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第二章 逃避行と狩人

「はあ、はあ・・・・・・。」

 森は延々と続いていた。もう、丸2日近く休憩を取りながら歩き通しだ。

「これ、どこに向かってるの・・・・・・?」

「分からない・・・・・・。」

 一緒に逃げている兄弟の名は、兄をジュード、弟をジルというらしい。

 ジルは疲労困憊してぐったりと兄の背に抱えられていた。

「ジュード、そろそろ休憩を取ろうか?」

「うん・・・・・・。ちょっとキツイかも。」

 ジュードも私も、寝不足のうえに慣れない山道でふらふらだ。

「あそこに水辺がある。そこで休もう。」

「蛇がいないといいけど・・・・・・。」

 よろよろと、細い水流を目指して歩む。

 つらい身体を動かして、大岩に腰掛けた。

「ふぅ・・・・・・。」

「ジル・・・。起きて。ほら、水だよ・・・・・・。」

「ん・・・・・・。」

 ジルは薄く瞼を開いた。兄が差し出した左手から、ぽたぽたと雫が転がって、弟はすうっと飲む。

「・・・・・・気づいた?」

「ん・・・。大丈夫・・・・・・。」

 ジルはおぼつかない仕草で口元を拭った。

「兄さまとエルムは歩いてるのに・・・・・・。ぼくも歩かなくちゃ・・・・・・。」

「ダメだ。まだふらつくだろう?無理は禁物だよ。兄さまが背負っててやるから。」

「・・・・・・っ、ごめんなさい。」

 私はへにゃりと眉を下げた。

「そんなの、謝ることじゃない。ジルだって、午前中は頑張って歩いてただろう?」

「そうだけど・・・。でも・・・・ ・・。」

 ジルは悔しげに歯を食いしばった。

「そうだよ。今はゆっくり休みなさい。」

「・・・・・・はい。」

 それからもう少し歩いて、私たちは似たり寄ったりの水辺で野宿することに決めた。

 陽が翳ってきて、ただでさえ鬱蒼とした真木の連続が、より不気味に見えてくる。生き生きと、梟が鳴き始める。人ならざるものの時間が、今、まさに始まろうとしている。

「熊とか、狼とか、出ないと良いのだけれど・・・・・・。」

「うん・・・・・・。怖いけど、どうにか一晩もたせよう・・・・・・。」

 斜陽煌めく山の生気に怯みつつ、私たちの夜が訪れた。


 眠りについて、どれくらい経っただろうか?

