精霊付き遺産相続 15
今日の勤務を終えて電話交換所の建物を出ると、小雨が降っていた。雨の日に自転車に乗るのはちょっと億劫だ。わたしは自分の自転車の脇に立って、空を見上げた。低い雲から糸を垂らすように無数の水滴が落ちてくるのをしばし眺める。
雨、止んでくれないかしら。
ぼんやりとそう思った時だった。
「リディア」
「まあ、ガッシー?」
街灯の脇からあらわれたのはオーガスタス・ダーバヴィルだった。祖父が亡くなってから出会った親戚の一人だ。
わたしたちはお互い年齢が近かったこともあり、よく言葉を交わした。たぶん、親戚の中で他の誰よりも一番多くの言葉を。父同士が兄弟で、わたしたちはいとこになる。そしてわたしたちは身内なのだからということで、お互いをファーストネームで呼び合うことを了解しあったのだった。オーガスタス。愛称、ガッシー。
ガッシーは愛想のよい笑顔を浮かべ、すたすたとわたしに歩み寄った。
彼はアクアスキュータム(ブランド名。ラテン語で「水楯」の意味)の防水コートを着ていた。あれさえ着れば雨の中でも平気で自転車に乗れるのかしら、と内心思った。それとも足さばきがうまくいかなくて、やっぱりずぶ濡れかしら。どちらにしろあんな高級品、電話交換オペレーターにはおいそれとは手が出ない。
わたしたちは路上で社交的な挨拶をし、簡単にお互いの近況をたずねあった。
「仕事終わったんだろう? だったら、一緒に食事に行かない?」
ガッシーが誘った。
わたしはガッシーとは相続の手続きをした時やロンドンにご挨拶に行った時にいくらか話をしただけで、本当のところ愛称で呼び合うほどに親しくなったと思ってはいなかった。ダーバヴィル家の方々からわたしはどちらかというと歓迎されていないことはわかっていたし。もうずっと昔に家を出てメイドをやっていたような娘が遺産相続人としてあらわれるなんて、名士の方々にとって嬉しい話でもないし、外聞のよい話でもないのだから。それに根本的にお金持ちの親戚同士、いとこ同士は、こういう風に気軽に食事に誘いあうものなのか、わたしにはそのあたりの知識が欠けていたので、返事に迷ってしまった。
「新しい生活はどうだろうなって、ちょっと気になっていたんだ。なにしろ君にとっては激変だっただろう? いきなり莫大な遺産を相続することになるなんてさ。青天の霹靂だったよね。よかったら君の近況を教えてもらえないかな、と思ってさ。父上も心配してるんだ」
彼の声は明るく、すぐに誰とでもうち解けようとする親しげな響きだ。親戚の方々にわたしの近況を伝えるのも義務の一つだし、雨も降っているし、よい提案だと思われた。わたしはうなずくことにした。
「ええ。喜んで」
「じゃあ、そこのレストランへ。やあ、ひどい雨になってきた。急ごう」
うながされてわたしは急ぎ足で店に向かった。食事をしている間に雨が止んでくれることを期待しながら。




