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 岸壁近くは、海に落ちないようにって配慮からか白いフェンスがくるりと周りを囲っていた。フェンスのあるところはぐんと低くなっていて、そこまで階段状の広場が作られている。まるで、海が舞台のように。

 ハルくんは、軽く私の手を引いて、階段をゆっくり降りていく。

「美緒が資料室に一人で残ってて、扉が開かなくて、扉の下から水が広がってきてるって聞いたら……すぐ、大学に向かってた」

ハルくんは言葉を探すように息をついた。

「実際、学内に慌てて車乗り入れて、車が入れるくらいの状況だったら、浸水なんかあり得ないって気づいてもよかったんだけど。そのまま、教務棟に走って」

「……浸水なんてしてなくて、扉の前に、傘立てが、ひっくり返ってた?」

「うん」

「怒っていい状況だよね」

「怒るより、ほっとした。これなら無事だ、って」

一番下まで来ると、ハルくんは体の向きを変えた。それから、フェンスにもたれて私を見つめ、少し微笑わらった。

「もし、ほんとに美緒に何かあったら、って思ったら。気が気じゃなかった。何にも、考えられなくて」

ハル、くん……?

「いままで、誰と付き合っても、誰も好きになれなかった。こんなふうに、自分を持って行かれるような気持ちと、向き合ったことなんかなくて。でも、美緒は、好きでもないのに付き合ったり振り回したりしていいような子じゃないから、ダメだって、ずっと」

ハルくん、それって……。

「そんなふうにセーブかけてること自体、が。……たぶん、ずっと前から気持ちは先にあって。単に、俺の往生際が悪かっただけ」

 ハルくんの目が私を捉えて。絡まる視線に息が詰まる。

 

 そうして、

「美緒」

ほんの少しかすれた、声で、

「好きだよ」

とハルくんは言った。

 

 あんまり、びっくりすると、反応できなくなってしまうもので。


 ―――ハルくんが、私を?


 幻聴、じゃない、よ、ね……。

 ハルくんを見つめる。ハルくんの瞳は、まっすぐ私を見つめ返す。

 涙腺が、じわりと緩み始めて。

 ハルくんを見つめる視界が滲んで。

 ハルくんが、そっと私の手を取ると、その甲に口づけた。

 それからいつのまにか私の背中はフェンスに押し付けられ、額に。瞼に。頬に。ゆっくりと微かに、唇が触れた。

「もう、認めたから。やさしくできないよ」

ハルくんが、耳元でささやく。

「覚悟して」

 けれど、初めてのキスは、羽のようにやさしく降りてきた。



 あまりの急展開に、どきどきしすぎて、胸がぎゅうっとなって苦しい。

 しかも人通りはないとはいえ、まだ朝の、中天には昇りきらない太陽が海に反射してきらきらしているような中で、抱きしめられていて。


 ……えええ?

 ハルくん、さっき……?

 急に現実を認識して、沸騰して固まった私に気づいたのか、ハルくんはクスッと笑って、腕をほどいた。

 それから、私の手を引いて、階段の中段まで戻り、並んで座った。

「美緒?」

ハルくんが私の顔を覗き込む。

 うつむいた私の顔は、涙と恥ずかしさで酷いことになってるはず。

「これくらいは、早く平気になってほしいんだけど」

これくらいって、ハルくん、私、初めてなんですけど……!

「とりあえず、昨夜の寝不足の分」

そう言って、ハルくんは、抗議しようと顔を上げた私の頭を撫でた。

 昨夜の寝不足って……。

「好きだって自覚した相手が、引き戸一枚向こうにいて、意識しないでいられる?」

「……えーっと」

ごめんなさい。眠れるんだろうかと思いつつ、寝てしまいました。

「美緒は、ちゃんと眠れたみたいだね」

あせる私にハルくんは、追い打ちをかけてくる。

「なんだか、ハルくん、意地悪だ……」

「今ごろ? 俺、ほんとはやさしくないし。大事なものに関しては、すごい我儘だけど」

そんなに言い切られても。

「それでも、いい?」

聞かれても。それでも。ハルくんだけを見てきたから。だから。

「……ハルくんなら。ハルくんが、好き」

またあふれそうになる涙をぬぐって、私は言った。

 ハルくんは、

「……うん」

こつんと私の頭を胸に抱え込んで、ずっと好きでいてくれてありがとう、と、やっと聞き取れる小さな声で、ささやいた。

 

  

 それから、また車に戻って、ハルくんは私を家まで送り届けてくれた。

 家までの道も、少しはナビしたけど、ハルくんは結構覚えていた。

 ハルくんは、車を家の前にはつけず、少し手前の、同じ通りの角に止めた。

「ここで、いい?」

「あ、うん。ありがとう」

家は、もうすぐそこだし。

「車、返しに行って、家に着いたら、電話するよ」

「うん」

エンジンは、かけたまま。私が降りようとすると、右手を不意に引かれて。

 引き寄せられて、唇が重なった。

 それからすぐハルくんは体勢を戻し、私も車を降りて。

 白い車が角を曲がって消えるまで、私はその場に立ったまま見送っていた。

 なんだか、夢の中にいるみたいで。ふわふわして、不思議。

 

 とりあえず着替えて落ち着いてから、千裕にメールする。

"昨日は、ハルくんが来てくれました。ありがとう"

それだけじゃ、伝わらない、だろうか。

 でも、即座に返信があって、

"やりすぎたかもって、思ってたけど、うまくいったみたいだね。また話聞かせて"

千裕には、お見通しだったのかなって思ったのだった。



 

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