 ふと、ぱちりと目を覚ます。

 ジルが顔をぐしゃぐしゃにして、私を揺らしていた。

 くるりと眺めると、ジュードが魔獣に襲われている。

「!」

 私は思わず唖然とした。でも、すぐに我に返って、ジュードに噛み付く巨体に短剣を突き立てる。

「グアゥ・・・・・・ッ!!!」

 血走った眼をした人喰い狼の魔物は、その一瞬、動揺した。

 しかし、人喰い狼も人を襲うだけの気概があるから、より凶暴になってこちらへ向かってくる。

「危ないっ!」

「ジル!!」

 私の後ろには、もう一頭の狼がいた。純白の毛を靡かせて、襲いかかってきたところに、ジルが飛び出したのだった。

 ジルの腕からは血がぼたぼたと滴っている。ジュードは泣き出しそうな顔で彼の弟のもとへ走っていった。

「ジル、なんてことを・・・・・・!!」

「・・・・・・っ、だって、エルムの死角に狼がいて・・・気づいたらぼくが狼の前にいて・・・・・・。」

「・・・・・・っ。」

 俯くジルに、ジュードは言った。

「馬鹿っ・・・!」

 ジルはジュードを真っ直ぐに見据える。

「だって、ぼくばっかり非力で何もできないのは嫌だったんだ・・・!兄さんの役にも、エルムの役にも、父さんや母さんの役にも立てないぼくが・・・・・・。」

「だからって・・・・・・!」

 そう言いかけて、今度はジュードが俯いた。

「いや、兄さんこそごめんな。」

「・・・・・・。」

 ジルは涙を溜めて顔を上げる。

 しかし、すぐに目を見開いた。

「兄さん、後ろ・・・・・・っ!」

「え・・・・・・?」

 次の瞬間、臓腑が引き千切られた。

 私はふたりが話している間に狼と格闘していたけれど、最初にジュードに噛み付いたほうの狼が、私が純白の狼に手篭めにされている隙をついて素早く襲いかかったのだった。

 ジルはいま引き起こされたことが呑み込めない様子で茫然としていた。

「ジル、逃げて!!じゃないと襲われる!!」

「にい・・・・・・さん・・・・・・。」

 私はジルをかっぱらって、その場を離れた。

「エルム・・・・・・兄さんが・・・・・・!!」

 発狂するジルを担ぎながら、唇を噛みしめる。

「うわああああっ・・・・・・!兄さん、死んじゃやだ・・・・・・にいさんっ!」

 ジュードはぐったりと狼に咥えられ、森へ消えていった。

 ジルは手足をばたつかせて、私から逃れようとする。

「放してよ・・・!あいつらを殺して、兄さんを取り返すんだ・・・・・・!!」

復讐心がジルの心を捕らえている。私はペンで一喝した。

「お前、ほんとうに馬鹿者になりたいのか!?冷静になれ!今、狼を殺してどうなる?お前自身がその身を喰われるだけだろう!?」

「・・・・・・っ!・・・でも!!」

「仮にあいつらを倒したとして、お前はそれで満足するのか!?」

「でも・・・・・・っ!!・・・・・・・うわあぁぁん・・・!」

 ジルは夕立のような涙を零した。

「お前が本当にジュードの仇を取ろうと考えるなら、お前は強くなれ。強くなる努力をするんだ。・・・そして、兄さんに誇れるような生き方をしろ!!」

「・・・・・・っ、ひっく・・・。」

 ジルは嗚咽しながら、真っ暗な大きい瞳でぱちりと僕を見た。

「・・・・・・。」

 沈黙の末、彼は口を開いた。

「ぼく・・・生きて逃げるよ。喰われてしまった兄さんの分まで。」

 私はにかっと笑った。

「そのくらいの心意気じゃなきゃ・・・!」


 こうして二人旅を続けて、なんとか、私たちは人為的な痕跡を見つけた。

「見て、切り株がある!」

「ほんとだ!!」

「人間が近くにいるかもしれないね。もしかしたら、狩猟用の罠とか・・・。」

「あ、見て!」

 ジルは少し遠くを指差した。もそもそと動く影がある。──人影だ!

