第56話 虚潮の回廊
「セリーナたちは、このまま貴族の護衛任務に向かい、王都へ到着後、探りを入れてくれ」
俺の言葉に、セリーナが真剣な表情で頷いた。
「わかったわ。任せて」
俺は控えめに呼びかける。
「ダニエルさん――」
「俺のことも呼び捨てでいい」
「それじゃあ……ダニエルたちはここに残り、ロゼッタとネクロスさんの護衛を頼む。それと、セリーナたちが面倒を見ている若いパーティーの鍛錬も続けてくれ」
「了解だ」
「バックスたちは貴族の家系としての伝を活かして、カプリアーナ家の動きを探ってほしい」
「任せとけ。俺たち旧家は地位こそ低いが、裏のつながりは強い。必ず掴んでみせるさ」
皆と軽く握手を交わし、言葉を残して俺は建物の奥へと向かう。
ロゼッタが不安そうに声をかける。
「テルト、気をつけてね」
「大丈夫だ。必ず戻る」
外に出ると、朝の風が頬を撫でた。
俺は魔力を集中させ、詠唱する。
「《絶影》《ペガサスウィング》」
眩い光が弾け、黒翼と光の羽が交わる。
地を蹴り、空へ――
一路、カプリアーナへと飛翔した。
王都から遥か南西――海沿いに広がる港街、カプリアーナ。
以前、ジメントさんから米や醬油などを分けてもらったとき、その産地として名前を聞き、興味を持っていた場所だ。
潮の香りが風に乗り、徐々に強くなる。
遠くには白い帆船とカモメの影が見えた。
(ステラ、まずは冒険者ギルドで情報を集めよう)
(それは良い考えです。虚潮の回廊の入り口も、きっとギルドが把握しています)
街の人々に道を尋ねながら、港近くの冒険者ギルドへ向かう。
木造の立派な建物で、扉を開けると潮と酒の匂いが入り混じっていた。
「すみません。虚潮の回廊に行きたいのですが」
受付の職員が俺の姿を一目見て、ため息をついた。
「お言葉ですが……装備も身につけていないようですし、お若い方ではBランクのダンジョンには入れません。命を落とすだけですよ」
「そうかな? じゃあ、これではどうだ」
俺は懐からブラックプレートを取り出し、机の上に置く。
「えっ!? あ、あの……ブラックプレート……っ! 失礼しました!」
職員が慌てて立ち上がり、周囲がざわめく。
一斉に注目を浴びる俺に、奥の扉が開いた。
「職員が大変失礼いたしました。私はこのギルドの長、アクエルと申します」
長い銀髪を束ねたエルフの女性が、優雅に頭を下げる。
「俺はカナンベールの冒険者、テルトだ」
「まさか……ファイアドラゴンを討伐したという、あのテルトさん?」
「おおおっ……!」
周囲の冒険者たちから驚きとどよめきが広がった。
「ここでは何ですので、こちらへ」
アクエルは奥の応接室に案内してくれた。
香草の匂いが漂う部屋で、紅茶が差し出される。
「それで、虚潮の回廊には入れるのか?」
「もちろんです。テルトさんはSランクの冒険者。許可証を即時発行いたします。また、ギルド協定により、後方支援も提供します。必要な物資や人員があれば、遠慮なく」
「助かります。それでは、これを用意してください」
アクエルから、虚潮の回廊に関する地図と魔獣の情報を受け取り、宿屋と補給食材の手配まで済ませてもらった。
準備は万端――海底の迷宮へ、挑む時が来た。
「ここが虚潮の回廊か?」
地図に示されたポイントに着いたが、辺りを見渡しても入口らしきものは見当たらなかった。
(ステラ、ここであってるよな)
(マスター、地図の座標と一致しています)
(確か、幻と真実が入れ替わるダンジョンだって、アクエルさんが言ってたな)
(はい、それゆえに、入り口の位置が毎回異なるそうです)
