クモをつつくような話 2019~2020 その4
この作品はノンフィクションであり、実在のクモの観察結果に基づいていますが、多数の見間違いや思い込みが含まれていると思われます。鵜呑みにしないでお楽しみください。
9月8日。
台風が大陸の方へ逸れたらしいので、久しぶりに十王ダム方面へサイクリングに出かけた。体調は良くないし、トレーニング不足なのも承知しているのだが、十王ダム周辺に多数生息しているジョロウグモの雄と自宅周辺の雄を比較しなければならないのだ。
この地域のジョロウグモは個体数が多いのと、自宅周辺の子たちよりも成長が早いのが特徴だ。よほど獲物が豊富なのだろう。今回もまだ9月初旬だというのに体長20ミリを超え、ラグビーボール形のお尻の模様もオトナの印である黄色と青灰色の横縞になっている雌が何匹かいた。
そして問題の雄だが、大きくはない。ほとんどが体長5ミリから7ミリくらいと標準的なサイズだ。特に大きな個体でも8ミリ程度しかない。やはり今年のひたちなか市の雄だけが異常に大きいということらしい。去年の雄はもっと小さかったからこの先何年も大きいままということでなければ生物的なゆらぎなのだろう。
十王ダム周辺では1匹の雌の円網に2匹の雄が居候しているのが標準のようだ。ある円網では雌が頭部に口を付けている獲物の腹部に食いついている雄もいた。その円網には雄がもう一匹いたのだが、こいつは恨めしそうに見ているだけだった。獲物がかかった位置に近い方の雄に優先権が生じるということなのかもしれない。
それらのジョロウグモの中の最大の個体は体長が25ミリを超え、雄3匹とシロカネイソウロウグモ2匹を従えていた。作者がこの立派な女王様に見とれていると、右のふくらはぎがチクッとする。そこに目を向けると体長20ミリくらいのアブが食いついていた。すかさずひっぱたいたのだが、アブはカよりも頑丈なので、この程度では潰れない。地面に転がってはいるが、せいぜい半殺しである。ちょうどいいので女王様に捧げる生け贄にしてやった。
「おのが血を吸いたる虫といへども、それを殺さば無益な殺生なり。しかれども、これを蜘蛛に与へるならば無益にはあらざるなり。お汁粉お汁粉」〔それは「善哉」(ぜんざい)だ!〕
9月9日、午前6時。
ナガコガネグモのナガコちゃんはホームポジションの上下に隠れ帯を付けていた。隠れ帯には獲物を呼び込む効果があるという説もあるので、それを信じるなら、これは「お腹がすいた」というサインである(ナガコちゃんが天邪鬼でなければ、だが)。そこで体長25ミリほどのイナゴをあげてみた。食欲がないのなら食べてもらえないだけという判断だ。
ナガコちゃんはいったんは円網の端まで逃げたものの、カメラの動画ボタンを押して停止した途端にイナゴに駆け寄ってきた。というわけで、動画撮影は途中からになってしまったのだが、お尻の出糸器官から引き出した捕帯を第四脚を使って獲物に巻きつけていく様子だけは撮れた。なかなかうまくはいかないものだが、何もかも思い通りになる人生なんて面白くないだろう。〔負け惜しみだな〕
少し前に枯れ葉を2枚に増やしていたヒメグモのお母さんは枯れ葉を4枚にしていた。このお母さんはお尻がモスグリーンだったはずだが、今日は濃いオレンジ色に戻っている。近所には黒に近いほどの濃いオレンジ色になっている子もいるから食べた物によって変化するんだろうか? すけすけパンツでお尻の中身まで丸見えなんて、考えようによってはセクシーなクモである。〔考えるな!〕
枯れ葉4枚さんの隣で子育てしているお母さんも枯れ葉を1枚から2枚に増やしている。子育ては大変なのだろうな。
軒下のジョロウちゃんの円網に体長7ミリほどの赤褐色の居候が現れた。しかし、そのシルエットはどう見てもアシナガグモ科の雄である。間違えてジョロウグモの雌の所へ来てしまったのだろうか。アシナガグモ科のフェロモンはジョロウグモのそれと似ているのか? それとも単なる間抜けか? 何が起こっているのかよくわからないが、とりあえず体長5ミリほどのアリを投げてあげた……のだが、ジョロウちゃんは食いついてこない。アリは食べ飽きたのか、居候が気になるのか、それもわからない。だいたい異種のクモが円網に侵入しているというのに追い出そうともしないのもおかしいような気がする。あり得る可能性としては婚活シーズンが来たので排他的な気持ちが抑制されているということなのかもしれない。いずれにせよ、しばらくは様子を見るしかあるまい。
午前11時。
スーパーの近くにいたジョロウグモの15ミリちゃんの姿が見えなくなってしまった。円網はそのまま残されているから捕食されてしまったのかもしれない。ジョロウグモは成長するに従って、より高い場所に網を張るようになる。これはより大きな獲物を狙うということなのだろうと思うのだが、高い場所というのは鳥などの捕食者の眼にも付きやすいわけで危険度も上がってしまうわけだ。
※これも多分間違い。ジョロウグモが高い場所に円網を移すのは大きな円網にして風に飛ばされてきた小型の獲物を数多く捕まえるためのようだ。
そして、同じスーパーの近くにいる円網がボロボロの10ミリちゃんは、なんと、同棲を始めていた! 双方とも同じくらいの体長でどちらが雌でどちらが雄かわからないのだが、おそらく後から現れた方が雄なんだろう。その雄(仮)は、いままで10ミリちゃんがいた場所に入り込み、10ミリちゃんは円網の残骸の下の方に移動していた。
さて、ここで円網についておさらいしておこう。コガネグモ科やジョロウグモ科などの円網は枠糸の内側の放射状の縦糸と同心円状に見える横糸で構成されている。ネバネバするのは横糸だけで、これは横糸にだけ粘球という粘液のビーズが並んでいるからだ。ウィキペディアによると、横糸が出糸器官から引き出された時点では糸の表面に均一に粘液が付いているということだから表面張力によって球になるのだろう。
ここで大事なことは、この粘球には消費期限があり、しかもそれがかなり短いということである。粘球の表面にガなどの鱗粉や風で飛ばされてきたほこりなどが付着すると粘着力が低下してしまうのだ。したがって、これらのクモは頻繁に円網を張り替えなくては獲物を捕獲できなくなってしまう。そこで横糸だけに粘球が付いているという構造が大きな効果を発揮する。縦糸をそのままにして横糸だけを交換すれば円網をリフレッシュできるわけである。近所のナガコちゃんはおそらく毎日張り替えているし、詳しく観察してきたわけではないのだが、軒下のジョロウちゃんも毎日か、少なくとも1日おきくらいで張り替えているようだ。これを人間のOLに例えるなら、横糸を張り替えるという仕事に対する報酬として獲物が得られるということになるだろう。
ところが、しばらく前からスーパーの近くの10ミリちゃんは横糸を張り替えていないのだ。作者は、この子は雄で、旅立ちが近いので張り替えずにいるのだと思っていたのだが、同棲を始められてしまったわけだ。流しの雌がやって来てレズカップルが成立したとも思えないから、10ミリちゃんは本当は雌で、やっと雄が現れたということだろう。
※おそらくこれも間違い。他の雌が引っ越しの途中で立ち寄っただけらしい。
さてさて、ここからは作者の推理(単なる思いつき)になるわけだが、軒下のジョロウちゃんも昨日から円網を張り替えていないということまで含めて考えると、ジョロウグモの場合、意識的に円網を張り替えない時期があるのではないだろうか? 円網を張り替えないということは獲物を捕らえる気がない、つまり食欲がないということで、成長するという意味ではあってはならないことである。あえてそれを行う理由は繁殖のためだとしか思えない。食欲がなくなっていれば雄が現れた時に獲物と間違えて捕食してしまう危険がないというわけだ。
※後でわかってくるのだが、脱皮する前にも絶食するようだ。
もう一度OLの例えに戻せば、OLのジョロウちゃんにとっては仕事を休んで自宅のドアを開けっ放しにするのが「お婿さん募集中」のサインだということになるだろう(当たり前だが、クモの世界には年次有給休暇制度などはない)。お婿さんが現れるまで何も食べないというのは人間には無理だろうが、クモは絶食に強いからそういうこともできるはずだ。なんとも凄まじい生き方だが、ジョロウグモのような変温動物ならば、そんな繁殖行動も可能になるのかもしれない。
この推理が正しければスーパーの近くの10ミリちゃんはまた円網を張るだろうし、ジョロウちゃんも雄が現れれば円網を張り替えるはずだ。観察を続けようと思う。
ただし、こういう婚活システムは十王ダム周辺のように雌が大きく雄が小さいということでなくてはうまくいかないような気もする。雌と雄の大きさに差がないと雌が食べるべき獲物まで雄が横取りしてしまうのではないだろうか? この一年がひたちなか市のジョロウグモたちにとって悪い年にならなければいいのだが……。
9月10日。
サイクリングの途中で2匹のナガコガネグモを見つけた。1匹は食事中だったので、暇そうな方の円網に指を置いてみたのだが、この子は円網を揺らさなかった。そこで「怖くない。怖くない」と少しずつ指を寄せていって、ついに左の第一脚と第二脚にタッチすることに成功してしまった! ナガコガネグモの円網に指を置いても脚に触れても威嚇されなかったのは初めてである。円網の直径も三〇センチクラスだったし、この子も婚活シーズンに入っていてクモ恋しい気分になっていたのかもしれない。
婚活シーズン以外のナガコガネグモの雌にとって雄は同じ獲物を狙うライバル同士でしかないのだろうが、この時期だけは排他的な気分のままでは都合が悪い。人間の指に対してもそういう気分のままで対応してしまうということも十分にあり得ると思うのだが、どうなんだろうか?
