精霊付き遺産相続 2
「あなた、大きなお屋敷を相続したのですって?」
居間で読書をされるグレッグソン夫人のため、エインズレイのティ・ポットやカップ&ソーサー、ホット・ウォーター・ジャグ、ミルク入れ、砂糖入れを並べ、夫人お気に入りのキームンに少しだけラプサン・スーチョンをブレンドした茶葉をポットに入れ、正確に時間を計ってお茶をサーブし(夫人は茶葉の蒸らし時間に厳しかった)、最後にいつものようにカップとソーサーを手渡そうとして無言で断られたのでテーブルのしかるべき位置にそっと置いたところで、夫人がわたしに話しかけた。わたしはティ・トロリー(茶道具一式を運ぶワゴン)の脇に立ち、ティ・コージーをポットにかぶせていた。
エインズレイは、ヴィクトリア女王が大変お気に召し愛用していると噂が広まり、お金持ちたちが女王に倣いこぞって買い求めたため、その注文の多さに生産が追いつかなかったという伝説を持つ陶器メーカーで、もちろんグレッグソン家もいくつか所有しているものだった。大切なお客様がお見えの時に使う食器なので、いつもなら夫人はご自分おひとりのお茶の時にこれは使わない。それが今日はなにか特別な気分を演出しようと思われたのか、特にエインズレイ社製の陶器で出すようにと命じられたのだった。
わたしはかがめていた腰を起こしながら夫人の質問に「はい」と答え、白いエプロンの前に手をそろえた。
「何という名前のお屋敷だったかしら?」
わたしは夫人にすでに何度か名前は告げていた。
「アドベリーハウスです」
夫人はちらっと本から目を上げてまばたき、すぐさま「思い出したわ」と本に目を戻した。
「ペムバリーだったわね」
「はい、奥様」
夫人は無関心そうにしおりを挟んでいたページを開いた。
夫人はわたしの屋敷の名前を憶えている。ただ、こうやって屋敷の名前を何度も何度もたずねては人を煩わせ、屋敷のある地名はかろうじて憶えてやっていたけれど、屋敷そのものの名まで記憶するほどの興味はないと表明しているのだ。
メイドの立場から見ても、グレッグソン夫人は本来的によい主人と言えるだろう。他のメイドたちも同じ意見だと思う。ウインター・ブルー(英国の長く暗い冬の日照不足が原因と言われる季節性情動障害)なところもあるけどね、と同僚メイドのキャロラインあたりは付け加えそうだけれど。
グレッグソン家はじゅうぶんに誇れるだけの土地や資産を持つ下級地主階級の良家で、憧れのステータスとしてようやく雑役女中を一人雇うのがやっとという階級の家庭ではなかった。
現在他家に引き抜かれたばかりで執事はいなかったけれど(グレッグソン氏がロンドンで手配を済ませたから、近日中にやってくるはずだ)、必要な数の召使を置き、食堂支配人や家政婦にそれを監督させ(グレッグソン家ではこの二つをミセス・ピアスンが兼任している)、侍女にはそれがおしゃれだと認識されていたのでどこの国の出身であれフランス風の名前で呼び、シェフはフランス人の方がすぐれているという常識に従ってフランス人でありさえすれば腕は問わずに常時募集中だったし、子供たちには小さい頃は子守女中を、ふさわしい年になったら 女性家庭教師か男性個人指導教師を、年頃の娘だったら 付き添いを当然のごとくつけるくらいには裕福だ。ペキニーズ犬のスーザンもいる。
最近は時折、奥様はお隣のスネッティシャム家の、とても優秀だと噂に高い執事のキャラハン氏を横取りしたがっていると、召使の目にも見て取れることがあった。だからご自分の前の執事が横取りされるのを黙って見過ごしたのだろうというのが、使用人仲間内での断定だった。同じようにメイドのロージーはジェローム家からこの屋敷へ引き抜かれてきた。腕のいいシェフのアナトールはうちから給料五倍でウィザースプーン家へ引き抜かれていった。
