27
生協前のオープンテラス。そばに並んだ広葉樹が色を乗せる準備をしているかのように、傾いた午後の日差しを柔らかくしていた。
左の隅のテーブルには、落ち着いたワインレッドのパーカー。その背中は、ハルくんだと、すぐにわかる。
「ハルくん」
声をかけると、顔を上げて、ふわりと笑ってくれた。
読んでいた文庫本を閉じながら、ハルくんは、
「走ってきた?」
と言った。
……息は上がってないと思うんだけど、ばれちゃうんだ。
「少しだけね」
「急がなくて良かったのに」
「だって、ハルくん、バイトまでって」
答えると、ハルくんは隣の椅子を指でつついて、座ってと合図する。
「明日菜んちって言ってたけど、三好さん?」
「うん。久しぶりに千裕とかと集まってて」
「ふうん。何話してたの?」
「いじられてた」
と私が言うと、ハルくんは、
「なんか、想像つくけどね」
とまた笑った。
「もう報告したんだ?」
「……だめだった?」
「まさか。むしろ、協力してもらった方がありがたいかも。千裕のおかげで、気づかされたところもあるし」
テラスは生協カフェからのセルフサービスなので、ハルくんは、何か飲む? と尋ねてくれた。
「えーと、じゃあ、アイスティーを」
「ん。美緒は、ここで待ってて」
ハルくんは、さっと立ち上がってカフェの中に入って行く。私は、テーブルに着いたまま、ハルくんを見ていた。
こげ茶色の柔らかそうなサラサラの髪。白いシャツ、細身のブラックジーンズ、上から羽織ったワインレッドのパーカー。なんでもない格好でも人目を引く、ハルくん。
「はい」
ぼんやり見ていたら、いつの間にか目の前にアイスティーが差し出された。
「……ありがとう」
「どうしたの?」
「なんだか、この間のことが、夢みたいで」
だって、ハルくん、だよ? この人が、私を、って、やっぱり信じがたい気がして。
「なんなら、証明する?」
真顔で言うハルくん。
「や、いいです……」
何が起こるかわからない緊張感から、私は慌てて首を振った。
テーブルに置いたアイスティーをストローで一気に飲む。思ったより喉が渇いていたみたい。
「こんなこと言うと、あれだけど。俺から、会う、とか言ったことって、なかったんだよ?」
そう、なの? 少し驚いてハルくんを見つめると、
「まあ……言ってほしそうだなって気配があったら、先回りすることもあったけど」
過去のお付き合い、はそんな感じだったと。墓穴を掘ってるなと苦笑いするハルくん。
「美緒は、逆に俺がしたいように付き合わせてしまいそうだから。美緒がしたいことは、言って?」
「えーと、確認、です」
また敬語、とハルくんが笑うけど。
「私、ハルくんの……」
「彼女。言葉は、どうでもいいけど、一番大事にしたい人」
ハルくんは断言した。
その言葉が私の中に染みわたる。
聞いても、いい、かな。
「あのね、用事がなくても、電話とか、してもいい?」
「うん」
「会いたい、とか、言っても、いい?」
「うん」
……いい、んだ。
嬉しくて、なんだかすごく安心して。ハルくんを見つめると、
「……美緒、こういうの、反則」
ハルくんが、そっぽを向く。
「かわいすぎ」
えええ? つぶやいたハルくんの耳が少し赤くなっていた。
それから、もう少しオープンテラスで過ごして、ハルくんのバイトの時間が近づいたので、一緒に大学を出た。
当たり前のように手をつないでくれるハルくん。
ときどき、ハルくんの知り合いが声をかけてきたりするけど。ハルくんは、そのまま、つないだ手を離さないまま受け答えしていた。
「美緒。今日、俺、地下鉄だから、送ってあげられないけど」
「うん、いいよ。バイト、がんばってね」
駅に着いて、ここからは一人になる。
ぬくもりの消えた掌がちょっと寂しいな、って思っていたら、ぎゅっと抱きしめられて、それから、
「じゃあ」
と、ハルくんは踵を返し、地下鉄の方へ階段を下りて行った。
……公衆の面前で……!
少しは、残された私の身になってほしいんだけど。
「みーお」
どこかに隠れたい心境だった私を、後ろから呼ぶ声がして。
千裕が、立っていた。にこにこというより、ニヤって顔をして。
「ハル、ストッパーが取れたら、人目構わずだね」
明日菜んちから、ちょうど帰るところに、私たち二人が前を歩いていたんだそうで。
「ずーっと恋人つなぎだもんね。けっこう途中で話しかけられたりしてたのに」
「ずっと見てたの?」
「だって、方向が一緒なんだもん」
千裕は悪びれずに言う。
「別れ際に、ぎゅー、だもんね。いやー、なんか面白いかも」
「ちひろ!」
「ああ、じゃあ、私も地下鉄だから。またね、美緒」
私をいじるだけいじって、千裕は階段を下りて行った。
私も、JRの改札へと階段を上る。
恥ずかしいし、どきどきするし、どうしようって、感じだけど。
でも、届いた想いが嬉しくて、帰りの電車の二時間もあっという間だった。
電話しても、いいし、会いたいって言ってもいい。
――――それは、なによりも嬉しいプレゼントだったから。




