待ちぼうけ
俺が19になった時、じいさんはまだ元気だった。いつも夕方5時になると「よっこらせっ」と声をだして居間から立ち上がる。散歩といえば聞こえはいいがそうでない。
じいさんはいつも毎日3丁目の神社でなにかを待っていった。いや、なにかをというと語弊がある。ものであるはずがないのだから恐らく人であろう。とにかく、じいさんは30分ほどそこで人を待っていた。
10年もずっとそれが続いている。きっとじいさんのおみくじでは万年のことながら待ち人来らずという文言が書かれているだろう。それにしても誰を待っているのだろうか。
親族としては、ここまでうちのじいさんをコケにしたからにはそれなりの詫びをしてもらわないと気が済まないのだろうけど、肝心のじいさんはこちらの問いかけに無言を貫いている。
でも、じいさんのその慣習も長く続くことはなかった。俺が24の時、葬式が執り行われた。寡黙な方だった思う。しかし、常に厚い人だったらしい。戦後まもない頃だったからか、器用なじいさんはよく近所の大工仕事を請け負っていたらしい。口数は少ないが確かな人。だからか、葬儀には人が集まった。人は老いる、なんてことは20代の俺には実感がないが、集まった年配の人たちは寂しい顔をしていた。実感はない。ない、がなんとなくはわかった。
49日のあと、俺はじいさんがよく見ていたベランダから落ちる夕焼けを見ていた。普段飲まない酒を、ちびりちびりと喉に入れる。
風景を見ながら俺はふと気づいた。俺がじいさんを愛していたことに。じいさんが見ていたものに俺は愛しかった。
俺は酒を置いて、外套を羽織り神社に行った。じいさんは別にお参りというわけではなかった。ただ、約束した人が来るのを待つように階段を見て駆け上がってくる誰かを探していた。
空を見上げる。星は見えない。街が明るくなったのか。この辺は数十年前なら綺麗な星が見えたという話なのに。
「おや」などど呼ばれるものだから俺は慌てて声のする方向を見た。そこには神主さんが居た。誰もいないかと思ってたのに。
よほど、ぎょっとしていた顔をしていたのだろう、俺を見て神主さんはクスクス笑う。
「あーすみませんねえ。もしかしてあなたは松田茂さんの孫じゃないですか?」
「……そうです」
それを聞いた神主さんは小さく頷く。俺ってじいさんに似てるのかな。一目で分かるって。
「神主さんは、うちのじいさんがここに来ていた理由を知っているんですか?」
神主さんは困ったような顔をするが、息を1つ短くついた。それは決心したようだった。
「昔、茂さんは末っ子の弟を可愛がっててね。10も離れてたんだ。そりゃ可愛がったよ。だけど、ねえ、当時は戦時中だ。末っ子の弟さんは疎開に出されて、行方不明になってしまったよ。ここも焼け野原にされてねぇ、この神社以外は面影がない町になってしまったよ。茂さんはね、この神社に、弟さんを待っていたんだよ。もう町はだいぶ変わってしまったけどここは取り残されているからね。また再開できるという約束をしたからね。だけど」
俺は坂道を下っていた。少し冷たい風に寂しい気持ちがする。じいさんは毎日こうやって寂しく帰ってたのかな。待ち人が来ない寂しさを感じながらこうやって帰ってたのかな。
俺の頬に涙が伝う。
弟さんは疎開先から帰って来ないのではない。もし生きていたのなら、時間はかかっても、ハガキの1枚でも連絡は来たはずだ。恐らく帰って来れなくなったのだろう。末っ子を溺愛していた祖父母も教えたくはなかったのだろう。じいさんはわかっていて、それでも神社に来ていたのだ。待ち人来ないあの場所で。
あぁ、今日はなんだが1杯飲みたい気分だ。