「おーい!」

「おーい!たすけて!」

 影は動きを止め、こちらを向いた。斜面を大きな鹿に乗って駆け下りてくる。

「どしたーっ?」

 私たちの前に現れたのは、狩人の青年だった。

「ん?お前たち、子ども?」

 青年は不思議そうに首を傾げる。

「おい、お前ら、どした?」

「あ、エルムは耳が聞こえないから、筆談を・・・・・・。」

「あ、悪ぃ。」

 青年は差し出されたペンを受け取って、「お前ら、どした?」と、そっくり紙に書いた。

「奴隷商人から逃げてきました。」

 青年はびっくり仰天して私たちをまじまじと観察した。

「逃げてきたのか!?そりゃ災難だったな。」

「この子-ジルの兄さんは、途中で狼に襲われて・・・・・・。それで、二人でここまで来たんです。」

「よく頑張った!!」

 青年はわしわしと私たちの頭を撫でた。

「俺はこの森で狩人をやってる、ギル・スチュアートだ。しばらくうちに泊まってけ!」

「ありがとうございます!」

「いや、うち、ほんとに何もねえけどな。むしろ、それでいいなら。」

「別に構わないです。」

「ホントにか?なら、一緒に来いよ。こいつに乗っけて、今から連れてってやる。ちょうどアナグマとキツネを仕留めたとこだったしな。」

 私たちは、この人当たりのいいギルという狩人に乗せられて、峠を越えた。


 ギルの家は、高い峰の上の洞穴だった。奥まで風通しのいい家だ。

 私たちに自宅の説明をすると、ギルは早速、穴熊の毛皮を剥ぎ始めた。

「焼くのと煮るの、どっちがいい?」

「焼いたやつ!」

 ジルが元気良く言った。

「はいよ。」

 ギルはぶつ切りにした穴熊の肉を手際よく串に刺して、火炎に晒していく。

 崖下では澄んだ冷たい空気を、鳶たちが舞っている。

 私たちはいったい、どのあたりから来たのだろうか?そう思い、山脈の果てに目を凝らす。

「ぼくたち・・・・・・これからどうなるんだろう・・・・・・?」

 ジルは悲しそうな、不安そうな、何とも言えない表情で、旅塵にまみれたマントの端を握った。

 私は唇を噛み、ジルの髪を優しく撫で返す。

「まあ、そんな不安そうな顔すんなよな。人生、大概なんとかなる!」

 ギルは両手で2本の焼き串を差し出した。ほどよく焦げ目がついて、表面には脂が滲んでいる。

「ほら、これ食って元気出せよ。あ、量は気にすんな!まだまだあるから、腹いっぱい食ってけ!!」

 青年のあどけない笑顔に押されて、その肉を頬張る。口一杯に、旨みが蕩けて広がる。

「・・・・・・!?」

「・・・何これ!?めちゃくちゃ美味しい・・・・・・!!」

「ふははっ!!だろ?この辺の猟師は俺くらいだからさ、すげえ脂乗ったヤツらがわんさかいるんだ!!」

「こんな旨い穴熊、初めて食べたよ!!」

「おまえ、きっと育ち盛りだろ?たんと食って、大きくなれよ!」

「ふふっ。」

 微笑ましいやりとりに、私はふっと口元を綻ばせた。

「・・・・・・っと、さて。本題に入るんだが・・・・・・。おまえら、いったいどこから来たんだ・・・・・・?」

 私たちは困惑し、顔を見合わせた。

「それが・・・・・・実は、私たちにも分からなくて・・・・・・。」

「奴隷商人に捕まって、それきりだったので・・・・・・。」

「奴隷商人!?おいおい、おまえら、よくそこから逃げれたな・・・・・・。」

「運良く、一行は魔獣に喰い殺されたんです。」

「あー、なるほどな・・・・・・。うんうん。」

 ギルは労わるような眼差しで頷いた。

「それで、ぼくとエルムと、兄さまとで森の中を彷徨っていたんだけど・・・・・・、兄さんはオオカミに襲われて・・・・・・。」

 ジルは俯いた。やはり、目には涙が噴き出している。それでも、泣きはしなかった。

 私は申し訳なさに顔を歪めつつ、ジルの背中にそっと手のひらを重ねた。

「私が言うよ、ジル。聞きたくないなら、耳を塞いでしまったっていい・・・・・・。」

 ジルがぎゅっと瞼を閉じて、浅い深呼吸をする。

「この子の兄さんは、ジルの目の前で殺されたんだ・・・・・・。これといった武器もなく、私は短剣で狼と戦ったが、一頭がジルの兄さんの臓腑を千切って・・・・・・。それで、狼から逃げながら、やっとここに辿り着いたんだ。」

「そっか・・・・・・。」

 ギルは私たちに向き直った。

「それで・・・・・・とりあえずここに泊めるけどさ、最終的に、おまえらはどうするつもりなんだ?」

「私は、これから考えますけど、風の国にはいられません・・・・・・。」

「チビは?」

「ぼくは・・・・・・行くところがないです・・・・・・。」

「うーん・・・・・・。」

 ギルはそっと腕組みをする。

「とりあえず・・・エルム、だっけか?おまえの亡命先なら、どうにかしてやれるところが一つだけあるぜ。」

「ほんとうですか!?」

「ああ。俺、水の国の出身なんだ。俺の実家、楽器屋やっててさ。だから・・・おまえにその気があるなら、うちで住み込みで雇ってやってほしいって、親父とおふくろに口利いてやるよ。」

