1話
ズシンッ。鉛の塊を落としたような轟きが森全体に響き渡り、次いで同調するかのように地面が瞬間的に振動した。木々の葉がざわめき、遠くで鳥が驚いたように飛び立つ音が聞こえた。その後に続くのは、土を蹴る駆ける足音。二人の少年は、魔物を挟んで左右に別れて戦っていた。魔物はサラマンダー類――蜥蜴に似た外見をしており、体の色は薄緑で、ぬめり気のある鱗に覆われている。頭は鎧のような分厚い皮膚で守られ、簡単には刃が通らないことが一目で分かった。魔物の体長ほどある長い尻尾が特徴で、それが一番の武器だ。まるで鞭のようにうねり、大きく振りかざされると、空気を切り裂く鋭い音が響いた。
チョコレート色の髪をした少年――シウは、両手に持っている双剣の片方の切っ先を傾け、魔物を挑発するように軽く振った。鋭い刃が陽光を反射し、キラリと光る。「おーい、こっちだよ! でっかいトカゲちゃん!」と明るい声で叫びながら、彼は魔物の注意を引きつけ、もう一人の少年の元へと誘導しようとした。思惑通りに動いてくれた、とシウは一瞬ニヤッとしただろう。しかし、魔物の巨体に隠れてしまっている反対側の少年は、しっかりと応戦しているらしい。魔物は「キュルルル」という小さな鳴き声を喉の奥から絞り出し、苛立ったように後退すると、突然振り返り、シウの方へ勢いよく走ってきた。
「そっちに行ったぞ!」
ブライトイエローの髪をした少年が、遠くから鋭く叫んだ。シウは剣の柄をぎゅっと握り、突進してくる魔物の動きを冷静に見極めた。「よっしゃ、来い来い!」と元気よく呟き、彼は軽やかに身を翻してその攻撃をかわすと、跳躍して魔物の分厚い皮膚の上に飛び乗った。
「……おらっ!」
振り上げた刃は陽光に照らされて煌めき、一瞬の閃光を引いた。そして硬い皮膚に勢いよく突き立てる。ゴリッという鈍い感触と共に、手応えがシウの腕に伝わった。刃は見事に怪物の頭を貫通し、魔物の体は一度大きく痙攣すると、ぐらりと体制を崩した。「やった! 倒れたぞ!」とシウが息を詰めて見守る中、魔物は力尽きたように地面に倒れ込む。シウはその体から軽々と飛び降りた。
ズウゥッ───ンンン…。
大きな音と共に倒れた魔物は、ピクリとも動かなくなった。シウはしばらくその姿をじっと見て、緊張が解けた瞬間、詰めていた息を長く吐き出した。「ふぅ、やっと終わった! 疲れたぁ!」と大げさに呟きながら、彼は腰に提げた鞘に二つの剣を丁寧に納めた。留め具がパチン、と小気味良い音を立てる。シウは「うーん」と気の抜けた声を発し、全身を大きく伸ばした。「腕だるい、マジでキツかった」とぼやきながら肩をぐるぐる回す。
「お疲れ、シウ。 派手にやったな」
ゆっくり歩いてきたブライトイエローの髪の少年が、落ち着いた声で言った。先程、反対側で応戦していたのは、どうやらこの少年だったようだ。戦闘を終えたばかりだというのに、彼の着衣は乱れず、息切れ一つしていない。どうともないという様子で、まるで戦場ではなく散歩道を歩いてきたかのようだ。対するシウはというと――陽動やら近距離での戦闘で、服が皺になったり、髪が乱れたりしている。「せっかく朝ちゃんと髪とか整えたのに、もうグチャグチャじゃん」と、心の中で小さく愚痴った。
「まずまずの成果だな。 まぁ、無事でなによりだ」
少年の名はリヒト。魔導師のような服装こそしているが、その実、遠距離戦を得意とする魔法剣士で、もちろん接近戦も可能だが、どちらかといえば魔法中心で遠距離から攻撃する方が馴染むらしい。
「いやぁ、一時はどうなるかと思った。 あの尻尾、めっちゃ速くてビックリしたよ」
シウが笑いながら言うと、リヒトは呆れたようにじとり、とシウを見て、ため息をついた。
「笑って済むか。あと少し反応が遅かったら確実に潰されていたぞ」
「えー? いいじゃん、ちゃんと避けられたしさ。 結果オーライってやつだよ」
「よくない。 それが命取りになることもあるんだ。 お前、油断しすぎだ」
