原田瑞穂の場合
「最初に断っておくが――」
いつの間にか取り出したミネラルウォーターで喉を湿らせ、鹿島さんが語り始める。
「ここまでは、ほとんどが俺自身の記憶を中心に『事実』を語ってきた。だが、ここからは違う。状況や因果関係から推測した、俺の『想像』だ。もしかしたら事実と違っている点が多々あるかもしれない。まずは、そのことを頭に入れておいてほしい」
「演繹的帰納的な『推理』ってことですよね?」
希望的観測を含めて、わたしはそんなことを口にする。
「そんな格好いいものではないよ。『想像』は『想像』だ。思い出すのは、原田さん自身だ」
珍しく謙遜めいたことを口にする。
だけど、疑う余地はない。
鹿島さんは、紛うことなく、一同の探偵役だ。
探偵役で、被害者で、実行犯で、黒幕で、自殺志願者で、加害者。
もっとも、被害者で加害者なのは全員に言えることなのだけれど。
わたしを、除いて。
「……話してください」
とうに覚悟は出来ている。奥歯を噛み締め、次の言葉を待つ。
「じゃあ、順を追って話すが――皆も薄々勘づいている通り、原田さんは俺たちのメンバーではない。あの闇サイトに集まった人間ではないんだ」
「だと思いましたよ。原田サンだけ、抵抗の跡とか凄かったし」
大して驚いた風でもなく、大介君が呟く。
一連の事件では抵抗の跡がほとんどなく、遺留品や目撃証言の類も皆無だった。被害者が犯人に協力して自ら殺されにいっているのだから、それは当然だ。
だけど、わたしは違った。突然の襲撃者に激しく抵抗し、犯人の腕に深い傷を残した。テニスコートに足跡は残ったし、もたついたために守衛に後ろ姿を目撃されてしまった。本来ならすぐに取り出せる所に入れておく筈の携帯電話は鞄の奥に仕舞われていて、それを取り出すために犯人は――横山さんは、鞄を引っ繰り返さなくてはならなかったくらいだ。
つまり。
わたしは、間違えて殺されたのだ。
「……うう」
私を殺した人が呻いている。不思議と、怒りは湧かなかった。むしろ、可哀想だと思うくらいだ。真面目で熱心で正義感が強くて、だけどそれが全て裏目に出てしまう人。今回も、きっとそうだったんだろう。
「そう言えば、瑞穂ちゃんてネット全体を嫌ってた訳だもんねえ。仮に死にたいと思ったところで、闇サイトになんか来る訳がない」
「や、オレもそれは思ったんスけど――それってどこまで信じていいんスかね? 口ではそう言いつつも、こっそりやってた、ってことはないんスか?」
大介君が猜疑心の強い視線を向ける。信じていた人に裏切られたと再確認した直後だからか、過剰に疑い深くなっているみたいだ。
「さすがにそれはないんじゃない?」羽生さんが小首を傾げる。
「瑞穂ちゃんって、年を考えると語彙が豊富な方だと思うんだけど、その割にはネットスラングの類、全く知らないもの。誰かが何かを口にする度に、凄い不思議そうな顔してるもんね」
しっかり観察されていたらしい。
「さっきも、鹿島クンがネットスラングの蔑称をずらずら並べた時、目を白黒させてたじゃない。あれ見て確信したのよね。まあ、鹿島クンもそれが目的で、自虐にかこつけてあんなこと言ったんだろうけどサ」
確かに、推理の確証を得るために、いきなり首を絞めてくるような人だ。そのくらいしてもおかしくはない。だけどまさか、あの状況でそれをやるだなんて。それを見抜く羽生さんと言い、本当に侮れない人たちだ。
「話を戻そう。この中で、原田さんだけが仲間外れだった。いくら考えてもメンバーの共通点が見えてこない筈だ」
仲間外れ――嫌な言葉だ。
「では、何故そんなことが起きてしまったのか」
「僕のせいですね。僕が殺すべき人間は、他にいたのに――」
横山さんが怯えている。
「そうか。瑞穂ちゃんは間違えて殺されたんだ。それで今、ここにいる。本当は、瑞穂ちゃんとは別にメンバーがいたってことなのね。問題は、その人がどこに消えたかってことだけど……」
この計画に参加したのはサイト管理人である鹿島さんが任意に選抜したメンバーで、メアド交換はなされているものの、互いの情報は伏せられたままだったと言う。氏素性はおろか、ハンドルネームも、死を願う背景も伏せられたまま。幻の五人目は、鹿島さんしか知らないのだ。
「勿体ぶらないで教えてもらえないかな? 誰なんだい、それは。私たちの知っている人間なのかな」
「勿体ぶるつもりはありません。ただ、その前に誤解を解く必要があります。如月さんも、それに横山さんも勘違いをしています」
真っ白な世界を背景に、鹿島さんは無表情のまま続ける。
「原田さんは横山さんのミスで殺された訳じゃありません。これは、計画的犯行だったんですよ」
一瞬、場が硬直する。だけどすぐに、慌てた横山さんが口を開く。
「そ、そんな、僕、計画殺人だなんて……っ! 生前の原田さんのこと、何も知らなかったんですよ!?」
「先走らないでください。横山さんが犯人だなんて言ってません」
「でも、殺したのは横山サンなんスよね?」
口を挟むのは大介君だ。
「あくまで実行犯だ。黒幕は他にいる」
「黒幕は鹿島サンじゃないスか」
「だから」肝心なところで飲み込みの悪い大介君に対し、あくまで淡々と話を続ける。「俺も横山さんも、利用されたんだよ。確かに、システムを作ったのは俺だし、実際に手を汚したのは横山さんだ。しかしこの犯人はさらに狡猾だった。自分は一切手を汚さず、計画を上手に利用して完璧なアリバイを手に入れ、完全犯罪を成し遂げたんだ。もちろん、俺にも横山さんにも非はある。責任逃れをするつもりなんてない。しかし、もっとも悪賢いのはこの犯人だ。何せ、目的を成し遂げた今になっても、容疑者圏内にも入らず、悠々と生き続けているんだから」
頭がボゥっとしてきた。突飛な話の連続に、何度も思考が停止しそうになる。
計画殺人?
