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追想

マネージャー南先輩の過去

「そうそう。まあ、最初は今ほどじゃなかったんだけどね。でもバドミントン部に対しては来た時から他と比べて露骨に冷たい感じだった。でもね、この前の部室没収事件みたいな強硬手段を取るようになったのは、ボクが二年生の頃にある事が起きてからなんだ。でも、それが起こってしまったのも色々積もり積もった結果だから。うーん……そうだな…………。どこから話そうか……。うん!上手くまとめられなそうだから、良い機会だしボクがバドミントン始めた頃のことから順番に聞いてもらおうかな。毎日顔を合わせてるのに、ボクのこと今まであんまり話してなかったもんね」


 どうして、急に話そうと思ったんだろう?

 自分でも理由はわからない。けれど、このまま一年生に何も言わず隠し続けて最後の夏を迎えるのもなんだか違う気がしていたから、きっと今がその時なんだろうな。


 校長先生の話をするというのは言い訳で、むしろボクは抱え切れていない自分のことを誰かに聞いて欲しいのかも。未だに飲み込めていない部分もあるって自覚はしてるから、一年生の中では一番長く一緒に過ごした青葉に自分の整理も兼ねて最初から最後まで聞いてもらって、それで羽代や小夜川には折を見てもう少し端折って聞いてもらおう。

 頭の中でそんな計画を立てて、心の奥へとしまい込んでいたあの頃をそっと取り出した。


 ・・・・・


 小学生の頃、中学生だったいとこが県大会に出ることが決まって、ちょうど会場が近いからって誘われて家族と応援に行った。それが、バドミントンとの出会いだった。コート内を目いっぱい動き回って、心が弾けるような音が響く。いとこは惜しくも負けてしまったけれど、その後の試合も手すりにかじりつくようにして見ていたと後から父が教えてくれた。帰り道には自分もやりたいと駄々をこね、百均でラケットを買ってもらってようやくおとなしくなったって話は今でも我が家の鉄板ネタだ。

 それからはすぐ近くの学校で練習をしているクラブチームに入って、夢中でシャトルを追いかけた。バドミントンをはじめるきっかけになったいとこは、当時強豪だった晴風に進学して全国大会出場も果たしていて、自分もああなりたい、大きなコートに立ちたいという憧れはどんどん膨らんでいった。

 中学時代もとにかくバドミントンに夢中。でも残念ながら学校に男子バドミントン部は無かったから、中学生が所属できるクラブチームを探して練習することになって……。世間一般がイメージするような「部活」や「仲間」とは全く縁のない学生生活を送った。だから団体戦というものにはご縁がなかったけれど、個人戦なら県内では入賞できるようになったし、三年生の頃なんかは関東大会でも初戦突破。着実に進歩を感じる三年間だった。そして高校こそは団体でも個人でもいっぱい試合をするぞと意気込んで、憧れていた晴風に入学。ここまでのバドミントン人生は、今振り返っても順調すぎるくらい順調そのものだったと思う。

 少しずつ歯車が狂い始めたのは、一年生の五月ごろからだった。

 上級生も同級生もバドミントン経験者ばかり。熾烈なレギュラー争い。小学生ぶりのダブルス。今までとは全く違った環境に身を置くことになって最初は戸惑いも大きかった。でも、ここでならもっと強くなれる。そう思えばどんな練習だって辛くはなかった。だけど、残念ながら全員が全員そうとは限らないわけで、同級生は一人、また一人と退部していった。


 一緒に頑張りたかった気持ちはあるけれど、結局は自分の意思で決めたことなんだからボクに止める権利はない。そう去っていく事に対しては納得していたものの、辞めていく子たちが口々に「どうせもう全国になんて行けっこないのに、こんなに毎日毎日きつい練習して意味がない」「もっとちょうどいい感じでやりたかった」「こんなところでバドミントンしたくない」なんて残る方を否定する言葉を投げかけてくることが悲しかった。きっと多かれ少なかれバドミントンが好きという気持ちがあったからこそ入部したのに自分でそれを否定しないといけないところまで追い詰められていた彼らと、それに気づけなかった自分自身にやるせない気持ちでいっぱいだった。

 確かに彼らの言う通り晴風はボクらが入学する数年前から、台頭してきた三強の勢いに押される形で勢いを失っていたし、それに伴ってか入部した頃から部内の雰囲気は世間一般の部活よりは多少ピリついていたように思う。練習も割と、今振り返るとだけどオーバーワーク気味だった。それに気づいていたら、もしかすると結果も違っていたのかな?

