2790文字で完結・用心棒だった君は薬売りとなる
まだ未熟な俺が武の道を見習っている中、戦乱の世が終わりを迎えようとしている。
しかし俺の師曰く、たとえ大勢による衝突が無くなろうと不穏な日々は長く続くらしい。
早々と人は信念や講じる手段まで変化を遂げる事は不可能だから、少なくとも謀殺は絶えず、守る武力は依然として変わらず必要されると厳しく説いてきた。
あまり俺は師の考えを真に受ける質では無いが、こればかりはその道理だと賛同したものだ。
もしも世の中が既に変化している最中だとして、これに伴い俺自身の何かが変化した実感など米粒ほども無いためだ。
おそらく大半の者は俺と同様の感覚を抱いているだろう。
何より一日生きる事に精一杯である皆が世の変化を敏感に察知し、肌身で感じているとは幾何ながら考え難い。
「はい、私の勝ち~!」
その一方で、また俺は姉弟子との手合わせで負けてしまう。
単純な剣術勝負のみなら俺に分があるのだが、この手合わせは用心棒としての任を全うできるかを前提にしている。
要は多様な戦い方が許されていて、武芸百般どころか腕が立つ忍になれる才能まで持っている姉弟子に勝つことは困難だった。
姉弟子は俺と違って多才であり、つい感心してしまうほど小細工が上手く、とにかく人間らしかぬ予想できない動きを会得している。
そのせいで正々堂々な勝負運びができず、いつも俺は思うように全力が発揮できないまま完封されるのだ。
毎回気づいた時には姉弟子から強力な打撲を与えられ、俺は無様な恰好で尻もちを着いている有り様だ。
「くっ……。もう何度目の敗北なのか憶えていられないな。しかも俺が日々精進を重ねても、ますます差を付けられる始末だ」
「私が君相手に慣れているからね。言っちゃあ悪いけど、次の動きが手に取るように分かるよ」
「手の内が読めているという事か。つくづく姉弟子には感服するよ。まさか心を読む才能まであったとは」
「そんな大層な話じゃないよ。これは単純に敵を知れば勝利に繋がるってやつ。君の思考や技、あと癖とかも全て覚えているからね」
「そう聞いてしまうと、どう足掻いても俺に勝ち目が無いな。非常に悲しい事実だ」
「そーでも無いよ。だって新しい技を身に付ければ、それだけで戦い方が大きく変わるものだからさ。そうなれば私が得た君に対する経験なんて混乱の元になって、むしろ余計な枷にすら成り得るから」
「成程、新技か……」
姉弟子は確かに女性だが、同じ修行環境に身を置きながらも俺相手に連勝する手練れだ。
その事もあって俺は助言を素直に聞き入れ、本気で新しい武術を取り入れることを望む。
ただ俺が武について考えている間、姉弟子はもっと日常的な光景に想い馳せていた。
「ねぇ君はさ、これから食べて生きていくために武を磨き続けるだろうけど、もっと商売的な事も学んでみない?」
「商売?……なぜ唐突に?」
「師匠は、人であるからには武力が必要だと教えてくれた。だけど、だからと言って武力だけに未だ目を向け続けるのは幅狭い選択だよ。これから生きる道に通じるのは、きっと武より日常的で身近なもの」
「しかし、まぁ一概に商売と言われてもな。それにまだ俺は武に対して満足できるほどの領域では無い」
「ん~…。なら、私に勝てたら薬売りとか始めてみない?君はそういう知識があるでしょ?」
そう真っすぐな瞳で姉弟子は訊いてきた。
武を極めるからには、やはり自分含め周りの人まで負傷することは珍しくない。
だから俺は付け焼刃ながら薬の知識を得たわけだが、あくまで何となく知っているという程度の話だ。
とても専門的とは言えないし、医学の本を読み漁ったわけでは無い。
そのことを俺自身が一番知っているがために、煮え切らない態度に加えて曖昧な返答しかできなかった。
「知識と呼べるのか分からないが、まったく無いわけでは無い。何にしても商売にするほどでは……」
「でも、商売なら二人で頑張って生きていけそうじゃない?」
「二人で?つまり姉弟子と?」
俺がひょうきんそうな反応で返すと、姉弟子は照れたように表情を緩ませた。
それは一瞬のことであり、何に照れたのか理解できなかった。
まして姉弟子はすぐに普段通りの振る舞いをしてみせ、ちょっと格好つけて言葉を返してきた。
「まぁまぁ一つの選択として考えておきなよ。そもそも今すぐ私に勝てるわけでも無いからね!」
「むっ?姉弟子とは言え、ずいぶん癪に障るような言い方を」
「そう怒りを向けられても避けようのない事実だからね。……しょうがないな。なら、ついでにもう一手合わせしておく?」
「…是非ともお願い致します」
結局、この日は連敗することになった。
だが次の日から結果が変わるようにと、俺は修行内容を自分なりに追加させた。
やる事は単純。
さすがに俺は姉弟子より力があるから、物を投擲するという戦い方を扱えるようにしただけだ。
しかし単純で幼稚な方法でも、今までの戦い方を変えるには充分過ぎる要素だった。
仮に嵐の中でも小石を隙無く的確に投げられ、狭い室内であろうと正座している状態から予備動作を極限に少なく椀を投げつけられるように。
あらゆる姿勢かつ、あらゆる角度で相手に効果的な威力を与える。
舞うハエを始末し、飛ぶ鳥を落とせるほどの技にする。
そのような投擲技術を完璧にしたのは丁度百日後であり、自分でも思わない形で強くなった事を証明してしまった。
「申し訳ありません…、姉弟子」
辺りを暗く染め上げるほどの嵐の下、俺は雨で冷たくなる姉弟子を抱きかかえた。
姉弟子の胸元には大きく深い切り傷ができており、間もなく息が絶えることだろう。
しかし姉弟子は死ぬ直前まで持ち前の気丈を忘れず、俺の頬に手を添えて微笑みかけた。
「なんで、謝るの?私に勝ったのに………、悲しそうにしないで…」
「しかし、これは望まない結果で…」
「…そんなことないよ……。君が私を殺めなければ…、逆に君が死んでいただけ……だからね…」
互いに用心棒として武を磨いていた以上、雇い主が異なれば衝突し合う事は有り得た話だ。
姉弟子も、俺も殺し合う覚悟はあったはず。
だが、それでも情を抱いてしまうのが人間だと……どれだけ世の中が変わっても不変なる想いだと俺は思う。
ただ悲しい事に、それだけ親愛な想いを持ってしまった相手に俺が持ち合わせていた薬は効いてくれない。
救ってくれない。
「でも姉弟子だと俺が早く気づいていれば、上手く見逃すことくらい…!」
「良いんだよ……。いつの世だって…人が死ぬには変わりないんだから……。ただ…世が変わらなくたって……、人は生き方を変えれ…る………て、わたし…っ………」
顔が濡れているのは涙によるものか、降り注ぐ雨のせいか。
俺は嵐にかき消される程度の小さな呻き声を漏らし、耐えがたい苦痛に表情を歪ませた。
人を死なせたくないと、生まれて初めて本気で思ったかもしれない。
そして人は心にも傷を負うから、心を癒すものが必要だと俺は考えた。
後書き・このあと元用心棒だった男が亡き姉弟子の戦闘技術をかつての手合わせから思い出しつつ、凄腕(武力的にも)薬売りとして活躍するというのも有りだなと思いました。