第8話「相反する感情」
「ハンナちゃんは……!」
ルナが洞窟の奥へ向かうと、そこはやけに晴天が目立つ天井が開かれた場所だった。すぐそこで男二人が、何もせずに突っ立っているのに気づいた。
「……もう手遅れだ」
アレクシスは小さく呟いた。
「――なんて?」
その言葉は、期待も幻想も全て奪い去っていく。
「魔化が完全に進んでいる。ハンナはもう、人間に戻れない」
天下の大魔法士が言うのなら、それがきっと正しいのだろう。正しいはずだ。正しいはずなのに。(方法が無いわけじゃない。この人は、「方法が無い」と決めつけているだけだ)何故か、ルナにはその男の気持ちが痛いほど理解出来た。先の魔人の魔法が使えるようになった訳では無い。ただ彼の背中が語る寂しさにどこか見覚えがあったからだ。
「方法はないの?」
「方法なんてあるわけがない!あるわけがないんだ!」
(……あぁ、やっぱり私と「同じ」だね)
「アレクシス・ギーレン!!」
その声にアレクシスは体を震わせ目を大きく見開き、ルナの方を振り向く。ずかずかとルナはアレクシスへ近づいたかと思えば、その前に背中を見せるように立つ。そして、至って平静な声で言葉を紡ぎはじめる。
「君はなんのためにここにいたの。君の夢は、願いは、己を肯定するためなんかじゃないでしょ」
(過去は変えられない。だからこそ、私たちの過去は、『どうすることもできなかった』。たったその一言で全てが片がつくことを知っている。けど、そんな一言で諦められない性格だったから、今こうやって抗っているんじゃないか)
「正直に言うと、君がどうなろうが知ったこっちゃない。でも、ハンナを助けるためには私ひとりの力じゃどうにもならない。だから、私は敢えて言うよ。______さっさと目を覚ませ!!ポンコツ魔法士!」
・
「……魔化した人間は救えない」
俯いたアレクシスは小さな声で、何度も繰り返す。
『お願いだ、頼む。私が私でなくなる前に私を……殺してくれ!!アレクシス!』
繰り返しながら、あの日のことを思い返す。大魔法士としての全ての名声が失われた日。『師匠殺し』の汚名を背負うことになった日。その選択が間違っていたとは今でも思っていない。
「いつから、僕はそうでならなければならないなんて最低な事を思っていたんだろうな」
魔化を治す研究を続けながら、心のどこかでその方法が見つからないことを願っていた。見つかってしまえば、己がした行いを後悔してしまうから。その選択が間違っていたという現実を嫌でも理解してしまうから。
「……ったく、誰のため研究だよ」
あの日の悲劇を繰り返さないためにと魔化の研究をするなど慈善じみたことを謳っても、所詮己がいちばん可愛かったのだ。
「君の言う通り、僕はポンコツ魔法士だ」
(けれど、もう違う。今日からは違う。僕の前に立つ、ルナ・ラクスという人間が、出会って間もない人間が己の相反する心に気づかせてくれたから)
「方法はまだ見つけることができていない。それは、本当だ。それならば、今探せばいい。探せないのなら、引き伸ばす方法を見つければいい。
……ルナ、僕は君を信じるよ。君が僕を信じてくれたように、僕も理由もなく信じる。だから、僕を存分に使え!」
その揺らぎのない瞳を、ルナは見る。「よし!」と力強く頷き、魔法剣の柄を手に取る。
「まずは動きを止める!援護任せた。あと、キースくんを任せるよ」
「あぁ!」
アレクシスが魔法で道を切り開き、ルナは駆け抜けた。 「……アイス」剣は氷を纏い、人間の姿を失いかけているハンナの手足を凍らせていく。「冷たいかもしれないけどごめんね……っ!」と申し訳なさそうにしていると、ぴしり。彼女を包んだ氷にヒビが入り始めていたのが見えた。
「下がれ!」
その声と共に、氷を砕いた腕からルナを襲った攻撃は、魔法によってできた障壁で跳ね返された。ルナは体勢を整えるように間合いを取る。様子を窺っていると、「それ」はみるみると形を変えていき、第二形態と言わんばかりのもはや人の原型を留めない魔獣へと姿を変えた。
「……くそっ!ここは黒雲が近すぎる!!」
山頂という場所が不運を為したのか。魔化の進行は止まらない。(だが、不思議と諦めようとは思えない)アレクシスは必死に頭を働かせて、手段を模索する。魔化。魔力の過剰使用。暴走。理性の喪失。
「――なぁ、どうして僕は、今まともなんだ」
