第2話「旅立ち」
「おじいちゃん、今日も本読んでいい?」
「ルナは本当に勉強熱心じゃの」
「勇者」が死んだあの日から、ルナは死ぬほどの鍛錬を始めた。村人たちはラクスには言葉に言い表せないほどの感謝の念を抱いているからか、ひとり残されたルナを大切にしてくれた。
「勇者」の資格もなかった人間が、ましてやあの時何も出来なかった人間がいきなり、「勇者」になれるわけが無い。ルナはきちんとその事を理解していた。だから、この数年、ルナは必死に鍛錬を続けた。偶然村に寄った剣士に無理を言って、師事したこともあった。他にも肉体を鍛えることだけではなく、他のことも行ってきた。
そのひとつは知識を蓄えること。村長の家には、彼の趣味で集められた沢山の種類の本が集められていた。さしずめ、物語の初めの知識を与えられる場所だろう。ルナはそう考え、暇さえあれば村長の家に上がり込み、読書に更けた。
(……そういえば、旅の始まりは村の外れにある洞窟の中だよね)
村長の家で本を読んでいる中で、ひとつ疑問に思ったのが、村のまわりの地図だった。村の周りは川や森に囲まれた自然豊かな場所であったが、明らかに違和感のある滝があった。
試しにと周辺を探索すると、ルナはその滝の裏に洞窟があることに気づいた。
(……ここに、何かある)
「何か」とは言ったが、ルナにはそこに居るものがなんなのか、大方検討がついていた。
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洞窟の中を進んでいくと、そこは魔獣の巣窟だった。魔獣は魔力に惹かれるというから、やはりこの奥にあるのは……。ルナは古びた剣で魔獣を切り裂いていく。(数年間、鍛えたことは無駄じゃなくてよかったな)と、手応えを感じながらルナは地図を探索するように地下へと向かった。
足を踏み入れると明らかに空気が変わった、その先に彼は居た。
透き通るような銀色の長い髪、人の形をした人ならざる者。ルナは彼の領域に踏み入れる。すると、彼はゆっくりと目が開き、その碧色の瞳でルナを見つめた。
「ずっと、誰かを待っていた」
洞窟というのは、「勇者」にとって始まりの地。勇者たる象徴である聖剣の眠る地。目の前にいる彼は、彼こそが――聖剣の守護者だった。
「だが、――それがそなたでは無いことはわかる」
「もうあなたの待ち人は来ないよ」
この世界で言う、聖剣とは簡単に言えば、魔力に対して強い浄化の魔法陣が組み込まれた剣だった。その剣さえあれば、この黒い雲を晴らすことなど容易いことはずだった。まぁ、剣の力を発揮することが出来ればの話だが。
剣の師範をしてくれた男は、よく「聖剣」の話を私によく聞かせた。主を選ぶ幻の剣だと。先生が言うその主の特徴は、私がよく知る人物とほぼ合致していたのだ。
やはり、勇者はラクスだったのだ。
「……そうか。それもまた運命なのだろう」
けれど、守護者は「勇者がもういない」という事実に憤ることなく、ルナの言葉をすんなりと受け入れた。
(守護者に感情はない?……いや、それは違う)
「せっかくだ。そなたにこれをさずけよう」
守護者は何十年、何百年もの時をかけて守り続けたその「聖剣」をまるで、必要のない余り物のように、ルナに手渡そうとする。
「どうして簡単に手放すの」
「直接渡すことが出来なくなったからだ」
いっそのこと、「お前のせいだ」と罵ってくれればどれほど良かったのだろう。目の前の彼は、ルナが傷つかぬよう、泣かぬように言葉を選んでいるように見えた。
(……一番、傷つくのは君の方じゃないか)
ずっと、ひとり。たかがこんな剣を勇者に渡すだけのために、薄暗く冷たい洞窟の中に居続けたのに。勇者が死んだ今、もはやそれは無意味だったと言われているようなものなのに。
「聖剣は貰っていくよ。例え私が使えなくても、他に使える人がいるかもしれないから」と勝手にこぼれ落ちていきそう涙をぐっと抑え、ルナはその聖剣を手に取る。聖剣を握っても、何も感じることはなく、光も灯ることはなかった。
(……何を期待しているんだか)
それでも心の中で未だに『私が勇者ではないのか』と期待していた己がいたことに気づき、思わず乾いた笑いが込み上げた。
「じゃあ、もう行くよ」
とりあえず腰に剣をしまうと、ルナはその場を後にしようと守護者の方を見る。聖剣を手放した彼の姿は、真っ白な容姿と合い重なり、まるで今にでも消えていきそうにどこか儚く感じた。
ルナの知る「勇者」というのは、お節介だった。ルナはこれもお節介になるのかもと思いつつ、「君はこれから、どうするの」と聞いた。
「……」
守護者は答えなかった。いや、答えることが出来なかったのか。その質問に沈黙を続ける。
「出ていけばいいじゃん」
それは無責任な言葉だった。別に連れ出そうとする訳でもなく、相手の意思に任せただけの発言だった。(……勇者らしくない言葉だったかな)
勇者を目指している身としては、これはあまり良くないと思ったルナは言葉を続ける。碧の瞳は依然としてルナを見つめていた。
「だってさ、君はもう自由なんだよ。ここに居たって、つまらないでしょ?」
(……あぁ、なんでこうも!)
