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病床の王女は、何を思っていたのか。
ヴァネッサ領の図書館は、それなりに蔵書量が多い。
アリアもよく物語を読みに図書館を利用していた。最近は体調不良のせいで来られなかったが。
図書館へは家から護衛として一人ついて来てくれているが、シャルルもいるため適度な距離を保っている。口の動きはわかるだろうが、会話内容までは聞こえないだろう。
アリアは目的の本が置いてある場所へたどり着いた。
「シャルル、ちょっとユース国について調べたいのだけど、できるだけ国の詳細が書かれた文献を見つけてほしいの。協力してくれる?」
「ユース国…西の?」
そうよ、と呟いて、アリアはかたっぱしから歴史書を探す。
司書にも協力を仰いで、なるべく多くの情報を集めたかった。
「ユース国って具体的に何を?」
「ええと、現在と過去100年ほど」
「家庭教師の宿題?」
「いいえ。第12代国王が第一王女、チェルシー・ミュエル・ユースのことを知りたいの」
「有名なの?」
「わたしの中ではね」
ぺらぺら…とページをめくるなかに、求めていた文献を見つける。
「世界の国々」という本だ。
現在ユース国は、過去100年の間に医療の面で成長を遂げている。その過去には、12代国王の愛娘、チェルシー・ミュエル・ユースの存在が大きい。
チェルシー王女は生まれたころから心臓に病を抱えていた。国の医学を結集しても病気の原因を特定できず、発作に対する投薬治療しかできなかった。
それがきっかけで、チェルシー王女は17歳という若さで天へと還った。
しかしチェルシー王女は病であることを嘆いてはいなかった。常に最善を尽くせるように、笑顔を絶やさず、ベッドの上でも読書を欠かさず、博識であったという。
その姿を後世にも伝えたい、と国王は今まで以上に医療に力を入れるようになった。チェルシーと同じ悲しみを味わうことのない国を。そして国を超えて、世界で役立てばいいと。
ユース国は12代国王に次いで、13代国王にはチェルシーの兄が王位を継承した。兄も父の遺志を継いで医療に力を入れている。
医療団はあらたな新薬を開発し、それは世界に流通している。
まさにアリアが解熱剤として服用していた薬だった。
現在は14代国王が様々な難病に対して研究を続けていると。
チェルシーがこの世を去ってから100年。もう家族もこの世にはいないが、こうして多くの人に愛されていたことを、アリアは…チェルシーは幸せに感じた。
「チェルシー王女って…ガリグの毒性を教えてくれたって人?」
「そう。チェルシー王女よ。彼女が病床で読みふけっていた様々な本の知識は、わたしを生かすことに繋がったのね」
「あ、絵が載ってる」
シャルルが指さすページに、なんとチェルシーの姿絵が掲載されていた。
100年ぶりに…いやもっと最近かもしれないが、久しぶりに見たチェルシーの顔は、とても穏やかで美しかった。
いつどの画家に描いてもらったかしら…こんなに美人に仕上げては詐欺にならない…?アリアは絵の中のチェルシーに触れる。
その瞬間、ぼろぼろと涙があふれた。
ああ、本当は無念だった。素晴らしい王女のように書かれているが、そんなの嘘だ。
もっと生きたかった。もっと王女らしく、歳相応の少女のように過ごしたかった。
兄たちと一緒に乗馬をしたり、近隣諸国へ留学したり、学校にも通いたかった。
おしゃれもたくさんしたかった。やりたいことなんて山のようにあった。
元気になったら、発作が落ち着いたら、そう自分に暗示をかけて、欲求に蓋をして生きて、死んだのだ。
どうして自分ばかり、神様なんていない、どうして、どうして。
「アリア…?」
シャルルが何も言わずにハンカチを差し出す。シャルルの方を向けないまま、ハンカチで目元をおさえた。
無念だった。そう、チェルシーは無念だったのだ。それを知っているのはアリアだけ。自分だけ。
誰かに知ってほしかった。どちらも自分なのだが、少なくともチェルシーとして生きた結果が、今の医療に貢献していることは確かである。
今この瞬間にも誰かのためになっているのだ。
アリアは流れる涙をぬぐう。わたしはアリア。
チェルシーに助けられた命は、やりたいことを叶えるためにある。
春が来れば、アリアは王都のアカデミーへ通うのだ。やりたかったことが一つ叶うではないか。アリアの人生はこれからも続く。
だが、ひとつ、シャルルに告白しておきたい。この秘密を。
彼だけには。些細な変化に気づいてくれた彼には。
ほら、もう一つ叶うではないか。素敵な恋をしたい。その相手は目の前にいる。
「シャルル、実は伝えたいことがあるの。長くなるけど聞いてくれる?」
病床の王女、チェルシーの短くも儚い人生の話を。
わたしたちの未来の話を。
もう少し続きます。