勇者と魔王について、ちょっぴり真剣に考えてみる
勇者とは何か? 魔王とは何か? ファンタジー小説を読めば、相当な高確率で遭遇するであろう、「勇者と魔王」。
最近の勇者と魔王の関係性に脱ステレオタイプな傾向を感じては、ふむふむと唸りっぱなしのおばちゃんであります。えぇと……魔王って、そもそも何者なんだろう?
少し前、それこそおばちゃんが小学生だった頃は「勇者=主役」、「魔王=悪役」という非常に分かり易い、かつシンプルなストーリーがまだまだ主流でした。ゲームにしろ、童話にしろ、大抵「勇者」は周りの「温かい人々」に存在を迎合されて、応援されて……時には、助けられて。諸悪の根源である「魔王」を倒すために、コツコツと努力を積み重ねていくのが王道パターンでありました。
もちろん、何も知らなかったイタイケ(自称)なおばちゃんはそういったストーリーに夢中になっては、ゲームに小説にと、どっぷりのめり込んでいましたっけね。ある意味、幸せな思考回路だったのかも知れませんし、人生の中で最もブリリアントな時代を過ごしていたと言えそうです。あの、素晴らしいピュアをもう一度〜♪
と、まぁ……それは偏に、どこまでも陳腐な懐古と言うものでして。そんな事ばっかり考えていたら、時代に乗り遅れてしまいます。そうして、それはいかんと「イマドキ勇者」の生態をそれとな〜く、窺いましたところ。……なんでしょうね。巷には一定数の「悪徳勇者」が生息している模様であることに、図らずとも気づいてしまいました。
魔族を虐めて「ざまぁ」される勇者がいたり、天狗になっては主人公を追放して「ざまぁ」される勇者がいたりと、いやぁ〜、それはそれはバラエティ豊かな「悪徳勇者」が生存していることに、度肝を抜かれましたですよ。そうして、ふと「とあるRPG」の勇者をそれとなく思い出しては、「勇者=主役」であり、「絶対的正義」の基準って何だったのだろうと考えてしまいました。
そんなおばちゃんが思い出したRPGと言うのは、「もう、勇者しない」のコピーで隠れた名作として知られる『moon』でありますね。そのキャッチコピー通り、このRPGでは勇者に「罪もないのに倒されてしまった」魔物達の魂を救って「ラブ」を集めるという、それまでのゲームとは明らかに毛色の違う趣がありまして。穏やかな風景の割には結構、毒も仕込まれていたりと、なかなかにパンチが効いた作品だと勝手に思っているのですけれど。
で、この『moon』の勇者ですが……冗談抜きで完璧なる「悪役」として描かれています。あまり深い事を記載すると「ネタバレ」になってしまうので、「勇者の悪行」はサラッと紹介しますが。冒頭で何の変哲もない犬を追いかけ回したり、勝手にタンスから女性ものの下着を持ち出して着込んでみたり、挙げ句の果てに飲んだくれてお店に迷惑をかけていたりと……モンスターに対する無慈悲な仕打ちも含めて、かなりのやらかし加減を披露してくれます。
まぁ、彼が「そうなってしまった理由」も『moon』の世界を隈なく歩き回れば分かる仕組みになってはいるのですが。いやぁ、ここまで変な方向で悪に走る勇者も相当に珍しいのではないかと、未だに思ったりします。
勇者がいれば、当然魔王もいるのがお約束ではありますが、『moon』の世界の魔王(悪い竜)は、本当に何も悪い事をしていません。「勇者に倒されるだけの存在」として世界に組み込まれた、「絶対的悪役」。勇者が自分の元に辿り着いてしまうのを、ただただ怯えて待っているだけの「魔王というレッテルを貼られてしまった」存在でしかありません。ここには明らかなる「倒される側」の悲哀が潜んでいます。
ただ、魔王だから。ただ、魔物だから。そんな理不尽な理由で「勇者」に討伐される彼らを前に、「勇者してきた」それまでのRPGの主人公達って何だったのだろうと、迎えた『moon』のエンディングを見つめながら考えてしまいました。
ゲームの趣旨は違えども、「ステレオタイプな勇者達」がやってきた所業は正直なところ、『moon』の「勇者」と大筋は変わりません。主人公サイドにとって都合が悪かったから。主人公サイドに害を及ぼす存在だから。ただ、同じ世界に暮らしていくのに都合が悪かったから。ただただ、立場によって善悪の物差しが異なるだけ。それなのに「勇者=主役」であるからと、暴虐の限りを尽くせる主人公補正にはある種の恐怖さえ、覚えます。……それ、本当に正義なんだろうか?
そういう意味で、最近の「悪徳勇者」の存在は「善悪」の基準を再考しようという潮流なのだと、おばちゃんは勝手に考えたりします。或いは、勇者と魔王が手を組むなんて作品も見かけるようになりましたね。きっと「勇者=主役」、「魔王=悪役」という構造は古臭いという事なのでしょう。そうして、物語のプロットやテンプレが刷新されていくのだろうと、うむうむと1人で納得しては唸ったりしてしまうのです。実にいいセンスだ、と。……と言うか、お前さん、何様かね?
あぁ、そうそう。そう言えば。とある漫画にこんなセリフがありましたっけ。
「今の世は魔王がいる、幸せだー‼︎」……ハイ、ある意味で凄い名言(迷言?)ですよね。魔王がいる世の中、どこが幸せなんだと言いたくもなりますが。しかしこのセリフ、意外と深いと思いません? だって、「魔王」がいなければ「勇者」は存在意義の重み、ゼロキログラムですから。「勇者」が「勇者」できるのは偏に、悪の親玉・「魔王」がいるからこそ。ただ、ちょっと立ち止まって考えてみれば、視点がグルリと変わるから不思議なもんです。「勇者」と「魔王」はただ立場が違うだけで覇権争いをしているだけであって、たまたまプレイヤーが「勇者」側だった……それだけのことかも知れない、と。別に、「勇者」も「魔王」もただただ、「自分にとってより良い世界」を目指して生きているだけなのだ、と。
……最後に1つ。おばちゃんが「勇者」と「魔王」のあり方から学んだ事を、書いておきます。
善と悪は立場によって異なるもの。自分にとって都合が悪い相手が必ずしも「魔王」だとは限りません。人生の主人公は確かに自分だと、「勇者」を気取るのも素敵な事ですが。ただ闇雲に自分にとっての「魔王」を作り出すことだけはしてはいけないと、思うのです。
嫌いな奴も、気に入らない奴も。みんなみんな、それぞれ人生の「主人公」であり、「勇者」なのです。だから、どこかの物語みたいに「魔王」と手を取ることも考えてみてはいかがでしょう?
「もう、勇者しない」という決断があなたにとって、最善の選択肢になるかも知れませんよ?