再び周囲を見渡すと、一箇所だけ魔素の流れに歪みを感じた。
古びた馬車がぽつんと置かれ、その周囲だけ空気が波打っている。
きっと、ここだ。
アクエルから渡された魔道具をかざす。
すると、満ちていた潮が一瞬で引き、下へ続く階段が現れた。
慎重に降りながら、《地図捜索》を展開する。
小さな地底湖が点在し、複雑な洞窟構造が浮かび上がる。
しばらく進むと、岩陰から巨大なカニが姿を現した。
鑑定を使う。
ブルーシェルクラブ――岩場に群れる大型蟹。殻は硬いが動きは鈍い。
(ステラ、見ろよ。カニだよカニ)
(マスター、落ち着いてください)
(いや、あのハサミのサイズ。焼いたら絶対うまいぞ)
(検索結果:ブルーシェルクラブは高級食材に分類されています)
「よし、《メガ・ファイアボール》!」
轟音と共に火球が炸裂し、ブルーシェルクラブは一瞬で黒焦げになった。
(あれ? せっかくのカニが……ブルーシェルクラブってBランクだよな)
(マスターはファイアドラゴン戦後、闘気と魔素が大幅に上昇。装備との相乗効果で、威力は以前の約十倍に達しています)
(つまり、メガ級がギガ級になったってことか)
(そのように推定します)
(なるほど。じゃ、今後は加減しないとな)
再び現れたブルーシェルクラブには、今度は小規模な火球を放つ。
「《ファイアボール》」
今度はちょうどいい焼き加減で仕留められた。
アイテムボックスに収納しながら、俺は思わず笑う。
「後で食うのが楽しみだな」
その後も、次々と魔獣が襲ってきた。
タイド・スネーク――水流をまとって襲う蛇型魔獣。
クラゲウィスプ――発光する魔力クラゲ。麻痺毒持ち。
アビス・パイク――鋭い吻で突進する魚型魔獣。
(うーん、どれも地味だな。食材としての魅力も薄い)
結局、ブルーシェルクラブは五匹しか確保できなかった。
さらに進むと、階段を下る先で違和感を覚える。
《地図捜索》の表示と、実際の景色が微妙にずれているのだ。
(おかしい。地図と見た目が一致しない)
(マスター、注意を。これが“虚潮の回廊”の真骨頂です。潮流が逆巻くたびに、幻と真実が入れ替わります。見える道が正しいとは限りません)
(了解。地図と魔素の流れを両方使って進もう)
その後も、水のカーテンの裏に隠し通路があったり、安全そうな道に落とし穴や吹き矢が仕掛けられていたりと、罠が次々と牙をむいた。
(魔獣よりタチ悪いな、これ)
(マスター、慎重に行動を)
トラップ群を抜けた先、袋小路にぽつんと宝箱が置かれていた。
(ステラ、どう見ても怪しいよな)
(はい、間違いなく罠です)
それでも――近づいてしまうのが人の性だ。
宝箱に手を伸ばした瞬間、蓋が開き、牙が襲いかかってきた。
アクア・ミミック――水泡を生む擬態箱。
「やっぱりな。《メガ・ファイアボール》!」
火球が直撃するが、ダメージはゼロ。
(ステラ、この魔獣はおかしいぞ。威力が増したメガ・ファイアボールを受けて無傷とは)
(マスター、異様な魔素を検出しました。気をつけてください)
ミミックは泡を弾けさせながら、反撃の魔法を放ってくる。
「《ギガ・アクアボール》!」
巨大な水球が回転しながら迫る。
「戦技《居合一閃》!」
抜刀の瞬間、刀身に紅の文様が燃え上がり、斬り裂かれた水球はただの水となって崩れ落ちた。
「ギギギッ!」
アクア・ミミックは吹き飛びながらも、体内の水泡を膨張させ、再び形を整える。
その殻が水晶のように青白く光り、内部から凶悪な魔力があふれ出した。
(ステラ、これは――?)
(マスター、魔素濃度が急上昇しています。通常個体の限界値を超えました。これは……イレギュラーです!)
