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総括

 わたしはきっと、何も分かっていない。

 昔からそうだったし、あの頃もそうだった。

 世界に対して――否、世間に対しての興味が、薄かったんだろう。自分一人で生きてきた訳でもないのに、幼稚さ故の傲慢さで、周囲を退けていた。

 いや、それも違うか。

 結局、臆病だっただけなんだ。傷つきたくなくて、現実を見たくなくて、自分が人より劣っていると認めたくてなくて、それで――わたしは、わたしを取り巻くモノへの理解を、放棄した。

 それで、いいと思っていた。

 常にいい子ちゃんの傍観者で、適当に同調して、適当に同情して、うまく世渡りができてるんだと増長して、本当は何一つ分かってないくせに分かっているふりをして、理解する努力もせずに、心の底では常に誰かのせいにして。それで。

 それで。


 一年の冬、舞と圭介が破局を迎えてからは、あまり楽しかった記憶がない。グループの付き合いは変わらなかったけど、舞自身が変わってしまった。あまり笑わなくなった。口数も減った。みんなと楽しく遊んでいる時も、一人、携帯電話をいじっていることも、多くなった。表立ったトラブルは特になかったけど――正直、ずっと居心地が悪かった。

 わたしはきっと、舞のことなど何も分かってなかったんだと思う。派手で美人で校内ヒエラルキーの上位に位置する彼女と『親友』でいることで、自身の幼稚な自尊心を満足させていたんだろう。

 笑ってしまう。

 打算だ。自己満足の算段だ。狡猾で利己的な偽善者だ。殺されたわたしに何らかの罪があるのだとしたら、きっと、そこなんだろう。

 一方で、圭介とは以前通りの付き合いが続いていた。幼馴染み、なんて言葉は好きではないけど、付かず離れず、疎遠になることも、何かに進展するでもなく、二人の関係は続いた。元々が色気より食い気のサッカー馬鹿だ。舞と別れてからは彼女ができた様子もない。結局、二人の破局の理由も聞けずじまいだった。臆病で鈍感で愚鈍で幼稚なわたしは、二人の間に立ち入るのを恐れた。真実を知ってしまったら、このぬるま湯のような関係も崩壊してしまう――本能的にそう察知していたのかもしれない。

 だからわたしは、何も知らない。

 知ろうとしなかったんだから当然だ。

 それで。

 その報いが――これだ。

 舞のグループと圭介と、双方にいい顔をして適当な関係を続け、二年に進級し、舞とも圭介とも別のクラスになって、それでもその適当な関係は続き、春が終わり、夏になって、舞と一緒に特別補習を受けるようになって、夏休みが終わり、それで、それで――

 それで。


 わたしは、殺された。

 

 結果、今ここにいる。

 周囲は変わらず夕闇の教室のまま。

 尾崎さんは最近の酒浸りを反省したのか、一転してコーヒーのみを口にして独自調査を続けている。

 スケッチブックに似顔絵を描いているのは羽生さんだ。正確に言えば、警察の描いた似顔絵を元に、自身の目撃証言を自身の絵で描いているのだけれど。言葉にすると意味不明。だけど、本当にそうなんだから仕方がない。恐らく大介君から頼まれたんだろう。黙々とペンを動かしている。

 一方、大介君は机の上に何かを広げて悩んでいる。距離があるのでよく分からないが――写真か何かだろうか。怖い顔をして、その一枚一枚を吟味している。

 大介君から受け取った漫画雑誌を熟読しているのは横山さんだ。真剣な面持ちでページを捲っている。

 そして。

 鹿島さんは、ずっと姿が見えない。

 扉の向こう、廊下部分に身を隠し、自問自答を続けているらしい。時々、煩悶の声や嗚咽、嘔吐の音が聞こえてくる。物凄く気になる。物凄く気になるけど、正直、どう話しかけていいのか分からない。尾崎さんや羽生さんにも、一人にしておいた方がいいと言われた。鹿島さん、本当にどうしてしまったんだろう。

