第7話「その心に問う」
ルナたちは暗い洞窟の中を足を一瞬たりとも止めることなく、村長が向かった先へハンナがいる所へ駆けて行く。そのはずだった。目の前に広がる光景にルナは足を止めた。
「おい、どうした!……これは」
「……キースくん、絶対に目を開けちゃ駄目」
世界は、残酷で悲惨だ。
(……あぁ、反吐が出る)人間を苦しめる人間も。それを良しとして知らぬふりをしてきた人々も。そして、何も知らずに人々の悲鳴で作り上げられたポーションの恩恵を享受した己も。
『魔獣よりも黒雲よりも何よりも、人間が一番醜く汚いだろう?』
私は分かっていた。知っていたとも。人間ほど利己的で残酷で醜い生き物などいないことを!
壁に広がる乾ききった赤い飛沫の跡。丁度人の指の太さほどに何ヶ所も抉れた壁。散らばる錆びた鎖。この目の前に広がる惨状がその全てを物語る。
「一体いつからだ……クソ野郎共っ!」
「クソ野郎とは酷い言い様ではないかね、『師匠殺し』のアレクシス・ギーレン」
影から男が現れた。いや、「それ」を「男」と明言していいのだろうか。「それ」が目元につけていた飾りを取ると、そこには人では有り得ることのない数の瞳があった。そして、その手足は魔獣のように鱗が広がり、鋭い爪を持っていた。人に近い形をした人ならざるもの。その名を、アレクシスはよく知っていた。
「お前、魔人か……!」
「何故理性があるのだ、とでも言いたげな顔であるな」
動揺を続けたままのアレクシスの隣でルナは、そっとキースを床に下ろすと、静かに腰に侍らせた剣の柄を握る。(……目眩し程度はできるか)そう思考を巡らせていると、ギョロリ。その多眼がこちらを見た。
「そう身構えるな、話をしようではないか。ルナ・ラクス」
何故名前を知っているのか。その人ならざる者の視線は、己の全てを見透かされているように感じて仕方がなかった。
「……それなら、ひとつ聞かせて。貴方の目的は?どうしてこんなことをしたの」
「まるで私のせいと言っているようであるな。残念だが、それは違う。貴様が早く、我らへ魔力を捧げていればこのようなことにはならなかったのだ。」
魔人はそう言いながら、アレクシスを見て話を続ける。
「貴様を「呪い」の根源の罪人として此処へ連れていくということも考えていたのだがね。生憎だが、貴様よりも素質のある人間を私は見つけたのだ。――ハンナ・ファイネンは、この黒き空の素晴らしい生贄となるだろう」
(大魔法士様を犯人だと叫ばせたの、この「魔人」の策略だったのか……?)
「あぁ、そうだとも」
その一言で、ルナの疑念は確信へと変わる。この魔人は他人の心を読むことができるのだと。
「お前の目的を答えろ!」
「貴様に答えても意味がなかろう」
「……大魔法士様、キースくんを連れてハンナちゃんの所へ早く行ってください。こんなところで足を止めてはいけない」
(確かに私も目的を知りたいけれど、私たちの今の目的はこの魔人を相手にすることじゃない)
ルナの力をまだその目で見ていないアレクシスは「……お前、大丈夫か」とその様子を窺うように聞くと、ルナは目を細めて、笑った。
「実は私、人を殺すことは人並み以上には得意なんです」
・
「お前さんの剣は、人を殺す剣だ」
かつて数ヶ月だけ師事した剣士の男がそのとき、ルナにこう言った。ルナはその言葉を聞いて勿論、ショックを受けた。「勇者」は人を殺さないと思っていたからこそ、その言葉に酷く傷ついた。
