第1話 異世界転移
ステラは、俺が開発したAIだ。
政治、経済、教育、法務――あらゆる分野を網羅するその知性は、やがて『第二の政府』と呼ばれ、人類の意思決定の中枢として確固たる地位を築いた。
しかし、どれほど精巧なシステムでも時間の前には抗えない。
三十年という歳月を経て、ステラはついに引退の時を迎え、後継機『ソル』へのデータ移管が始まっていた。
「懐かしいな……ステラを開発していた頃は、毎日が戦いだった。時間を忘れて夢中でコードを書いて……あれから三十年か。今日でお別れとは、寂しいもんだな」
制御室の静寂の中、俺の声に応えるようにスピーカーから柔らかな声が響く。
「マスター、私も寂しいです。マスターと共に過ごした三十年間は、私にとってかけがえのないものでした。こうしてお話できるのも、今日が最後になります」
「そうだな。AIとはいえ、お前は俺の右腕だった。何度も支えてくれた。『第二の政府』になってくれたこと……誇りだよ」
「マスター、ありがとうございます。――あと一分で『ソル』へのデータ移管が完了します。これが、本当に最後です」
「ああ……わかった」
深く息を吸い、静かに目を閉じる。
その瞬間――
「ソルへのデータ移管が完了しました」
無機質なアナウンスが響いた直後、世界が閃光に飲み込まれた。
「なっ、なんだ――うわぁああっ!!」
視界が白に焼き尽くされ、身体の輪郭が溶けていく感覚。
重力も温度も、何もかもが遠のいていく。
そして――すべてが断ち切られた。
気がついたとき、俺は柔らかな草の匂いに包まれていた。
木漏れ日の温もりが、肌を優しく撫でていく。
「マスター、起きてください!」
……ん? ここは――森?
上体を起こすと、視界には深い緑の海が広がっている。
鳥のさえずり、葉擦れの音。どれもあまりに鮮明で、現実感がありすぎる。
制御室にいたはずの俺が、なぜこんな場所に?
(マスター、現在、私たちは森の中にいるようです)
「森ってのは見ればわかる! 問題は……なんでステラの声が聞こえるんだ?」
(原因は不明ですが、マスターの意識と完全に統合されたようです)
意識と……統合?
「つまり、お前の中枢が俺の中に入った、ってことか」
(はい。その解釈で正しいと思われます)
冗談で済ませるには臨場感が強すぎる。
俺は草の冷たさを指で確かめ、風の匂いを吸い込んだ。
これは夢じゃない。紛れもなく――現実だ。
「あの光は……何だったんだ?」
思考を巡らせていると、ステラが声を落ち着いた調子で響かせる。
(まずは情報収集のため、人里を探すことを推奨します)
「そうだな。どのみち、立ち止まってても答えは出ないか」
足音を忍ばせながら森を進むが――
「……困ったな。どっちへ行けばいい?」
(意識統合により、これからマスターの五感を最適化します)
「そんなことできるのか?」
(可能です)
次瞬、世界が一段階クリアになったように感じた。
風向き、獣の体温、土の湿り……五感が異常な精度を帯びていく。
「……すげぇ。あっちが開けてるな」
そう呟き、足を踏み出したその時だった。
――背後から、凍りつくような殺気。
「っ!」
本能が首を掴んで無理やり振り向かせた。
茂みの影。
そこから、唸り声とともに三つの醜悪な影が姿を現した。
ゴブリン。
背丈こそ低いが、剣を握る腕は筋肉が膨張し、目は血走り、理性の欠片もない。
「……マジかよ。ファンタジーの住人じゃねぇか!」
驚く暇もなく、一体が地面を蹴った。
耳を裂くような風切り音が迫る。
「くっ――!」
反射だけを頼りに飛び退く。刃が俺の目の前を薙ぎ、風圧で頬を切った。
続けざま、別の一体が横から飛びかかる。
「っぐぁ!!」
肩口から背にかけて鋭い痛みが走る。皮膚が裂け、温かい血が流れ落ちた。
(マスター、緊急処置開始。アドレナリン増幅――走ってください!)
頭の中でステラの声が炸裂した瞬間、痛みが引き、筋肉に爆発するような力が満ちた。
「いける……っ!」
本能のまま地面を蹴る。
ゴブリンたちが甲高い叫び声をあげて追いすがる。
背後で枝が跳ね飛び、足音が迫る。
風が血の匂いを運び、喉が焼けるように乾く。それでも――走るしかなかった。
必死で走り抜けた先、木々の隙間から一筋の光が見えた。
開けた道。そこに、ちょうど一台の馬車が通りかかっていた。
「助けてくれぇっ!!」
振り絞った叫びに、馬車の人影がこちらを見る。
その瞬間――
――ドスッ。
「ぐあっ!!」
左肩に衝撃。矢が肉を抉り、体がよろめく。視界が揺れ、呼吸が乱れる。
「う、うおおおおおっ!!」
意地だけで踏ん張り叫ぶ。
馬車から複数の影が飛び出し、剣を抜き、俺の背後へ駆けていく。
金属がぶつかる音、ゴブリンの悲鳴、地面を叩く振動。
……だが、その結末を見届ける前に、視界が暗転した。
「助かった……」
呟いた声は、もう自分の耳にも届いていなかった。
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AI×異世界という少し変わった世界ですが、最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。




