桐山大介の場合
「次は桐山だ。これも、本人がある程度察してると思うんだが、どうだろう」
そう尋ねる鹿島さんに対し、大介君は浮かない表情だ。
「察してると言うか……」
「と言うか?」
「や、鹿島サンが原田サンの首絞める、その直前まで考えてたことがあったんスよ。ずっとその意味が分かんなかったんスけど、自殺幇助だって分かったら、ぼんやりと思い出してきたっつーか……」
目が揺らいでいる。
それはつまり、心が揺らいでいるということなんだろう。
「いいよ。思い出した範囲でいいから、お前の口から言ってくれ」
鹿島さんの口調は、低く、落ち着いているのだけど――何だか、優しい響きが含まれているように思えた。
促されるまま、大介君は訥々と語り始める。
「オレ、ペットボトルが落ちるのを見て、その――なっちゃんの部屋で見つけた写真を思い出したんスよね。思い出した写真をそのまま出現させて、一枚一枚見ていったんスけど――」
何か、よく分かんなくて。
「よく分からないってことは、多少は分かる部分がある、ということだよな」
「や、まあ、そうなんスけど……」
大介君の言葉は煮え切らない。顔色も悪い。
「……多分、簡単なことなんだと思います。よっぽどの馬鹿でもない限り、誰でも簡単に分かる。オレにだって、分かることなんです。
だけど、オレは――何か、見た瞬間に頭がボンヤリして――何か、それ以上頭が働かなくなるっつーか……」
様子がおかしい。
表情筋を動かさないで、首がだんだんと傾いていく。
本人の言う通り、思考が緩慢になっているのかもしれない。
「桐山」
低く、だけど柔らかい声音で、鹿島さんは手を組む。
「お前、本当は全部、分かってるんじゃないのか?」
眼鏡の奥で、彼の双眸が静かに光っているのが分かった。
「いや……分かんないッスよ……」
「分からないんじゃない。単に、現実を受け入れられないだけだ。俺たちは、自らが死を選んだ訳――絶望の意味を、理由を、追体験しなくてはいけない。ここはそういう場なんだ。尾崎さんは酒で、如月さんは漫画だった。二人は立派に追体験してみせたよ。次は、お前の番だ。お前がお前を殺した理由を認めない限り、俺たちは決して先に進めないんだよ」
「――ぐっ……」
言葉に詰まる。
体が、震えている。
震えた手で、大介君は数枚の写真を円卓の上に差し出す。
「……これ、なんスけど……」
古い写真だ。そのうちの一枚は、前にわたしもこっそり見たことがある。その時は、普通に大介君と奈津美さんのツーショット写真だと思ったのだけれど……。
「これって……大介クン、じゃないわよね……」
羽生さんが小首を傾げ、おかしなことを言っている。
「……うん。よく似ているが別人だね」尾崎さんも同じことを言う。
「少しエラが張っているし、首も太い。全体的に無骨なイメージだ」
「と言うか、中学生にしては老けてる気がするんだけど」
画像が粗くて分かりにくいけど、言われてみれば確かに、今の大介君より数段大人っぽい。
「そうだね。それより何より――右下の日付がおかしい」
言いながら、写真を皆に見せる尾崎さん。
確かに、おかしい。
右下に印字された日付は、今より十六年も前のモノだ。大介君はギリギリ生まれていない。
つまり。
「これ――ウチの親父ッスよ」
思いがけない言葉に、わたしの思考回路はフリーズする。
「お父さん……って、え!? でも、奈津美さんって、お母さんの妹だったよね!? お父さんとは義理の兄妹で――」
「その時はまだ、親父とお袋は結婚してなかった筈ッスよ。オレが出来たの、結婚してすぐだったんで」
「え……」
と言うことは、どういうことになるだろう。
お父さんと、お母さんの妹・奈津美さんは相当親しい仲にあった。それも、両親二人が結婚する前の話だ。
それが意味するところは――
「元々、親父となっちゃんが付き合ってたんスよ」
え、と口を開いたまま固まってしまった。
「大介クン、思い出したの?」
羽生さんも驚いている。
「……まあ、大体は。鹿島サンにあそこまで言われたら、オレも思い出さない訳にはいかないっつーか……本当は、写真見た瞬間に、ほとんど思い出してたっつーか……」
口にしている内容とは裏腹に、その口調はどこか投げ遣りだ。
「思い出したこと全部、お前の口から聞かせてくれ」
やはり、鹿島さんの声には幾分の温かみが混じっている気がする。尾崎さんや羽生さんといった大人組と、意識してその口調を変えているのだろうか。
「思い出したことって言われても……どこから話せばいいのか」