 …………ちょっと横道にそれちゃった。それで、最終的に残った同級生はボクを含めて五人。たった三分の一だった。


 三年生の先輩方最後の大会で、一年生の中からボクともう一人が団体戦のメンバーに選ばれた。ボクは半分控えのような形だったから試合に出る機会は少なかったけれど、それでも先輩方と最後の夏を戦うメンバーに選んでもらえたことが堪らなく嬉しかった。もう一人の木枯(こが)柊一(しゅういち)は、一年生の中でも頭一つ抜けていたから当然先輩方に混じってガンガン試合に出てた。それこそ松下みたいに。先輩方に頼りにされて大会でも大活躍する彼を間近で見て、自分も負けてられないなんてその頃からより一層練習に熱が入るようになったっけ。

 でも残念ながら結果はベスト十六。赤檜学園に負けた。こんなに練習しても勝てないんだって絶望が半分と、今度こそは勝ってやろうってメラメラ燃える気持ちが半分で複雑だったのはよく覚えてる。


 三年生の先輩方が引退してからはより一層部内に殺伐とした雰囲気が漂いはじめた。それこそ吐いても倒れても練習するのが当然だって感じになっていって、二年生の先輩にも同級生にも怪我人が出始めた。そこでようやくボクは今の環境は良くないんじゃないかって思い始めたけれどもう遅くて、なにか働きかけようとしても入部して半年足らずの一年生一人にできる事なんてたかが知れていた。さりげなく休憩を促したり、自分が片付けを買って出て少しでも早く皆が帰って休めるようにしたり。できたのはせいぜいそれくらいで、意味があったのかもわからない。そりゃあ誰だって思うように結果が出なければ焦るのは当然で、だけどそうやって受け止められるほどあの時のボクらは大人じゃなかったんだって今となっては思える。当時のコーチも顧問の先生も、「強かったあの頃の晴風」に固執して、ボクらも必死にそれを追いかけた。その先に道があると必死に信じていたけれど、現実はそううまくはいかない。


 新人戦 関東大会一回戦敗退


 県大会も結局三強には勝てなかった。だから枠の多さに救われた形での関東出場だったよ。残念ながら全国は途方もなく遠かった。これもまた今振り返ればだけど、誰かしらは常に故障した状態でこの結果を出していたんだから、適切な休息を取りながら練習していればあるいは…………なんて思っちゃう。ボクが足に違和感を感じ始めていたのも、確かこの頃だった。


 新人戦の結果を受けてそこからはより一層練習が過酷なものになっていった。

 そして十二月。遂にそんな状況に耐えかねた当時の部長が行動を起こしたことで、バドミントン部の状況は大きく変わっていった。たまにどこか思いつめた様子で遠くを見つめる姿を見て、もしかしたらこの人も現状に疑問を持っているのかもなんて少し期待していたから、コーチと顧問に直談判しに行くと聞いた時は嬉しかった。でもそこで最悪の事態が起こってしまう。


「学生ごときが大人に口答えするな!」


 そう教官室から怒鳴り声が聞こえると同時に、ガタガタと椅子や机が倒れるような音。それからさらに激しく何やら言い争う声がして、これはまずいと周囲にいた何人かと顔を見合わせ慌ててドアを開けた。


 そこに広がっていたのは赤。

 座り込む部長と、立ち尽くす顧問。そして息を荒げるコーチ。何が起きたのかさっぱりわからなくて、なのに頭の中では「ああ、もうここでバドミントンできないかも」なんて冷静に考えてる自分もいて、その後どうしたのかはよく覚えていない。