 あの人は、何か思い出したんだろうか。

 それとも、何か考えついたんだろうか。

 わたしは知らない。

 わたしには分からない。

 だから、できることからできることを始める。知るために必要なのはデータ収集で、分かるために必要なのは、仮説の取捨選択だ。わたしなりの演繹的帰納的論理を使って、わたしなりの結論を導き――出したいのだけど、それが簡単にできたら苦労はしない。

 手元の資料に目をやる。

 ここには、一連の事件に関わる全ての人物のアリバイが、一覧にしてまとめてある。少し前に羽生さんに見せてもらったモノだ。今は、さらに関係者が増えて更新されている。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

 横山さん殺害時にアパートにいた容疑者四人。夜間警備員の富樫(とがし)行正(ゆきまさ)、派遣社員の堀川(ほりかわ)成美(なるみ)、学生の新井(あらい)(つばさ)、主婦の稲村(いなむら)理江(りえ)だ。さらに、クレーマーの畑中繁や、探偵の菱川政伸の名前まで追加されている――んだけど。

 何度見ても、よく分からない。

 全ての事件においてアリバイのない人なんて皆無で、他はまるでバラバラだ。アリバイのある人も、ない人もいる。以前羽生さんが言った通り、深夜に行われた第一の殺人ではアリバイの成立しない人が過半数だし、日中に行われた第三、第六の事件では多くの人間にアリバイがある。結局、アリバイのありなしでは犯人特定に至らないということなんだろう。

 ……考えれば考えるほど、よく分からなくなってくる。

 取り敢えず、整理しよう。

 事件ごとの謎と違和感を列挙してみることにする。


 まず、第一の事件。

 被害者は尾崎潤一。高円寺に住むコンビニ店長、五十二歳。近所の公園で絞殺死体が発見されるが、凶器、指紋、足跡、目撃証言などは一切なし。背中には『M』と書かれた紙が貼られていて、その意味は不明。また、死体からは微妙のアルコールが検出されていたが、その意味も分からない。若い頃にアルコール依存症だったことが関係している、という流れになっているけど、どうなんだろう。苦労して断酒に成功したのだから、自分の意思で酒を口にするのは有り得ない。だけど、犯人に無理やり飲まされたという説も、よく分からない。尾崎さんの件で一番分からない部分はここだろうか。

 よく分からないと言えば、クレーマーである畑中繁の存在も謎だ。一年くらい前から尾崎さんの店もターゲットに狙われていたらしいのだけど、本人はそのことを覚えていない。警察が参考人として行方を追っているにも関わらず、未だに姿が見えないのも不気味だ。

 また、これは他の事件でも共通することなのだけど――財布などは手つかずなのに、何故か携帯電話だけが持ち去られている。犯人は携帯を使って尾崎さんを呼び出した、という説が有力だけど、それにしたって、携帯を持ち去る理由が分からない。犯人の情報が記録されていたからだろうか。この辺り、いくら仮説を積み重ねてもなかなか結論が出ないので、もどかしい。

 

 二件目。

 被害者は鹿島寛貴。新宿に下宿する医大生で、年齢は二十歳(はたち)

 繁華街路地裏で、同じく絞殺死体が発見されている。遺留品や目撃証言がないのも同じ。携帯電話が持ち去られているのも同じで、残された文字は『V』。

 この事件に関しては、死体発見現場の真横にあるネットカフェがネックになっている。大介君の調べで、事件の前後に羽生さんらしき人物が店にいたことが確認されているのだ。もっとも、店の構造や入退店のシステムにより、羽生さんは物理的に犯行が不可能。純粋な偶然と言えなくもないけど、当の本人がそのことを全く覚えていない点が重要だ。羽生さんはきっと、店内で犯人に繋がる重要な証拠をたまたま手にしてしまったんだと思う。それで、次の被害者にされてしまったのだ。

