18
十月に入ったというのに、いつまでも暑い日が続く。南の海で幾つめかの台風が発生し、何日か後に列島直撃コースをとるかもしれないと天気予報では注意を呼び掛けていた。
けれど、私たちにはまだ遠い先のことで。雨が降り出す前は、秋の、例年より暑い一日というだけ。
池田ゼミの前に、お昼に千裕と待ち合わせて、駅前でランチをとることにした。
千裕と会うのは、合同ゼミの後にファミレスで別れて以来だったりする。千裕は、無理やり宗純に駅まで送らせ、何とか終電に間に合って帰れたらしい。
「それで、美緒は? あの後、どうしたの?」
パスタを器用に片手でくるくると巻きながら、千裕が聞くので、私は、
「告白したよ」
と答えた。
「はあ? なんで今更?」
「……ちゃんと伝えてなかったな、って思って。私が、ハルくんを思い切れないのは、そのせいもあるのかなって」
「ふーん。それで、ハルの反応は?」
千裕が引かずに突っ込んでくるので、私はハルくんの言葉を伝えた。
付き合っても好きになれないから、私とは付き合えない、と。
「なにそれ?」
千裕はパスタを巻く手を止め、
「美緒に行かない理由って、それ?」
呆れたように繰り返した。
「なんだかなーって思ってたけど。あの容姿で、なにもしなくても女が寄ってくるもんだから、おかしくなってるんじゃないの? 順番が逆でしょ。フツーは、好きだから付き合うんじゃない?」
「え、でも、そんなの、人それぞれ……じゃ」
私が口を挟むと、千裕は、
「だと、しても! 美緒に対するあの態度と、その考え方って、なんなの? ほんっとに今まで誰も本気で好きになったことないんだよ。美緒、そんな奴でいいの?」
と、更にまくしたてた。
……散々な言われよう。そんな奴でいいのも何も、それでも好きなんだから仕方がない。
「あ! でも、考えようによっては、展望があるかも。フツーの順番でいけばいいんじゃない?」
「フツー?」
「そ。ハルが、好きになればいい」
千裕は言う。
「ハルが恋をすればいい。自分のコントロールができないくらい。だって、恋って、そういうもんでしょ?」
……そうだね。
でも、ハルくんはそんな恋をするんだろうか。
その日のゼミが終わった後、一旦退室していた池田先生が、戻ってきて、
「明後日の金曜日の午後、資料の準備を手伝ってもらえませんか?」
と、まだ部屋に残っていた数名に頼んできた。
なんでも翌週の学会用の準備が終わりそうにないらしく、最後には学生の手も借りたい、ということらしい。
「いいですよ。その日は、空いてますし」
その時間なら講義も入っていないし、たまたまアルバイトもないので、私はそう答えた。
千裕もアルバイトの時間までならと了承し、他に二人ほどが手伝うことになったのだった。
そうして金曜日は、朝から雨で。
「なんか台風、近づいてるって。雨、ひどくなってきたね」
午後の池田先生の手伝いを前に、千裕は浮かない顔。
「でも、引き受けちゃったし。放り出せないよ。急いで済ませたらなんとかなるって」
私たちの仕事は、大量にコピーされた資料の製本作業。本来なら業者に頼むはずが、時間と予算の関係でうまくいかなかったらしい。
池田先生はパソコン作業の方が忙しく、出来上がったら資料室に鍵かけて、カギを教務課に戻しておいて下さいと指示をして、三階の自分の部屋にこもってしまった。
法学部教務棟一階の資料室の一角で、黙々と作業するけど、慣れない仕事は意外と時間がかかる。
最初は四人でやっていたけど、アルバイトなどの都合で、一人抜け二人抜け。千裕もそろそろ、時間がまずいんじゃないかな。
「千裕、帰っていいよ」
「でも、まだ」
「あともう少しだし。一人でもなんとかなるから。バイト、遅れるよ?」
そう言って、私は千裕を送り出した。
さて。
一人になった資料室で、まだもう一山あるコピーの山を見る。まだ、もう少しかかりそうだけど。仕方ない、やりますか。
……意外に作業に没頭していたのか、やっと全部が完成して一息つく。
ふと見た、窓の外は。たたきつける雨が真っ白に視界をふさいでいて、何も見えない。
千裕が帰ってから、どれくらいたったんだっけ?
まだ、一時間かそれくらいのはずと時計を見れば、七時を回っていて、二時間近くたっていた。
あとは、鍵をして帰るだけなんだけど、この雨の中を出ていくのは勇気がいるな。傘なんてほとんど役に立たないだろうし。びしょ濡れで延々と電車に乗って帰ることを思うと、すごく憂鬱だった。
でも、ずっとここでいても止みそうもないし、出来上がった資料を綺麗に並べ、棚の上に放り出していた鞄を持ち上げ、帰ろうとしたとき。
あ、れ?
なんかすごく、足元が濡れてない?
え、もしかして、水が入ってきてる……?
扉の下の隙間から水が部屋に侵入してきていた。
ちょっと待って、やだ、扉が開かない……!!