冬の再会
冬に誰かと再会するのではない。
冬と再会するのである。
日本の四季の最後のひとつ、冬は、他の季節よりも長く感じることが多い。
寒いという感覚が、時間の流れを麻痺させるからだろうか。
よく、1月に訪れる二十四節気の「大寒」が、1年の中で最も寒さが厳しくなると言われているが、統計によると2月が最も気温が低くなるらしい。
私は体感、12月が最も寒いと思うのだが。
寒さに慣れていないからなのではと、自分なりに結論づけているが、本当は冬が始まったばかりだという事実に身が怯えているからなのかもしれない。
近年、冬は短くなったと言われる。
画面の向こうでは、温暖化という言葉が繰り返される。
けれど私にとってそれは、数字の問題ではなく、冬に出会う機会が減っているという感覚のことだった。
ついこの間、節分を迎えたが、その頃にはもう、凍える冬はとうに過ぎ去り、小さな春が近付いてくるのを感じた。
旧暦上ではそこから始まる春に、近頃の我々は早くも顔を合わせるようだ。
平均気温が上がったと聞くたびに、私の冬はどこへ行ったのだろうと思う。
温暖化が旧暦に追いついてしまっているのである。
無論、逆は然りと言えないのだが。
そんなある日の夜、乾ききった大地に雨が降った。
朝は晴れていたのに、夕方から雨が降るなんて聞いていない。
傘はもちろん無い。
その上、朝、最寄り駅まで乗って行った自転車をどうするか迷っているところだった。
乗って行くしかない。
濡れることを覚悟して、レインコートも無しに出発する。諦めにも似た決意でペダルを踏み込んだ。
明日の朝はどうやら曇りらしい。明日も乗るため、どうしても自転車は家まで持ち帰らなくてはならなかった。
顔を上げればメガネの隙間から入り込んだ雨粒がまつ毛を叩く。
視界が滲み、片目を閉じて走ることになった。
ハンドルを握った両手に容赦なく降りかかる雨粒は氷のように冷たく、即座に感覚を奪っていった。
その冷たさは、皮膚から骨へと沁みていく。
これぞ冬の寒さである。
本来なら、例年の2月の気温はこれが普通なのだ、と改めて実感する。
数字ではなく、身体で思い出すのだ。
口や鼻、頬に当たる雨粒は決して細かくなく、自然と目線を下にさせる。
10分ほど自転車を漕いだところで雨は弱まった。
あともう少し駅に留まっていれば濡れずに済んだのだろう。
だが、その後悔さえも、どこか懐かしい。
街灯に照らされた雨粒は、細い白糸のように闇を横切っていく。
冬には珍しい降雨が、冬の本来の刺すような寒さを思い出させてくれるという、そのちぐはぐさに小さく笑った。
冬は消えていなかった。
家の明かりが見えてくる。
濡れた手でブレーキを握りながら、ふと思う。
すぐ暑くなるこの世の中で、私はこの寒さをいつまで覚えていられるだろうか。
来年もまた、どこかで冬を探すのだろう。
そしてきっと、今日のように不意に出会う。
四季は廻るが、冬は去るのではない。
忘れた頃に、静かに戻ってくるのだ。
お読みいただきありがとうございます。
しっとりしたエッセイに挑戦してみました。
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