 後から知ったけど、全く取り合ってもらえないことに苛立った部長が立ち上がったのを見て、殴られると思ったコーチが思いっきり押したらしい。それで倒れて部長は頭を切った。幸いなことに傷もそこまで大きくなくて場所が場所だけに出血が多かったって結末だったんだけど、こうなってしまったらもう今まで通りに行かないことは誰だってわかるだろう。

 結果として、コーチは解任。顧問は元々決まっていたのかそれともバツが悪かったのか、部活には全く顔を出さなくなり、三月末で辞めてしまった。ここからバドミントン部は腫れ物扱い。バドミントン部は二週間の部活動停止を言い渡されたし、矢面に立ってくれた部長は反省文と一週間の謹慎処分。さらに三月末までの部活停止。


 誰かに相談することすら、ボクは馬鹿にされることや取り合ってもらえないことを恐れて出来なかった。

 あの人と一緒にコーチや顧問に立ち向かうことすら怖くて出来なかった。

 アレが怖いソレが不安だってウジウジ悩んで結局は「後輩だから」を言い訳に何も出来なかった臆病者。


 そんなボクとは違って、あの人は一人で立ち向かってくれたのに。なのに、どうしてあの人が……。


 部活動が解禁されてからも部内は暗い雰囲気で、今までが嘘のようにノック練習でも基礎打ちでも誰も声を出せなくてシャトルを打つ音だけが響いていた。皆、惰性で部活をしていた。そんな時それを振り払ってくれたのが、ボクが勝手にライバル視していた木枯だった。彼も何か思う所はあったのか、練習が再開してから一週間は顔を出さなかった。部内で起こった一連の流れを受けて責任を感じた副部長を含めた何人かの先輩は辞めてしまったし、同じようにもしかすると彼ももう戻ってこないのかもしれないと覚悟はしていた。でもそんなある日。体育館の扉を思いっきり開け放って現れたのだ。


「随分静かじゃないっすか?もっと元気にいきましょうよ!」


 満面の笑みで言い放った言葉は、静かな体育館に大変よく響いた。

 久しぶりの木枯相手にした基礎打ちで、スマッシュを打った瞬間ピキリと走った痛みには、気づかないふり。せっかくバドミントン部復活の兆しが見えてきたのに、水を差したくなんかない。この過酷な環境でボクはここまで休養が必要な怪我なんて一つもなくやって来たんだから。丈夫さには自信があるから。だからきっと大丈夫。そう自分に言い聞かせた。

 そこから期待通り少しずつ活気が戻ってきた頃、部長が戻ってきて、顧問は三月まで副顧問をしてくれていた長山先生が引き継いでくれた。そのタイミングで今のコーチ広木さんが来てくれることになって、校長先生も変わったからこれできっと新しい風が入るなって楽しみだったっけ。さらには県内じゃそうそう知らない人はいないであろう松下を筆頭に有望な一年生も入ってきてくれて、本当にやっとここからだって希望に満ち溢れていた。


 でもまたもや、それを打ち砕かれることになる。

 春体は三月までの一連の騒動を考えて自粛することになった。新しく来たばかりで直接全容を知らない校長先生が不安を覚えたことが大きな理由。気持ちもわかるし、これは仕方がない。


 そこから着実に練習を重ねて、待ちに待った一つ上の先輩方と迎えた夏。忘れもしない団体戦の初戦でボクは、突然動けなくなった。サイドに来た球を取ろうと一歩踏み出した時だった。違和感に気づかないふりをして、練習する時間が無くなるからって病院に行くのを先延ばしにして、その結果が最悪のタイミングで訪れたのだ。

 踏み出した右足に体重を乗せた瞬間、人生で感じたことのない感覚が襲いかかってきた。踏ん張りが効かないというか、そもそも支えを失ったというか。そのまま吸い込まれるように床に倒れて、それからとにかく訳のわからない痛みで必死に動かせない右膝を抱えて喚いた。シャトルが落ちた音がやけに鮮明に聞こえて、駆け寄ってくる足音と棄権しますって先生の焦った声がして、ああ負けちゃったって不思議とそこだけは冷静に認識できたのを覚えている。