「・・・・・・っ!ありがとうございます!!お願いします!」

 私が安堵にほっと息を吐くと、ギルに髪をくしゃくしゃにされた。

「ははっ、こういう困ったときはお互い様だろ?一件落着だな!・・・・・・さて。」

 ギルは細めた双眸をぱちりと開き、ジルのほうに向き直った。

「チビは、どうしたいんだ?」

「・・・・・・。」

 ジルはギルと目線を交わさず、困惑気味に下を向いていた。

「・・・まあ、そうだよな。今すぐどうするか訊いたって、決めらんねーよな。」

 ギルはジルの肩に手を添えた。

「無理に決めろなんて言わねーから。じっくり考えればいいさ。」

 ジルは無言で頷いた。ギルはにかっと豪快に笑む。

「よーし、たらふく肉食ってけ!アナグマでもイタチでもウサギでも、あらゆる肉を兄ちゃんが華麗にさばいてやるぜ!!ナイフの魔術師・ギル、なんてな!ふははははっ!!」

「ナイフの魔術師・・・・・・。」

 私とジルは呆気にとられながらそう発した。我に返り、ジルはけたけたと喉奥で声をあげる。

「あははっ!ナイフの魔術師って、なにそれ!!」

「ふふっ。魔術師というか、解体の芸術家じゃないの?」

「芸術家?そうみえるかぁ・・・?ベレー帽被って彫刻刀カリカリしてる人に見える?」

「全っ然、みえない。」

「チビの割に辛辣!?」

「だって、想像しただけで絵面があり得なさすぎるもん。」

「い、一応、面と向かってそう言われるのは、俺だって傷つくのよ!?」

 ギルはとぼけて頭の裏を掻いた。どこまでも岩肌と樹海ばかりの、玻璃の膜みたいな原初の気の中に、賑やかな音が反響する。

「そういえば、ギルさんは水の国出身だって言ってましたけど、どうしてここに来たんですか?」

「俺?俺はなー、最初のうちは楽器職人になるための勉強をさせられてたんだけどさー、だんだん違うような気がしてきて、狩人になったんだ。」

「違う、とは?」

「なんつーか、楽器を作ってるうちに、『これは本当に俺のやりたいことなのか?』、『俺は何のためにこうして勉強してんだ?』って思い始めて、なんだか、日に日に俺が、本当の“俺”からかけ離れていくような気がしたんだ。そしたら、俺はもっと違う生き方をしたい!って思うようになってさ。そんで、職人になることを思い切ってやめて、家を出ることにしたんだよ。」

 ギルの眼は遥か彼方を見つめていた。瞳の奥には幻影に似た故郷が映っている。

「まあ、昔から体動かすほうが好きだったし。そもそも、楽器職人だって、親の影響が強かったしな。手仕事ばっかりしてた分、狩人になって人里離れた山奥で生きるのは、めちゃくちゃ楽しかった。だから、今はこれが俺のあるべき姿なんだって思ってる。」

 私は黙って耳を傾けていたけれど、心の中で、なにか突っかかるものを覚えた。

「・・・・・・私も、ギルさんみたいに自分から行動を起こせたら良かったのかもしれない。」

 ごくりと一筋の唾を飲み込む。

「私はピアニストだったんです。ピアノがあって、音があって・・・・・・。そういうのが当たり前だったのに、突然聴覚を失った・・・・・・。もっと聞きたくて、もっと弾きたくて・・・、途中で悔しがってたら、追い出されるわ、売られるわ。こうして、今ここにいる。」

「・・・・・・そっか。」

「・・・・・・。」

 二人は迷いを含むような表情をした。

「・・・でもさ、おまえがもしも売られなかったら、兄ちゃんどころかジルも助かんなかったんじゃねーの?」

「でも、聴覚を失わなかったら、エルムは今頃すごい音楽家になってたかもしれないのに・・・・・・。」

「・・・まあ、今となっては後の祭りなんだけれどね。」

「そりゃそうだ。」

ギルはふうと息をついた。

「後悔っていうのは、やっぱり、あとからなんだよな。あの時こうすれば良かったーなんて思っても、過ぎたことはどうにもなんない。おまえらはスパッと前向いて生きてるみたいだから、俺は感心する。俺みたいにいつまでも引きずっちまう奴は、後悔しないようにその時々に慎重になるしかねーからな。」

青年の横顔には僅かな侮蔑と執着とがはらまれていた。私はそれを目に沈黙した。


そこから数夜明けて──。私たちはそれぞれの道に立った。

私は二人と共にひとまず水の国へ、ジルはギルと風の国での山暮らしをすることを決めた。

私たちはギルの住処を背に峠を下り、再び森の中を歩いていく。今度はギルの逞しき「相棒」──鹿のギィも一緒である。

「ギィ、そろそろ水飲むか?」

ぴぃーっと、ギィは声高に鳴いた。

軽やかな足音が反響するせせらぎに顔を伏し、消え入るように飲み干してゆく。

ジルも、しゃがみこんでさらさらと水を掬う。

ギルはその合間に、野を駆ける白兎や飛ぶ鳥の翼を射落とす。

昼間はこのようにして歩き、夜はギルとギィが交代で見張りながら野宿して、二週間近く歩いた末に、ついに水の国の王都へ到着したのだった。

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