第5話 めぐり逢い ①
逃げ込んだ先で明かされる、少年の正体と北への道。
そして、氷の大地が牙をむく。
出会いがもたらすのは、希望か、それとも——
今回は、旅の転機となる一歩をお届けします。
《小竜亭》を逃げ出した三人は、そのままマルコの寝ぐらへと向かった。
港の古い貨物置き場。
今は使われていないらしく、何もない広々とした空間だった。
けれど、見通しが良く、誰かが近づけばすぐに気づける。
マルコにとっては、身を守るには最適な場所だった。
掃除も行き届いていて清潔感がある。
ゆらゆらと洗濯物が揺れているのはご愛敬だろう。
「・・・?」
ふと、シレーネが首を傾げる。
洗濯物の中に、あるはずのものがない。
そんな表情だ。
「ごめんね、お兄ちゃんたち。僕のせいで巻き込んじゃって・・・」
マルコがうなだれて謝る。
その手がさりげなく、布の塊を握りこんでいた。
ちらりと見えたレースの端に、シレーネは目を細める。
「気にしないで。あたしたちが勝手に手を出したんだから。でも、あの人たちって・・・いったい何者なの?」
シレーネの問いに、マルコは少し黙っていた。
やがて、意を決したように話し始める。
あの三人組は、最近この街に現れた海賊。
港に出入りする中型商船ばかりを狙う、いわば『二流以下』の連中らしい。
寒波で流氷が増え、船腹に穴が開いて沈没。
それでも運良く生き延びて浜辺に打ち上げられた彼らは、新しい船を手に入れるため、必死に金を集めている。
船がなければ海賊じゃない。
かといって、山賊に転職できるほど器用でもない。
結局、船を失った海賊なんて、ただの山猿と変わらない。
だから彼らは、《安心税》と称して港の商人たちから無理やり利益の三割を巻き上げている。
三人組は、その集金係——つまり、使い走りの下っ端だった。
「まずいな・・・そんな連中を敵に回したら、俺たちの計画にも影響が出るかもしれない」
アモールがぽつりと呟く。
『計画』とは、もちろん北の大陸への上陸のことだ。
「・・・北の大陸に渡りたいんだよね? だったら、僕が案内してあげるよ。今なら、安全に渡れるはずだから」
マルコがさらりと言ったその一言に、アモールとシレーネは思わず身体を固くする。
「な、なんで・・・北の大陸に行くって・・・?」
焦りながら尋ねるアモールに、マルコは笑顔で答える。
「さっきも言ったでしょ? この街は、北の大陸に渡る冒険者と商人でできた街なんだ。 わざわざ歩いて来る人なんて、冒険者か一山当てたい商人くらい。お兄さんたちは、どう見ても商人じゃないから、たぶんそうかなって思っただけだよ」
楽しそうに笑うマルコ。
でも、シレーネとアモールの胸中は複雑だった。
——こんな少年にまで見透かされるなんて。
落ち込みそうになる二人をよそに、マルコは話を続ける。
カリスの街から半日ほど北東に、小さな半島がある。
そこから北の大陸までの数キロが、年に一度だけ凍りつくことがあるという。
潮流に乗って集まった流氷がぶつかり合い、結合してできる『氷の道』。
今年は寒波の影響で、例年よりも広く厚く凍っているはずだと、マルコは言う。
「ただし・・・帰ってこられるかどうかは、保証できないよ。渡った人の話はよく聞くけど、無事に戻ってきた話は、あまり聞かないからね」
それでも——
シレーネは、行かなければならない。
【北へ】
その言葉が、彼女の心を強く引き寄せていた。
翌朝、太陽が東の空に顔を出す頃——シレーネ、アモール、マルコの三人は、半島の先端に立っていた。
目の前には、遥か遠くの黒い大陸へと続く、白い氷の道が横たわっている。
氷の道は、まるで空に浮かぶ橋のようだった。
白い光が、足元から空へと吸い込まれていく。
三人の足元には、無数の氷の破片が重なり合い、白く輝く道を形作っていた。
踏みしめるたびに、パキッ、パキッと乾いた音が響く。
その音が、どこまでも静まり返った氷原に吸い込まれていく。
「お兄さんたちが何を探してるのか知らないけど、遺跡に行くつもりなら・・・無駄足になるかもよ」
先頭を歩きながら、マルコが顔だけ後ろに向けて言った。
「遺跡があるの!?」
シレーネとアモールが同時に叫ぶ。
「うん。母さんが見たんだって。氷の海を渡って、大陸に足を踏み入れたとき——石造りの街を見つけたって。でも、厚い氷に囲まれてて、中には入れなかったらしい。氷を掘る道具を持ってなかったからね」
「その場所、わかってるの?」
興奮気味にシレーネが尋ねる。
「もちろん。だから僕が案内してるんだよ」
マルコは、何を今さらという顔で答える。
そういえば、今朝マルコが用意した荷物の中に、ツルハシとスコップがあった。
それが『探検』のための装備だと、気づくべきだったのだ。
冷えきった風が、遮るもののない氷の道を吹き抜ける。
空気中の水分はほとんどが氷の粒となり、顔に叩きつけられる。
潮の花も舞い、三人の服も顔も、塩と霜にまみれて白く染まっていく。
誰も言葉を発さない。
この状況で話すことは、体力の無駄遣いだからだ。
そして——その判断が正しかったことが、すぐに証明される。
風が止んだ。
さっきまで吹き荒れていた冷気が、まるで何かを恐れて息を潜めたように、ぴたりと止まった。
シレーネが思わず足を止める。
「・・・なんか、変じゃない?
