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「『今から現地で合流するよ』……と」


 その夜。

 社外で取引先との打ち合わせを終えた望は、ひとり夜の街を歩いていた。


 送別会の指揮を執ってくれている後輩からのメッセージに短く答え、望は早足で進んでいく。


 取引先では思ったよりも話し込んでしまったが、時刻は十九時五十分過ぎだ。

 約束の店には時間通りに辿りつく。


 高層ビルが立ち並ぶ、都内一等地のオフィス街。

 ここでは夜でも眩しいほどのライトが、あちこちで忙しなく瞬いている。


 赤信号で止まった望は、無尽蔵に横切っていくテールランプの名残を眺めながらふう、と小さく息を吐いた。


 周囲から微かに視線を感じたが、さっと確認してみても特に知り合いというわけではない。


 そこまで目立つ格好ではないはずだが、社外に出るときは特にこういった女性の視線を感じるときが多くあった。


 同性の知人に言わせれば「好みの子がいるかもしれないんだから少しは反応しろよ!」とのことらしいが、いちいち足を止めていたら予定のスケジュールをこなせない。


 青信号で渡った横断歩道。

 よし。じきに集合予定の店に着く。


 腕時計を確認し、レンガ敷きの歩道をさらに進んでいく中、早足だった歩みがぴたりと止まった。

 望の革靴の先端に、何かがころころと転がってきたのだ。


 これは──……、キャベツ?


「すみません!」


 呆気に取られた望の背に、ひどく慌てた様子の声がかけられる。


「そちらのキャベツ、私のです! 手から滑り落ちてしまったようで、お怪我はありませんか……って、あれ?」

「あなたは」

「わあ。こんなところでお会いするなんて、偶然ですね……!」


 ぱたぱたとこちらに駆け寄ってきた人物は、夜食処店主の沙都だった。

 しかし目に飛び込んできた姿に、望は一瞬目を見張る。


 今の彼女は、夜食処で目にする緑色のベレー帽にエプロン姿ではなく、爽やかな私服姿だった。


 ふんわり身体を包み込む綿素材の淡色ワンピースに、ジーンズを重ねている。

 背中には彼女の身体の大きさに負けないほどに膨れ上がったリュックがかつがれ、両手の手提げ鞄も苦しそうなほどにパンパンだ。


「こんばんは。このリュックや鞄の中身は……もしかすると、すべてお野菜ですか」

「はい! 今日はお店が休業日なので、日頃お世話になっている農家さんのお手伝いに行っていたんです。そしたら農家さんのご厚意で、こんなにお野菜を持たせていただいて……!」


 人工的な光が瞬く夜の街で、沙都はまるで太陽のように笑った。


 よく見ると、手には土色に染まった軍手がはめられている。

 ワンピースの裾から見えるスニーカーにもほんのり土色が混ざっているし、何より。


「失礼」

「え……?」


 土の香りをまとった沙都に、気づけば望は手を伸ばしていた。


 白い頬に薄く伸びていた茶色を、親指の先ですっと拭い取る。


「頬に、土がついていました。畑仕事を頑張られた証拠ですね」

「あ……」


 望の行動の意図を知った沙都は、照れくさそうに眉を下げた。


「わざわざすみません。一応身なりは確認したつもりだったんですけれど」

「いいんですよ。大変でしたね。今日も一日お疲れさまでした」

「……ふふ。いつもとは台詞の主が逆ですね」


 はにかむ様子に目を細めながら、望は改めて私服姿の沙都を眺めた。


 話によれば今着ているワンピースも、土で汚れた服を隠すためのアイテムとして採用されたのだという。

 それでも、足元をふわりとなびくワンピースの裾は、望の胸を小さく逸らせた。


 休日も野菜一筋な沙都を眩しく思いつつ、望は拾い上げたキャベツを差し出した。


「今日も美味しそうなキャベツですね。幸い傷もないようでよかった」

「はい。ありがとうございます」


 沙都が、嬉しそうにキャベツを抱え直す。

 両手に少しめり込むように提げられた鞄を目にし、望はふとある考えが過った。


 このまま彼女を店舗まで送ったとしたら。

 このキャベツを食する客人は、自分ということになるのだろうか。


「榊木さーん! こっちですこっち!」


 そのときだった。

 通りの向こうから響いた自分の名に、望はぱっと振り返る。


 そこには待ちきれない様子で店舗の入り口から顔を出している後輩の姿があった。


 ネクタイをすでに外していて、飲み会の準備もばっちりといったところか。


「なかなか来ないから、迷子になっちゃったのかと思いましたよー!」

「さあさ、早く来てください! 主役がいなくちゃ始まらないんですから……、あれ、この方は?」


 どうやら、望の背後に立つ人物の存在に気づいたらしい。

 沙都の姿をちらりと確認した瞬間、後輩の瞳にきらりと光が灯った。


「あれれ。もしかして、榊木さんのお知り合いですか?」

「わあ、榊木さんが社外の女性といるところって、何気に初めて見ましたよ!」

「こら。余計なことを言うんじゃない」


 興味津々に沙都を見る二人の後輩を、望は短く諫める。

 とはいえわざわざ紹介するほどの関係でもない。気もする。


 どうしたものかと小さく振り返る望に、沙都は微笑を向けた。


 先ほどまでみせてくれていた太陽のようなものではなく、何か明確に線引きをされたような、よそ行きの笑顔だった。


「足をお止めして申し訳ありません。私が転がしてしまったキャベツを、こちらの方が拾ってくださったんです」

「あ……」

「本当にありがとうございました。それでは、失礼します」


 ぺこりと頭を下げた沙都は、くるりと背中を向けて通りの向こうへ歩いて行く。


 その様子を呆然と見送る望を、後輩二人はここぞとばかりに挟み込んだ。


「榊木さんっ、今の女性、可愛らしい方でしたね……!」

「小柄なのに荷物をあんなにたくさん持って、力持ちだなあ」


 きっと沙都は、望に気を遣ったのだろう。


 互いの関係を言葉にしかねていた望に気づき、ただの通りすがりを演じてくれたのだ。


 唐突に見知らぬスーツ姿の男に囲まれた状況は、沙都にとって居心地のいいものではなかったに違いない。


 それなのに、もしかしたらもう二度と会うことのない、望の心中を慮って。


「──……沙都さん!!」


 夜道に響く声は、真っ直ぐにその人の背に届いた。


 目をまん丸にした沙都が振り返る。

 ボブショートの髪が柔らかく揺れ、背負ったリュックにぺしりと跳ね返されていた。


「明日の夜、あなたのところに行きます!」

「……!」

「必ず行きますから、そのキャベツ、ぜひ食べさせてください……!」


 洗練された街中でくり広げるには、おおよそ相応しくない会話だろうと思う。


 それでも声を張り上げた先で、沙都はふんわりと柔らかな笑みを浮かべてくれた。

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