緊張は楽しむか忘れるか
コートに立つ朝戸先輩はいつも通り姿勢が良くて凛としている。
「あ!先輩シャトル持ったってことは、サーブから始まる?」
「そう。さっきじゃんけんで負けてたから、相手がレシーブ選んだんだろうね」
同級生で今日が初試合の軽井莉里ちゃん。試合まで時間が空くから軽く動いておいた方が良いと言ったら、その後律儀にずーっと足踏みしてる。今なんかコートと私の顔を交互に見ながらも足は止めない。ちょこんと一つに括られた髪が足踏みするたびに揺れて、尻尾みたいだ。何かしていないと落ち着かない気持ちはすごくわかるけれど、ずっと動いてたら疲れちゃうしもう少ししたら止めよう。
もちろん莉里ちゃんだけではない。女子バド部一年生'sは今朝から、いつ見ても明らかにソワソワしている。
「あっ!小鈴さんたちここに居たんだ!」
「お、青葉。調子はどう?昨日は寝られた?」
「うん!いつもより早めに布団に入りはしたんだけど、ソワソワしてたし絶対眠れないと思ったんさ。だから、眠れるまで宿題しようと思って数Aの週末課題開いたんだけど……気がついたら朝だったんだよねー」
すごく青葉らしい。教科書開いて寝られる人って本当にいたんだ。
ということは課題はまっさらで、後で地獄を見ることになるのだけれど……。本人気づいてないみたいだし、万が一にも大会に支障が出てはいけない。よし、黙っておこう。
「あっ!始まる!朝戸先輩ガンバです!」
いち早く気づいた莉里ちゃんの声に引っ張られるように、私たちも声を出す。
朝戸先輩のサーブを、相手はハイクリアで返した。朝戸先輩も負けじとハイクリアを返す。
「うわぁ……あんなに天井高いのによくシャトル見失わないな……。私、空振り連発して試合が終わっちゃいそうで心配……」
「小田さんの気持ちめっちゃわかる!でも、今日僕たちが戦う人たちは僕たちよりずっと前からバドミントンをやってる人でも、プロの選手でもない。同じ高校生で、みんな新しい一歩踏み出したばかりのライバルだよ!自分がやるようなミスは他の人もやるだろうし、なんとかなる!多分!」
自分で言ってからみんなの注目を集めていることに恥ずかしくなったのか、僕だって一日一回はノルマがあるわけじゃないのに空振って脳天にシャトル当たるし……と小声で続ける青葉。明らかに、女子バド部1年生'sの表情が柔らかくなった。さっきよりいい意味で力が抜けている。
こういうことを無意識にやってのけるのは青葉の才能なのかもしれない。
「あっ!そういえば小鈴さんは、先輩の試合、ベンチに行かなくて良いの?」
「うん。先生と、花光先輩が行ってるから」
「へ?花光先輩?なんで花光先輩がベンチに?」
不思議そうな顔をする意味がわからない。副部長だからに決まってる。そう言いかけて、気づいた。男子バド部と一緒に練習することがあっても、青葉は南先輩や高校から始めた一年生'sと別メニューをしていることが多かった。それに、花光先輩は基本副部長って呼ばれている。それから、男子の花光ひなた先輩は寡黙で、決して口数が多くはない。
なるほど。
「あのね、青葉。花光ひなた先輩のお姉さん、花光ほたる先輩=副部長」
「あ〜、花光先輩のお姉さんか〜!……えっ?えーーー!?!?!」
大変良い驚きっぷりだ。このリアクションは見ていて楽しいけれど、こんなところで油を売っていて良いのだろうか?
「というか青葉、小夜川も試合でしょ?応援行かなくて良いの?」
「小夜川くん?あっ!そうだった!危ない危ない。それじゃ、みんな、お互い頑張ろうね!健闘を祈る!またねー!」
私が「小夜川も試合」を言い切るか言い切らないかのうちに、食い気味で言いたいことだけ言うと青葉は嵐のように去っていった。
時間にして三分も経っていない。みんなのこわばりを魔法のように解いてせわしなく駆け抜けていく様は、なんだかちょっとだけヒーローみたい。
「実嶺ちゃん!明日香先輩リードしてる!いい感じだ!」
いつの間にか足踏みをやめて、今度はぴょんぴょん飛び跳ねている莉里ちゃん。確かにスコアは5―2。うまく流れを作れそうだ。一ゲーム十五点だと、インターバルはどちらかが七点取った時点でとることになる。ひとまずそこまで畳みかけたい。
――晴風高校 小田凪さん、第七コートに入ってください。
「あっ!私行かなくちゃ。副部長と先生は明日香先輩の所にこのままいると思うし、実嶺ちゃん付いてきてもらっても良い?」
「オッケー。ラケットと飲み物とタオルは持った?」
「…………うん。……大丈夫」
凪ちゃんも、青葉のお蔭で大分いつもの感じに戻ってきていた。けど、いよいよ本番は目の前。緊張がちょっと戻ってきている。階段を降りながら口を開こうとしてはやめて、また開こうとしてを繰り返すこと何度か。今日初めて凪ちゃんと目が合った。
「私は青葉君みたいに思い切って前向きに試合に臨むことなんてできそうにないから、やっぱり緊張しちゃうな。確かにみんな初心者なんだろうけど、四月から先輩や実嶺ちゃん、志野花ちゃんが自分の時間を割いてまで私たちにたくさん教えてくれたでしょう?だから、それに応えたい、結果を出したいって思ってる。でも、そう考えれば考えるほど力が入っちゃって……ちょっと怖い」
「…………誰もが青葉みたいに、緊張を置き去りにできるわけではないと思う。でもね、私も志野花ちゃんも、それからきっと先輩たちも、結果を出してほしいから凪ちゃんたちに教えたわけじゃない。地味な練習だってひたむきに頑張ってる姿を見て、少しでも力になりたいって思ったからしているの。だからね、初めての試合は凪ちゃんが楽しんでくれれば結果なんてどうだっていい。一度きりだから、緊張も含めて全部今ここだけの雰囲気を味わって、楽しんできて。コートの中には一緒に居られないけど、横を見れば一番近くであたしは応援してるから」
普段から気を使ったり考えすぎたりすることの多い凪ちゃんだから、人一倍結果を出そうと力が入っていたのかな。伏せたまつげがわずかに震えていた。
「ありがとう。そう、だよね。初試合は人生で今日だけだもんね。確かにきっと、私は緊張を無くすことはできないのかも。今までちょっとずつできることが増えていくことが本当に嬉しくて、楽しかったから、その気持ちを思い出しながら行ってくるね。隣には、実嶺ちゃんがいてくれると思うと、心強いよ」
フロアへとつながる扉に手をかけて、振り向いた凪ちゃんは、ちょっとぎこちないけど今日一番の笑顔だった。




