アルファベット考察(関係者一覧)
円卓では、相変わらず男三人が画面を覗き込んでいた。角度の関係で何が表示されているかは分からない。覗き込むつもりもない。何か分かれば、後で教えてくれるに違いないからだ。それより、今は自分のことを優先すべきだろう。見るべきデータ資料はまだ少し残っている。さっさと片付けてしまおうと椅子に手をかけたところで、羽生さんに袖を引っ張られる。
「瑞穂ちゃん、ちょっといい?」
隣の席に座る彼女の前には、無数の資料と共に、英和辞典や、いくつものメモ書きが散乱していた。現場に残されたアルファベット文字の意味を解明しようと格闘した後なのだろう。
「何か、分かったんですか?」
「分かったって言うか――やっぱまだ、思いつきの段階なんだけど。一つ仮説が立ったから、瑞穂ちゃんに聞いてもらおうと思って」
他の誰でもなく自分が指名されたのは、鋭い意見が聞きたいのではなく、同性に対する気安さからなのだろう。それでもよかった。正直、興味もあったし。
自分の椅子を引っ張ってきて、羽生さんのすぐ横を陣取る。
「仮説って、どんなですか?」
「うん……あたしね、一連の文字には一定の法則があって、その順番通りに現場に残されてるんだと思ってたんだけど……ちょっと、見方を変えてみたんだ」
「どういう風にですか?」
「前の会議の時にもちらっと話したけど、あの文字は、一つ一つが何らかの罪を指し示してるんじゃないかって」
「七つの大罪――じゃないですよね」
「うん、違う。それも考えたけど、M、V、E、W、Jから始まる罪の単語なんて、見つからなかったから。そうじゃなくて……これは、誰かのイニシャルなんじゃないかって、考えてみたの」
「イニシャル、ですか」
「これ、被害者五人に関わる人たち――家族や、友達、それに学校、仕事関係の知り合いをピックアップしたんだけど――見て」
促されるまま、差し出された紙に目を通す。
眩暈がした。
一人一人の名前は各種データ資料で知ってはいたが、まとめると結構な量になるものだ。コンビニの従業員や両親まで律儀にカウントしてるので、これだけの人数になってしまうのだろう。さすがに捜査関係者やマスコミの人間は割愛したらしいが……。
ちなみに、尾崎さんのところにある長谷川真一なる人物、肩書きがSVとなっているが、これは『スーパーバイザー』の略で、要するにコンビニ本部の管理・監督役の人間のことらしい。
また、二俣天竜という漫画家は、羽生さんのアシスタント先だ。わたしはそっち方面も疎いのでよく知らないけど、アニメ化されたこともある人気作家らしい。本名は鈴木浩史で、二俣天竜と言うのは故郷である浜松の地名をそのままペンネームにしたモノらしい。同郷ということもあってか、かなり可愛がられていたのだとか。
とまあ、そんなことはどうでもよくて。
「下のアルファベットが、イニシャルってことですよね?」
「そう。でね、もしかしたらあの文字一つ一つは、被害者そのものじゃなく、被害者に関わる人物を指し示しているんじゃないかって、あたしは考えたのね」
「……すみません、ちょっと、意味が分からないんですけど……」
きっと、自分の頭が悪いせいではないと思いたい。
「うん、だからね、犯人の狙いは、元々あたしたち五人じゃなかったのよ。別に、狙うべき五人の人物がいた。その五人は過去に何らかの罪を犯していて、犯人、あるいは犯人の近しい人間を深く傷つけた。犯人は狙うべき人間を探し出し、復讐を決意する。だけど、その復讐の仕方が、少し変わっていた。恨むべき人間の命を直接奪うのではなく、その家族や友人・知人を狙ったのよ」
「何のために……」
「もちろん、苦しませるためよ。現場に残されたイニシャルを見て、本来狙われている人物は、その目的に気が付く。そして、苦しむの。あの人が死んだのは自分のせいだ、って」
「うーん……」
どうしよう、突っ込み所満載だ。
「……ちなみに、その、狙われていた人物というのは……」
「リストを見れば一目瞭然でしょ。各々の事件で残されていた文字と、イニシャルを照らし合わせればいいだけだもの」
リストを手元に引き寄せ、羽生さんは羅列された名前の上に丸印をつけていく。
「ちょっと待ってください。何で水口詩織さんなんですか。彼女、Vなんてついてないじゃないですか」
まずは、そこが気になった。かつて鹿島さんに彼女がいたことも気になったが、今はどうでもいいだろう。
「そこよ。考えてみたんだけど、あれ、もしかしたらVじゃないんじゃないか、と思ってね」
「どういうことですか」
「平仮名の『し』だったってことは、ない?」
「ないです」
即答してやった。
「……うん。否定されるだろうなとは思ってたけど、否定されたこと自体より、その速さにビックリしたわ……」
「おかしいでしょう。他の四つがアルファベットなのに、何故一つだけ平仮名なんですか。と言うか、日本人でVがイニシャルになる名前なんてありえないんじゃないですか?」
「瑞穂ちゃんは、この推理には反対って訳ね?」
「反対です。羽生さんの推理だと、実際の被害者五人には何の罪も落ち度もなくて、ただ標的の近くにいたってだけで殺されたってことですよね?」
わたしの場合は、純が過去に犯した罪のせいで、被害に遭ったってことになる。
そんなの――絶対に嫌だ。
純は確かに友達だけど、それはあくまで、舞を経由した間柄だ。友達の友達、と言ってしまってもいいかもしれない。わたしが死んだことで涙の一つくらいは流すだろうけど、それで深刻な精神的ダメージを受けるとは、とても思えなかった。
「自分自身に落ち度があるならともかく、そんな、身代わりみたいな話、絶対に納得できません。みんなだってそうだと思いますけど」
「そりゃねえ……あたしだって、母親のせいで殺されたなんて、到底納得できないわよ。関係ないもん」
「だったら――」
「でも、被害者が納得するかどうかなんて、それこそ関係なくない? そんな配慮をする殺人鬼なんていないでしょう」
「……羽生さんは、この推理に自信があるんですか」
まずは、そこを確認しておきたかった。この人はどうも、どこまで本気でどこまで冗談か、うまく推し量れないところがある。
「自信というか、思いつきを一つずつ潰している段階なんだってば。でも、あたしなりに真剣は真剣なのよう? この説を補強するために、ピックアップした人たち、過去に繋がりがないかどうか、結構本気で調べてみたりもしたし」
尾崎さんの元妻と、鹿島さんの元カノ、羽生さんの母親、大介君の友達に、わたしの友達――ここにいる五人と同じく、何の接点も共通点もなさそうな五人だけれど……。
「何か見つかったんですか」
「何も、ナシ。オールクリアー。あくまで警察の調べた範囲内だけど、年も職業も生活圏もバラバラだしねえ。何も重なりあう部分は見つからなかったわ」
脱力した。人に聞かせるまでもなく、最初から捨て推理だったということではないか。
「わたしに話した意味ないじゃないですか……」
仲良くなったからか、だんだんと遠慮のない物言いになっていくのが分かる。恐らくは、彼女もそれを期待しているのだろうけど。
「意味なくなんかないわよう? とりあえずこれで、イニシャルって線は消すことができた訳じゃない。それに、提示された文字が、あたしたちの思っているのとは別のモノかも、っていう可能性にも気がつくこともできた。これ、大きな一歩じゃない?」
「足踏みだと思います……」
やはり、どこまで本気なのか分からない人だ。
わたしは脱力感を覚えながら、自分の席に戻った。