 それはそれとして、鹿島さん本人のキャラもなかなか謎が多い。頭がいい上に実家が病院で自分も医大生で、何一つ欠点のない人間のように思えるのだけど、本人はそのことを強く否定する。『人の気持ちが分からない』だとか『皆が当たり前にできることが自分にはできない』だとか、妙にネガティブだ。横山さんのような分かりやすい卑屈さとは違って――何というか、純然と、自己評価が低い気がする。高所恐怖症だとかで、光景が屋上になってからは何かと不安定だ。ほとんど喋らず、ずっと一人で考え込んでいる。その挙句が、さっきからの奇行の数々。みんな気にはしているのだけど、どう接していいか分からないでいる。いつか心の内を晒してくれるといいのだけれど。


 閑話休題、三件目。

 被害者は如月羽生。大田区東矢口に住む漫画家、三十三歳。

 この人の事件は色々と特異だ。まず、殺害方法が前二件の絞殺とは違い、刺殺だ。正面から心臓を刺されて殺害されている。凶器が持ち去られ、指紋足跡目撃証言がない点は、前の事件と同じ。現場にアルファベットが残されている点も共通している。ちなみに、この事件では『E』が残されていた。

 犯行の三日前には未遂事件が起きている。その時は右手の甲を刺されていて、犯人の顔も目撃されている。細面で糸目の、狐を連想させる三十代の男だ。当然のことながら警察はこの男を追っているが、やはりこちらも確保には至っていない。

 わたしは、ネットカフェでのことと結びつけて、鹿島さんを殺害した犯人が重要証拠を奪還するために羽生さんを襲撃したのでは、と推理した。手の平ではなく手の甲を刺されたのが、その根拠だ。もっとも、未遂事件の犯人と殺害犯が同一という確証はない。一連の事件は連続殺人ではなく、犯行ごとに別々の実行犯がいるという説が出てからは、なおさらその線が濃くなった。狐顔の男は鹿島さん殺害の実行犯なんだろうか。いずれにせよ、警察が行方を掴まないことにはどうにもならないのだけれど。

 不可解な点はまだまだある。

 死体発見現場は東矢口から一駅ずれた蒲田の住宅地。これも前の二件と同じく携帯で呼び出されたんだろうけど、何故自宅アパートのある東矢口ではなく蒲田だったのかは、はっきり言って謎だ。現に未遂事件は東矢口で行われている。襲撃が失敗したからこそ、二回目は管轄の違う蒲田で行われたという説も出たけど、そうすると先程の説と矛盾してしまう。未遂事件と殺害事件、別々の事件なのか、同一犯なのか――この辺り、もっと掘り下げて考えてみるべきなのかもしれない。

 さらに、羽生さんは殺害時、相当な泥酔状態にあったという。酒好きではあるものの、決してアル中ではないと何度も断言する通り、昼間からベロベロに酔っ払うというのは明らかに不自然だ。顔見知りの犯行で、飲んで酔っ払ったところを刺された、と考えられなくもないけど、やはり昼間から大酒を飲むとは考えづらい。さっきは嫌なことがあった時に酒を飲む、と言っていた。事件と関係あるんだろうか。

 あと気になることと言えば、自分の作品に対する自己評価の低さだろう。現実問題、読者や出版社からの評価が低かったために、何度も打ち切りの憂き目にあっているんだろうけど……何だか、彼女の態度からは頑ななモノを感じてしまう。大介君は面白いと言っているし、今現在も横山さんが熱心に読みふけっている。漫画のことはよく分からないけど、もっと自信を持てばいいのに、なんて思ってしまう。


 また脱線した。次、四件目。

 被害者は桐山大介。さいたま市内の学校に通う十四歳の中学生。

 南浦和の公園で絞殺死体が発見されている。事件そのものに特異な点は少ない。犯人に繋がる物証、証言がないのも同じだし、携帯電話を持ち去られているのも一緒。アルファベットが残されている点も共通している。文字は『W』。

 特筆すべき点があるとすれば、それはやはり大介君周囲の人間関係だろうか。羽生さん曰く、大介君には特定の恋人がいたらしい。しかし学校での目撃証言は皆無で、かつ本人たちも周囲にそのことを隠していたのだとか。そこで羽生さんが半ば強引に出した結論が、叔母の黒崎奈津美さんだ。三十五歳、大介君より十歳も上ながら、童顔で若々しく、可愛らしい女性ではある。だけど、まさか実の甥と肉体関係を持つなんて――普通は考えられない。しかし、それこそが何らかの鍵を握っているのではと、羽生さんは睨んでいる。


