アサギの速度
初投稿作品です。
いろいろご意見を聞かせて頂ければ幸いです。
――体が、重い。止まらない血液がうざったい。思考回路が上手く廻らない。
何もかも最悪だ。まさか俺が、あんな奴らに傷を負わされるなんて。
アサギはくつくつと均衡を失った笑みを浮かべた。
死にたい。
死にたくない。
二つの相反する感情がアサギの体を支配する。
なんて酷い二律背反。でもそんなものに縋らねば最早足さえ動かせない自分はもっと下らない。あまりに下らなさすぎて反吐が出そうだ。
「……くそっ」
意識が朦朧としてきた。何日も飲まず食わず、睡眠もろくにとっていない。
死の文字が頭にちらつく。
「……ははっ」
何が可笑しいのかもう自分でも分からない。
そのままアサギの意識は静かにフェードアウトした。
……目を覚ましたそこは、清潔なベッドの上。天井の木目が暖かい。
頬に柔らかな風が当たったので顔を向けると、窓の向こうには瑞々しい緑をたたえた森が広がっていた。
今は無き故郷を思い出しふと我に返る。
「――!?」
跳ね起きると左肩がズクンと痛みを主張する。
何で俺はこんなところに――
いつの間にか巻かれていた包帯の上から傷口を押さえつけ俯くと、
「あ、起きましたぁ?」
「うわあああああああああああああッ!?」
素で絶叫した。何の前触れもなく開いたドアを、正確にはドアの傍に立つ少女を凝視する。
柔らかそうな栗色の髪。丸く大きな瞳。どこか子リスを連想させる少女だ。年はアサギと同じくらいだろうか。しかし、明らかにアサギの同族ではない。
何故。何故。疑問ばかりが脳を占める。
「んー、起きて早々そんなでかい声出せるなら大丈夫そうですね。回復力高いなぁ」
少女は何ら頓着することなくアサギに近づいた。ベッドの脇の椅子にちょこんと腰掛け、持っていた救急セットから真新しい包帯を取り出す。
その屈託の無さと迷い無き行動に目眩がした。
「はい、包帯取り替えるんで腕見せてください」
「お前一体何者だッ!?」
思わず怒鳴ったアサギに少女は唇を不満そうに尖らせ小首を傾げた。
「ちょっとぉ、仮にも命の恩人に向かってそれは無いんじゃありません?」
「お前が今の国の情勢鑑みて物事実行に起こしているんなら何にも言わねえ、だがな!」
そこから先を言うのは理性が邪魔をした。もし本当に彼女が何も――音里狩りのことも知らないなら、自分からばらすのは得策ではない。何も知らないうちにさっさと自分が出ていけばいいだけだ。わざわざ無関係な少女を巻き込む必要性なんてどこにも、
「ああ、知ってますよ。貴方、音里の人でしょう?」
計算は瞬く間に崩れ去った。
「何で……!」
アサギは驚愕に目を見開いた。
「目と髪の色を見れば分かりますよ。青みのかった髪に薄いブルーの目。音里の人間の特徴でしょう」
「違う」
どこか得意気に見える少女の台詞を遮る。
「何が違うんですか?」
きょとん、とする少女。これ以上は言いたくない、でも選択肢を示さないのは仮にも恩人に対して不義理だ。
「何で……音里の人間だって知ってて、助けた」
ようやく絞り出した声は情けなく震えていて、自分で馬鹿みたいだと笑った。
阻害されるのは慣れてる筈だろう、今更何をセンチメンタルに。
ちょっとした間違いで先送りになった死が、今迎えに来ただけだというのに。
「……音里の人間全員が、悪いんですか?」
「………は?」
理解するのにたっぷり十秒はかかった。苛立ちを声に存分に含ませて、少女が心持ちゆったりした口調で尋ねる。
「だーかーらぁ。人を殺めた人間が音里出身だからといって、音里の人間全員が悪人になるんですか? そんなの変に決まってます」
「いや……お前さらっと“人”と言ったが……仮にも王妃だ。単なる殺人とは問題が違」
「王妃殺しと商人殺しは違うっていうんですかッ!?」
「あ、いや……別にそんなつもりで言った訳じゃ、」
しまった何だか知らないが地雷踏んだ。アサギは内心頭を抱えた。逆鱗に触れられた女と機嫌を損ねた子供はこの上なく面倒臭いのだ。
スイッチが入ったらしき少女はすっくと立ち上がり、怒りに満ちた瞳でなおも熱く語る、というより叫ぶ。
「死ぬってことはですね! 案外重いことなんですよ! その人が笑わなくなって泣かなくなって怒りも嘆きも喜びもしなくなって、ただの肉の塊になるってことなんです! 時が経てば腐り、土に還ってしまう、単なる脆い器になってしまうってことなんです! そんな大事なこと――簡単にあってはいけない人の命に関することに、重い軽いがあってたまるもんですかッ!!」
「分かった、分かったから少し落ち着け!」
アサギは彼女の肩を押さえつけ椅子に座らせた。腕が痛むがそんなこと言っている余裕はない。それでようやく冷静になったらしき少女は、深々と息を吐いた。
「私、親がいないんです」
包帯を交換しながら、優亜と名乗ったその少女は呟くくらいの声で話し始めた。