口から出ていく言葉は、ルナが言うべきだと思っていた言葉とはかけ離れていく。しかし、それはルナの本心であることは間違いなかった。
(「つまらない」だとかそういう言葉じゃなくって……、もっと勇者らしい言葉があるのに!)
「つまらない」
守護者は、「つまらない、か」とまるで初めて聞いた言葉かのように一度、二度とその言葉を繰り返した。
「それもそうだ」
初めての、笑みだった。その笑みは、一度見れば誰もが心を奪われると言っても過言では無い美しさだった。
「じゃあ、一緒に外に出る?魔物もいるから一緒に来てくれた方が安心だけど」
「あぁ。そうしよう」
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「ここが洞窟の外だよ」
彼の瞳には、この世界がどう映っているのだろう。初めて目にした世界なのか、久しぶりに目にした世界なのか。それは分からないけれど。この世界が、少しでも彼を前向きな気持ちにしてくれたら嬉しい。
「一応、お金は渡しておくよ。流石に何も無しに見送るわけにはいかないからさ。他になにか必要なものとかある?私に出来る範囲になるんだけどさ」
「……そなたは、何も求めないのだな」
「聖剣は求めたんだけどな……」とルナは少し照れるように首を振る。
「本当に必要なものはない?困り事とか」
「知識は蓄えてある」
「え、どうやって」
「それは企業秘密というものだ」
「……私はなにもあげられないなぁ」
守護者というものは、こうも完璧なのか。お節介の焼こうにも、何もすることはなかった。少し落ち込んでいたルナを、守護者はじっと見ると、ゆっくりと「……をくれないか」と口を開いた。「え、今なんか言ったよね」ルナはそれを聞き逃すことはなかった。守護者に詰寄る。守護者は何故か、問い詰められている気分になったのか目を逸らした。
「ほら、言って」
「……私に名をくれないか」
それは予想外なお願いだった。
「名前……?!名前かぁ」
人の親になったこともなければ、犬や猫の飼い主になったこともないルナは突然のお願いに、少しばかり動揺した。確かに「聖剣の守護者」という呼び方は、あまりになんというか。他に呼び方があるのかとは思っていたが、そもそも名前がなかったのか。しばらくあれやこれやと考えた末、ある日読んだ本の中にあったどこかの国の言葉を、思い出した。
「――ルキウス」
(それは、私の知る勇者と同じ名)
「君は君のための人生をこれからは生きていく。その道がずっと、明るく照らされているように私は誰よりも願うよ」
聖剣の守護者としてではなく、一人の人間としての人生を見守る。それが、あなたの生きる意味を変えてしまった私の贖罪だ。とルナは静かに思った。
「ルキウス、ルキウスか。良い名だな」
己の名前を何度も呟くルキウスの姿は、もう守護者ではなく、まるでおもちゃをプレゼントされ喜ぶ少年のように感じた。そんなルキウスに思わず、ルナも笑みが零れる。(ラクスもこんな気持ちだったのかな)その生暖かいまなざしに気づいたのか、「な、なんだ……」とルキウスは口を尖らせた。
「こほんっ。……今更だが、名を聞いていなかったな」
話を変えるようにルキウスは、ルナに問う。
「私は、ルナ!いずれ「勇者」としてこの世界を救う人間だ!」
先程まで現実主義者のような振る舞いをしていたルナが、ここだけはあまりに滑稽な理想主義者のように胸を張って言うものだから、ルキウスは何故だかおかしくなった。
「また、どこかで会えたらいいね」
「あぁ」
「もし人間の生活に困ったら何時でも会いに来てね。聖剣の居場所は分かるでしょ?」
「そうだな」
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そうして、ルナは勇者の始まりの地を攻略した。聖剣を手入れて。――さらに聖剣の守護者をひとりの人間として外の世界に連れ出し、別れを告げて。
もし、勇者ならば、聖剣の守護者はどうなったのだろうか。
『そうだな。私なら共に行こうと言ったな』
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「皆さん、今までお世話になりました」
「ルナ、本当に行くんじゃな」
見送りの日には、村人総出でルナの門出を祝いに来ていた。
「ラクスの墓のことは気にしないでおくれ。ワシたちが責任をもって面倒を見るぞい」「ちゃんと食糧は持っているかい」「健康には気をつけるんだよ」「魔獣たちのことは心配するな。ルナのおかげで弱いヤツらしかいないからな!」
(……これは、勇者っぽいかも。
もう、黒い雲にあなたたちが怯えないように、私は「勇者」のように、世界を救う旅をします。この地で、いつか私の帰りを待っていてくださいね)
「行ってきます!!」
ルナは、元気よく声を上げて外の世界へ踏み出した。




