようなモノで心臓を一突きにしたらしい。凶器は、現場から持ち去られている」
「刺殺、ですか」
これは意外だった。二件続けて絞殺だったから、今回もてっきりそうだと思っていたのに。
「そう。この事件だけ殺害方法が違うんだ。しかし、他の部分は大差ない。今回も指紋、足跡、遺留品などはなく、住宅地とはいえ塀で囲われた空き地が現場だったため、目撃証言も無い。財布は手付かず。先に言っておくと、今回も携帯電話は見つかっていない。私見だけど、恐らくこれも犯人に持ち去られたと考えていいだろうね」
「アルファベットは?」
「もちろんある。今回は、『E』だ」
「こんな感じでーす」
如月さんが、スケッチブックを見せる。
……いつの間に描いていたんだろう。
俯せで倒れている如月さんが、デフォルメされて描かれている。
「……その絵、今、描いたんですか」
「そうよ? 今回もあたしの死に顔がばっちり写っちゃってるから、瑞穂ちゃんにはこっちの方がいいかと思って」
彼女は顔を横に向けて死んでいて、その顔の横に、『E』と書かれた紙が置いてある。四隅に石が置かれているのは、風で飛ばされないようにするための配慮だろうか。
「ささっと描いた割には、上出来じゃない?」
と言うか、相当に上手い。さすがはプロの漫画家だ。
「上出来ってか――可愛すぎないッスか?」
大介が眉間に皺を寄せて、スケッチブックを凝視している。
「そう? そりゃ、少しはデフォルメしたけど、別に美化したつもりはないんだけど……」
確かに、特徴は捉えている。知っている人間が見たら、一発で如月羽生だと分かるに違いない。
「そういうこと言ってンじゃないスよ。絵全体が可愛いつーか――目なんてぐるぐる模様だし、横に書き文字で『キュー』とか書いてあるじゃないスか。殴られて気絶してるんじゃないんスから」
「仕方ないじゃあん。そういう画風なんだもん。心臓刺されて殺された漫画家なんて、描いたことないし」
「それはオレも読んだことないッスけども……」
「あのね」二人の下らない会話に、尾崎さんが笑顔で割って入る。
「続き、いいかな?」
「どうぞー」
死体画像が可愛らしいイラストで表現されたのはいいのだが、そのせいで、すっかりアルファベットのことが流れてしまった。
新しい文字は、『E』。
文字が増えたところで、情報が増えた感じがしないのが何とも歯がゆいところではあるのだけど。
「ここまでだと、殺害方法が違うだけで、前の二件と大差ないように思える。しかし、これ以外にもおよそ二点、私や鹿島君の時とは違うことがある」
そう言えば、大介君が『問題の奴』だとか言っていた気がする。
「まず一点。被害者はこの三日前――七月十日に未遂事件に遭って、右手を負傷してるんだ」
「未遂……ですか」
「そう、未遂だ。自宅アパートのある東矢口の路上で、突然見知らぬ男性に襲われ、右手をナイフで刺されている。全治二ヶ月の大怪我だ。彼女は病院で治療を受け、所轄の池上警察署は傷害事件として捜査を始めている。彼女は襲われる際に男の顔を見ていたらしいんだけど――その時の似顔絵が、これだ」
資料の一枚をこちらに向ける。細面の男が、そこに描かれていた。目も細く、何となく狐を連想させる。年齢は三十代だろうか。
「これは――如月さんが描いたんじゃ、ないんですよね」
「この手じゃ描けないわよぅ」
包帯が幾重にも巻かれた右手を振りながら、彼女は言う。先程まではこんなモノ、なかった。たった今出現させたのだろう。
「これを描いたのは、専門の警察官だよ。警察は通り魔事件として本格的に捜査を開始したが犯人は捕まらなかった。そしてその直後、彼女は第三の被害者となってしまう」
「その男が、連続殺人の犯人なんですか?」