 そして、五件目。

 被害者はわたし、原田瑞穂。赤羽の高校生で、年は十七。

 礼林学園のテニスコートで、絞殺死体が発見されている。他の事件と違うのは、目撃証言があることと、足跡が残されていたことだ。わたしが殺されたのは発見の直前だったらしく、遺体発見者は逃げる人影を目撃している。また、テニスコートにはスニーカーの足跡が残っていた。すぐ横は部室棟があってコンクリ床の部分もあったのだけど、足跡はそこから少しずれた、土の部分にあった。何故だろう。コンクリの部分で犯行を行えば足跡は残らなかった筈なのに。また、例によってわたしの携帯も持ち去られていたのだけれど、その際、犯人は鞄の中身を全て引っ繰り返すなんていう大雑把な真似を行っている。人影、足跡、携帯――これまで徹底して物証、証言を残してこなかった犯人なのに、随分と杜撰な印象を受ける。そのくせ、アルファベットだけは律儀に残している。『J』――それが、わたしの文字だ。

 特筆すべき点はもう一つ。わたしの指が、潰されていたことだ。これは本当に、訳が分からない。何の意味があってそんなことをされなくてはいけないのか。別段、自分の手や指や爪にそれほど思い入れがある訳でもないし、画家や漫画家、楽器演奏者でもない。それより何より、こっちは死んだ身だ。指を潰されたかと言ってどうということはない。それにしたって――これは、ひどすぎる。

 これが、わたしの罪に対する報いなのか。

 と言うより、わたしの罪とは、何なのだろう。自己主張が苦手で人の顔色ばかり窺っているいい子ちゃんだ。一年の中頃にネットいじめに遭って、一人になって――そこを、舞に救われて。

 それだけだ。

 ネットというものを毛嫌いしているだとか、舞と圭介の色恋沙汰に巻き込まれた、というのもあるにはあるが、それが殺人にどう結び付くのかが分からない。羽生さんや尾崎さんは何やら察している節があるが、当の本人はサッパリだ。

 だから、駄目なんだろうけど。


 そして六件目。

 被害者は横山慎一。川崎市に住む無職の二十六歳。

 これも、今までとは一線を画す事件だ。殺害方法は、絞殺でも刺殺でもなく、マンションの屋上から突き落とすという方法がとられている。屋上へのドアノブ、屋上を囲う鉄柵には指紋を拭った跡があり、アルファベットも残されていた。文字は、『S』。

 また遺体両腕の外側にはザクザクと刻んだ跡があったのだが――これもまた、意味が分からない。防御創でもないし、生前、アームカットしていた訳でもないらしい。

 犯行の前後、マンションの前では、不審な車が目撃されていた。その正体は、私立探偵・菱川政伸。彼はとある浮気調査のために、半日を費やしてマンション入口を張り込んでいたらしい。この人の証言が、捜査陣に混乱を呼ぶことになる。少なくとも一時から六時の間は、住人以外、マンションに出入りした人間はいないということなのだ。そこから、犯人はマンション内にいた人間なのでは、という方向に流れていくのだけど、何だか釈然としない。横山さんは去年派遣先で切られて以来、ずっと失業状態。世間と、社会と、世界と没交渉が続いていた。そんな彼を、誰が殺そうと思うのだろう。

 何だか、根本的な部分で間違えてる気がしてならない。

 横山さん自身も、相当に問題がある気がする。卑屈でネガティブで自己評価が低い。頭は悪くないのに、コミュニケーション能力は最低レベル。この人に罪があるとすれば、そこだろう。