9月11日、午前6時。
軒下のジョロウちゃんの円網からアシナガグモの雄の姿が消えていた。やはり旅の途中で立ち寄っただけだったようだ。それにしてもジョロウちゃんの円網の下部を横断するのに丸1日以上かかるとはなあ。翅がない、雌の所まで歩いて行くしかないというのは大変なことなのだろうな。ああっと、ジョロウちゃんに獲物だと認識されないように、特にゆっくり歩いていたという可能性もあるかもしれない。雄のクモならば他のクモに襲われないような歩き方をマスターしていても不思議はないだろう。
昨日から姿が見えなくなっていたスーパーの近くの3匹のジョロウグモがまた現れた。しかし、10ミリちゃんはともかく、8ミリちゃんは新顔のようだし、15ミリちゃんの円網の残骸に乗っている子もやや小さくなっているから移動の途中で立ち寄っただけなんだろう。クモは、糸が張られていると誰の円網だろうが乗ってみたくなるのかもしれない。
そして、円網をボロボロにしていた体長10ミリほどのジョロウグモは一緒にいた子と共に姿を消していた。ということは、この2匹はやっぱり雄同士のカップルで、周囲の冷たい視線に耐えられず、「もうここにはいられないね」「そうだね。どこか遠い所に行っちゃおうか」と手に手を取って旅に出たんだろう。〔ジョロウグモは視力が弱いんだぞ〕
※10ミリサイズだとどちらも雌だった可能性が高い。これは引っ越しの準備のために絶食していた子と移動中の子が偶然出会ってしまったという程度のことだろう。
近所のナガコちゃんはまた円網を小さくした。直径二五センチほど。指をいっぱいに広げた作者の手よりも少し大きいサイズだ。しかも隠れ帯もない。食欲はなさそうなのだが、作者はこういう時に限ってバッタを捕まえてしまうのだよなあ。まったく間の悪い。
このバッタは一応円網にくっつけてあげたのだが、ナガコちゃんには知らん顔をされてしまった。とりあえず、円網を小さくするのは食欲がないからだとは言えそうだ。
スーパーの近くの体長8ミリほどのクサグモには10ミリほどのアリを少し弱らせてからあげてみた。この子はトンネルの入り口まで顔を出しただけで獲物に近寄っていく様子はなかったのだが、五時間後に見たらアリをトンネルの中に引きずり込んでいた。獲物が大きすぎる場合は弱っていることを確認してからでなければ襲わないらしい。というか、ナガコガネグモやコガネグモのように自分よりも大きな獲物にも躊躇なく飛びかかっていく方がおかしいのだろう。それを確かめるために別のクサグモ2匹(どちらも10ミリクラス)に5ミリほどのアリをあげると飛びついてきた。後で元気なままの大きなアリと少し弱らせたものを与えて反応を見てみようと思う。
獲物の強さを的確に判断して確実に倒せると判断した時しか襲わないというのは正しいやり方である。とても勝てないような強大な敵に捨て身で立ち向かっていくというのは人間にとっては男のロマンだろうが、生存戦略としては大間違いなのだ。ナガコガネグモやコガネグモの場合、獲物はほとんど植物食の昆虫だろうから大物狙いも成り立つのかもしれないが、人間に例えればナイフとロープだけでシカやイノシシに立ち向かうようなものである。そんなことを日常的にやっていたら命がいくつあっても足りない。自分の体長の半分を超えるような大きな獲物がかかった場合は襲うのをためらうような慎重派のジョロウグモやクサグモが、個体数ではナガコガネグモやコガネグモに圧倒的な差をつけて繁栄しているのはそういうわけだろう。デューク東郷氏の名言に「虎のような男はその勇猛さのおかげで早死にすることになりかねない。強すぎるのは弱すぎるのと同様に自分の命を縮めるものだ」というのがあるそうだし。〔…………〕
午前7時。
アシナガグモの仲間のカップルらしい2匹のクモが1本の糸の上で見つめ合っていたので撮影……してから気が付いた。片方はどう見ても若いジョロウグモだ! 何かもう、「ジョロウちゃん!」「アシナガさん……」という雰囲気である。いやいや、違うな。これは多分雄同士だ。異種同士のボーイズラブだ!
ライトノベルの世界では人間がエルフや獣人と恋仲になってしまう話がよくあるらしいし、ボーイズラブもすでに一般的になっている。それはおそらく、こういうクモの世界がベースになっているのだろう。若者たちの観察力には脱帽せざるを得ない。〔んなわけあるかい!〕
幸い(?)この2匹は10分ほど後には別れたから、ただ単に偶然出会ってしまっただけだったのではないかと思う。クモに聞いてみるわけにもいかないので断言はしかねるが、他のクモが張った糸や円網があると、そこに踏み込んでしまいたくなるのが婚活シーズンのクモの雄なのかもしれない。クモの脚は糸の上を歩くようにできているのだろうし、雌は必ず糸か円網の上にいるのだろうし。ああ、これは円網を作るタイプのクモにしか当てはまらないのはもちろんである。
実はこのジョロウグモの雄を軒下のジョロウちゃんの所に連れて行こうと思ったのだが捕まえ損なった。残念だ。過保護だと言われても弁解できないが、確認できている範囲では軒下のジョロウちゃんから最寄りの雄までは直線距離で数十メートル離れている。そんな遠くからちゃんとお婿さんが来てくれるかどうかがとても心配なのだ。雌がたどり着いた場所に雄が来られない理由はない、とは思うのだが、フェロモンをちゃんとキャッチできるのか、ジョロウちゃんの所まで歩いてこられるのかが問題なのである。途中でキャンプして獲物を食べながら移動するのかもしれないが、あまり時間をかけると冬が来てしまうのだ。こういう場合には昆虫のような翅を持っていないということがきわめて大きなハンディキャップになるのだな。
9月12日、午前5時。
軒下のジョロウちゃんの円網がきれいになっていた。横糸を張り替えたようだ。そのお尻はまた棒のように細くなっている。横糸を張り替えるのにはそれほど多くのお尻の中身、つまり糸の素になるタンパク質を消費するということだろう。
雄が訪れた様子はないし、何があったのかはわからないが、絶食はやめたのだろうと判断して5ミリほどのアリを投げてあげる。ジョロウちゃんは一気に食いついてきて、もがくアリを咥えたままホームポジションに戻ると第四脚2本を自転車のペダルを回すように使って獲物に捕帯を巻きつけたようだった(空をバックにしている上にジョロウグモの捕帯は量が少ないのでよく見えないのだ)。その後、いったんアリを円網に固定したジョロウちゃんは左第一脚の先を口元に持っていってから再びアリに口を付けた。これから食事というわけである。
9月13日、午前5時。
軒下のジョロウちゃんはすべてのゴミを円網のホームポジションから1時の方向に向けて並べていた。これでバリアーに付けられているゴミはもうない。ゴミの向きに合わせたのか、お尻を12時30分の方向に向けている。もしかしたらジョロウちゃんはゴミグモの霊に操られているんじゃないだろうか。〔んなわけあるかい!〕
冗談はともかく、クモの世界ではこういう図鑑や解説書に書かれていることと違う行動を取る子が多いので面白い。おそらく、この場所は獲物が少ないのでバリアーのゴミを外して、少しでも多くの獲物を呼び込もうということなんじゃないかと思う。基本的なやり方でうまくいかない時には応用することができる。これがクモだ。絶食明けで空腹だったということもあるのかもしれないが。
午前8時。
昨日は円網を握り拳サイズまで小さくしていた近所のナガコちゃんがまた円網を大きくした。なんと直径60センチで、しかも上向きと下向きの隠れ帯付きだ。何があったのかわからないのだが、一時期よりもお尻が細くなっているからダイエットはやめたのだろうと判断して近くの草地で捕まえたバッタを円網にくっつけてあげる。飛びついてきたナガコちゃんはいつもより余計に時間をかけてバッタに捕帯を巻きつけると、捕帯の中でまだ脚を動かしているバッタに牙を打ち込み、それからホームポジションに戻って屈伸運動をしてから爪のお手入れを始めた。そしてバッタがおとなしくなったところで食事、するのかと思ったらバッタの頭から翅の先まで点検を始めた。バッタの胴の周りを回ってみたり、丸太のように転がしてみたりと、よくわからない行動を繰り返した後、やっとホームポジションに持ち帰って口を付けたのだった。ずいぶんと手間をかけたものだ。アブラゼミを狩った経験が影響しているんだろうか? アブラゼミではだいぶ苦労したので、前回の獲物とは違うということを念入りに確認していた、とか?
