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どっちを向いても木や藪があるだけ。
もともと方向音痴だし。迷ってしまってるのは明らかなので、こういう時は、あんまり動かない方がいいはず。
まだ日も高いし。開き直った私は、ひときわ大きな木の盛り上がった根っこの上に腰を下ろした。
耳を澄ましていれば、誰か近くを通りかかったら、気がつくかもしれない。そうしたら、声のする方に行けばきっと抜け出せる、よね?
だけど。
いつまで待っても、周りは不思議なくらい静かで。ゆっくりと確実に、日が傾き始めて。
聞こえてくるのは、葉擦れの音と蝉時雨。
ここにいて、どれくらいたったのか。だんだん、不安になってくる。
森林浴コースから、それほど離れたわけじゃないと思うんだけど……どうして、こんなところに来ちゃったんだろう。
傾いた日の光は木々に遮られて、ますます薄暗くなってきた。
暗さが増すにつれ、心細さも増す。
「……ハルくん」
知らず、声に出していた。
「千裕……優香さん……りょーすけ……ヒデさん……」
誰か。
探してくれていたり、するのかな。
さすがにこんなに長い間出てこなかったら、どこ行った? ってなるよね。優香さんには、森林浴コースを回ってきますって、言ってあるし。
「ハル、くん……」
やだな。泣きそう。この年で、迷子になって泣くなんて。馬鹿みたい。
「……美緒!」
やだな。幻聴まで、聞こえてる?
でも。
「ハルくん……ハルくん!」
呼んでしまえば、声は、想いをのせて大きくなって。
その時。
がさがさっと、茂みを分ける足音がして。
驚いて振り返れば、そこに。
息を切らしたハルくんが、いた。
「……こんなとこ、に」
膝に手をついてハルくんが脱力していくのがわかった。
「もう、いー加減にして」
ハルくんは、ゆっくりと私のところにやってきて、目の前にしゃがみ込む。
「あー、もう」
なんだか、少し怒ってるみたいだけど……心配して、くれたんだ。
なんだかそこにハルくんがいるのが夢のようで、呆然としてしまった。
「……夢じゃない、よね」
思わず、つぶやいた。しゃがみこんだハルくんの目の高さは、私と同じくらい。
「夢じゃない」
ハルくんは言って、手を伸ばし、そっと私の頬に触れた。
「……泣いてた?」
恥ずかしすぎて細かく首を振る私を、両膝を地面につけたハルくんが両手でふわっと抱き寄せる。
「勘弁してよ、もう」
「ご、ごめんなさい」
迷子になった不注意を叱られたのかと思って、謝ったら。
「違うよ。……ごめん、俺の、事情」
「ハルくん?」
一瞬、ぎゅっと抱き寄せられた気がしたけど。勘違いかと思うほど、すぐに腕はほどけて。
「けがとか、してない? 歩ける?」
立ち上がったハルくんは、やさしくそう言った。
「うん、大丈夫」
「コースから、そんなに離れてないから。ロッジも、すぐだよ? 行こう」
手を引いて私を立ち上がらせ、そのまま。
ハルくんは歩き出した。
つながれた手が、なぜか痛いほどで。
しばらく行くと、コース表示のある径に戻れた。ほんとに、意外にすぐだったんだ。
懐中電灯の光が、あちこちで交差している。みんなで私を探してくれていたようで。
ロッジ前で、
「美緒!」
「美緒ちゃん」
「大丈夫?」
と、千裕や優香さんなど、心配してくれていた面々に取り囲まれた。
いつの間にかハルくんは離れていて、熱を失った掌だけが、さっきの出来事が夢じゃないと伝えていた。
夜の肝試しは、私の件で実行を見送ろうかという意見もあったけど、私のせいでみんなのイベントがなくなっちゃうなんてさらに申し訳ないので。ヒデさんに頼んで、予定通り行われることになった。
さすがに私は、不参加を許してもらったけど。
ホテルロビーで、みんなを待つ。
少人数で、別館のチャペルまで行って帰ってくるってだけの催しなんだけど。ヒデさんによれば、途中でいくつか罠があるらしい。別館までの距離もあるし。
ヒデさんが運営側なので、またも優香さんは居残り対応。
だからロビーで待っていても、なんとなく安心感がある。
「美緒ちゃん」
冷房の効いたロビーで、少し肌寒く感じていたところに、優香さんが温かいカフェオレを持ってきてくれた。
「一緒に、飲も」
「ありがとう、優香さん」
「落ち着いた?」
「……はい」
「なんだか、この合宿、美緒ちゃんには濃いよね」
静かに言う優香さん。
……濃い。ほんとにそうだ。テニスの後には宗純に告白され、買い出しに行けばハルくんの行動がよくわからず、朝から自転車は溝にはめて、ハルくんの言動にまどわされ、あげくに迷子…って。
はあ。ロビーのソファはふかふかで、沈みそうなくらいやわらかい。
「美緒ちゃん、見つけたのって……ハル?」
こくんと私が頷くと、
「そっか」
すごく納得したように優香さんは、また自分のカップに口を付けた。
「美緒ちゃんがいないって、なったとき、ね。ライトも持たずに飛び出してたから」
ハルくん、が? 私は、優香さんの顔をまじまじと見つめてしまった。
「うん、なんか……いつもの余裕はなかった、かな」
優香さんは、悪戯っぽくにこっと笑って、
「いいもの見せてもらっちゃった」
と言った。
「ハル、気づいてないかもしれないけど。ううん、自分で気づかないようにしてるのかもしれない。でも、たぶん美緒ちゃんは、すごく、別格? ……そんな感じ」
「でも……」
「うん、まあ、そんなにすんなりとはいかないだろうけどね。だから、美緒ちゃんは、そのままでいたらいいよ」
優香さんは、そう言って私を励ましてくれたのだった。