アモールが、広がる氷の道をゆっくりと見渡す。
彼も感じていた。
・・・何かがおかしい。
漠然とした違和感。
背筋に冷たいものが走る。
「これは・・・殺気?」
明確な敵意。
だが、どこから?
「まさか・・・」
アモールは自分の疑念を否定しようとする。
けれど、狩りの旅で培った第六感が告げていた。
——殺気は、足元の氷の中から。
その足元を気にしているのが、もう一人。
マルコが立ち止まり、氷の地面を見つめている。
「・・・変だな。真ん中なのに・・・薄い? ・・・」
厚みのバランスがおかしいと、首を傾げている。
「マルコ、この辺りで人を襲う生き物って、何か心当たりあるか?」
「うーん・・・雪影、氷走り、氷女グモくらいかな」
アモールの記憶にも、それ以上はなかった。
でも——この殺気は、明らかに異常だった。
「その程度の奴が、これほどの殺気を放つとは思えねぇが・・・」
バキッ、と氷が割れる音が響いた。
足元がわずかに揺れ、冷気が一層濃くなる。
足元から、かすかな振動が伝わってきた。
まるで、何かが目覚める音のように。
「ッ! シレーネ、マルコ! 気をつけろ、来るぞ!!」
アモールの叫びと同時に——氷の道から、何かが飛び出した。
それは、見たこともない異形の怪物だった。
足はなく、蛇のような鱗に覆われた下半身。
剥き出しの脳のような頭部から、ギョロリと飛び出した一つ目。
長く細い腕の先には、刃のような鈎爪。
この世のものとは思えない姿。
怪物の鈎爪が、アモールに向かって伸びる。
アモールは反射的に後方へ跳び、空振りした怪物の右腕に斬りかかる。
バランスを崩した怪物に、容赦なく斬撃を浴びせる。
怪物はよろめき、後退。
反撃する力も残っていない——
だが、終わっていなかった。
怪物は、残された力を振り絞って跳躍する。
狙いは——マルコ。
「わっ!」
「マルコっ!!」
アモールとシレーネの脳裏に、最悪の光景が過る。
振り下ろされる鈎爪。
飛び散る血。
倒れ伏すマルコ——
けれど、それは現実にはならなかった。
マルコは、間一髪で鈎爪を躱していた。
怪物は、シレーネの方を一瞬だけ見て——氷の中へと潜り、姿を消した。
その目は、彼女の奥底を見透かすようだった。
まるで、何かを『確かめた』かのように。
シレーネは、その視線の意味を測りかねていた。
けれど、胸の奥に、冷たい何かが沈んでいくのを感じた。
「マルコ、無事か!?」
アモールが駆け寄り、立ち上がろうとするマルコに手を貸す。
「うん、かすっただけだよ」
その言葉に、ほっとしつつ、アモールは思わず手を離しそうになる。
「マ、マルコ・・・おまえ・・・!」
「えっ・・・あっ・・・!」
裂けた服の隙間から、わずかに覗いた膨らみかけの小さな胸。
「お、おまえ・・・女だったのか?」
マルコは答えなかった。
うつむいたまま、目を合わせようとしない。
うつむいたマルコの肩が、わずかに震えていた。
寒さではない。
心の奥に触れられた痛みだった。
怒り、戸惑い、哀しみ——さまざまな感情がせめぎ合い、何を言えばいいのか、わからないようだった。
風が再び吹き始めた。
誰も言葉を発さなかった。
ただ、氷の道の先に、まだ見ぬ答えがあることだけは、三人とも感じていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます!
氷の道に現れた異形の怪物、そしてマルコの秘密——
物語は、ここからさらに深く、冷たく、そして熱くなっていきます。
次回、彼らが踏み込むのは、誰も戻らなかった“北の大陸”。
どうか、彼らの旅路を見守っていただけたら嬉しいです。