「……どうだろうね。仮にそうだとすると、何故右手を怪我させただけで逃走するなんて中途半端な真似をしたのか、という謎が残る。全くの別件、という可能性もあるんだ。それならそれで、じゃあこの男は何のために如月さんの右手を刺したのか、という話になる訳だが……」
「その男は、今――」
「もちろん、警察は行方を追っている。今度は池上署だけじゃない。捜査本部が、最重要参考人として行方を追っているらしい。しかし、依然として見つかっていないというのが現状だ。かなりの捜査員を割いているにも関わらず、ね」
どういうことだろう。
何だか、ひどくちぐはぐな印象を受ける。
その違和感がどこから来るのかは、よく分からないのだけど。
「とまあ、これが一点目だ。二つ目は、死体から大量のアルコールが検出されたという点。つまり、如月さんは被害にあった時、相当に酔っ払っていた、ということだね。それも、べろんべろんなるくらいに、だ」
「酔っ払っていた――」
如月さんを見ると、「ん?」と小首を傾げて、こちらを見ていた。あまり酒を飲むタイプには見えないが、三十三という年齢を考えれば、別にどうということはないようにも思える。
「あの、それが何か、おかしいんですか? 大人なんだから、別にお酒くらい――」
「時間を考えてくれ。言ってなかったかもしれないが、死亡推定時刻は、発見から数時間前の午後三時前後なんだよ。いくらその日が日曜だったからって、こんな真っ昼間から、泥酔するほど酒を飲む
人間がいるかい? 私のように、仕事終わりに晩酌するのとは訳が違うんだよ?」
「それは……確かに」
「言っておくけど、あたしはアル中とかじゃないからね? 手が震えたんじゃ、漫画なんて描けやしない」
ニヤニヤと笑いながら、茶化すように言う。
「如月さんは、このことも……?」
「そ。全然、覚えてない。通り魔に遭って右手を怪我したってことも含めてね。自分のことなのに、なーんにも、ね」
相変わらず口元には笑みを浮かべているが、その目の奥が、全く笑っていないことに気がつく。
「悔しいなあ……」
自分の目の前に包帯の巻かれた右手を掲げ、彼女は呟く。
「利き手って、漫画家の命なんだよ……? その命が奪われたってのに、何も覚えてないなんて――」
覚えてたら、絶対に許さないのに。
冷たく、固い声音。
初めて触れる怒りの感情に、軽く戦慄する。
それを横目で眺めながら、尾崎さんは尚も続ける。
「……次、如月さんの評判について。これは、まあ、見ての通りだ。明るく気が利く性格で、アシスタント先でもすこぶる評判が高い。もちろん、トラブルの類とも皆無だ」
「そんな、言うほどの人間じゃないのにね」
数瞬前まで静かに怒りの炎を燃やしていた彼女、今は苦笑いをこぼしている。照れているらしい。
「と、まあここまでが三件目の概要だけど――特に補足もなければ、さっさと次行っちゃうけど、いいかな?」
「一つだけ」
口を開いたのは、もちろん鹿島さん。
「何かな?」
「如月さんの自宅アパートは、大田区の東矢口なんですよね。最寄りは蓮沼駅。しかし、殺されたのは隣の、蒲田駅前の住宅街。ここが少し、引っ掛かります」
「彼女は私たちと同様に携帯を持ち去られている。犯人に呼び出されたと考えるのが妥当だろうね」
「何故、蒲田だったんでしょうか。別に蓮沼でもよかった筈です。実際に、未遂の時は自宅アパート近くで襲われた訳ですし」
「一度目が未遂に終わったからこそ、警戒したのではないかな? 東矢口は池上署だが、蒲田は蒲田署だ。管轄が違う」
「犯人は、そこまで計算して、殺害場所を選んだと?」
「駄目かい?」
「駄目ではありません。ただ、少し違和感を覚えただけです」
俺からは、以上です。
そう言って、鹿島さんは補足を終える。さっきは捜査会議のようだと思ったが、今度は、何だか法廷のようだと思ってしまう。
本物の裁判など、見たことないのだけれど。