 自己評価、か。

 鹿島さんも横山さんもわたしも、共通して自己評価が低い。

 それこそ、最低レベルだ。

 尾崎さんはアル中だった過去があり、羽生さんは漫画家としての行き詰まりを感じていて、大介君は実の叔母と関係を持っていた。

 酒、仕事、異性。

 恐らくは、それぞれの分野で――自己評価が、低い。

 共通点は、そこだ。

 だけど、それが何になると言うんだろう。それが、誰かを傷つけるのか。誰かに殺意を芽生えさせるのか。

 分からない。何もかもがサッパリ分からない。分からないから駄目で、分かろうとしてるのに分からないから駄目で、駄目だから分からない訳で――

 要するに、駄目なのだ。

 ただ、自己評価の低さ、という共通点は的を射ている気がする。何かの足しになるとも思えないけど、みんなに伝えておいて損はないだろう。取り敢えず、尾崎さん辺りと相談してみようか――

 と思ったその時。

 ガタン、という派手な音で体が硬直した。音のした方を見ると、羽生さんが椅子を引っ繰り返し、蒼白な顔で立ち上がっている。

 何やら、ただ事ではない。

「……どうか、したんですか?」

「へぇっ!?」

 声をかけた途端、頓狂な声を出して机の上にあったものを背後に隠す。それで誤魔化せたつもりか。

「何を隠したんですか?」

「何も隠してないよ?」

 後ろに回していた手を前に持ってきて、何も持ってないアピール。

「出現させることができるんなら、消すこともできますよね……」そのくらいでは、もう驚かない。「今さら、わたし相手に隠しごとしてどうするんですか。事件に関係するかもしれないんで、見せてください」

「いや、あたしにもよく分からないんだけどね……」

 おずおずと、空中からスケッチブックを取り出す。

 そこには、狐顔の男性が可愛らしい絵柄で描かれていた。

「さっきの会議の後、大介クンに頼まれた訳。あたし、殺される前に襲われたじゃない? その時の、警察が描いた似顔絵を、あたしの絵で描いてくれって頼まれたんだけどサ――」

 似てるんだよね。

 視線を遠くに飛ばしながら、羽生さんはそう言う。

 視線の先には、漫画雑誌を机の上に積んでいる横山さんの姿。

「横山さん、ですか? 確かに痩せてますけど、顔は全然……」

「そうじゃなくて」

 視線を横山さんに据えたまま、羽生さんは移動を始める。そして、その痩せた背中に言葉をかける。

「読み終わったの?」

 聞くが、横山さんはノーリアクション。

「ねえ、横山クン」

「え!? あ、はい、大丈夫です」

 呼びかけられ、体全体を跳ね上げて反応している。この人のこの感じ、久しぶりだ。

「大丈夫じゃないみたいだから、もう一回聞くわね」特に苛立った風でもなく、羽生さんは髪をかきあげる。「漫画、読み終わったの?」

「あ、はい。面白かったです」

「本当は?」

「え?」

「社交辞令はいらないの。本当は、どう思った?」

 羽生さん、目が怖い。似顔絵の件と関係があるとは思えないから、恐らくは純然とした興味なんだろう。

「どう思ったって聞かれても……僕の感想なんか聞いても……」

「あたしは、横山クンの感想を聞きたいの」

「え、あの、えっと、これはあくまで個人的な感想で、僕は完全に素人なんで、全然聞き流してくれていいんですけど――」

「そういう保険はいいから」

「えっとですね――」

 忙しなく前髪をいじりながら、横山さんは話し始める。

「あの、絵と言うか、画力はとても高いと思うんです。女の子も可愛いし、引き込まれる部分があります。ただ、ストーリー展開が割とシリアスなんで、絵柄とのギャップには正直違和感があります。描写は、よく言えば丁寧なんですけど、悪く言えば冗長と言うか……ところどころ、読んでいて疲れてしまう部分がありますね。特に心理描写が細かすぎて、はっきり言ってテンポが悪いです。例えばこれが恋愛をテーマにした少女漫画とかならいいんでしょうけど、これはサスペンスものの青年漫画な訳で……。読み進めると、その描写の一つ一つが伏線だってことにも気付くんですけど――週間連載という形でそれをやられると、正直キツいですね。そこまで読者を引っ張っていくリーダビリティーがあるかと言えばそれも疑問で、大抵の読者は途中で切ってしまうと思うんです。そこが残念と言うか、損してますね。それと――」

