似顔絵
連続性なんて、幻想なんだろうか。
全ては個として点在しているだけなのに、それを勝手に結んで、繋がっていると錯覚しているだけ。
本当は、バラバラなのに。
人も、気持ちも、事件も――皆が、勝手に連続性を見出しているだけ。何も繋がっていない。個。バラバラ。点在。散乱。
混沌だ。
現実世界でも――この、密閉空間でも。
夕闇の教室という虚構の風景の中、エントロピーは集約されることなく、増大していく。
何も解決しない。
何も進展しない。
何も、分からない。
わたしは一人、教室中央の席で項垂れている。
横山さんの推理を聞いてから、一時間程が経過していた。すでに、羽生さんは尾崎さんの座る教室後方へと移動し、何やら話し込んでいる。先程の話を伝えているのだろうか。尾崎さんは神妙な顔をしてそれに耳を傾けている。片手にはミネラルウォーターのペットボトル。アルコール摂取は一旦お休みらしい。
合理的論理的思考マシンだと思われていた鹿島さんはと言えば、腕を組んで教室の前方と後方を行ったり来たりしている。石像のように固まっていたさっきよりはマシだけれど、近寄りがたいことには変わりがない。考えをまとめているのだろうか。最近、発言らしい発言がないだけに気になるところではあるのだけれども。
負け犬ルサンチマンかと思われていた横山さんは、わたしと羽生さんが離れたのを機に、再びデータ資料の読み込み作業に戻っている。また何か新発見をしてくれるんだろうか。コミュケーション能力に難はあるものの、本当に侮れない人ではある。
そして。
ずっと一人で何やら調べていた大介君は、今わたしの横にいる。
わたしの横にいて、何やら思いつめた顔をしている。
「……どうか、した?」
気になって仕方がないので、わたしの方から声をかけてやることにする。
「あの……ちょっと、いいッスか?」
「わたしでいいの?」
「原田サンじゃないと駄目なんスよ」
俯き、若干上目遣いにわたしを見る。何だこれ。君はそんなキャラじゃないでしょうに。ただ、悪い気はしない。さっきまで羽生さんが座っていた席を進め、話を聞く体勢に入る。
「あの――オレ、ずっと漫画読んでたじゃないッスか」
「ああ、『はぶやよい』の連載作品ね」
言った直後で、言い方が嫌味だったかなと反省する。
はぶやよい――それは如月羽生のペンネームで、大介君が読んでいた雑誌で連載されていた作品は、ほんの数ヶ月で打ち切りの憂き目にあったらしい。この子はそれを知っていて、本人の目の前でその作品を読むという態度に出た。羽生さんは不快感を露わにし、直前に大介君と叔母との禁断の関係を暴露したこともあってか、二人の口論はヒートアップし、現在二人は冷戦状態。わたしはその一部始終を目の前で目撃していた。この空間では羽生さんと行動を共にすることが多く、その時も羽生さんサイドに立っていたため、正直、大介君とマンツーマンで話すのは少しだけ、気まずい。
「センセーの『アカルイアシタ』って漫画、読んでたんスけど……」
「あれ、どういう話なの?」
気まずさも手伝ってか、本題に入る前に話題をそらしてしまう。それ以前に、あの羽生さんがどういう漫画を描くか、純粋に気になってはいたのだけれど。ただ、本人があれだけ読まれるのを嫌がっていたので、今まで読めずにいた、というのもある。内容を聞くのなら、今しかない。
「えっと……リプレイものって言うんスかね? ある日突然、同じ一日を何度も繰り返すことになったフツーの高校生が主人公で、最初のうちは身の回りのあれこれを解決するのに駆け回ってたんスけど、そのうち、自分と同じ境遇の人間たちがたくさん出てきて、妙な陰謀みたいのに巻き込まれていって、さあこれから――ってところで打ち切られちゃったんスけど……」