「なんだと……」
アクア・ミミックの身体が軋み、外殻を破るように弾け飛ぶ。
中から現れたのは、もはや宝箱とは呼べぬ異形――。
アクア・ミミック・エンペラー
“水魔”の名を冠する、海底の支配者。
全身が深海のような蒼に染まり、表面には禍々しい魔法陣の紋様が浮かぶ。
その眼が俺を射抜いた瞬間、空気がわずかに震えた。
「なにか……くる!」
アクア・ミミック・エンペラーが、静かに口を開く。
「《オメガ・オーシャン・プリズン》!」
周囲の水が一瞬で凝縮し、圧倒的な水圧の牢獄となって俺を包み込む。
水流が鋼鉄のように絡みつき、逃げ場を完全に塞いだ。
「くっ、戦技《絶対守護陣》!」
蒼白い光の盾が展開され、水圧を押し返す。
だが、足が半歩、地を滑った。
(マスター、このままでは押し切られます!)
(なら――やるしかないな)
俺は剣を構え、深く息を吸い込む。
刀身が紅に染まり、静かな青炎が灯る。
その炎が水の檻を焼き払い、洞窟の空気が一気に熱を帯びた。
「これが……俺の全力だ! 《紅蓮閃・天翔》!」
閃光が視界を覆う。
紅の剣閃が水の牢を貫き、アクア・ミミック・エンペラーの中心核を一閃した。
「ギィィィィ――!」
悲鳴と共に、エンペラーは水泡となって崩壊する。
残されたのは、ただ一つ――透明に輝く宝珠。
(ステラ、これは……?)
(“記憶の旋律”です。目的の魔道具、間違いありません)
「……なるほど。こうして手に入るわけか」
俺は静かに宝珠を手に取り、蒼く光る洞窟を見渡す。
潮の流れが止まり、幻と真実の境界が、ゆっくりと溶けていく。
海底の潮が静まり、最後の泡が消える。
俺は“記憶の旋律”を手に、しばし休みを取りながら、ゆっくりと地上への帰路についた。
(……ふぅ、長かったな)
地上に出ると、肌に触れる風が心地よい。
潮の香りが混じるこの空気が、妙に懐かしく感じた。
「さて、まずは冒険者ギルドに戻るか」
――カプリアーナ冒険者ギルド。
扉を押し開けると、受付の奥からアクエルがすぐに顔を出した。
「テルトさん? 一週間しか経っていませんが、どうされましたか?」
「いや、目当てのものはもう手に入ったから戻ってきたんだ」
「……え?」
アクエルの目が瞬く。
「Sランクのあなたでも、“虚潮の回廊”最深部に辿り着くまで、通常は一か月以上かかります。それを――二週間で?」
「まあ、確認してくれて構わない」
俺はブラックプレートを差し出した。
アクエルは魔道具を使い、刻まれた討伐記録を読み取る。
次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「そ、そんな……! Bランクのブルーシェルクラブ、タイド・スネーク、クラゲウィスプ――
それにAランクのアビス・パイク、シー・レイス……
そして最後が……Sランク、アクア・ミミック・エンペラー!?」
「そう、それ。結構、苦労したけどな」
「い、いえ、そういう問題ではありません!」
アクエルが身を乗り出す。
「アクア・ミミック・エンペラーなんて、遭遇すること自体が奇跡です! それを討伐した方など、これまでに数名しか……!」
「へぇ、そうなのか。まあ、運が良かったのかもな」
「テルトさん、“虚潮の回廊”で何が起こったのか、ぜひお聞かせください! 情報料はお支払いします!」
その後、俺はアクエルと数名の職員の前で、ダンジョン内での出来事を説明した。
最初は誰も信じられないという顔をしていたが、途中から皆、身を乗り出して聞き入り、質問が次々と飛んできた。
話を終えると、アクエルは深く息をつき、真剣な表情で言った。
「テルトさん、大変貴重な情報をありがとうございます。これは、“虚潮の回廊”攻略の重要な糸口になります。この記録は、ギルド協会全体で共有させていただきます」
「ぜひそうしてくれ。これで無駄に命を落とす冒険者が減るなら、それが一番だ」
アクエルは感謝の言葉を述べ、俺に追加報酬として金貨の入った小袋を手渡した。
俺はそれを軽く受け取り、ギルドを後にした。
――次に向かうのは、ロゼッタたちのもと。
“記憶の旋律”が見せる真実を、確かめるために。
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