 伏し目がちに淡々と語っていた横山さんの言葉が、不意に止まる。羽生さんの顔を見て、固まっている。わたしは口を開けて聞いていただけなので気付かなかったが――何やら、羽生さん、物凄い怖い顔をして横山さんを睨みつけている。眉間に皺を寄せ、口を真一文字に結び、さながら般若か羅刹のよう。

「あ、あの、スミマセンっ! 僕、調子に乗って偉そうなことをべらべらと……あの、本当に僕みたいなのが勝手に感じた素人の感想なので、全部聞き流してもらって――」

「続けて」

 腰を浮かし今にも土下座せんばかりに恐縮する横山さんだけど、羽生さんは更に先を促す。そこから感情は読み取れない。

「でも、本当に僕の感想なんて――」

「いいから」溜息を吐き、小首を傾げたまま腰に手を当てる。

「一応、あたしだってプロの端くれなんだから、余程的外れでもない限り、批評聞いて怒ったりはしないわよ。だから、全部聞かせて」

 目の奥に真剣なものを感じたんだろう。小さくなりながら、横山さんは批評を続ける。キャラクター造形のこと、視点変化や時系列変化などの構成について、パロディネタやセクシー描写の是非について――わたしは、嘆息を漏らしていた。その批評が正しいかどうかは分からない。羽生さんが何も言わないということは、ある程度、的は射ているんだろう。それにしても、ここまで批評めいたことを言えるだなんて――この人、やっぱり侮れない。

「――って、僕は感じたんですけど……」

 全て語り終わったらしい横山さんが、前髪の下から羽生さんの顔色を窺っている。対する羽生さんは、眉間の皺をますます深くして、考え込んでいる。

「……やっぱり、怒ってます?」

 冷や汗をかき、声を震わせながらそう尋ねる。しかし、羽生さんはその問いには答えず、

「今の感想ってサ――全部、横山クンが自分で考えたんだよね?」

 などと、ちょっと意味の分からないことを言っている。

「え? ……あ、はい。それは、もちろん」

「ネットとかを参考にした訳じゃ、ないのよね?」

「と言うか、『アカルイアシタ』自体、さっき読み終わったところなんで……」

「だよね……」

 ごめん、ありがと、と言い残し、羽生さんは横山さんの席から離れる。腕組みして顎に手を当て、沈思黙考スタイルだ。今の批評を聞いて、色々と思うところがあるんだろう。

 だけど。

「羽生さん、似顔絵の件はいいんですか?」

 例のスケッチブックは、何故か今、わたしの手にある。羽生さんが横山さんの机に置き忘れたのを、慌てて持ってきたのだ。

「ん? ああ……それも、よく分かんないよね……」

 肩ごしに振り向き、溜息を吐く。

「――何か、ここにきて混沌としてきたわね……」

 よく分からないのはこっちだ。羽生さんの絵で描かれた似顔絵と、羽生さんの作品に対する横山さんの批評と――

「それって、事件に関係してるんですか?」

「……少なくとも、あたしには関係してるわね」

「そりゃそうでしょうけど」

 何を当たり前のことを言っていんだろう。

「ううん、そうじゃなくて……多分、それもこれも、あたしの失われた記憶に関わってるのよ。さっきから、ずっとそのことを考えてるの」

 失われた記憶。連続する生前記憶の、欠落部分。

 つまり、それは。

「やっぱり、事件に関係してるってことじゃないですか!?」

 わたしたちは事件に関わることを全て忘れている。つまり、記憶の欠落部分を探す作業そのものが、真相解明の近道になる――そう主張したのは、鹿島さんだっただろうか。

「うん――だから……ごめん。ちょっと一人にさせて。今は混乱しちゃって、よく分かんないんだ」

 血の気の失せた顔で、羽生さんは薄く微笑む。

「もうちょっとで、何か思い出せそうなんだけど……」

 首を振りながら教室の隅に移動する羽生さんを、わたしは呆然と見送っていた。


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