午前8時30分。
なんと、ヒメグモの1匹がうっすらと糸に包まれた体長30ミリを超えるバッタを食べていた! 体長で数倍にもなるような獲物の腹部に口を付けている。スカスカの不規則網にどうしてバッタがかかるんだろう?
そして、そのヒメグモのお尻はモスグリーンになっていた。ナガコガネグモやジョロウグモのように面の皮、もとい、お尻の皮が厚くないので食べたバッタの中身の色が見えているのだろうか? いやいや、色が変わる頻度から推測すると何かを食べるだけで変わるのかもしれない。シロカネグモの仲間では銀色の腹部に褐色の筋が現れたり、もともと褐色条がある種ではそれが太くなったりするらしいからお尻全体の色が変化するクモがいても不思議はないだろう。
さらに、ナガコガネグモやジョロウグモの場合は食事をするとお尻の長さは変わらずに太くなるのに対して、ヒメグモの場合は丸いお尻が均一に膨らむようだ。『日本のクモ』によるとヒメグモの雌の体長は「3.5~5ミリ」ということになっているのだが、作者が見た範囲では子育て中のお母さんたちの体長は4ミリくらいしかない。この「5ミリ」のうちの1ミリくらいは食後にお尻が膨らんだ分なんじゃないだろうか。
午前9時。
ジョロウグモの1匹が円網の横糸を張り替えているところに出会った。ホームポジションに頭を向けてカニのように横歩きしながら進行方向の後ろ側になる第四脚で横糸を順に縦糸に押しつけているようだ。そして円網の最下部まで来ると反対側の第四脚で横糸をセットしながら逆方向へ戻っていく。よく言われているようにお尻を縦糸に押しつけているようには見えなかった。
※これは作者の見間違い。お尻の出糸器官を押しつけていることを後で確認した。
午前10時。
軒下のジョロウちゃんが体長20ミリほどのハエを細長くしたような獲物に口を付けていた。これほど大型の獲物を捕らえたジョロウグモを見るのは初めてだ。バリアーからゴミを外した効果が現れたのらしい。作者が投げるアリだけでは足りなかったということなんだろうなあ。
午前11時。
体長10ミリ弱のクサグモの棚網に同じくらいの体長の活きのいいアリを投げ込んでみた。するとこのクサグモはトンネルの入り口で棚網の上を歩き回るアリを観察していたかと思うと、アリが背中を見せた途端に飛びかかっていった。〔背中でなくて尻だろ〕
偶然なのかもしれないが、絶妙なタイミングである。そして素早く跳び退いたクサグモはネコの狩りのようにアリの周囲を回りながら第一脚で何度も軽いジャブを繰り出すのだった。大顎でクサグモの脚先を咥えたりして抵抗していたアリの動きが鈍くなると、クサグモはいったんトンネルの入り口に戻って休憩(多分)を始めた。その後、クサグモはアリに近寄ろうとするのだが、風を受けた棚網が揺れる度にトンネルに戻ってしまう。どうも棚網の揺れを獲物の抵抗だと思っているようだ。このあたりはどんなに大きな獲物が円網にかかっても(さすがに人間サイズだと威嚇するが)迷わずに襲いかかっていくナガコガネグモなどとはだいぶ違う。大量の捕帯を使わないクモが獲物を狩る場合は慎重に行動するということなんだろうな。
9月14日、午前6時。
不規則網に枯れ葉を4枚付けていたヒメグモのお母さんの姿が見えなくなってしまった。網の手入れもされていない。卵が孵化した時期は確認していないのだが、ヒメグモの育児期間は約3週間だそうだから子グモたちは巣立っていったということなのかもしれない。
午前11時。
近所のナガコちゃんが朝は付けていなかった隠れ帯を付けてしまった。隠れ帯には獲物を誘引する効果があるとされているので、これは「お腹がすいた」のサインだということになる。今朝はまだ胸部と腹部が分離したバッタを咥えていたというのにまだ食べる気らしい。
さて困った。最近、この近所では草刈りが流行っていて、伸び放題の草地が減っているのである。稲刈りも始まっているからイナゴも手に入りにくくなっているだろう。何か適当な獲物が手に入ればいいのだが、作者の部屋にはゴキブリも出ないしなあ……と思っていたのだが、意外に簡単にコンビニ横の草地でバッタを捕まえてしまった。さっそくナガコちゃんにあげたのだが……食べない。体の向きを少し変えて、脚の先をバッタに伸ばしてくるので獲物に気が付いてはいるのだろうが寄ってこない。これで決定である。この子の「お腹がすいた」サインは信用できない。というか、このサインの意味は人間の研究者が、「こうであろう」と考えているという程度のものなんだろう。クモが考えていることを正確に理解できる人間などいるわけがないし。
隠れ帯はむしろ、獲物がかからないようにするためのもの、つまり「ここに円網があるわよ」という警告であると考えてもいいような気がする。
午後3時。
昨日バッタを食べていたヒメグモのお尻が黒と言えるほど濃いモスグリーンになっていた。この子たちのお尻の色は少なくとも「何を食べたかによって変化するようだ」とは言えるかもしれない。
軒下のジョロウちゃんには5ミリほどのアリを投げてあげる。この子はじりじりと円網を下方向へ拡大しているのだが、通路の中央辺りだけはアーチ状に高くしてくれている。「通り道は空けておいてあげる」と言いたいのかもしれないが、左右の係留糸は手を伸ばせば届く高さだ。それ以上低くしないように説得したいところなのだが、ジョロウグモ語は話せないしなあ……。
午後5時。
軒下のジョロウちゃんが珍しく身動きしていた。どうしたのかと思って見ていたらウ〇コらしい。ジョロウちゃんはお尻のあたりにぶら下げていた黒い塊を背中側のバリアーに取り付けるとホームポジションに戻ったのだった。そういえばこの子の下でウ〇コらしい物を見たことがない。作者が茅葺き屋根の下で暮らしていた頃に見たオニグモのウ〇コは鳥の糞を小さくしたような白い液状の物だったと記憶しているのだが、クモは種によって排泄物の色や性状も変化するのかもしれない。
※この黒い塊は食べかすだったようだ。作者の考えることは間違いが多いのである。
9月15日、午前11時。
スーパーの近くにいた体長10ミリほどのジョロウグモが円網を張るのをやめてしまった。この子も雄だったんだろうか? いやいや、脱皮した後、外骨格が硬くなるまでの間は獲物がかかっては困るということなのかもしれない。
近所のナガコちゃんはまだバッタに手を付けていない。空腹でない時に大きな獲物がかかっても仕留める気になれないのだろう。しかし、このままでは無益な殺生になってしまいそうである。そこでナガコちゃんにやる気を起こさせるためにバッタに指を当てて軽く振動させてみる。獲物がもがいている様子を演出するわけである。これでビンゴ! ナガコちゃんは狩ると決断すると素早い。バッタに駆け寄ると、あっという間に捕帯でぐるぐる巻きにしてしてくれた。やれやれ。
今回の一件で、作者はナガコちゃんの発していたサインのすべてを読み取れていなかったことがよくわかった。今回ナガコちゃんが隠れ帯を付けたのも、ただ単に暇だったからという可能性もないとは言えないかもしれない。〔わかってないじゃないか〕
これはクモのほとんどが孤独なハンター(アリやハチのような群れを作るクモもいるらしいが)であり、人間は群れるタイプの動物であることに根本的な原因があるのだろう。おそらく人間がクモの心を理解できるようになるまでには長い長い時間がかかるだろう。それでも、作者は少しでもそれに近づいていく努力をしようと思う。
※この場合も、放っておけば空腹になってから食べてもらえたのかもしれない。クモ観察の知識や経験が決定的に不足している作者なのである。
午後1時。
ナガコちゃんがマツ〇体型になってしまった。もう立派なおかみさんである。明らかに食べ過ぎだ。〔食べさせ過ぎ、だろ〕
しばらくの間は獲物をあげないようにした方がいいかなとも思う。なお、ナガコちゃんの隠れ帯は一部が欠けた楕円形になっている。この子の場合、隠れ帯は満腹のサインなんだろうか。わからん。
9月16日、午前6時。
ナガコちゃんはまた横糸を張り替えた。円網の大きさはホームポジションの左右がそれぞれ20センチ、上にも20センチ、下だけは30センチ、隠れ帯は楕円形プラス上下に伸びたジグザグ帯という形になった。円網の大きさそのものは昨日より左右と上方向が少し小さくなったわけだ。円網の下側が広いままなのはマツ〇体型では上の方にかかった獲物に重力に逆らって駆け寄るのは大変だということなのかもしれない。成体に近いジョロウグモでも下方向に広がった円網を張るということになっているし、実際、軒下のジョロウちゃんも円網を毎日のように下方向へ広げ続けている。
ナガコちゃんの場合、円網が小さくなったことだし、今日はとりあえず獲物を与えないことにするとして、明日からはどうしようか? 明日の朝、ナガコちゃんの円網の大きさを見てから考えることにしようかなあ。
9月16日、午前6時。