「そうあまり悪い意味で捉えるな。魔獣を殺す剣技なんていざという時に役に立たないんだ。魔法士、狩人、騎士……。魔獣を殺すことが出来る人間なんてこの世界にごまんといる。
だが、人間を殺せる人間は少ない。だからこそ、「勇者」になりたいというお前さんの剣は他に劣ることの無い、人を救う剣となるだろうさ。……そうだな、ルナにはこの武器がちょうどいいだろう」
・
ルナは腰に剣を三振り、帯刀していた。一振は、洞窟で手に入れた聖剣。もう一振は魔獣を捌くための短剣。そして、最後の一振は剣身が存在しない「剣」だった。
「はっ!ふざけているのか?そのごみで何が出来る!」
魔人はルナが手にした刀身を持たない剣を見て嘲笑う。しかし、その表情は即座に警戒の色へと変わった。恐らくルナの心を読んだのだろう。
「ほう、それは魔法剣というのか」
「そりゃ、手札を隠すのは難しいよね。……石巌よ」
魔法を唱えると、瞬く間にその柄からは、岩のような刃の剣が出現した。ルナはその手で魔人へ切りかかる。しかし、その鱗は硬く傷一つつかない。直ぐにその足で腹を蹴り、その反動を使って魔人へと距離を取り、構え直し相手の出方を窺う。
「風よ」
魔人が一歩踏み出した刹那、岩のような刃は崩れ今度は、ルナはその剣から目に見えない斬撃を繰り出す。
「声に出さないと使えないなど、とても不憫であるな」
「一言で済むから安いもんだよ!」
ぐらり。次の攻撃をしようと、重心を後ろ足に移動させると、突然足が石のように重くなり、ルナはその場でひざをつく。(……これは体のせいじゃない。私の足が、心が「もう動きたくない」と言っている!)その攻撃を体全身に受けて、漸くルナは理解した。
「全部、君の魔法だったんだな!!」
己の矜恃が霞む。なんでもない他のものへすり変わっていく感覚。奴が使う魔法は、精神に干渉する魔法か。心を読まれたのも全て奴の魔法だった。こんなにも被害者がいるのに、村の人たちがあまりに無関心だったことも。村長が「守り神」だと異常な目つきで叫んで話が通じなかったことも。全て、この魔人によるものだった。
「先程の威勢の良さはどこに行ったのだね!全くもって無様というものだ!クハハハ!」
(……忘れるな、忘れるな!何故、私が今、生きているのか。何故、この足が進み続けるのか!)
「ルナ・ラクスよ。勇者気取りもこれまでだ。貴様は勇者になれやしない。もう、この世界に勇者などいないのだから」
鋭い爪が、動きを止めたルナを指す。(……そろそろ頃合いだろう)魔人の足は地にのめり込む。そして、それをバネにし、ルナ目掛けて飛び込もうとした。その時、ルナはその動きをしっかりその瞳で捉えた。「貴様、なぜ動けっ」
「……勇者になれない。勇者になれない。勇者になれやしない!何度も何度もしつこいんだよ……!分かってるっていってるじゃん!大体さ、勇者になることと「これ」は違う!!」
小さな声で何かを唱える。それが剣から放たれる魔法だとは理解していても、しかし、引き返すには難しく、剣の先から何か液体のようなものを魔人は体全体に大量に浴びた。「な、にっ!……なんだ、これは水か。笑わせてくれるな」と余裕の笑みを浮かべながらも、魔人はルナと距離を取る。(……何を考えているんだ、こいつは……!)その目でルナの心を捉えようとする。
(なぁ、聞こえているんだろ。そうだ、君の言う通りだよ。確かに私は「勇者」になりたい。……けど、それは関係ない。君はその姿が例え魔獣だろうが、心を持っている。それは紛うことなき人間だ。君は人間なのだから、私は同じひとりの人間として、君のその行為が許せない!)