あらすじを聞いただけでは、割とありきたりな話に思える。もちろん、実際に読んでいない状態で、作品の善し悪しなど分かる筈もないのだけれど。
「大介君、それ読んで面白いって言ってたけど……実際は、どうなのかな。最後まで読んで、面白かった?」
「それ、聞きます?」
「聞きたい」
我ながら底意地が悪いとは思う。だけど、今は彼の本当のところが知りたかった。
「……いや、普通に面白かったですよ。絵は上手いし、なんか、引き込まれました。ただ、何て言うか――色々詰め込みすぎちゃって、読んでて疲れるって感じはしましたけど」
何となく分かる気がする。あの人の描きそうな話だ。
「んで、中盤から、主人公と同じ目に遭ってる人間が何人か出てくるんスよ。そいつらは繰り返す世界を何とかしたくて、それでグループを組んでて、そのグループのリーダーってのが、新城って男なんスけど、コイツがなかなか腹黒くて――」
「ちょっといい?」
放っておいてもよかったのだけど、さすがに潮時だ。漫画のあらすじはこの辺りでいいだろう。こちらが話題そらしておいて、我ながら勝手な話だとは思うのだけれど。
「大介君、わたしに何か話があるんじゃなかったの?」
「えっと、それなんスけど――」
遠慮がちに右手を掲げると、その先には一枚のプリント用紙が握られている。大介君は、その紙をおずおずと机の上に差し出す。
三〇代の細面の男。
見飽きた顔だ。七月十日、羽生さんの右手を負傷させて逃走した男――専門の警察官が描いた、その似顔絵。
「この男が、どうかしたの?」
「あの、センセーに、コイツの似顔絵を描いてもらえないかなって思って……」
一瞬、思考がフリーズする。
「……意味が分かんない。羽生さん、その時の記憶、まだ戻ってないんだよ? 襲ってきた男の顔なんて、今の羽生さんに分かる筈がないでしょう」
「だから、警察が描いた似顔絵を元にして、センセーに描いてもらいたいんスよ」
「何のために? 似顔絵を元にして似顔絵を描くって、二度手間以外の何物でもないよね?」
「あ、いや、そうなんスけど――ってか、そうじゃなくてセンセーに描いてもらいたいんスよ。こういうリアルな絵柄じゃなくて、センセーの絵で、描いてもらいたいんです」
羽生さんの、絵で――?
意図するところは全く分からないが、恐らく、大介君には大介君で考えがあるんだろう。ただし、言うべき台詞は決まっている。
「何でそれをわたしに言うの?」
「原田サン、センセーと仲いいじゃないッスか。原田サンの言うことなら、あの人も聞くだろうし」
「別に、大介君の言うことでも聞くと思うけど……」
「聞きませんよ。原田サンだって見てたじゃないですか。センセー、怒ってるし。オレの言うことなんて……」
この子は、羽生さんを何だと思ってるんだろう。
「羽生さん、そこまで子供じゃないよ。真相解明のヒントになることなら、むしろ喜んで引き受けると思うけど?」
「いや、でも――」
そう言って目を伏せる。薄々感づいていたけど、これで確信した。
「大介君が頼みにくいだけでしょ? あれだけ激しく喧嘩したから、気まずいんでしょ? だったら尚更、自分で頼まなきゃ駄目だよ。いい機会だから、仲直りしたらいいんじゃない? わたしたちも、その方がやりやすいし」
説教なんて柄じゃないけど、考えるより先に口が出ている。生前の自分なら考えられなかったことだ。皮肉なものだと思う。死んでから成長するなんて、悪い冗談にもならない。
「そう、ッスかね……」
「そうだよ。今は尾崎さんと話し合ってるからアレだけど、二人の会話が一段落したら、話しかけてみたら?」
わたしの提案に、大介君は黙って頷く。
だけど、どうもその機会は訪れそうもない。
「ちょっと、みんな聞いてくれ」
水のペットボトルを片手に、立ち上がった尾崎さんが声を張り上げる。皆、何事かと顔を上げる。
「凶報だ。ちょっと、集まってほしい」