バッタを食べていたヒメグモのお尻の色がほとんど黒からモスグリーンに戻りつつあるようだ。食べた物が消化されていくのにしたがってお尻の色が変わっていくということなのかもしれない。黒っぽくなるのは消化が進んだということだろうし、植物食のバッタなら中身も緑色だろうからその色と本来のオレンジ色が混ざるとモスグリーンになるのかも……いやいや、ヒメグモの獲物にはガなども含まれているはずだから、その場合にもモスグリーンに戻るのはおかしい。やはりバッタに限らず、食事をすることそれ自体にお尻の色を変化させる要因があるのだろう。
午前10時。
近所のジョロウグモのカップルの雄の方が小さくなってしまった!〔んなわけあるかい!〕
何日か前には体長12ミリクラスの雌に同じくらいの大きさの雄が寄り添っていたのだが、気が付くと雄が8ミリほどになっていたのだ。小さな雄が大きな雄を追い出すということは、まったくないとは言えないが考えにくいから、実際は大きな雄は去り、代わりに小さな雄がやって来たというところだろう。
大きな雌はより多くの卵を産むことができる。ということは、雄はできるだけ大きな雌とカップルになった方がより多くの子孫を残せる可能性が高くなるわけだ。今カップルになっている雌が小さいのなら、より大きな雌を求めて旅立つのも一つの選択肢だろう。
「ビッグな俺にはビッグな女が似合うんだ。おまえにゃ悪いが、俺は世界のどこかにいる俺に相応しい女を求めて旅に出るぜ。達者でな」
「そんな……」
雄に捨てられ、毎日泣き暮らしていた雌のところに現れたのが幼なじみの小型の雄である。
「大丈夫だよ。僕がいるから。ね」
というようなドラマが展開されたんじゃないか……と思ったら大間違い。大型の子はどちらも雌で、片方は引っ越しの途中だったという程度の話だろう。
あ、ここでアイデアをひとつ思いついた。
町外れに建てられている一軒家に男と女が住んでいる。男の方は年々老いていくのに対して、女は何年経っても若々しいままだ。そしていつの間にか老人はいなくなり、代わりに若者が住みついている。つまり、この男たちは普通の人間で女の方は不老不死の存在だったというわけである。よくあるヒトとヒトにあらざる者のカップルというオチだ。
ただし、普通の人間ではないことを悟られないように一ヶ所に定住せずに一定期間ごとに引っ越しをし続けた方がいいはずなのだよなあ。ヒトにあらざる者は萩尾望都先生の『ポーの一族』のように。しかし、愛するヒトのためにあえて危険を冒して定住することを選ぶ不死者がいても面白いかもしれない。そうしていろいろな事件が起こった方がドラマにしやすいだろうし。例えば、男の一人暮らしを装って女の方は表に出ないようにしていたものの、何かのきっかけで近所の住人に姿を見られてしまって、さあどうやってごまかそうか、とか……。
話は変わるのだが、新たなジョロウグモのカップルのすぐ近くに軒下のジョロウちゃんと同じくらいの大きさのジョロウグモがいたので5ミリほどのアリを投げてあげた。そうしたら「やだっ。何なのよ、これ!」という様子でアリの周囲を駆け回り、牙を打ち込むまでひどく時間がかかるのだった。この観察結果から以下のことが推測できる。
(1)ジョロウグモは通常アリを補食しない。
アリを初めとして羽を持たず、主に地上を歩く昆虫がジョロウグモの円網にかかることなどほとんどアリ得ないであろうということは容易に考えられる。
(2)軒下のジョロウちゃんはアリにすぐ駆け寄って牙を打ち込めるようになってきたが、それは学習によってスキルが向上した結果である。
これは問題だろうな。学習するのにはそれだけの知性が必要になる。下等な生物(嫌いだな、こういう表現は)であるクモが知性を持っているということを認めたがらない研究者は多いだろう。しかし、作者にとってはクモが知的であった方がより面白いわけで、そういう前提で話を進めてしまうのだがね。
午前11時。
近くの歩道に体長25ミリほどのアブが転がっていた。指でツンツンしてみると脚だけを動かす。完全に死んでしまったアブだと風に飛ばされてきたゴミだと判断されてしまいかねないが、まだ生きているのならと、持ち帰って軒下のジョロウちゃんの円網に投げ込んであげた。しかし、ジョロウちゃんは脚先でチョンチョンとつついただけで円網の反対側まで逃げてしまった。どうやら脚先のチョンチョンだけで獲物の大きさに見当を付けて「やだっ。こんな大っきいの無理!」と判断したらしい。〔こらこら〕
それは高度なスキルではあるのだが……獲物はジョロウちゃんより大きいとはいえ、死にかけたアブだ。抵抗される可能性はほとんどないのだから、もっと積極的に狩りをしてもいいんじゃないかなあ。もしかすると街中には大型の獲物が少ないので小型の獲物をメインに捕食することになり、その結果、大型の獲物が苦手になってしまうという悪循環が成立してしまっているんじゃないだろうか。つまり、ジョロウグモは獲物によって鍛えられることで、より大型の獲物でも捕食できるようになっていくのだろう。十王ダム周辺にはこの季節でも成体になったジョロウグモが多いのは大型の獲物がそれだけ多いということなんじゃないかと思う。
1時間後にはまだアブに手を付けていなかったジョロウちゃんも2時間後には口を付けていた。この獲物は弱いという判断を下すまで1時間以上かかったということだ。よく言えば慎重な性格の子である。あくまでもよく言えば、だが。まあ、地道にスキルアップをしていって欲しいものだ。
午後5時。
軒下のジョロウちゃんはいつの間にかホームポジションを円網の反対側に移していた。画像をチェックし直してみると、9月13日には背中を道路側に向けていたのだが、今はアパート側に向けているのだ。
作者はアパート側からアリを投げる。つまりこの向きだと(作者がアリを投げる時限定だが)円網をくぐり抜けなくて済む分獲物に駆け寄る時間が短縮できることになる。これもジョロウちゃんが学習した結果だというのはいささか強引過ぎるだろうか?
9月17日、午前6時。
近所のナガコちゃんが円網の位置を40センチくらい高くしていた。もちろんどういう意味があるのかはわからない。
近所の生け垣にいたジョロウグモの多くはいつの間にか姿を消していた。残っているのはカップルが2組と独り身の雌と雄(多分)が1匹ずつである。この時期、雌は高い場所を目指し、雄はその雌を追って移動していくのらしい。おそらく雌の所にたどり着くことができない雄も相当数いるはずだから、その分まで見込んで雌と雄の個体数の比率が決まっているんじゃないかと思う。
午後1時。
スーパーの近くのアリの木で最大クラスのアリ(体長約8ミリ)を2匹捕まえた。1匹は近所のナガコちゃん用で、もう1匹は軒下のジョロウちゃん用だ。
結果はというと、ナガコちゃんは迷わず飛びついてきて捕帯でぐるぐる巻きにしてしまったのに対して、ジョロウちゃんは脚の届く距離まで近寄っても足踏みしかできない。どうもジョロウちゃんが飛びついてくるアリは今のところ5ミリが限界のようだ。だいたいジョロウグモの主な獲物は飛行性の昆虫だろうから翅がない代わりに強い脚で暴れるアリは苦手なんだろう。それでもしばらくの間もがくアリを観察していたジョロウちゃんは一瞬の隙を突いて牙を打ち込むと、すぐにおとなしくなったアリをホームポジションに持ち帰った。大量の捕帯を使えないためにこういうやり方になってしまうのだろうな。この差はまた成長速度にも影響するのだろう。ナガコちゃんもジョロウちゃんも体長は同じくらいだが、お尻の幅はナガコちゃんの方が三倍から四倍はある。
念のために言っておくと、作者は成長が早いから優れていると言うつもりはない。それを言ったらヒトよりもチンパンジー、チンパンジーよりもネズミの方が優れているということになってしまう。ここではただ、ナガコガネグモは大きな獲物を大量に捕らえられれば早く成長できるだろうということと、ジョロウグモは小型の獲物を狙う分、捕帯用のタンパク質を節約できているだろうとだけ言っておく。なお、ジョロウグモは成体の出現時期を遅らせることによって最終的にはナガコガネグモを上回る体長にまで成長する。
9月18日、午前7時。
体長3ミリほどのゴミグモの仲間(種名まで同定できる大きさではない)に同じくらいの体長のアリを少し弱らせてからあげてみた。するとこの子は何回かチョンチョンした後、捕帯を巻きつけ、さらに獲物を転がすように回転させながらぐるぐる巻きにしたのだった。これはナガコガネグモの手順ともジョロウグモのそれとも違う。しかし、自分よりもやや小さいくらいの獲物に対してはこういうやり方もありなのかもしれない。
その流れで近所のナガコちゃんにも8ミリほどのアリをあげたのだが、今回ナガコちゃんはいきなり牙を打ち込んで、そのままホームポジションに持ち帰ってからぐるぐる巻きにしたのだった。つまり、ナガコちゃんは少なくとも2種類の手順を使い分けられるということらしい。ただ、これがもともと本能にプログラムされていることなのか、経験によって学習した結果なのかはわからない。