 担架で救護室に運ばれて一度様子を見てもらったような気がする。その後病院に運ばれる途中、痛みでとぎれとぎれの思考の中、試合にはどうやったって戻ることはできないことに改めて気づいたら、ボクの夏がもう終わりだってことが突然眼前に突き付けられたような気がして少し泣いた。そこから記憶がない。気づいたら、仕事中だった両親の代わりに来てくれた祖父母がベットの横にいて、それまで付き添ってくれていた長山先生と一緒にこちらを心配そうにのぞき込んでいた。ボクの出てた試合は棄権になったけど、それ以外勝って次の試合に駒を進めているみたい。

 コーチがいるから向こうのことは気にしなくていい。そう言って笑った先生の顔がいつも通りで、なんかちょっと安心した。それから駆けつけてくれた祖父母とも一言二言話して、一息ついた。びっくりするくらい全く覚えてないけれど、その時はもう一通り検査が済んでいて結果待ちだったらしい。

 病院の先生からできればご家族も一緒にって声を掛けられて、そこからもう感じていた嫌な予感は確信に変わり始めていたし、薄々覚悟もしていた。



 できれば手術した方がいい。手術したとして軽い運動ができるようになるのは恐らく三ヶ月以降。完全に部活復帰するには早くて半年はかかる。長ければ一年かもしれない。


 端的に言われたことをまとめるとこんな感じ。早くて半年って言葉だけがずっしりと頭に沈み込んだ感覚は忘れられない。

 ということはつまり新人戦には当然間に合わないし、先輩方が引退後ボクら二年生は五人。そして一年生は三人。ボクがここで離脱するということは、団体戦に出るにもかなりギリギリの人数だ。それでも、このまま手術せずにいては全国なんて無理だ。まだ、コートに立ちたい。すべてはバドミントンのために、ボクは覚悟を決めた。


 入院の間後輩三人はお見舞いに来てくれて、ボクが病院に運ばれた後のことも教えてくれた。残念ながら次で負けてしまったらしい。だから先輩たちはもう引退してる。うちの学校は部活を終えれば土日であろうと容赦なく模試や補習が襲い掛かってくるから、勿論先輩方も例外ではなく扱いはもう受験生。


 病院には顔は出せないけど、南が学校来れるようになったら他の奴らも連れてすぐすぐ会いに行くな!


 そう部長…………もう引退したから元部長からメールが来ていて、大会のことも大事な初戦で迷惑かけたボクのことも何も言及しない文面になんだか勝手に苦しくなった。きっと購買で買ったであろう袋いっぱいのお菓子とジュースも、なんだか遠くなってしまった学校生活を思い出して恋しくなる。先輩方に託されたって天野が腕をプルプルさせながらベッド横の机に置いてくれた時は、病院に似合わぬ物量とジャンキーさに思わず噴き出した。かと思えば一年生は松下の「こういう時はフルーツだろ!」という熱い意見で松下家から産地直送のフルーツ盛り合わせと、花光の手作りバナナパウンドケーキを持ってきてくれたから、大分方向性が違って思い出すたびにしばらく笑ってしまったっけ。

 そして同級生はと言えば、全然連絡を取っていなかった。手術やらリハビリやらでてんやわんやだったからボクも気づく余裕がなかったんだけどさ。

 一年生から、新体制はボクが戻り次第。それまでは各自自主練習になったって聞いてたから、皆次に向けて練習に熱が入ってるんだとばかり思ってたのに。残念ながら久しぶりに登校して臨んだミーティングは、全く想像もしていなかった方向へ進んでいった。


「オレ、転校します!」


 口火を切ったのは木枯。てっきり部長や副部長を決める場だとばかり思っていたから、青天の霹靂。全く理解が追いつがずあっけに取られている間に話はどんどん進んでいった。木枯が転校することを他の同級生は知っていたようで、彼らも人数的に部活として難しいから退部すると口々に宣言した。


