精霊付き遺産相続 5
さわり。わたしは微妙な空気の違いを肌に感じた。そちらだと思った上の階に目をやって、動きを止める。
人が、いた。
三階に。
たぶん、人だと思う。
一瞬だったけれど、階段の先の廊下を静かに歩く足がはっきり見えた。
誰が、どうやって入ったのかしら。お屋敷を見に来た見物人?
静かな足音はしばらく三階を歩きまわり、廊下をこちらへ戻ってきたようだ。足音が大きくなってきた。わたしがいる階段へと向かっている。
普通こういうお屋敷には数多くの調度品があるものだ。
テーブル、椅子、ソファ、飾り棚、チェスターフィールド、ライティング・デスク、書棚、小間物を飾る戸棚、ラブシート、安楽椅子、小さな三角テーブル、ウィンザーチェア、オットマン、チャイナの大きな壷、円テーブル、火よけ格子、ペルシア・スリッパ、剥製、剥製、各種の植物が植えられた鉢、鉢、鉢。
棚やテーブルには、ブーケを飾ったガラス製ドーム、飾り皿、鉄板写真アルバム、ランプ、葉巻ケースや宝石のついた嗅ぎタバコ入れ、鹿打帽、地球儀、もしかしたら拡大鏡や銀のウシ型クリーマー、クロスワードパズルのためのロジェの類語辞典、そのほか細々した飾りやなにかが載っているもの。
音楽室にはハープやピアノ(古風にもヴィクトリア朝の頃のまま足にはカバーがされているかもしれない)、もしくは千六百年代製のストラディバリウス(ヴァイオリン)などがあるのもお金持ちの証。
図書室には革装に金の箔押しをされた小難しげな本がぎっしりと並んでいて、喫煙室や英国式ビリヤード専用の部屋もどこかにあったはず。
廊下には、祈りを捧げるおさなごサムエルか何かのテラコッタ像、戦闘意欲満々のダビデか誰かの英雄の像、金泥額縁入りの故人や歴史的偉人の肖像画が壁にぎっしり、階段の脇にはガラスの棚に収められた家族や縁者の 細密画、そして食事の時間を告げる銅鑼。
客間のベッドには透かし細工の編み物がかけられ、洗面台、ナイトテーブル、椅子、ライティング・デスク、レースで飾られた姿見、人がひそめるくらいに巨大な衣装箪笥。その他その他その他。
お金持ちであることを示すのに必要と思われる物はなんでもそろえるのがお金持ちである証明だと、自分はお金持ちと呼ばれるべき人間だと考える人々に信じられていた。
最近の金持ちの流行は、屋敷のあちらこちらに早朝花屋に届けさせた生花が見栄えよく生けられ、生き生きと主人の目覚めを待ち受けていなければならないという新興信仰だ。生花を素早く輸送する鉄道網が発達して可能になったのだけれど、召使たちが屋敷の世話にどれほど煩わされるか、想像していただきたい。
見物人は、お屋敷そのものと同時に、きっとそういったとりどりの物にあふれた部屋部屋を期待したと思う。
でも残念。
わたしは意を決して口を開いた。
「どなたか知りませんけれど、あいにくこの屋敷には建物以外に見るべきものは何も残っていません。屋敷はわたしのものだけど、ここにあった調度はすべて親戚に持ち去られましたから」
足音が止まった。声をかけられた驚きをとりあえず落ち着かせるくらいの間があって、その足が再びこちらへと歩き出す。心持ち急いで。
「人がいらしたのですか」
声と一緒に階段を降りてきたのは、黒ずくめの紳士だった。
「まあ」
わたしは息をのんだ。
おおむね見ただけで階級はわかる。体にぴたりとフィットした黒いコートとズボン、白いリンネルのシャツ、革手袋、トップハット、ステッキ、それも重そうな銀の握りのついたマラッカのステッキだ。それらをきちっと着こなした、洗練された様子。自己のあらゆる感情を軽々しくあらわさない、やや厳格な落ち着きを載せた表情。
その人は古い貴族の館にふさわしい、いかにも紳士然とした人並みすぐれた様子の、明らかに上流階級の青年だったのだ。
この人こそがこのお屋敷の正しい主人にしか見えなかった。とうとうこの館の本物の主人があらわれたのだ。そして告げるのだ。
「相続を主張するあなたの書類は、偽物です」
いえ、そんなことはないわ。わたしは自分の想像を即座に否定した。
なぜだかわからないけれど、彼の方も言葉を失っているようだった。ほとんど黒に近い濃い栗色の髪はゆるやかなウエーブを描いて額にかかり、育ちの良さをたたえた黒い瞳は静かでありながら、驚きと戸惑いを隠しきれずにわたしを見下ろしている。
階段を一段下り、わたしをまじまじと見つめ、ところがそこで彼はかすかに首をかしげ、ひそめていた眉の力を抜き、しばらくぼんやりと──わたしには彼がその時、考えることを放棄してぼやっと口を開けた、大きなお屋敷のご主人様にはどこか不似合いなほど間の抜けた表情を見せた、ように、思えた。一瞬のことだったから、見間違いだったかもしれない。
気を取り直した紳士が言った。
「ここは長い間、誰も住んでいませんでした。まさか人がいらっしゃるとは思いませんでした」
「長いこと、誰も? こんなに素晴らしいお屋敷なのに、もったいないことだわ」
ここは女主人らしく毅然と応じるべく、わたしは最大限の努力を払った。あまり気の利いた意見を言えた気はしなかったけれど。
彼は鷹揚にうなずいた。
「まったくです」
それからあらためてもう一段、階段を降りた。
なんて貴族的な足の運びなのかしら、とわたしはその様子にちょっと目を奪われた。同僚だった 従僕たちとは全然違う。
「ところで、あなたは何のご用でここへいらしたのでしょうか? 見物ですか?」
あなたも、ときかれなかったということは、彼は見物人ではないということだろうか。
「わたしはこの屋敷の新しい主人です」
「それは、つまり、住まわれる、と?」
「そうです」
彼は真剣に眉をひそめた。
「よろしければ、お名前を頂戴できますか?」
名前は、普通は知り合いから紹介をされてはじめて知るものだ。だから一般には、紹介をされないうちは、見知らぬ他人であり互いに声をかけないものなのだ。一瞬迷ったけれど、とはいえ所詮わたしは元メイド。隠し立てしても仕方がないので正直に白状することにした。
「リディア・ダーバヴィルです」
「ミス・ダーバヴィル」
彼の目が鋭くなり、すぐに元の表情に戻った。けれどもいぶかしみはその目に強く残ったままだ。
「それで、あなたは?」
今度はわたしがたずねた。悪い人には見えないけれど、彼の不可解げに深く思案する様子がわたしを不安にし居心地を悪くした。わたしは失礼にならないよう控え目ながら、問うような視線を青年に向けた。
その人がわたしをまじまじと見つめた。まったくあり得ない物を見る目だと思った。
「わたしは──」
言いかけた彼は、ここでふいに真顔に心持ち小さな微笑みを含ませ、さらりと言った。
「この屋敷に棲む、精霊です。もしご理解いただけましたならば」