なお、円網の汚れ具合を見ると今朝のナガコちゃんは横糸を張り替えた様子がない。楕円形の隠れ帯から上方に伸びていたジグザグの隠れ帯もなくなっている。今日はかなり厚い雲で小雨がパラつくという天気なので、そのせいなのか(雨の中を飛びたがる昆虫は少ないのだろう)、また何かを始めるつもりでいるのかはわからない。ただ、横糸を張り替える時にも楕円形の隠れ帯の部分だけはそのまま残したようだ。そこは待機するための場所であって獲物を捕らえる機能は持っていないのだろう。ということは、横糸よりも長い消費期限が設定されているというわけだ。
軒下のジョロウちゃんにも8ミリクラスのアリを投げてあげる。しかし、この大きさだと一気に飛びついて来たりはしない。駆け寄っては来るのだが、ためらいがちのネコパンチのように脚を振り上げるだけで、それ以上踏み込んで来ないのだ。最終的には牙を打ち込むのだが、これくらい暴れる獲物だと狩るか逃げるかの判断に時間がかかるようだ。
そしてしばらくしてから様子を見に行ったら、アリの頭部を落としてきた。頭部は食べられないので切り落としたらしい。アリの頭部には大顎があるし、それを動かす筋肉を支えるために外骨格も頑丈にできている。ガなどと比べると食べにくいのだろう。
午後2時。
ナガコちゃんの円網が埃まみれになっていた。円網を張り替えないということは「食欲がない」というサインだと思うのだが、作者はこういう時に限ってバッタを捕まえてしまうのだった。しょうがないので円網にくっつけてあげたのだが、これは予想通り無視された。それでも1時間ほど経ってから見に行くとぐるぐる巻きにしたバッタに口を付けていたから無益な殺生にはならなかったようだ。円網をよく見ていれば、そのクモに食欲があるかないかを判断できるようになれるかもしれない。
9月19日、午前5時。
ナガコちゃんはまだバッタを食べている。こちらは今日一日は放っておいてもいいだろう。
軒下のジョロウちゃんは横糸を張り替えていた。しょうがないので近所の草地で体長20ミリほどの小型のバッタを捕まえた。いつもアリばかりでは栄養のバランスに問題アリという判断だ。〔まだ言うか!〕
しかし、これが円網にうまくくっつかない。バッタが暴れるとすぐに外れて落ちてしまうのだ。
何回かやり直しているうちにジョロウちゃんが駆け寄って来たのだが、バッタに対して脚を振り上げたまま固まっている。まあ、ジョロウちゃん用の獲物としては大きすぎるのは承知の上であげたのだからしょうがない。少しでも大きな獲物を狩れるようになってもらわないと冬が来るまでに成体になれないんじゃないかと心配なのだ。
ジョロウちゃんには悪いが、今日は天気が下り坂らしいので雨が降り出す前に走ってしまいたい。バッタが円網から外れる前に牙を打ち込むことができれば食べられるだろうし、逃げられたらそれまでだと割り切って、バッタを円網にくっつけたままロードバイクにまたがった。
その後、予報より早く雨が降り出したので逃げ帰ってから確認すると、ジョロウちゃんはちゃんとバッタを食べていた。一安心である。
※ジョロウグモの狩りを見ていると、その円網に大物がかかった場合には糸が切れて逃げられるようにできているような気もしてくる。「小さな獲物をたくさん食べよう」という安全第一の考え方をするクモなのかもしれない。
9月20日、午前4時。
軒下のジョロウちゃんが円網を張り替えていた。直径は約四〇センチ。下方向へ広げられたので下側の枠糸は作者の頭のすぐ上まで下がっている。手を伸ばせば獲物をくっつけられるのは楽でいいのだが、これ以上下げられて頭に引っかかるようになったら払いのけられてしまいそうだ。円網の上方にはまだ余裕があるから機会があったら一番下の係留糸を切ってみようかとも思う。つまり「もうちょっと円網を高くしておくれ」というメッセージである。
手が届くのをいいことにその枠糸をツンツンするとジョロウちゃんは腰を振った。円網への侵入者を威嚇する準備はできているらしい。しかし、それでは雄がお婿さんになるためにやって来た時に困るんじゃないだろうか? この問題に対する解決策として作者に考えられる可能性は以下の三つになる。
(1)雄は威嚇されても気にしないで侵入してくる。
(2)雌は同種の雄だとわかれば受け入れる。
(3)雄は雌に威嚇されないような侵入の仕方を知っている。
(1)はともかく、指に対しても威嚇してくることを考慮すると(2)は考えにくい。一番ありそうなのは(3)だな。イソウロウグモのように風に擬態して侵入する忍者方式を使うんじゃないだろうか。ああっと、お婿さんがいると横糸を張り替える時にじゃまになるはずなのだが、そういう問題はどうやって解決しているんだろう? 作業中は枠糸の上とかで待機していてもらうんだろうか?
午前7時。
近所のナガコちゃんの円網の直径は約30センチになっていた。さて困った。40センチならバッタをあげるし、20センチなら放っておくつもりだったのだが……。と言いながら近所の草地で体長30ミリほどのバッタを捕まえてしまった。このバッタは後肢がやたら長い(体長の2倍くらい)ので、暴れても外れないように円網にグリグリと押しつけてあげる。それに対してナガコちゃんは円網を揺らした。バッタの方に顔を向けているから獲物がかかったことに気が付いてはいるんだろうが、食欲がないらしくて寄ってこない。あるいは、人間クラスの大きすぎる獲物だと判断されてしまったのか、だな。
しばらくしてから確認しに行ってみると、ナガコちゃんはバッタを食べてはいたが、やや捕帯の量が少ないようだった。「食欲ないんだけど、せっかくだから……」というところだろうか。それとも、捕帯の原料の在庫が少なくなっている、とか?
軒下のジョロウちゃんには体長20ミリほどの小型のバッタをあげたのだが、円網の隅へ逃げている間にバッタが外れてしまうのだった。もう、この子にはアリでいいや。
午前11時。
近所にいた体長8ミリほどのジョロウグモにも2ミリほどのアリをあげてみた。この子の場合は予想通り、どうしていいかわからないという様子で届きもしないチョンチョンだった。やはり軒下のジョロウちゃんがアリを好むのは学習によるものだと言えそうだ。そこでジョロウちゃんにアリをもう1匹あげる。これも予想通り、やや手間取ったものの牙を打ち込んだ。今日は夜にイベントを予定しているので、できればもう1匹くらい食べさせておきたい。
スーパーの駐車場の植え込みには体長1ミリから2ミリのゴミグモの仲間が何匹か住みついているのだが、その中に直径1センチほどの円網を張っている子がいる。こんな小さな円網で十分な量の獲物を捕らえることができるのだろうかと心配になってしまう。さらに枠糸と縦糸だけを張っている子もいる。この子たちは食欲がないということなんだろうか? まったくわからん。
午後5時。
軒下のジョロウちゃんに体長10ミリのガと8ミリのアリを同時に投げてあげる。今日はもうアリを2匹食べさせたので食欲がなさそうだったのだが、二時間後に様子を見に行ったら、食べていたのはアリの方だった! 育て方を間違えたかなあ……。
午後10時。
ガまで食べ終えたらしいジョロウちゃんの円網の下側の係留糸を切った。もちろん「この低さではだめだよ」というメッセージである。ジョロウグモ程度の知性があれば理解できるはずだ。ちなみに、以前ベランダに現れたイエオニグモ(多分)は係留糸を2回切ったら二度と現れなかった。
9月21日、午前1時。
ジョロウちゃんが元の高さに張り直していたので、もう一度係留糸を切った。ここは譲れないのである。
午前6時。
ジョロウちゃんは下端を上げて円網を張り直していた。これは「この高さではだめだよ」「いいでしょ」「だめだよ」「しょうがないわね」という枠糸を介した会話をしたということになるんじゃないかと思う。まあ、この程度のことは生き物が好きなヒトなら当たり前のようにしていることだろうとは思うが。ただ、円網が小さくなってしまったので「これでは面積が足りない」と判断したら、また下方向へ広げられそうな気もする。ジョロウちゃんが上側の枠糸をより高い位置に張り直すか、人間のじゃまにならない場所に引っ越すかするまでは会話を続けるようかもしれない。
午前7時。
ジョロウちゃんにアリを投げてあげる。もちろん「円網の下端を高くしてくれてアリがとう」というメッセージである。〔…………〕
近所の生け垣にいるヒメグモの1匹が何日か前から不規則網にかかったままになっていた緑色のカメムシに口を付けていた。クモは生きている獲物を狩るものだと思っていたのだが、保存しておいた獲物を食べることもあるらしい。ウィキペディアによるとジョロウグモは「成体になれば、人間が畜肉や魚肉を与えてもこれを食べる」ということだから生きている獲物以外は受け付けないということではないのかもしれない。多分、生きている獲物はすぐに仕留めないと逃げられてしまうということなんだろう。
そしてこのカメムシには糸を巻きつけてあるようには見えなかった。これは、かなり弱った獲物だったので糸をしっかり巻きつける必要はない、という判断をしたとしか思えない。ジョロウグモのような大型のクモならばそういう判断ができてもおかしくはないと思うのだが、体長4ミリのヒメグモでもできるんだろうか? それとも、獲物の抵抗が弱い場合には糸の使用量を最小限にするというようなプログラムが本能の中に書き込まれている、とか?