「物心ついたときから父はいませんでした。母は病気で死んだって説明してましたけど……本当のところは、分かりません」
「それで母と二人で暮らしていたんですけど……ある日突然事故に巻き込まれて」
「そのとき、結構大規模なお祭りか何かで……怪我人が沢山出たんです」
「母は病院に運ばれもしませんでした……どうしてと思います?」
「私たちは、第四分類――平民以下の階級の人間だったからです」
馬鹿馬鹿しいと思いませんか、と優亜は笑った。
「重い税を納めているのは主に私たち第四分類です。生活が苦しいのに一生懸命働いて税を納めて、今まで一生懸命生きてきたんです。なのに第四分類だからって……第二分類の、怪我の浅い男の人が、母の代わりに運ばれたんです……あの人、喋れたのに。自力で歩けて、全身血まみれの母を見て、鼻で笑い飛ばしたのに!」
優亜はきつく拳を握った。深く俯いているため表情は分からないが、肩が細かく震えているので分かる。
アサギはまだ軽傷だった右腕を持ち上げた。ぽん、と優亜の頭に手を置く。
「……嫌なこと、思い出させて済まなかった」
「いえ……半分以上は、私が八つ当たりしたようなものですし」
「それでも、」
言葉を遮って、呟く。
「きつかったのには、変わらないだろ」
優亜は弾かれたように顔を上げた。泣き出す寸前のように顔が歪んで、ぐっとこらえる。
そして、にこっと笑った。
「…………変な人ですね。アサギさん」
「初めて言われた、変な人って」
「そうですか?」
一応、いい意味で、ですよ。
まだ少しだけぎこちない笑みだったが、アサギも微笑み返した。
嵐の前の静けさ。
今のこの、穏やかでおかしな状況を形容するならそんな言葉がぴったり合うだろう。
平凡で、のどかで、優しい日々。
「長くは、続かないんだろうな」
独り言のつもりで呟いたが、どうやら聞こえていたらしい。
何がですかぁ? と呑気を装った声が返ってきた。
……馬鹿だな。そんなの、俺と君が一番よく分かっているくせに。
――運命は、常に唐突にして冷酷だ。
激しいノックの音。最早ノックとも呼べないほど。
寸前まで談笑していた優亜の顔が凍った。背筋に氷塊を詰め込まれたような寒気が立ち上る。
外界へと繋がるドアは、こちらの返事を待たずして無慈悲に開かれた。
突入して来た男たちの格好を見て、溜息が漏れる。
分かっていた、筈なのに。
悟っていた、筈なのに。
どうして今、なんて罵りたくなるんだ。
「音里の者を出せ」
バリトンが響く。口調は実に淡々としていて、アサギはそんな場合でないのに苦笑いをした。
「誰ですか! 不法侵入ですよ貴方たち! そんな人居ませんから早く帰ってください!」
優亜が威嚇する。まるで野良猫みたいだな、とふと思った。だがもう遅い。
「ごめん」
ほぼ無意識に呟いていた。優亜の肩が強ばる。
駄目。あなたは黙っていて。
無言のメッセージを気付かないふりをして、アサギは右手を上げた。
久しぶりに会った友人の如く。
「俺のことか?」
視線が集まるのが分かる。
信じられない。振り向いた優亜の瞳はありありとそう告げていた。
男たちは目を細める。獲物を品定めする熟練の猟師のように。
チロリと赤い舌が、唇の端から覗く。
「……随分と利口だな。先日まで、死にたくないと逃げ回っていた筈だが」
「別に。ただ、無関係な人間を巻き込むのは嫌だと思っただけだ」
「ほう……」
リーダーらしきその男は優亜を一瞥した。優亜はアサギに背を向けているため表情が読めない。しかし怒りに満ちているのだろうとは察しがつく。
逃亡補助か、と男の呟く声が拾えた。
「まぁいい。音里の罪人を捕えろ!」
今度ははっきりと笑った。舌舐めずりするように、捕らえる寸前の獣じみた笑み。
「ごめんね」
誰にともなく囁いた。アサギは流れるような動作で間抜けに開いていた救急セットから鋏を掴み出し、優亜の白い手に握らせ、そして……。
「――――ッ」
優亜は目を見開いた。何が起きたか理解しきっていない顔でアサギを見、それから自らの鋏を掴んだままの両手を見た。
深々とアサギの腹に刺さった銀の刃。冷たい輝きはすぐさま深紅の液にたゆたって、
「い……やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
体から力が抜けていく。腹部の痛みが全身を貫きアサギは上体を折った。
全ての感覚が朦朧としていく中、顔を男に向けた。
この上なく美しく甘美に、嗤う。
「これで、終わりだ」
ああ、優亜。
そんなに泣くなよ。せっかく美人なんだから。
君は音里の血を絶やした英雄になったんだ。
こんなものしか返せなくて悪い。
でもこれで、君はきっと第四分類から抜け出せる。
いつの間にか優亜に抱き抱えられていた。
透明な雫で頬を濡らされながら、アサギは微笑み目を閉じる。
――――ありがとう。