14
えーと、今。何が……。
ただただ呆然としていると、
「ほら、もう怖くなくなった。外、見てみる? けっこう壮観」
ハルくんは、至近距離で、そう言って笑った。
ハルくんに抱きしめられたまま、恐る恐る外に視線を向けてみた。
ゴンドラは天辺まであと少し、海と港と湾を取り巻く街が一望できる。
午後の日差しに輝く海が、きらきらして。
「きれい……」
「だろ?」
ハルくんは、私から硬さが抜けるのを確認して、ゴンドラを揺らさないようそっと腕をほどいた。
でも、今度は私の手を取って、指を絡める。
ど、どうしよう、なんだかもう、どきどきしすぎてわけわかんなくなってきた。
ハルくんが、今日はなんだかいつもと違う?
「ハルくん」
呼びかけると、
「ん?」
応えるハルくんのふんわりしたやさしさが、なぜだかとても切なかった。
ゴンドラの中では、ずっと手をつないでいて。
観覧車を降りるときは、ハルくんが先に降りて手を引いてくれた。
なんだか、まるで、と、勘違いしそうになる。
オープンカフェで飲み物をテイクアウトし、そのまま海沿いのプロムナードをゆっくりと歩く。ほんとに恋人同士みたいに、ときどき他愛ない話をしながら、ただのんびりと過ごして。
時間がたつのはあっという間で、もう夕暮れが海を染めていた。
もっと、一緒にいたいけど。すでにハルくんは、駅の方に向かって歩を進めていた。
そして、プロムナードを過ぎ、ショッピングモールを通り抜けて、待ち合わせに使った地下広場が近づいてきて。
「お礼に、なったのかな?」
と、ハルくんに聞いてみる。
もともと、会ってもらえた名目は「合宿中にお世話になったお礼」だったんだけど。結局、私は映画代しか払ってないし、完璧にハルくんにエスコートされてるし。
「うん、十分にね」
「だったら、よかった」
ハルくんが、そう言ってくれるなら。
でも、「お礼」はこれでお終いになっちゃう。今度、は、ない。
立ち止まったハルくんをじっと見上げると、ハルくんはふいっと視線を逸らした。
「美緒、俺……」
言い難そうにハルくんが言葉を紡ごうとした時だった。
「ハル!」
背中から声がかかって。
振り向けば。
そこにいたのは、芹さん、で。
「芹、なんで……?」
「取引先に、資料届けた帰りで。今日は直帰していいって言われてて……」
さらりと揺れるボブヘアにサマーニットとパンツスーツ。上着と鞄を手に持っている芹さんは、なんだかすごく大人の女の人に見えた。
芹さんは、ちらりと私を見て、
「新しい彼女?」
と聞いた。
「違うよ」
「でも、これから付き合うんでしょ?」
芹さんは断定的に言う。
やっぱり芹さんは、まだハルくんのこと……。なんだか芹さんの痛みがこっちにまで伝わってくるようで。
そして、そんな芹さんに、ハルくんは、
「芹、誤解。美緒とは、付き合うつもりはないから」
ときっぱりと言った。
……そ、うだよね。
やっぱり?
うん、わかってたし。
ハルくんから出たきっぱりした言葉が、胸に沈んでいく。
「……そうなの。でも、ハルが誰と付き合おうが、もう私には、関係ないんだったね。ごめんね、呼び止めて」
それだけ言い残して、泣きそうな顔で、芹さんは踵を返し去って行った。
「ハルくん」
私は、大丈夫だから。
「芹さん、追わなくていいの?」
「うん」
「でも……」
「別れたから」
それ以上私が言うのを遮るように、ハルくんは言い切った。
「付き合ってても、ハルは私のこと、見てないよね、って。けっこう続いた方だったんだけど」
自嘲的にハルくんは説明する。
「芹は、ずっと、やさしいふりを我慢してくれてた、ってこと」
「ハルくんは……、芹さんを好きじゃなかったの?」
「……なろうと、したんだけどね」
無理、だったんだ。
「しばらく、そういうの、やめようかと思って」
ハルくんは、何かを吹っ切るように少し声のトーンを上げた。
「付き合っても好きになれないんなら、仕方ないし。そろそろ、就活も本腰入れていった方がいいだろうし」
三回生の夏。確かに、私たちは将来にも向き合わないといけない時期にいて。
「美緒は、どうするの?」
「う、ん、……裁判所事務とか、考えてるけど」
「だったら、勉強?」
「うん」
いつの間にか、進路の話にすり替えられて。
「じゃあ、そろそろ」
「あ、うん、じゃあ」
「まだ早いから、送らなくていいよね?」
「うん、駅、そこだし」
私は海岸線に。ハルくんはここからJRだ。
別々の帰り道。私がハルくんに背を向けた途端、
「美緒」
腕をとられて。
泣きそうだから、振り向けない。
「美緒、こっち向いて」
なんで、そんなこと言うの。……無理だから。
私がそのままの体勢でいると、ハルくんは、そっと手を離してくれた。
「……ごめん」
小声で言って、ハルくんはエスカレーターを上って行った。
私とは、付き合うつもりはない。
あそこまではっきり言われると、もう、どうしようもない、よね。ハルくんの、別格は、そういうこと。
今日はすごく女の子扱いしてもらって、勘違いしそうになったけど。
ハルくん流の、過ごし方だったってだけ、で。彼女と別れた、芹さんを好きになれなかった、そんなやるせなさを消そうとしていただけ、なんだよね。
……何度泣いたら。
この気持ちが、消えるの、かな。