午前8時。
軒下のジョロウちゃんは円網の下端を作者の頭の上40センチの位置にして張り直していた。作者のクレームを理解して、さらにもう少し上にしてくれた……なんてことはないはずだが、単なる偶然と言うにはできすぎだろう。もしかしたら、ジョロウちゃんは慎重な性格なので「ダメ」と言われた高さからさらに一歩引いたということなのかもしれない。必要にして十分な知性があればそれくらいのことはできるだろう。
午前9時。
近所の生け垣で体長15ミリほどのジョロウグモが何かを食べていたのだが、それがどう見ても比較的小型のジョロウグモである。多分雄だろうが、ジョロウグモは共食いをすることもあるということらしい。何かヘマをやらかして、主の逆鱗に触れてしまったのかもしれない。ただ単に獲物が少ないから食べちゃった、ということではないはずだ、と思いたい。雌にとって同種の雄はほぼ完全栄養食品であるのは間違いないんだが……。
午前10時。
ジョロウちゃんに体長15ミリほどのガと20ミリほどのイナゴの若虫(イナゴは不完全変態なのでイモムシのような幼虫時代がない)をあげたのだが、まず食いついたのはガの方だった。まったく……小物ばかりを捕食していたのではオトナになるのが遅くなるだろうに。
午前11時。
今日もまたスーパーの近くにいる体長4ミリほどに育ったゴミグモの仲間に同じくらいの体長のアリを、少し弱らせてからあげてみた。するとこの子はナガコガネグモのように円網を垂直方向に揺らした後、揺らしながら獲物に近づいて何回かチョンチョンして、これなら大丈夫だと判断すると捕帯でぐるぐる巻きにした上に獲物を転がすように回転させながら、さらに捕帯を巻きつけた。この子の捕帯もジョロウグモのそれと同じくらいの幅しかないので、その分時間がかかるのだろう。いい加減にして欲しいなと思うくらい時間をかけてミイラ状にすると、それからやっと牙を打ち込み、またしばらく待ってホームポジションに持ち帰るのだった。とにかくていねいな狩りである。やはりこういう慎重なやり方がクモでは一般的なんだろう。手に負えないほど力の強い獲物なら逃がしてしまった方が安全で捕帯も無駄にならないのだろうし。
そしてよく見ると、アリを回転させている時でも円網に穴が開いていない。これはつまり、獲物を円網から浮かせた状態で捕帯を巻きつけているということである。そうしないと横糸の粘球まで獲物に巻き付いてベタベタになってしまう。それはわかるのだが、円網に体を固定して、獲物をホールドして、それを回転させて、さらに捕帯を巻きつける。これだけの動作を8本の脚で同時に行うというのはすごいことなんじゃないだろうか? 同じくらいの昆虫にこれほど複雑な動作ができるとは思えないし、少なくとも作者に腕が6本あっても同じことができるような気はしない。
9月22日、午前5時。
軒下のジョロウちゃんが円網を張り替えている。その直径は約40センチだ。20ミリ近くになった体長にしては小さめだと思うのだが、昨日はイナゴの若虫を食べたから食欲がないということなのかもしれない。
ここで注目すべきなのが円網の横糸で、ジョロウちゃんの横糸の間隔はナガコちゃんのそれの約半分しかない。これもジョロウちゃんはナガコちゃんに比べて小型の獲物を狙っているということを表しているんだろうと思う。
午前11時。
買い物のついでにガとバッタを1匹ずつ捕まえた。ガはジョロウちゃん用、バッタはナガコちゃん用だ。これらはカードサイズのジッパー付きポリ袋に入れて持ち帰る。
作者は捕虫網など持ち歩かないので、ガを捕まえる時には後ろから忍び寄って、飛び立つ一瞬前に翅をつかんでしまうというやり方をする。成功するのは今のところ5回に1回くらいだ。少しずつ飛び立つタイミングが読めるようになって成功率が上がったのだが、それでもこの程度である。握りつぶしてしまうわけにはいかない(一度やってしまった)ので、正確に翅だけをつかむのがちょっと難しい。しかし、成長したジョロウグモが二メートル前後の高さに円網を張るのはガのような飛行性昆虫を捕らえるためであるはずだ。捕まえやすいからといってアリばかりをあげていていいわけはないのである。
ガを捕まえてもまだ問題がある。言うまでもなく、ガの翅には鱗粉が付いている。そのために指に鱗粉だけを残して逃げられてしまうことがあるのだ。また、腹部をつかんでしまってすり抜けられてしまったこともある。最近ではしっかり翅だけをつかむようにして成功率を上げたのだがね。
ガを円網にくっつける時にも注意が必要だ。鱗粉は剥がれやすいので、くっつけ方が弱いと鱗粉だけを残して逃げられるというのもよくある失敗のパターンなのだ。そこで縫い針を布に通すようにガの頭部で円網を貫いてから、さらに腹部を円網に押しつけるようにしてより多くの粘球がガの翅に触れるようにしたりもする(ただし、やり過ぎるとクモが怖がって逃げてしまう)。ジョロウちゃんの円網の横糸の間隔が狭いのも鱗粉に負けないように、より多くの横糸で捕らえようということなのかもしれない。それに対して、ナガコガネグモは横糸の間隔を広くしている。これはバッタのような低い高度を飛ぶ大型昆虫を狙っているのではないかと思う。鱗粉の付いていない大きな翅なら横糸の間隔を狭くする必要もないのだろう。
※これも後でわかってくることなのだが、ジョロウグモが主に狙っているのは小型の飛行性昆虫のようだ。大型のガを狙っているのはオニグモだろう。もちろん、どのクモも食べられる獲物は食べるんだろうが。
バッタをナガコちゃんにあげる時にも少々工夫が必要になる場合がある。ナガコちゃんがすぐに飛びついて来てくれればいいのだが、食欲がなくて手間取ったり円網を揺らしたりすると暴れ続けるバッタが円網から外れてしまうのだ。そういう場合はあまり暴れられない程度にバッタを弱らせてから円網にくっつけておく。これで1時間か2時間待って食べてもらえなかったことは今のところ一度もない。
ただ、今回ナガコちゃんはバッタの前半身、つまり頭部から胸部までの範囲にしか捕帯を巻きつけなかった。バッタの翅も脚も胸部に付いているし、噛まれるとけっこう痛い大顎も頭部に付いている。したがって前半身にだけ巻きつければ動きを封じる事ができるわけだが、ナガコちゃんがこんなやり方をするのは初めて見た。食欲がないから手抜きをしたのか、それとも前半身にだけ巻きつければいいのだということを学習したのか、どっちなんだろう。少し間を置いてから追試をしてみようかな。
午後8時。
この時間帯には珍しく、軒下のジョロウちゃんが活発に動きまわっている。どうやら円網ではなく、バリアーを張り替えようとしているようだ。常夜灯の光ではよく見えないのだが、糸の一部を食べているようにも見える。
9月23日、午前1時。
軒下のジョロウちゃんはバリアーを複雑化していた。これは……係留糸を切るようなやつへの対策だろうか。つまり作者よけ?〔嫌われたな〕
それでいて円網は横糸がほとんど張られていない。全体を見るとヒメグモの不規則網のような状態になっている。これでは獲物がほとんどかからないだろう。また絶食期間に入るのかもしれない。ああっと、ただ単に雨のせいだという可能性もあるな。その場合、張り替えを始めた時点では雨らしい雨は降っていなかったのだから、天気が下り坂であることを察知して対策したということになるかもしれない。雨の日は獲物がかかりにくいことを理解していて、しかも気圧の変化などを察知する能力が備わっていればそういうことも可能なんだろうが……どうなんだろうかなあ……。
午後1時。
雨が降り続いている。そこで買い物を兼ねて近所のジョロウグモたちの様子を見て回ることにした。その結果、ちゃんと張り替えられていた円網は水滴をびっしり付けていたものと雨が直接当たらない屋根の下に張られたものの2枚だけだった。それに対して円網になっていない不規則網風は軒下のジョロウちゃんを含めて5ヶ所。他に汚れて穴の開いた円網が1つあった。軒下のジョロウちゃん以外はいつ張り替えたのか、その時の天気はどうだったのかわからないのだが、ジョロウグモはかなり頻繁に横糸を張り替えていることと、雨の日は張り替えない傾向があるということは間違いなさそうだ。まさかとは思うが、雨の日は不規則網の方が獲物を捕らえやすいということなのかもしれない。あるいは、雨の日は横糸を張るのに伴うコストに見合うだけの獲物がかからないということを知っているか、だな。