「ど、うして?急に…………?」


 どうにか絞り出した声は、自分でも違和感を覚えるくらいに掠れていたのを今でも覚えている。


「やーさ、もうずっと前から考えてたんだけど。南が怪我してもうこのチームに未来無えなって確信した。だから一年の頃から声かけてくれてた県外の学校に移ってバドミントンする。そうすれば三年の夏には間に合うし」

「え…………?」


 どうして?松下達有望な後輩が入ってきて、きっと今度こそ全国に行ける。もう「晴風?どこの学校?」なんて誰にも言わせないようにしよう。なんて四月に暗くなった駐輪場で話したあの時も、もうそんなこと考えてたの?

 コーチも居なくなって、顧問も顔を出さなくなって、部長も不在で暗くなりかけていた空気を吹き飛ばしてくれた姿を見てまだここで頑張れる、このチームならやれるって、そう希望が持てたのに。あの時も、もう…………?


「木枯が居なきゃもう無理だよなってことで、俺たちも辞めちゃおっかなって」


 追随するようにどこか居心地悪そうな他の三人が笑って、あっけなくバドミントン部はたった半分の四人になった。それも動けないボクと一年生が三人。


 それでも長山先生もコーチも親身になってくれて、一年生の中で実力ナンバーワンで性格的にも一番適任だろうってことで松下が部長、ボクはリハビリをしつつ一旦はマネージャーという形で夏休み明けからどうにか部活を続けていく事になった。この辺りから、より一層校長先生のバド部に対する当たりが強くなっていったっけ。人数も少ないし周囲の負担も多いだろうから、廃部の方向にしたらどうか?なんて持ちかけられたことも一度や二度じゃない。


 のらりくらりと校長先生を躱しながらも練習の日々は続いて、四人だけの体育館にも慣れていった。

 そうして月日が経つうちにボクは歩けるようになって、軽く運動もできるようになって、冷たく乾いた風は吹くようになった頃の通院でやっと「少しラケットを握ってみたら?」って言ってもらえた。それはもう飛び上がるほど嬉しくて、次の日の部活が待ち遠しかった。でも、いざコートに立ってみたら頭をよぎるのは怪我をしたあの日のことや、笑って去っていく仲間の顔。痛みがあるわけではないのに、なぜか一歩も動けなかった。早ければ復活できると言われていた半年が過ぎてからも、経過は良好でもう軽々と走る事だってできるし体育の授業にだって内容によっては参加できるようになったのに、それでも何故かコートに立つと動けなかった。少し動けてシャトルを捉えたとしても、飛んでいくのはあらぬ方向。とても試合なんて考えられない有様。どうしても体は言うことを聞かないし全身を嫌な汗が流れる。


 ノックの球出しやレシーブ練習の相手なんかは普通にできているのにどうして?疑問は浮かべど理由は見つからない。さらに月日は流れて暫定のはずだったマネージャーの立場にももうすっかり慣れ、あれほど焦がれていたコートに立つ感覚なんてもう思い出せなくなっていた。


 そして二月の暖かい日。いつまで経っても選手としてコートに立つことができない自分とお別れするために、選手を諦めることを決めた。根気強く練習に付き合ってくれた後輩たちへの罪悪感が全くなかったといえば噓になる。でも何よりも、ここで勝ちたくて、なのにこんな状態で何の役にも立てない宙ぶらりんな自分が嫌だった。自分がコートに立てないとわかっていてもやっぱりバドミントンから離れたくなくて、だから正式にマネージャーをやって少しでも全国を目指すための力になりたかった。

 勿論三人や先生、コーチも引き留めてくれたし、今の状態を続けてゆっくり様子を見れば良いって言ってくれた。でも、もう異常はないはずなのに動けない自分を、自分が一番認めてあげられなくて、許してあげられなかった。


きりの良いところまでと思っていたら8,000字越えました。

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