このように召使を商取引かお遊びのようにやりとりするところはあっても、グレッグソン夫人は信仰心篤い、必要なだけの教養をそなえた、惜しまず慈善バザーを開く、慈悲深い主人なのだ。
しかし夫人は今現在、わたしに対し冷たくよそよそしい態度を示していて、それはどことなく不穏ですらあった。ちらりとわたしを見やった顔には、使用人に過ぎないわたしと主人であるご自分の身分がまったく違うことを伝えようとする精一杯の見下しと侮蔑の微笑が浮かんでいた。
「今朝もスネッティシャム夫人に言われたのよ。あなた、今はなんとか言う、そう、アドベリーハウス? そこの女主人なのでしょう? だったら、こんなところでメイドをやっているのは、世間的にも体裁が悪いのではなくて?」
夫人の真意が言葉通りでないことは、そのやんわりと刺を含んだ口調からも明らかだった。
「わたしが相続したのはお屋敷だけで、公債や収入の見込める地所は含まれていません。今回ダーバヴィル家の人間と認められはしましたが──」
わたしは大金持ちのダーバヴィル家の人間とうっかり口を滑らせて、奥様の気持ちを逆なでするのは控えた。
「──認められたと言うだけで、ダーバヴィル家の一員として迎え入れられたわけではないのです。奥様」
わたしはメイドらしく従順に、事実を伝えた。
奥様の階級からするとダーバヴィル家はずっと格下の商人に過ぎず、商売で成り上がっただけであるにもかかわらず、裕福さは明らかに階級と逆転してダーバヴィル家の方が金持ち、いや、大金持ちだった。その上祖父は貿易で大もうけし英国に富をもたらしたご褒美として、数年前にサーの称号を国から贈られていた。ダーバヴィル卿だ。一代限りだから称号はもう消えたけれど。
奥様の家系には、過去をどこまでさかのぼっても、称号を持つ人はいない。スノッブでこういうことにとても敏感な奥様は、わたしを見るたびに誇りを傷つけられた感にさいなまれて仕方がないようなのだ。
それはわたしのせいではないし、わたしには事態を変更する術もない。すなわち、ほったらかすしかない。ご自分のくさくさした気持ちを上手にあしらうこともできずにこの程度の嫌みを言うくらいはかわいいうちよ。と、わたしは自分に言い聞かせた。これからも同じ館で顔をつきあわせる間柄なのだから、いずれ奥様にはご自分で、何か賢明なやり方でもって気を晴らしていただきたいと思う。
そしてわたしの現実に戻ると、わたしはダーバヴィル家の人間と認められただけで、それはつまり、わたしはお屋敷だけはある貧乏人という意味だった。アドベリーハウスに住みたければ住んでもかまわないけれど、あれだけ大きな邸宅を管理維持するお金は一ペンスもない。仕事を辞めることはできなかった。
でも、夫人にとってそんなことはどうでもよいこと。問題なのは、自分より大きく格式の高い不動産を持つメイドを雇うのはとても屈辱的で、世間から見ても自分の体裁が大変に悪いことだった。
「そう、それはお気の毒なこと。ダーバヴィルってお名前は、まるで抜け目のない商人って出自を隠すために、大英博物館の書物からででも見つけ出した偽の名前という響きですものね」
真の良家ならば一族の不名誉を見過ごしにはしない愛にあふれているものだけれど、彼らは商人なのだから、わたしを歓迎しないのももっともだと言いたいのだろう。あるいは、そういう一族出身のわたしは、メイドがお似合いのたいした人間ではない、というところだろうか。
苦労するのは自業自得。こう考えることで、夫人はご自分の傷ついた自尊心を必死に癒しておられるようだった。
夫人は一度メガネを外し、ほとんど汚れてなどいないガラスを丁寧に拭いてみせ、鼻の上に戻し、再び本の文字を追いはじめた。召使との会話は終わったようだ。
わたしは用事は済んだと判断し、一礼して、居間を出て行った。
その夜、わたしはグレッグソン氏に解雇を言い渡された。