同じような傾向はスーパーの近くでときどきアリをあげている子も含めてヤマトゴミグモの幼体らしい体長3~4ミリのクモでも見られる。この子たちはちゃんとした円網を張っている子は1匹もいなかった。みんな横糸の間隔を大幅に広げていたり、横糸がほとんどなくて縦糸だけになっていたりだ。円網を小さくしていたり、枠糸だけにしていたりしたのも雨が近いのを察知したからだったのかもしれない。しかしその場合、雨が降り出す3日も前から横糸を減らし始めるのか、という疑問は残る。雨がやんだらこの子たちは円網をどうするのかを確認する必要がありそうだ。
9月24日、午前6時。
台風が接近しているために風がやたら強いのだが、雨は降っていないので買い物に支障はない。
軒下のジョロウちゃんは横糸がほとんどない縦糸だけの円網プラスバリアーというようなものを張っている。近所のジョロウグモたちを一通り見てまわったところでは円網と不規則網風が半数ずつくらいのようだ。やはり強い風の中を飛ぶような獲物は少ないということらしい。風で飛んできたゴミが付くと粘球も粘らなくなるだろうし。
ナガコちゃんの円網もボロボロで穴が開いたままだった。食欲がないのは助かる。恐怖の強風の中でバッタ捕りなどしたくはないから。
午後3時。
ジョロウちゃんは円網を離れて、係留糸を固定してある柱の近くまで移動していた。あまりにも風が強いので避難しているのかもしれない。ざっと見たところでは半数くらいのジョロウグモがどこかへ隠れているようだ。
ヤマトゴミグモは依然として横糸なしの円網や枠糸だけにしている子が多い。細い糸とはいえ、本数が多ければそれだけ風を受けるだろうから、これも強風対策として合理的なのだろう。要するに円網を張るクモの場合は天気に合わせて円網の形状を変えるのらしい。近所のナガコちゃんは大穴の開いた円網を張りっぱなしなのだが、この子の場合は「雨にもマケズ風ニモマケヌ丈夫ナカラダ」を持っているんだろう。夏の暑さにはともかく、雪には負けるだろうが。
9月25日、午前9時。
雨は小雨程度だが風が強い。気象庁が「ハワイ周辺から挨拶の声が聞こえてくる場合があるでしょう」と注意報を出しそうな天気だ。〔……「強風ハロー注意報」か!〕
軒下のジョロウちゃんはまだ柱の陰で雨に打たれている。オニグモたちのように物陰に入ればいいだろうに。意地っ張りな子……ではないな。もっと小型のジョロウグモの多くはどこかに避難しているようだから、ジョロウちゃんが雨に打たれているのは適当な避難場所がないだけということなのかもしれない。ちなみに、円網を張りっぱなしにしているジョロウグモもいるのだが、その子は屋根の下で壁が直角にへこんでいるという雨にも風にも強そうな場所に円網を張っている。ただ、そういう場所だと獲物にも避けられそうな気もするんだが、どうなんだろうかなあ。
午前11時。
作者がアリをあげているスーパーの近くのヤマトゴミグモもとうとう横糸を外して数本の縦糸だけにしてしまった。同種の他の子たちは姿が見えない。物陰に避難してしまったんだろう。
午後5時。
雨はまだ降っているが、風は弱くなった。そのせいか、ジョロウちゃんは不規則網の中心部に戻っている。
9月26日、午前7時。
ほとんど無風で小雨。ジョロウちゃんはまだ円網に戻していない。念のために近所のジョロウグモたちの様子を見て回ると、ほとんどの子がすでに円網を張っていた。その他に今まさに横糸を張っている子が2匹。円網にしていないのはジョロウちゃんの他に2匹だけだった。人為的に獲物が豊富な環境に置かれているジョロウちゃんを基準にしたのは間違いだったのだな。
近所のナガコちゃんは相変わらず穴が開いたままの汚れた円網にしている。これも空腹ではないということだろう。
スーパーの近くのヤマトゴミグモに、またアリをあげた。今度は体長8ミリクラスを選んだので5ミリのクモよりはるかに大きいのだが、前回よりもかなり弱らせてある。結果は予想通りためらう様子もなく飛びついて来てぐるぐる巻きにしてくれた……のだが、今考えると雨上がりなので飢えていたのか、過去2回アリを狩った経験から学習したのかわからないのだった。後でアリをあげたことのない子で追試をしようと思う。
「はい、追試をした結果がこちらです」
というわけで、まず体長4ミリほどの子に8ミリのアリをあげてみた。すると、この子は例のつま弾き行動をし始めたのだが、それがなかなか終わらない。そこで次のアリを捕まえていたら、その間にぐるぐる巻きにしていた。しかも円網に大穴が開いているところを見ると円網を巻き込みながら獲物を回転させたらしい。
体長5ミリの2号ちゃんはすぐに駆け寄って来てぐるぐる巻きにしたのだが、やはり円網を巻き込んでいる。スーパーの近くちゃんが円網から浮かせた状態で捕帯を巻きつけていたのは学習によって身につけたスキルだったのかもしれない。この子はさらに、1ミリもない他の獲物が円網にかかると、アリを円網にに固定してから新たな獲物に飛びついて、それを咥えたままホームポジションに戻ってきた。この種のクモは獲物の大きさによって狩りのやり方を使い分けることができるということらしい。
そして問題の5ミリの1号ちゃんだが……この子は円網の反対側まで逃げてそれっきりである。ときどき第一脚を動かしているから近寄ってもいいものかどうか迷っているようだ。
というわけで、この子たちも狩るか、それとも逃げるかを自分で判断しているらしいことがわかったと思うんだが、どうなんだろうかなあ……。
午後1時。
スーパーへのルートから外れた所で2匹の雄を従えた体長20ミリほどの立派なジョロウグモを見つけた。この子は左の第四脚を失っていたので、あえてそこらで捕まえた小型のガをあげてみた。するとこの子は右第四脚をメインに使い、さらにぎこちないながらも左第三脚も使って捕帯を巻きつけたのだった。この観察結果からジョロウグモは第三脚を第四脚の代わりにできることがわかる。そしてジョロウグモの場合、第三脚は他の脚よりもだいぶ短い。したがってその脚の先端がどこにあるかを正確に把握できているということにもなるだろう。たいしたものである。
台風が通過したせいか、今日は脚を失ったジョロウグモたちが目に付いた。中には脚が4本しか残っていない子もいる。この子たちがいつ脚を失ったのかはわからないが、野外で嵐に遭うと何かに引っかけていた爪ごと脚を引きちぎられてしまうこともありそうな気はする。右第四脚と左第二脚を失ったナガコガネグモもいたから、物陰に隠れる習慣のない脚の長いクモほど被害を受けやすいということだろう。1匹しか見ていないが、昼間は物陰に隠れているというオニグモの脚は8本揃っていたし。
そして、こういう場合には脚の短いゴミグモの仲間はジョロウグモほどの被害は受けないらしい。今、作者は声を大にして言いたい。「脚は長けりゃいいってもんじゃないんだよ!」と。〔短足人間の負け惜しみだな〕
午後2時。
体長15ミリほどのお尻がやや怒り肩のオニグモを見つけた。そこで、近くでツツジの葉を食べていた20ミリほどのコガネムシをあげてみた(葉を食べるのがコガネムシ。やや小型で広葉樹の樹液を吸うのがカナブンらしい)。そうしたらなんと、暴れる獲物を捕帯を使わずに脚で抱え込んだまま牙を打ち込むのだ、この子は! その後、円網の残骸が巻き付いた状態でおとなしくなった獲物を食べ始めたのだが、その時も第四脚2本の爪を糸に引っかけてぶら下がったまま、風が吹くと揺れるような状態でほかの6本の脚で抱え込んだ獲物に口を付けるのだった。こんなやり方をするクモは初めて見た。
作者はオニグモもナガコガネグモやゴミグモなどと同じコガネグモ科のクモなので捕帯を使うはずだと思い込んでいたのだが見事にハズレだった。ただ、たまたまその時は狙っている獲物よりもかなり大きかったためにそういうやり方になってしまっただけという可能性もある。糸にぶら下がって食べるというのも円網がほとんど跡形もない状態なのでホームポジション自体がなくなってしまったせいだったのかもしれない。これも後で、甲虫よりも軽い獲物で追試する必要があるな。そして他のオニグモがどういう狩りをするのかについても調査する必要があるだろう。
9月27日、午前6時。
昨日コガネムシをあげたオニグモはコガネムシの腹部を外してそこに頭を突っ込んでいた。甲虫をクモにあげたのはこれが初めてなので、獲物が甲虫の場合はこういうやり方になるのか、それともこれがオニグモ流の食べ方なのかはわからない。これも追試が必要だが、オニグモは基本的に暗い時間帯にしか出てこないのでやっかいだ。作者は研究者としての身分証明書を持っていないので、善良な一般市民を拉致監禁した上に精神的に追い詰めて自白を強要しても、暴力を振るっても、場合によっては殺しても基本的に罪にならない合法的暴力集団に因縁を付けられるようなことはしたくないのである。
ヤマトゴミグモたちはほとんどが円網に戻していた。これはやはり天気が良くなったからだろう。
午前7時。
