入部届を出した日
羽代颯太郎のターニングポイント
片道十キロ以上。ほぼ上り坂。自分で決めたこととはいえ、部活帰りには疲れやら空腹やらで川原に寝転んでしまいたくなる。油断すると瞼もとじてしまいそうだ。
これではいけない!大会に出ることも決まったのに、ここでうっかり怪我なんてできない。バドミントンを続けることになるなんて夢にも思っていなかったのに、松下先輩を筆頭にしたバドミントン部の面々に気づけば巻き込まれていた。でも、不思議と嫌な感じはしない。それどころか、あんなに苦痛だったはずの練習はあっという間に感じるほど楽しくて、先輩だとか後輩だとか、バドミントン歴何年だとか実力だどうだとか、そういうの全く関係なくコミュニケーションがとれる。まるで違う世界だった。
もう一度、いや、0からまたここで頑張ってみたい。
そう強く思えるようになったのは、白間川との練習試合三日前、僕が入部届を松下先輩に渡したときのある言葉がきっかけだった。
放課後練習も終わってそれぞれが部室に引き上げる中、僕は体育館の鍵閉め当番だった松下先輩と二人、体育館裏の階段に座っていた。
「あの、さっきも言った通り入部届を出したかっただけなんですけど……。どうしてわざわざこんなところに?」
「んー?だって羽代、最初バドミントン部に入るの、そんな乗り気じゃなかったろ?様子見ててバドミントンすごく好きなのはすぐわかったから、もし何か他に引っかかることがあるなら早めに聞いときたいと思って。それから少しでも無理してるなら、入部する必要ないって伝えたくてさ」
松下先輩は、普段より随分と落ち着いた声で話し出す。確かに中学時代のあれこれはどうしたって頭をチラつくけれど、それでもここで、この人たちと、バドミントンをしたいと踏み出したのは確かに自分自身だ。
「背中を押したのは俺らだけど、今勢いで入部届出して、後で苦しむことになるのは羽代だろ?だから、まだ会ったばかりの俺には言いづらいのはわかってるけど、何か心配事あるなら聞くぞ?」
一人でも多く、全国を目指すために部員が欲しいはずなのに。それなのに、松下先輩は僕に選ばせてくれるのか。この人になら、話しても良いかもしれない。
「あ、あの……僕、中学生の頃部活で色々あって。…………それで、バドミントンなんて二度とやらないって思ってたんです。でも、松下先輩達を見て……やっぱりバドミントン好きだな、もっとコートに立ちたいなって思って、とりあえずやってみて、もし嫌になってしまったら今度は逃げようと思ってました。だけど、ここの人たちはバドミントンに真っ直ぐで……。気に入らない人は味方であろうと足を引っ張ったり、……誰かを見下したりとか絶対にしていなくて、バドミントンをしたいのはもちろんですけど、ここで、この人たちと、バドミントンがしたいって思うようになったんです」
言葉がまるで喉に詰まったようにうまく出てこなくて、ちゃんと話そうとすればするほどつっかえつっかえになってしまう。それでも先輩は何も言わず耳を傾けてくれていた。
「でも、まだあの時の事を過去として受け入れられていないし、家族にだって何が起きていたか、何を言われたかとか言えないんです。その時は無我夢中で走り抜けられたのに、今はなんなら自分の身に起きたことだとも思えないというか……。もしかすると僕は、これから先何度も立ち止まったり、辛くなったりしてしまうのかもしれません。それでも今、もう一度バドミントンをしたいと思っているのは確かです。………グダグダ話してしまってごめんなさい。これが僕の正直な気持ちです」
あの時僕に何が起きていたのか、その経験を経た僕は今何を思っているのか。
事の経緯は練習日記にモヤモヤをぶつけるように毎日書き記していた。でも、言葉にしようとすると、どうしても喉元でつっかえて言えなかったし、途中からは打ち明けようという気力すらなかった。誰か他の人に話したのはこれが初めてだ。どうして家族でも数少ない友人でもなく、まだ知り合って間もない松下先輩に話せたんだろう?
理由はわからないけれど、なんだか胸につっかえていた何かが無くなった気がする。
「そっか。確かに過去のことはどうしたって変えられないし、きっとまだ深い傷があって、かさぶたになったり、薄くなったりするにはきっとすごく時間がかかるし、ふさがりかけてもまた、何かの拍子に開いてしまう事だってあるかもしれない。それに、完全に消える事なんてないんだと思う。ゆっくりでいいし、これから辛かったことは『辛い』って口に出していいんだ。羽代はそんな中でも一歩踏み出したんだろう。それは凄いことだし、せっかくまたバドミントンするなら、奴らの百倍も、千倍も、楽しんでやろうぜ。うらやましくなっちゃうくらい楽しんで、そんで手が届かないくらい高いところまで一緒に行こう。全国優勝するなんて、最高の復讐だろ?」
「ゆっくりでいい」、「辛いって言っていい」、「一緒に行こう」
あの頃から、できる限り一人でいよう、誰にも迷惑をかけないようにしよう、と必死だった。でも本当は、誰かに助けてほしかったし、隣にいてほしかった。頑張ったって認めてほしかった。それをずっと、ずっと押し殺して、いつしか自分の気持ちもわからなくなっていた。
そんな僕に、入学式の日突風のように現れた松下先輩は、ほしかった言葉をくれた。全部、全部、一生心にしまって、墓場に持っていこうとしていたのにな。
「あ……れ……?目に……ゴミでも入っちゃったかな?ごめ……なさい……すぐ……止めるので」
「大丈夫か?ゆっくりでいいから」
こちらに背中を向けて星を眺める松下先輩の気遣いが、ありがたかった。一粒零れるともうだめで、中学時代はただの一滴だって涙したことはなかったはずなのに。声をあげて子供みたいに泣きじゃくって、辛かったとか悲しかったとか、何か言ったような気がするけれど、覚えていない。
気づいたら、松下先輩が差し出してくれたスポーツドリンクを手に取っていた。見上げた星が何だかいつもよりきれいに見えて、またちょっと泣いたのは秘密。
この日のことは、僕の人生においても、競技生活においても、一生忘れられないターニングポイントになるんだろうな。練習がしんどくても、帰り道の向かい風がつらくても、僕はこの時のことを思い出すと前を向けるのだ。
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活動報告にて、「我等上州羽球部!」のサブタイトルについてちょっと話しているので、ご興味のある方は合わせてそちらもご覧ください。