わたしを殺すことが目的?
わたしを――殺す?
いや、殺した、のか。
わたしは、殺されたのだ。
絶対的な、何者かの殺意を受けて。
「しかし、その推理には無理がないかな? その犯行は、計画のメンバーに選ばれることが前提なのだろう? 鹿島君が協力者でもない限り、あまりにも運に頼りすぎている気がするが」
「犯行計画を思いついたのは、メンバーに選ばれてからなんでしょうね。多分、最初は本気で死ぬつもりで、あのサイトに顔を出したんだと思います。しかし、途中で心変わりが起きた。自分が死ぬより、邪魔者を消してしまった方がより幸福になれると気付いてしまったんです」
「邪魔者って、わたしのことですか」
自然と声が出ていた。
「何でですか……。何でわたしが殺されなきゃならないんですか。犯人は、誰なんですか」
声を震わせながら、何とかそれだけ言う。対する鹿島さんは、どこまでもクールだ。
「一度整理しよう。原田さんは、ある人物に命を狙われていた。その人物は周到に立ち回り、完全犯行を成功させた。しかし、やったことはシンプルだ。まず、犯人役に関しては、普通にこなした。計画通り、約束の日時にやってきた桐山を絞殺し、これといったミスもなく犯行をやり終えた。アルファベットの紙を上下逆さに貼ってしまうというミスはあったが、大きな問題ではない」
「あっ……!?」
大人しく話を聞いていた大介君が、不意に立ち上がる。
「思い出したか。桐山は唯一顔を見ているからな」
「でも、そんな――えぇ!?」
狼狽を隠そうともしない大介君を手で制し、鹿島さんは続ける。
「問題は、被害者役が回ってきた時だった。その人物は約束の場所、時間に原田さんを誘導し、横山さんに『所定の場所に来たら背後から近付いて無言で首を絞めてくれ』とメールで要求を出しておいた。
被害者役の顔を知らないとは言え、万が一、下手に会話でもされたら人違いが分かってしまうからね。もちろん、その時間は別の場所にいて鉄壁のアリバイを確保しておく。たったそれだけのことで、その人物は完全犯罪を成し遂げたんだ。さて、その機会と動機があった人間が、誰になるかと言うと――」
「ああッ!」
今度驚いて大声を上げたのは羽生さんだった。
「そういうことか……」
尾崎さんも、腕を組んで目をつむり、唸っている。
「二人とも気付きましたか。ヒントはまだあります。この、アリバイ表です」
丸バツで埋められた表を円卓の中空に浮かべる。
「この表には、全ての人間の全ての事件に関するアリバイ成否が記されています。だが、このままでは非常に見づらく、分かりづらい。不必要な情報――ノイズが多すぎるからです。真実を炙り出すためには、大量のノイズを除去する必要がある」
言いながら手を振ると、浮かんだ表からほとんどの行が抜け落ち、消えていく。残ったのは、たった六行。
「こうして見ると、非常に分かりやすい。計画の形もよく見える」
鹿島さんの言う通り、ノイズを取り払ったアリバイ表は見やすく分かりやすく、シンプルでエレガントだった。
皆、自分が関わるより前の事件では鉄壁のアリバイを作り、自分が犯人役となるところでのみアリバイがなくなり、そして被害者役のところで表舞台から去る。その繰り返し。
だけれど、表の中には和を乱す行が存在していた。
他でもない、わたしの部分だ。
前の事件でのアリバイは穴だらけのくせ、大介君殺害の時だけはしっかりと成立している。まるであべこべだ。
「皆も知っての通り、この行に収まるのは原田さんではない。他に、ピッタリと当てはまる人物が存在するんだ。それは、誰か――」
元々のアリバイ表を確認したかったけど、生憎と手元にはない。どこにやったっけ、と思っているうちに新しい動きがあった。円卓の中空に浮かぶコンパクトなアリバイ表に、小さなセルが近づいていく。それはわたしの行を追い出し、そこにぴったりと収まる。動きが速くてそこに書かれている文字が見えないのだけど――
「あッ!」
横山さんが急に立ち上がり、椅子が倒れる。
とうとう、この場で気付いていないのはわたし一人だけになる。 しかし、それも数瞬のこと。
ピタリと停止したセルの文字が目に入り、その意味を認識して――わたしは、誰よりも大きな声を上げた。