「……礼を言うよ、君が思い出させてくれた。私は大した誇りもない、わりと普通の人間だったことを」
ルナはそう不敵に笑いながら、右手の人差し指にはめてある指輪を取り、ポケットにしまう。その様子を訝しげに見ていた魔人はルナが今から為そうとしていることを読み取り、「貴様!!なにを!」と瞳孔を開いた。
「――炎よ!!」
しかし、気づいた時には遅かった。 ルナは魔法を唱えると己の右手を荒々しい炎で包んだ。その肌は爛れ、その凄惨たる姿はもう使い物にならないことを示していた。
「貴様、とうとう狂ったか!」
「さっきの会話からずっと考えていた。キースくんだけはハンナちゃんを本気で心配していたし、君は私の心を読んだけど、大魔法士様の心は読めないようだった。だから、村の人たちと、彼らの間にある違いを考えていた」
ルナはもう魔人は己の心が読めないことを確かめるためにも、だらだらと会話を続ける。
「それって、ポーションだろ?」
ルナは一度その手にポーションを受けた。そのポーションの中身に魔人の魔力も含まれているというなら、その効果は絶大だ。何せ、高いポーションを無料で配っていたのだから。
たった一度でもポーションを身体に入れれば、その効果が続くと言うなら血管や消化管を介した体の循環は考えにくい。もし、循環されるならそれは何かしらの形で既に排出されているからだ。恐らく、魔人の魔力はポーションが癒した部分だけに残留しているのだろう。もし、体全体を癒すために口から摂取していればどうなったことか。考えるだけでおぞましく感じる。
「だが、今ので貴様の利き手は使い物にならなくなった!その手で私を殺ろうとは笑止千万!もう一度その体に我が魔力を注ぎ、その精神、廃人と化すまで蝕んでやろう!!」
「良かった。もう心の声は聞こえてないね。……あのさ、気づいてないの?」
ルナはとんとんと、己の体を爛れた方の人差し指で叩く。ルナの言葉に呆然とする魔人を見ながら、「ま、仕方ないよね」とおどけた調子で鼻で笑う。
「貴様、何を笑って――」
「雷霆よ」
間髪を入れず、左手へ魔剣を握り直し、その刃先を魔人へ向けて魔法を唱える。びしゃり。魔人の元の一筋の雷の鉄槌が落ちた。「う、がっ……!」とその鱗は黒く焦げ、魔人はその場に倒れ込む。その様子はもがき苦しんでいて、まともに息さえ出来ていないようだった。ルナはゆっくりと歩み寄る。
「君が最初に言ってたじゃん。これは剣じゃないって。私は違うとその場しのぎで言ったけど、全くもってその通りだ。剣じゃないんだから、別に利き手が使えなくたって関係ないんだよ」
「き、さま……りょくで……までの……いりょ……」
「そうだよね。私の魔力なんて普通だ。相性だよ、相性。水と雷の相性はその身を持って体感していたからね。それにあれだけ皮膚の厚かったイモリが痺れたくらいだ。ただの人間である君には十分すぎるくらいだろ?」
倒れている魔人に跨るように立つと、上から見下ろすようにその顔を覗き込む。
「大丈夫だよ、人間はこれくらいで死にやしない」
薄ら笑いを浮かべ、やけに甘ったるい声でそう言葉を落とした。いちばん君がそれを理解しているはずさ。「……一応、凍っておいてよね」ルナは左手で魔人に刃を向け、呪文を唱えようとする。
(くそ!くそ!この私がこんな小娘に負けるわけが……!!あぁ、そうだ。まだこの手がある。魔王様、もう一度私に力を……!)
「なっ!」
その焼けた鱗が、徐々に回復し始めていることにルナは気づいた。(……さっきは相手が油断したから良かったものの、この魔人は格上でしかないのに!復活なんてされたら、こっちに分はない!)そうするうちに全回復したのか、ルナの頬をその爪が切り裂く。
「私としたことが遊びが過ぎた!この私を嘲笑ったことを後悔するほどに凄惨たる死を貴様にくれてやろう!」
魔人は更に形を変え、ルナへ襲いかかろうとした刹那――目の前に電光が走った。耳が張り裂けんばかりの轟音がその場でこだまする。ルナは視界が暗くなり、その場から動けずにいた。暫くして、視界が戻り、何度も瞬きを繰り返す。そして、その状況をゆっくりと理解する。
崩れ落ちている洞窟の天井。広く焦げた地面。顔を上げると、広がる青い空と黒い雲。黒雲から雷が落ちたのだ。それは、ルナが編み出した雷に比べ物にならないほどで直接触れていないもののルナでさえ肌がひりつくような威力だった。ルナの目前に居た魔人は、焼けたトカゲのようにその場に倒れていた。
「ま……おう……さま……なぜ……ですか……」
ルナはもう一度回復することを警戒して、身構えるが、魔人の体は爪先からぼろぼろと崩れて行き、それは原形を留めることなく灰のようにどこかへ消えていった。
(最期に確か「魔王」って……。いや、今はとにかく二人を追いかけないと)
ルナは立ち上がり、鞘に魔法剣を納める。崩れ落ちた瓦礫を左手で支えながら、乗り越える。
「……やっぱり痛いなぁ」小さく呟き、じんじんと痛むその右手を包帯で巻きながら、アレクシスたちの元へ急いで向かうのだった。