というのも、さっきの魔物との戦闘の最中。一向に動きを見せない魔物に「何もしてこないじゃん」とシウは高を括っていた。が、意表を突くかのように、魔物は己の武器としている長い尻尾でシウを攻撃してきたのだ。ギリギリ掠っただけで怪我がなかったのは、実力なのか、それとも運が良かっただけなのか。
「油断なんてしてねぇよ! ちゃんと見てたって!」
シウが慌てて反論すると、リヒトは冷たく切り返した。
「なら何で一瞬動き止めたんだ? 見てるだけじゃダメだぞ」
「うっ……そこまで見てたのか!? マジかよ」
「それに、」
リヒトはさらに続ける。
「敵を仕留めることに躊躇するな。やられる前にやれなきゃどうする」
指を指されて指摘され、シウは少し気まずそうに目を逸らした。「…いや、確かにそうなんだけど、魔物にだって悪気があった訳じゃないし…。そこはお前、ちょっと考えてくれたっていいじゃん」と、心の中で思う。
「だってさ、可哀想だろ? あの、キュルルルって声、なんか弱っちくてさ」
シウが少し声を落として言うと、リヒトは即座に切り捨てた。
「その程度で迷うな」
「その程度ってさぁ…… 、俺だって気持ちあるんだから」
「戦いでは同情が足枷になる。人でも、魔物でもだ」
「分かったか」と目で訴えられて、シウは反論できなくなった。「うーん、納得いかねぇなぁ」と頭を掻きながら、彼は渋々頷く。
「……分かったよ、リヒトせんせー」
「……腹立つなお前。毎回それで締めるのやめろ」
リヒトが軽く睨むと、シウは「へへっ」と笑って誤魔化した。そうしてシウ達は、帰路に着くことにした。
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枝木が傘になって、日向になっている。木漏れ日が降り注いで、辺りが揚々と煌めく。木の根を縫うようにして流れている川は透き通り、葉の色を写して淡い緑色に輝いている。水際には苔が生えている。水は、ひんやり冷たそうだ。生き物の鳴き声も、物音もしない、とても静かで、とても穏やかな森。その中をひたすら歩いて、シウはゆっくりと景色を眺めた。
「なぁ、リヒト。この森、めっちゃ落ち着くよな。なんかずっと見てたい感じ!」
シウが呟くと、リヒトは前を向いたまま淡々と答えた。
「そうか。俺にはただの移動経路にしか見えんがな」
「えー、お前ってほんとつまんねぇよな。ちょっとくらい楽しめって!」
「楽しむ暇があったら、次の依頼の準備でもしろ」
「はいはい、分かったってばさ」とシウは肩をすくめた。何度見たって飽きないこの景色。ずっと眺めていても、ここを離れたくないと感じるだろう。そんな事は職業柄難しいのかもしれないけれど、もし暇があればまた訪れたいと思う。シウの前を行くリヒトは、前しか見ていない様子だったけれど。そうして開かれた道を進んでいけば、ぱっ、と見晴らしのいい場所に出る。その中心には、小城がポツンと佇んでいた。
サク、サク。
草を踏み鳴らしながらリヒトに続いて歩けば、段々と大きくなっていく建物。古びた壁は、鼠色の煉瓦が幾つも並べられて、重なって作られている。辺りを一瞥できる天守塔が二つあって、向かって右側は、半分崩れてなくなっていた。ここは、リダウトという建物で、意味は砦。
「なぁ、リヒト。この城さ、昔ってどんな感じだったんだろうな?」
シウが興味津々に尋ねると、リヒトはそっけなく返した。
「知らん。昔のことなんて興味ない」
「えー、でもさ、なんかカッコいいよな。昔の戦士とかがここで戦ってたとか考えるとワクワクする!」
「お前はそういうの好きだな」
リヒトがつっけんどんに返すと、シウが「ちぇっ」と小さく舌打ちする。通称ダブルヘッド。各地域によって、リダウトの名前は異なる。国家認定の駐屯騎士として活動する拠点であり、さっきの討伐依頼もフォレスタ近辺にある小さな村の住民から受注したものである。シウとリヒトが寝泊まりしている場所であり、働いている場所でもあった。元からこの城はここにあったらしく、使われている形跡もなかったので、改装して今のリダウトになったとのこと。そして、シウとリヒトは上司や同僚と共にこの地に配属された経緯がある。