刹那、ひとつの疑問が浮かび上がった。(……僕は確かにあの時、暴走しかけていた。けれど、すぐにそれは落ち着いた。魔化は気絶させられたくらいで治まるものじゃない。目を覚ました時、何となく体が軽かった気がした。可能性があるとすれば、それは)
「これは賭けだ。下手すれば、ハンナを殺すことになる」
確証はない。根拠もない。あの剣が、体に触れることで魔化を鎮静化できるというのはただの憶測に過ぎない。アレクシスの所まで戻ってきたルナは、ハンナから目を離さずにその言葉を聞く。
「でも、やるしかないんでしょ」
「あぁ。だから、その剣を貸してくれ。それでハンナの体を貫く」
「それは、私でもできることだよね」
「……人殺しの、汚名は僕だけが背負えばいい」
互いに隣にいる相手が今どんな表情にしているかわからなかった。ルナは腰に帯びた剣をもう片方の手で握る。(……聖剣の主は既に居ないのだから、誰が使っても変わらない)アレクシスの考えは言わずとも理解していた。この剣が、聖剣が魔化に対して何かしら干渉できるのは何もおかしくはない。この聖剣を握ったメリンダが勇者なのではないか。そう思いもしたが、「ラクス」が居た限りそれは無いのだと思う。
「一人殺した人間が、もう一人殺したところで何も変わらないさ」
そういう彼の瞳は、どこか寂しそうだった。(……勇者なら、きっと)
「――変わるよ。あなたが傷つく」
ルナは一言だけ言って、駆け出した。背中からアレクシスの声が聞こえるが、それに応じることはなかった。ルナめがけて襲いかかる触手を両手の剣で切り払って進んでいく。(痛いね。痛いよね、ごめん!すぐに楽にしてあげるからね)魔獣の胸元まで辿り着くと、やむを得ずに援護と回ったアレクシスの魔法で一時的に身動きが止まった。そして、その瞬間を狙って、ルナはその心の臓を聖剣で穿った。
「お飾りの剣じゃないってとこ、見せてよね!!」
・
・
・
「村のために役に立て!!」
私はあの日のことを一度も忘れたことがない。村に魔獣が押し寄せて、人々に襲いかかって来た日のことを。まだ力もなかった私は必死に逃げようとすると、村の男に背中を押されて、涎を垂らしながら息を荒立てる魔獣の目の前に引きずり出されたのだ。
その時は生きるためだけに無我夢中だった。腰が抜け、怯えながら後ろへ退く私の右手に何の変哲もない木の枝が当たった。その後の記憶は無い。気づいた時には、己を襲いかかってきた魔獣は切り裂かれ、すぐそばで野垂れ死んでいた。呆然としていた私は、その右手に握ってあったはずの枝がどこにもないことに気づいた。
しばらくして、どこかへ逃げていったはずの人々は戻ってきて、そこに私を突き飛ばした男の姿もあった。誰も彼もが私を称えた。せして、誰しもが私を崇め、私を「」と呼んだ。
それが、私――「」の始まりだった。
・
・
・
「しっかりしろ!!」
アレクシスの声で、ルナは現実へ引き戻される。やけに視界が妨げられているような気がした。何粒もの水滴がその頬に伝っていることに気づく。(……私、なんで泣いて……?)その水滴を服の袖で拭うと、視線を下にやる。すると、そこには、死によって魔化状態が解けたのか。可愛いらしい少女が眠っていた。死んだとは思えないほど安らかな表情だった。
「……すぅ……」
「生き、てる……?」
ハンナが息をしていることに気づいたその拍子に、ルナの聖剣を逃げる手は緩んだ。からんからん。聖剣はアレクシスの前に転がる。
「この剣が……魔化した部分の魔力を吸い込んでいる……?」
アレクシスはその転がった剣をじっと見て、魔力の流れを《視た》。(……どういう事だ。魔化した部分だけ吸収できるのか……?いや、そもそも魔化は黒雲からただ干渉を受けるのではなく、魔力が注入されるということか?)
「おねえちゃん!!」
「……キース……?」
アレクシスが魔法で作り出していた魔法壁は解けて、キースはハンナの元へ駆け寄る。ハンナはキースの声で目を覚ましたのか、飛びついたキースを抱き締めた。思考を巡らせ続けていたアレクシスもキースについて、二人の元へ駆け寄った。
「ねぇ、アレクシス……私たち……」
「救えたんだ。……魔化した人間を」
「ははっ……うそ……」
「ほんと、夢みたいだな……」
空に広がる雲は、まだ暗闇のなかにいる。しかし、その下には再会を喜ぶように抱き合う姉弟の姿と、そのふたりを見て口元を綻ばせた大人ふたりの姿があった。