「最初からだ」
「最初から――だから、なっちゃんはずっとオレの家庭教師をしてくれてたんスよ。自分も会社勤めで疲れてる筈なのに、毎週、律儀に来てくれて――それで、まあ、気が付いたらそういう関係になっちゃってて……」
肝心なところをさらりと流す。『気が付いたら』なんて言うけど、何がどうなったら血の繋がった叔母さんとそういう関係になってしまうんだろう。その辺、経験値ゼロのわたしには全く分からない。
「まあ、これがよくないことってのは二人とも分かってたんスけど、そこまで深刻に捉えてなかったっつーか……。子供さえできないように気をつければ、別にいいんじゃねって感じで――今思えば、馬鹿っつーか、ガキっつーか……」
「中三なんて、ある種一番元気な時期だからねえ」
人生の先輩、尾崎さんが、やたらオヤジ臭い台詞を吐く。
「まあ、ヤリたい盛りってのは分かるんだけどさあ」
一方の羽生さんはと言えば、いつもどおり赤裸々な表現を好んで使っている。
「ヤリたい盛りって何スか……」
「ううん、それはいいんだけど――大介クン、叔母さんのこと、好きだったのよね?」
「それは……まあ、そうッスね」
「で、叔母さんの方も、大介クンのことが好きだった。損得や肉欲とは無関係に――」
「――だと、思ってたんスけど」
おっと。
雲行きがおかしくなってきた。
片側の口角を引きつらせて、大介君は続ける。
「叔母さんと甥っ子とか、そういう関係じゃなくて、普通に男女としてっつーか……女なんて他に知らないんで、偉そうなことは言えないんスけど、少なくとも、オレは両思いだと思ってたんスよ……」
『両思い』という単語に、年相応の子供らしさを感じてしまう。
経験値から見れば、子供なのはわたしの方なのだけれども。
「でも、そんなの全部、オレの勘違いだったんスよね……」
ようやく本題に入るようだ。わたしは身構え、話の続きを待つ。
「オレ、見つけちゃったんスよ。親父となっちゃんが、仲良さそうに二人並んで写ってる写真。そんな写真が何枚も、アルバムに挟まれてて――訳分かんないじゃないスか。両親が結婚するより前に、何でお袋の妹であるなっちゃんが、親父と同じ写真に写ってるんだろうって。怖かったけど、直接本人に聞きました。これ、何って」
――そしたら。
「そしたら?」
「いや、最初はうまいこと話はぐらかされてたんスけど……粘って聞いたら、やっと教えてくれて……今思えば、そんなこと聞かなければよかったのかもしれないんスけど」
「少なくとも、あたしは聞きたいな。大介クンの口から」
全てを思い出し、他の人の事情も把握している筈の羽生さんが、少し底意地の悪いことを言う。
いや――そうしないと、いけないのか。
わたしたちは皆、自分で思い出し、自分の口で告白して、自分で処理しなければいけないのだ。
その意図が大介君にも伝わったんだろう。口を真一文字に結んで、小さく頷いている。
「……さっきも言ったんスけど、元々、付き合っていたのは親父となっちゃんの方だったんです」
「ふうん? でも、実際に結婚したのは、お母さんの方なのよね?」
「寝取ったんスよ、お袋が」
どこか投げ遣りな口調で、衝撃的な事実を口にする大介君。
「妹の彼氏を、お袋が奪ったんです。略奪したんスよ。ウチのクソ親父は、なっちゃんからお袋に乗り換えたんです。んで、結婚して、オレができて、今までフツーに家族やってて――そこに、なっちゃんが入り込んできて。いつの間にか、オレの家庭教師をやる流れになってて」
「それは、何のために?」羽生さんが絶妙な相槌を入れる。
だけど、大介君の言葉は理解の範疇を超えていた。
「復讐のためッスよ」
その言葉に、固まってしまう。理解が追いつかない。落ち着いて今の言葉を反芻してみたけど、やっぱり、意味が分からない。
「……どういうコト?」
ちらりとわたしに視線を寄越して、大介君は口元を痙攣させる。
「だから――オレに近づいて、そういう関係になったのは、全部、お袋に対する復讐のためだったんスよ。好きとか、そんなんじゃなくって――オレがお袋の息子だったから、それで、あの人は……」
後半、声が詰まってうまく聞き取れない。顔面は蒼白で、唇が激しく震えている。記憶が戻ると共に、その時の激情がぶり返してしまったんだろう。
「お母さんは昔、奈津美さんの彼氏を略奪し、結婚し、大介クンが生まれた。一方、奈津美さんは一旦大人しく身を引いたものの、その実、内心では恋人を奪った姉のことを許せないでいた。そこで、桐山家に家庭教師として入り込んだ。姉と元カレ――その愛の結晶を自分のモノにすることで、復讐を完遂するために」
