6 野郎共は懲りない
フィルと別れたマリアはローズアヴェニューを離れ、自宅への帰路に着いていた。
友人の驚いた顔を思い出しながら、口元を綻ばせる。
(フィルったら、ほんと素直で可愛いんだから……)
これでもう少し落ち着きがあればとも思うが、いつでも元気なのはフィルの美徳だ。
年齢以上に大人びているマリアにはそれが微笑ましくもあり、少し羨ましい。
「暗くなってきちゃったわね……」
フィルとA&Aで過ごす時間が楽しくて、ついつい長居してしまったと、マリアは夕日が街の影に消えていくのを眺めながら歩調を速めた。
「あら……?」
道の隅で蹲る人影が目に留まり、彼女は足を止めた。
「あの、大丈夫ですか……?」
具合でも悪いのだろうかと心配になり、マリアは背中を向けて蹲っている人影に近づいていく。
──…ジ、ジジ…ジジジ…
不意に聞こえる耳障りな音。
「─────っ!」
振り向いた瞬間──、彼女の視界は真っ暗な影に覆われた。
「っかー!食いすぎたー!腹ァ一杯だっての!」
腹を満たして満足したハースの声が店内に響き渡る。
いつもなら「でけえ声出すんじゃねえよ」とゼストがハースを睨みつけるところだが、幸い今日は客引きも早く、店には数人の客しか残っていない為、ゼストも多少のことには目を瞑っているようだった。
「なんだあ、もう食えねえのか?お前が持ってきたヴォルグ、まだ半分も残ってるぞ?」
「さすがに俺ももう食えねえって。残りはそっちで適当に使ってくれや」
半分も、と言うもののハースが持ってきたヴォルグは軽く見積もっても五十人前はありそうな大きさだった。
ハースはそれを一人で半分も食べてしまったのだが、対するヴァローナはまだ料理し足りないといった様子で、少しつまらなそうな顔をしていた。
先に食事を終えていたホーネットにカクテルを出したゼストは、カウンター周辺の整理をしていたのだが、突然ハースが声を張り上げた。
「そういやゼスト!俺の酒は?」
(こいつ、まだ覚えてたのか……)
結局大人しくするという約束を守れていない為、ゼストは嫌そうな態度を隠しもせずにハースを見る。
しかし、ゼストに送られてくるハースの視線があまりにも期待に満ちていたため、ゼストはあからさまな溜め息をこぼし、カクテルを作り始めた。
「お前なあ……、そのでかい図体で主人に褒美貰おうとしてる犬みたいな顔すんなよ、気持ち悪い」
「ちょ!気持ち悪いって、そりゃ酷すぎだぜゼスト!」
「まあ、ゼストの口が悪いのは今に始まったことじゃないだろ」
俺なんて役立たず呼ばわりされたしな、とヴァローナが視線を向けてきたが、ゼストはそれを冷めた視線で見返し、黙殺した。
「聞いてくださいよ、ハースさん。うちのゼストちゃんったら反抗期なのか、お母さんの言うことを無視するんですのよ」
「あら奥様、私なんていつも蔑むような目で見られるんですのよ」
気持ちの悪い女声で会話を始めた二人に危機を察知したホーネットは、さりげなく二人から距離を取った。
無言のままカクテルを作っているゼストの手には、震えを抑えるあまり血管が浮き出ていたのだが、ハースもヴァローナもそれに気付いてはいない。
「ほら、お前の分の酒だ、ハース。ついでにヴァローナの分も作っておいた」
ホーネットは怒り狂ったゼストが二人を殴り倒すのではないかと思い、はらはらと様子を伺っていたのだが、意外にもゼストはいつも通りにグラスを差し出した。
「俺の分もあるとは、気が利くじゃねえか」
「待たせすぎだぜ、ゼストー!」
彼らは何も疑うことなくグラスを手に取り、二人同時に鮮やかな赤色のカクテルを飲み干した。ゼストの怒りがとめどなく込められた真っ赤な液体を。
その直後。
「──────!!!」
苦悶の表情を浮かべ、二人は声も出せずに床に倒れこんだ。
喉を押さえながら二人の男が転げまわる光景に、今回は難を逃れたホーネットは冷や汗を流す。
「ゼストくーん。今、大丈夫?」
事の顛末を何も知らないクラートが厨房から顔を出すと、ゼストは何事もなかったかのように応える。
「ああ。大丈夫だけど、何かあったのか?」
この時間にクラートが酒場に顔を出すのは珍しいと思い、ゼストは首を傾げる。
「裏にお客さんだよ」
声のトーンを落としてクラートが言うと、ゼストの目が険しさを帯びる。
「わかった。すぐ行く」
そのまま酒場を出ようとしたゼストだが、思い出したかのように足を止め、一人残されたホーネットを顧みた。
「そうだ、ホーネット。悪いんだが、そこの生ごみ二つ処理しておいてくれないか?」
そこの、とゼストが指差した先には、先程まで転がり回っていたものの、今やぴくりとも動かなくなってしまったハースとヴァローナがいた。
「…………了解いたしました」
ホーネットは顔が引きつるのを辛うじて堪えながら頷いた。
(カクテルに何が混ぜられていたのかは聞かない方がよさそうだ……)
屍と化した二人を見下ろしてホーネットは、やはりゼストを怒らせるものではないと、固く心に誓ったのであった。