30
白い車の軌跡が、静かな音楽を奏でるように住宅街を抜けていく。
窓の外を流れていく夜の街。個人の家でも時折、樹木や壁にイルミネーションを飾っていたりして、師走の街は、眺めていても飽きない。
「寂しかった?」
「え?」
「じゃあ、俺だけか」
ハルくんは前を向いて運転しながら、少し悔しそうにしている。
「俺は、美緒に会えなくて、寂しかったよ?」
あまりにストレートな言葉に、胸が跳ねる。
信号で止まると、
「花の香りでむせちゃいそうだから、後ろに置こうか」
ハルくんは手を伸ばして、花束をそっと後部座席に回した。
「ちょっと会わないと、戻るね」
苦笑しつつ、また車を発進させるハルくん。
「美緒、また緊張してるでしょ?」
「そう、かな」
「そうだって」
そう言いながら、ハルくんはシフトバーから解放された左手で、私の右手を握った。
「……ハルくん、花束を後ろに置いたのって、もしかして」
「うん。邪魔だったから」
……あんまり当然のように言われると、何も言い返せない。どきどきしすぎて、それどころじゃないせいもあるけど。
片手を離してて、車の運転には不都合ないんだろうか。さすがに、信号で止まる時なんかは、操作が必要になって手を離すよね。
「ハルくん」
「ん?」
「今日、バイトは?」
「ああ、りょーすけに生徒のフェイスシート作って頼んできた」
「就活、解禁されたとこなのに……」
「説明会も夜まではやってないよ」
言いたいことは、こういうことじゃなくて。
「なに? 美緒、会いたくなかった?」
そうじゃなくて。
ただ首を振って表すしかできない。
「ごめん、間を空けすぎたね。不安にさせてた?」
ぎゅっと、絡めた指に力が伝わる。
「ハルくんのせいじゃ……。私が、勝手に……」
「それでも、ごめん」
手の平から伝わる熱に、少しずつ解けていく想い。
「電話とか、出られない時だってあるかもしれないけど、でもできるだけすぐに折り返すから、遠慮しないで」
「でも」
「迷惑なわけないから」
ハルくんは断言する。
「我儘でも、なんでも。言ってくれなきゃわかんない」
「……私ばっかり好きみたいで」
「そういうこと言うと、行き先変えたくなるな」
「行き先?」
そういえば、どこに行くのか聞いていないことに思い当たる。
「とりあえず、ご飯」
ハルくんは、それだけ言って詳しく語らなかった。
高速を降りてしばらく走り、山の手に向かう。
案内されたのは、高台のこじんまりした洋食屋さんだった。
こんな風にデートできるなら、もうちょっとちゃんとした服装でくればよかったと、毎度のことながら悔やんでしまう。濃いグレー系のチェックのスカートとオフタートルの白いニット。ベージュのコートにブーツ。カジュアル過ぎるってことはないと思うけど。
ハルくんは、白いシャツにチャコールのカーディガン、黒のチノ。コートは、車の後部座席に花束と同じく放り込まれたまま、藍とグレーのマフラーだけ巻いて、外に出て。寒そうなのに、一瞬だからと白い息を吐きつつ、助手席まで回り、私をお店までエスコート。
レストランは、ちゃんと予約してくれていたようで、窓際の席に案内された。
窓からの夜景は、まるで星空のようで。なんだか別世界。
コース料理よりは肩の張らないビーフシチューのセットを頼んだ。
「あらためて、お誕生日おめでとう」
ハルくんが言って、今度は素直に、
「ありがとう」
と言えた。
「何か欲しいもの、ある?」
「もう、もらったよ?」
「花は、とりあえず、だから」
「ハルくんが、こうして時間裂いてくれただけで嬉しいから」
「……だから、美緒は。どうしてそういう顔で、そういうこと言うかな」
あれ? ちょっと不機嫌……?
「ほんっとに、行先変えたらどうするの?」
ぼそりとハルくんは言うけど、
「だって、どこに連れてってくれるのかも聞いてないし」
と返すしかなかった。
食べ終わった後、車に戻って、また少し走った。それから、山上の展望公園で、車を降りた。
今度は、ハルくんもちゃんとコートを着てる。
眼下に広がった街は、息をのむ美しさ。冬のきんと張りつめた空気の中で、ちらちらと街灯りが瞬いている。市街地では、祈りの光の回廊がちょうど今日から始まっていて、それを上からも見下ろせた。
「きれい……」
「なら、よかった」
上から、ハルくんの声がして、後ろからすっぽりと抱きしめられた。
「ハル、くん?」
「寒くない?」
「……うん」
感じるのは、寒さよりうるさいくらいの胸の鼓動。
「……好きだから」
「え?」
「美緒が思ってるより、たぶん、ずっと」
ハルくんの吐息のような囁きが、甘く響く。
「証明するから、こっち向いて」
「……や、だ」
少し怖くなって、うつむいた。
「却下」
ハルくんは、強引に私の顎を上げて。
なんども。キスを繰り返す。ついばむような優しさから、少しづつ、深く、熱く。
立っていられなくなりそうで、ぎゅっとハルくんにしがみついた。
星空と、街の灯と。やさしい光に囲まれて、ハルくんに身体を預ける。
「……美緒」
名前を呼ぶハルくんの声が、特別に大切なものになったような気持ちにさせてくれた夜だった。




