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精霊付き遺産相続 12

 あれは彼と出会ってから二週間くらい過ぎた頃だったと思う。

 突然の朝一番の出現は、いろいろな意味で驚きに彩られたものだった。なにしろ仕事を持っているからいつでもあなたと時間を過ごせるわけではないと伝えてからそれまで、彼はまったく姿を見せなかったのだ。

「ああ、おはようございます、旦那様(サー)

 部屋を出てのろのろと階段を下りキッチンの扉を開けたわたしは、挨拶を返すこともできずにその場に凍り付いてしまった。次の瞬間にはお屋敷の主人にふさわしいたしなみを装うこともかなぐり捨て、思いっきり大きな音をたてて扉を閉めていた。

「あ、あなた何しているの?」

 精霊がいたのだ、キッチンに。あの精霊が。

 わたしは本当に慌てた。だって、わたし、パジャマのまま降りて来ちゃったのよ!

 言っておくけれど、若い女性がパジャマ姿を男性の目にさらすのは、メイドであってもよいたしなみではないのだ。こんなに恥ずかしい思いはない。せめて淑女らしくガウンを羽織る習慣を身につけていれば、ここまでの思いはしないですんだのに。

 その上、彼はわたしに「旦那様(サー)」と呼びかけた。それは、「わたしが目にしてしまったパジャマ姿の人物は女性ではなく男性だと認識した」と表明しているわけなんだけれど、もちろん女性だったとわかって言っているのだ。それが女性に恥ずかしい思いをさせないための礼儀なのだ。お互い知らんふりを通し、今後ともそんな出来事は起こらなかったことにするだけなのだが、でも、裏を返せばわたしは精霊にきっぱりとパジャマ姿を見られたと言うことなのだ。恥ずかしさがいや増す。

 扉越しに彼の困った声が答えた。

「朝食を作っていました」

「ちょっと待って。だから、わたしは、なぜあなたがここにいるのかってきいているの」

「わたしは精霊です。精霊はどこにでもあらわれます。主人のために」

 彼は厳かに言った。

「しゅ、主人って……」

 なぜだかわからないけれど、わたしはその場にへたり込みそうになった。かくりと膝の力が抜けてしまった感じだ。

朝の寝覚めのお茶アーリー・モーニング・ティは枕元まで運ぶものですが、それは失礼かと思いましたから」

 当たり前よ。とわたしは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。いくら相手は〔精霊〕で、人間ではない(と本人は言い張っている)とはいえ、いかにも上流階級の紳士だと一目でわかる男性に、朝身支度前の姿をさらした結婚前の女性が冷静でいられるわけがない。まして枕元にまで出没されたら!

 よほど上流の家では、奥様が若く見目よい男性召使にアーリーモーニング・ティを枕元に運ばせて、「お風呂(バス)のご用意ができております。朝食もすでにコックが調えてございますし、花瓶の花もすべて屋敷のすみずみまで新鮮なものが生けられ、水の取り替えも済ませております。屋敷はマダムのお越しをお待ちしております」とでも言わせているのかもしれないけれど。

 精霊の方は落ち着いていた。いつものように取り乱した自分をあらわしたりはしなかった。

「もう出来上がりですから、これを食堂へ運びたいのですが」

「五分待ってもらえるかしら? 着替えてくるわ」

 扉の向こうで、彼がしばし沈黙した。ちょうどいい具合に出来上がった料理が、その五分で損なわれるのをためらったのか。

「わかりました。五分、お待ちします」

 急いで身支度をすませ、あらためて食堂へ降りてくると、すでに精霊はテーブルに朝食をきちんと並べ終えていた。料理をしたからだろう。彼は今、黒い上着を脱いだベストだけになっていて、白いシャツの両袖のカフスボタンを外して肘の辺りまでたくし上げていた。その腕を上げて、彼がわたしを席へいざなってくれた。そういえばキッチンでは白いエプロンもしていたようだけれど、ここではすでに外したようだ。

「これ、全部あなたが用意したの?」

「はい」

「すばらしいわ」

 わたしは感激した。

 テーブルの上に、お皿がいくつも並んでいた。上流階級の方々の一般的な朝食は、壁際のテーブルに銀の蓋付き大皿に料理が盛られて並んでいるのから、みなさん自分の取り皿に好きな分だけ取ってくる形式なのだけれど、人数が少ない場合は最初から銘々の皿に料理が盛られていることもある。

 薄切りをこんがりと焼いたトーストがトーストラックに並んでいる。メインのお皿にはかりっと焼いたベーコンと香草入りオムレツにはソースが沿えてあり、トマトの輪切りとポテトが彩りになっている。そしてオックスフォード・マーマレード(黒糖蜜と生姜入り)と、ポットに入った紅茶がミルクも一緒に用意されている。その上テーブルの中央には小さなガラスに小花まで生けられていた。

 わたしは、これだけの食材は自分では用意していなかったはずという事実は、彼が精霊であるという事実によってきちんと説明づけられている気がした。疑問の余地はない。

「おいしそう。こんなボリュームのある朝食は久しぶりだわ」

 彼はかすかな微笑みを浮かべた。そしてそれを懸命に表情からなくそうとしたようだった。照れたのかしら。

「料理は好きなのです、作るのも食べるのも」

 どういう料理が好きなのかしら、と彼の話が続くのを待ったけれど、精霊はそれ以上の話はしなかった。まあいいでしょう。わたしはカトラリーに手を伸ばした。彼という人がわかってきて、彼の口数の少なさに慣れてきたかもしれない。

「これは二人分?」

 テーブルの上のカトラリーはすべて二セット。お皿もカップも二人分。わたしと彼の分、ということ?

「一人で食べるより、おいしいのではないかと思いましたから」

 確かにそう。一人きりの食事は、寂しいものがある。以前は召使仲間と食事をすることが多く、意外ににぎやかな食事をわたしはしていたのだ。でも、ここでは一人だった。悪い提案ではないと思った。けれども、ふと疑問がわいてくる。精霊も食事を必要とするものなのかしら。

「そうね。あなたのおっしゃるとおりだわ。では、いただきます」

 朝食をいただきつつ、わたしはこっそりと彼の食事の様子を観察した。彼は人間にしか見えないくらいちゃんと食べ物を口の中で噛んでいる。それどころか彼はきちんとしたマナーも正しく身につけた様子だった。美しい食べ方のお手本のよう。さすが領主の館の精霊ね。カトラリーの使い方が全然違うわ、とわたしは密かに感心した。

 彼の方もわたしが食事を気に入るかどうかわたしの様子をうかがうようなまなざしを向けていて、気がついたわたしは急いで笑顔を作った。わたしは彼の朝食に本当に満足していたので、心からの自然な笑みになったと思う。

 そもそもこの精霊、料理は好きだと自分で言うだけのことはある。本当に、彼の手料理はどれもとてもおいしかった。ベーコンのカリカリ具合、オムレツの程良い柔らかさ。一手間かけられたオリジナルソースには心もとろけるよう。紅茶だって色も香りも味も素晴らしい。わたしにとってはどれもこれも、これらの盛られたお皿を運ぶだけで、自分では口をつけることのなかった料理だ。舌の肥えていない元メイドには、幸福な朝食だった。

 わたしの感激ぶりに満足したのか、それから精霊はたびたび ニシンの燻製(キッパー)やルバーブパイとメニューを変えての朝食や、時には夕食を作ってくれるようになったのだった。

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