冷静な羽生さんが要約をしてくれる。
だけど、そんなの全然納得できない。
そんなの、そんなの――
「ひどすぎる……」
「でも、それが現実なんです。オレは、ただの復讐の道具でしかなかったんですよ。好きだったのは、オレの方だけだったんです。向こうはお袋に復讐する、そのためだけにオレに近づいて、オレとそういう関係になって――多分、オレのことなんて世間知らずで扱いやすいガキくらいにしか思ってなかったんじゃないスかね……」
少なからず血の繋がった相手と、そこまでドライに接することができるものなんだろうか。例え、それが復讐のためとは言え、だ。まともな人間にできる所業ではない。
――いや、まともではなくなっていたのか。
奈津美さんは、自分から大事な人を奪った姉が許せなかった。
奈津美さんは、あっさり自分を捨てた元カレが許せなかった。
その復讐の結果が――これだ。
一番割を食ったのは大介君だ。両親の罪によって叔母に弄ばれ、弄ばれてることを知り、絶望して、死を選んだ。
そして今、ここで震えている。
「オレ……何か、色々と分からなくなっちゃったんスよね……。両親の汚いトコ見て、女のズルいトコ見て――何もかも信用できなくなったって言うか。ああ、オレ、もう一生まともな恋愛できねェんだって分かって……これ以上生きていくのがしんどくなったって言うか……こんな想いして生きていくなら、もう、ここでリセットした方が楽になれるんじゃねえかって――そう思ったんスよね」
リセット。
軽い語感で語られるその実態は、自死で自害で自決で自殺だ。
あらゆるモノが信じられなくなった少年は、第三者に首を絞めさせることで、その短い人生を終えた。
「本当に、そう?」鋭い語気で反論を口にしたのは羽生さんだ。
「大介クン、色々と理屈つけてるけど――きっとそれはそれで事実なのかもしれないけど――本当は、ちょっと違うんじゃない?」
「何が違うって言うんスか」
「大人の汚いトコを見たとか、女性が信じられなくなったとか――今時の中学生が、それで人生に絶望したりしないでしょ? 特に、ネット世界に順応した大介クンみたいな子は、十分すぎる程に大人の汚さなんて知り尽くしている筈だし」
「だったら――」
「だからさ」
羽生さんの視線が一直線に大介君を捉える。
彼は、そこから逃れられない。
「単純に、悲しかっただけなんでしょう? 初めて好きになった女に利用されただけだって知って、大介クン、ただどうしようもなく悲しかっただけなんじゃない? じゃないと、説明がつかないもの」
「説明……」
羽生さんを捉える大介君の瞳は、どこか虚ろだ。
「世界に絶望しただけなら、普通に自殺すればいいことじゃない。それなのに、そうしなかった。自分の死を連続殺人事件に偽装した――それはきっと、自分が死んだのを、自殺だって周囲に知られたくなかったからでしょう? はっきり言うと、大介君は奈津美さんを傷つけたくなかったのよ。自分のせいで――自分が復讐に利用したせいで甥っ子が自殺したって知られたくなくて、自分の死を偽装したって訳。その結果が、これ。だから、今ここにいる――違う?」
「う……」
羽生さんの声は鋭く尖っていたけれど、それと同時に、温かく、透明感に満ちていた。
つまり、大介君を落とすのには充分だったということで。
「ううううう……」
歯を食いしばり、ボタボタと涙を零す。
その水滴に込められているのが、一体何なのか――。
多分、わたしには未来永劫、分からないんだろう。
「――話を進めよう」
全てを思い出して悲嘆に暮れる大介君を横目に、鹿島さんはさっさと次に移ってしまう。
「桐山の事件に関しては、実際説明することは少ない。殺害方法も死体の状況も、特別目立った点はない。犯人の過失もほとんどない――決定的な一点を除いては」
平坦なトーンで淡々と話す鹿島さん。
だけどわたしは、決定的な一点が気になって仕方がない。
「それについては、後で話す。今は、ここにいる面子が何故ここにいるのか、その理由を明らかにする方が先だ。自分がここにいる理由を思い出せば、自ずと記憶は元に戻る。その方が話が早い」
尾崎さんと羽生さんが無言で頷いている。大介君は涙目のまま無反応だけど、反論しないところを見ると、きっとすでに記憶は戻っているんだろう。
残るのは、わたしと――
「次は、アンタです」
視線の先、横山さんが小さくなって座っていた。