軒下のジョロウちゃんは相変わらず不規則網風というか、バリアー状というか、円網ではない状態にしている。糸の汚れ具合を見る限りでは糸の粘着力も低下しているようだ。つまり、獲物を狩る気がまったくないように見える。
そこで思いついたのだが、これは「お婿さん募集中」のサインなのではあるまいか? はるばるやって来た雄を食べてしまったら子孫を残せない。お婿さんを円網に迎え入れる時には食欲を抑制すると言うのは合理的だろう。
好都合なことに近所で小型のジョロウグモ4匹が円網なしのバリアーに乗っているのを見つけた。この季節に円網を張っていないのなら雄だろう。そこでその中の1匹をコップで捕まえて持ち帰り、ジョロウちゃんの枠糸に乗せてやった。ところが、この子はジョロウちゃんに背、というか尻を向けて柱の方に歩き出したのだ! おそらくパニックになっていてジョロウちゃんのフェロモンに気が付いていないのだろうが、これでは困るので、この子の第一脚をツンツンしてジョロウちゃんの方に向かわせる。大きなお世話のような気もするが念のためである。
近寄ってくる侵入者に気が付いたジョロウちゃんは腰を振って威嚇し、2、3歩踏み出したものの、それ以上は追い立てずにホームポジションに戻った。雄(多分)はジョロウちゃんの直前で方向転換して上方へ向い、ジョロウちゃんの斜め上の端に落ち着いた。そこは一般的に雌の円網に居候している雄のポジションである。そしてまた、雌の牙の反対側でもある。交接する前に食われてはたまらんのだろう。ちなみに雄が2匹になった場合は雌からもほかの雄からも距離を置くようだ。ともかく、これでジョロウちゃんが追い出したり食べてしまったりしなければ「お見合い成功」と言えると思う。
午前8時。
連れてきた雄はジョロウちゃんの左の第四脚の先あたりにいる。円網になっていないからどこにいればいいのかわからないのか、あるいは、ジョロウちゃんに追い払われない限りは近寄っていくということなのかもしれない。いずれにせよ、食われてしまうという最悪の事態だけはひとまず回避できたようだ。
あとはナガコちゃんだなあ。しかし、ナガコガネグモはジョロウグモに比べて個体数が少ないので、雄がどこにいるのかわからない。作者の見ていないところで交接していたというのがベストな結末だが……。
午後1時。
ナガコちゃんの様子を確認すると、ボロボロの円網に小柄で脚が長いクモがいた。帰宅してから『日本のクモ』で調べてみるとこれが雄らしい。なんとまあ、世の中はうまくいくようにできているのだなあ。
しかし、放っておけば解決するのだとしたら、軒下のジョロウちゃんにも第二、第三のお婿さんがやって来るという可能性もあるわけだ。まあ、お婿さんが多くても困ることはないんだろうが。
9月27日、午後2時。
スーパーの近くのヤマトゴミグモに体長10ミリほどのアリをあげてみた。するとこの子は円網を巻き込みながら獲物を回転させて捕帯を巻きつけたのだった。つまり、この子は獲物の大きさによって捕帯の巻きつけ方を変えるということらしい。機会があったらもう一度5ミリクラスのアリをあげてみたいと思う。
午後3時。
近所の生け垣にいる体長12ミリほどのジョロウグモに15ミリほどのバッタをあげてみた。そうしたらこの子はチョンチョンをしばらく続けた後、捕帯を巻きつけたのだが、そこはバッタの腹部だった! バッタの脚は胸部から生えているのに、そこに巻かないでどうするんだという話である。このことからもジョロウグモは経験し、学習することによって狩りがうまくなっていくのだということがわかる。
この子の円網には雄もいたので、雄が食べるようにと、アリも投げてあげたのだが、この雌はまだもがいているバッタを放り出し、アリに近寄っていた雄を押しのけるようにして牙を打ち込んだ。そこで彼氏のためにもう1匹アリを投げてあげると、これにも牙を打ち込むのだった。そんなに大量の獲物を一気に食えるわけでもなかろうにとは思うが、円網にかかった獲物に対しては仕留めるか逃げるか、あるいはチョンチョンもしょもしょするのがジョロウグモの生き方なんだろう。
9月28日、午前5時。
軒下のジョロウちゃんはまだ円網を張っていない。何のための絶食なんだろう?
午前6時。
近所に体長10ミリほどのオニグモの仲間がいたので体長8ミリほどのアリをあげてみた。するとこの子はちゃんと捕帯でぐるぐる巻きにするのだった。捕帯の幅はナガコガネグモと同じくらいのようだ。
先日のお尻が怒り肩のオニグモが捕帯を使わなかったのは獲物が大きすぎたとか、甲虫だったからとか、円網の損傷が大きかったからとかいうような特殊な条件下だったからなのかもしれない。オニグモの円網の糸はナガコガネグモのものに比べて細くて切れやすいような気もするから、主に狙っているのは比較的大きくて、その割に軽い獲物、例えば大型のガなどである可能性もあるだろう。
午前11時。
ヤマトゴミグモのスーパーの近くちゃんに、また体長4ミリほどのアリをあげてみた。すると今回は必殺のフローティングロールを使わずに円網を巻き込みながら捕帯を巻きつけたのだった。
獲物が重すぎて持ち上げられないということなのかもしれないが、円網の巻き込みは最小限に押さえ込んでいる。狩りを経験する度にスキルが向上していくようだ。このあたりは技を習得するためには反復練習を繰り返す必要がある人間のアスリートとは大違いである。クモも「人間とは違うのだよ。人間とは!」と言いたいんじゃあるまいか。〔クモは発声器官を持ってないぞ〕
もっとも、食うため、生きるための狩りと遊びの延長であるスポーツを同列に考えるのが間違いなんだろうが。
ついでに言ってしまえば、作者は楽しみのために銃を使って狩りをするハンターなどは素っ裸にナイフ1本だけを持たせてライオンやゾウの群れの中に放り込んでやればいいと思っている。相手とほぼ同等の条件で正々堂々と闘わなければ真の勝利の喜びは得られないはずだ。相手の爪も牙も届かない距離から道具を使って攻撃するのはリンチでしかない。どうしても銃を使って殺したいのなら銃を持った人間同士で殺し合いをやればいい。これこそ究極のハンティングだろう。これならほかの生物に対してはほとんど無害なのだし。
ただし、作者は食うための狩猟や害獣駆除まで否定するつもりはない。道具を持った人間は最強の生物なのだからクマやイノシシ、害虫や雑草や病原体まで含めて人間に対して有害な生物を駆除することは無益な殺生ではないのだろうし、駆除される側から抗議されることもない。
また、最近では人間に危害を加えたクマを駆除するのに銃を使うと銃猟免許を取り消されたりするらしいのだが、それなら警察が駆除すればいいだろう。善良な一般市民の生命財産の保護は警察の役目であるはずだし、銃を所持していても、それを使うことで一般市民に危害を加えることになっても罪に問われないだけの法律的な特権があるのだから。
そしてクマなどが駆除されると「かわいそうだ」とか「山に返すべきだ」などと言う無責任な人間どももいるのだが、こういう人間は自分でそれを行うべきだろう。ちょっと出かけていってクマを説得すればいいのだからたいしたことではあるまい。そのための時間が取れないというのなら山に返すための資金を提供すればいい。作業員への報酬と必要な装備を用意しても一千万円にもなるまい。それもできないのなら、かわいそうなクマの餌になるのもいい。そうすれば、飢えた虎の親子のためにその身を投げ出したという釈尊の伝説のようだとか言ってマスコミが英雄扱いしてくれるかもしれないぞ。もちろんバカ呼ばわりされて終わりという可能性もあるし、運良く英雄になれても一年も経たないうちに忘れられてしまうだろうけどな。
9月29日、午前4時。
近所のナガコちゃんがまた姿を消した。しかも今回は円網を残したままだ。どうでもいいことだが、雄も昨日からいなくなっている。雄は役目を終えたということだろうが、ナガコちゃんまでいなくなったのは産卵するために実家へ帰ったということなのかもしれない。〔ナガコちゃんの実家ってどこにあるんだ!〕
今日は体長15ミリほどのジョロウグモを見つけたので、そこらにいたガを円網にくっつけてあげた。するとこの子は、コガネムシをあげたオニグモのように獲物を抱え込んだ状態で牙を打ち込んだのだった。獲物がミイラ状になるほどの大量の捕帯を使わないクモが大型の獲物を狩る場合のやり方は同じようなものになるのかもしれない。
さらに、おとなしくなった獲物は左の第四脚の爪でぶら下げてホームポジションに運んでいた。これはヤマトゴミグモのやり方とほぼ同じだ。円網の下部からホームポジションへ獲物を運び上げる時にはこういうやり方がいいらしい。
クモをつつくような話2019~2020 その5に続く